スタンリー・ジョーダン Stanley Jordan | |
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スタンリー・ジョーダン(2017年) | |
基本情報 | |
生誕 | (1959-07-31) 1959年7月31日(64歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ |
ジャンル | ジャズ、フュージョン |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1982年 - |
レーベル | ブルーノート、キャピトル、EMI、アリスタ/BMG、マック・アヴェニュー |
共同作業者 | ポール・ランスキー、ミルトン・バビット |
公式サイト | www |
スタンリー・ジョーダン(Stanley Jordan、1959年7月31日 - )は、アメリカのジャズ・ギタリストで、ギターの指板上で両手の指をタッピングさせる奏法を特徴とする。
ジョーダンは、イリノイ州シカゴ生まれ。6歳の時にピアノを始め、11歳からギターに転向した[1]。その後、ロックおよびソウル・バンドでの演奏を開始した。1976年、Reno Jazz Festival で賞を受賞。プリンストン大学に進学し、音楽理論と作曲をミルトン・バビットに、コンピュータミュージックをポール・ランスキーに学んだ[2][3]。プリンストン大学在学中は、ベニー・カーター、ディジー・ガレスピー と演奏した[1]。
1985年、ブルース・ランドヴァルがブルーノート・レコードの社長に就任し、スタンリー・ジョーダンが就任後最初の契約者となった。ブルーノートは彼のアルバムである『マジック・タッチ』をリリースし、同アルバムは『ビルボード』誌のジャズ・チャートで51週間1位を保持した。
通常、ギタリストは両手を使用する際に、片方の手は音程を決定するためにフレット上で弦を押さえ、もう一方の手は弦を弾いて音を出す。スタンリー・ジョーダンのタッチ・テクニック(彼は「タッチ・スタイル」と呼称する)は、両手によるタッピング奏法の進化形である。通常のギタリストは、フレット上で一本の指だけを素早く弦に対してタッピング(またはハンマリング)して音を出す。タッピングの衝撃により、十分な音が出るように弦を振動させ、音量は衝撃の力を加減することで調整できる。ジョーダンは、両手でタップすることにより、通常のタッピングよりも滑らかに演奏することができる。彼のテクニックにより、メロディとコードを同時に演奏することができるようになる。またそれにより、彼が実演したように、2本のギターを、たとえばギターとピアノのように別々に演奏することができるようになる。
ちなみに、このタッチ・スタイル自体はギターメーカーのグレッチ社の開発スタッフであり、ジャズ・ギタリストであったジミー・ウェブスターが、1950年代に教則本を出版し、その奏法を使ったレコードを発売しており、演奏法としては既に存在していたが当時は受け入れられず、奏法として広く知らしめたのはスタンリー・ジョーダンである。詳細はタッピング奏法の項目を参照。
彼は、低音弦から高音弦に向け EADGBE とする通常のチューニングよりも、EADGCF (ベースのようにすべてが完全四度)となる全四度チューニングを使う。彼は、全四度チューニングが「指板を簡単かつ論理的に」すると述べている[4]。
ジョーダンが主に使うギターは、1988年製の Vigier Guitars で、指板を平らにして非常に少ない(0.5/0.7mm)動作でのタッピングを可能にした Arpege モデルである。この他にもネックにアルミニウムを芯材に用いたトラヴィス・ビーンのギターや、CASIOが特別に製作したギターシンセサイザーを用いている。一本のギターを演奏するのみならず、立奏用スタンドにセットしたギターシンセサイザーを右手で演奏し、左手で肩からストラップで提げたギターを演奏するといったことも行う。この場合は右手でメロディ、左手でコードバッキングを演奏するスタイルとなる。
ジョーダンは、クインシー・ジョーンズ、オナージェ・アラン・ガムス、マイケル・ウルバニアク、リッチー・コール、デイヴ・マシューズ・バンド、ザ・ストリング・チーズ・インシデント、フィル・レッシュ、Moe、アンフリーズ・マギーと共に演奏してきた。
彼は、クール・ジャズ・フェスティバル (1984年)、コンコード・ジャズ・フェスティバル (1985年)、モントルー・ジャズ・フェスティバル (1985年)などを含む、様々なジャズ・フェスティバルで演奏している。
2004年には、イタリアのバンドであるノヴェチェント (Novecento)との共演でアルバム『Dreams Of Peace』をリリースした[5]。このアルバムは、ニコロッシ・プロダクション (Nicolosi Productions)というレーベルのリノ・ニコロッシとピノ・ニコロッシがプロデュースし、アメリカでは「Favored Nations」からリリースされた。マック・アヴェニュー・レコードからは、2008年に『ステイト・オブ・ネイチャー』を、2011年には『Friends』をリリースした。後者はNAACPイメージ・アワードにノミネートされた。彼は4度グラミー賞にノミネートされている。
ジョーダンは、Power Macintosh 6100、Power Macintosh 7100、Power Macintosh 8100 のスタートアップ音楽を製作した[6]。
ジョーダンは、映画『ブラインド・デート』(1987年)に端役として出演した。1995年には、短編映画『One Red Rose』に楽曲を提供。1996年には、ABC TVで午後の特番『Daddy's Girl』に楽曲を提供した。
また、1980年代の中頃より、『The Tonight Show with Johnny Carson』『The David Letterman Show』『The Grammy Awards』などの多数のテレビ番組にて演奏を行っている。
スタンリー・ジョーダンは、短い結婚生活の間に一人娘で現在シンガーソングライター[7]のジュリア・ジョーダンを儲けている。また、ジョーダンはアリゾナ州立大学に通い、音楽療法の修士号取得を目指している。[7]