ステージチャンプ

ステージチャンプ(欧字名:Stage Champ1990年5月17日 - 2020年2月7日)は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍に1994年日経賞1995年ステイヤーズステークス

ステージチャンプ
第30回京都大賞典パドック(1995年10月8日)
欧字表記Stage Champ[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色黒鹿毛[1]
生誕1990年5月17日[1]
死没2020年2月7日(30歳没)
リアルシャダイ[1]
ダイナアクトレス[1]
母の父ノーザンテースト[1]
生国日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者社台ファーム[1]
馬主古岡秀人
吉田和子
[1]
調教師矢野進美浦北[1]
厩務員馬渕照男
競走成績
生涯成績32戦4勝[1]
獲得賞金4億3894万9000円[1]
勝ち鞍
GII日経賞1994年
GIIIステイヤーズS1995年
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中央競馬長距離戦の名脇役として活躍した。

母は重賞5勝のダイナアクトレス、半妹に札幌3歳ステークスフェアリーステークスを勝ったプライムステージがいる。

経歴

デビュー前

ステージチャンプは、父がポストノーザンテーストの呼び声が高かったリアルシャダイ、母が1980年代にGI戦線で活躍し毎日王冠等を制したダイナアクトレスで、さらに初仔であった事もあって、良血馬としてデビュー前から注目されていた。

3歳~4歳

3歳11月、東京競馬場でデビュー。初勝利は3戦目、蛯名正義とのコンビで挑んだ中山競馬場でのダート1200mの未勝利戦だった。

明けて4歳になると、ステージチャンプは皐月賞トライアルの弥生賞で3着に入り、皐月賞の出走権を獲得。1番人気に推されたスプリングステークスでは6着となり、1勝馬の身で皐月賞に挑む事になった。

皐月賞では、最後の直線でガレオンに進路を妨害されてしまい、ナリタタイシンの7着[注 1]に敗れた。

皐月賞後、ステージチャンプはダービーの出走権を掛けて、中1週でダービー指定オープンの青葉賞[注 2]に出走。1着となり、ダービーの優先出走権を獲得した。だが、日本ダービーでは終始中団のまま、ウイニングチケットの9着に敗れた。

秋は京都新聞杯から復帰したが6着に終わる。なお、この時、鞍上を蛯名から南井克巳にスイッチしている。

京都新聞杯で凡走した事もあって、菊花賞では9番人気だったが、レースでは勝ったビワハヤヒデには5馬身差を付けられたものの、日本ダービー馬ウイニングチケットとの競り合いを制し、2着と好走した。

5歳

1994年、5歳になったステージチャンプは岡部幸雄の騎乗で金杯(東)AJC杯目黒記念と3戦連続で1番人気になるも、金杯は2着、AJC杯は3着、目黒記念は4着と善戦しても勝てなかった。

日経賞では4番人気だったが、1993年春の天皇賞ライスシャワーとの叩き合いを制して、初重賞制覇を遂げた[注 3]

|天皇賞(春)では、岡部がビワハヤヒデの主戦だったため、鞍上が南井に戻ったが、マチカネタンホイザと同着の5着に終わった。

その後、ステージチャンプは宝塚記念8着、毎日王冠10着、天皇賞(秋)13着、アルゼンチン共和国杯3着、ステイヤーズステークス3着と、5戦したが1つも勝てずに終わった。

なお、アルゼンチン共和国杯から鞍上は蛯名正義に戻っている。

6歳

6歳になったステージチャンプは前年と同じくローテーションを歩んだものの、金杯は6着、AJC杯は3着、目黒記念は8着と凡走する。しかし、日経賞2着を経て挑んだ天皇賞(春)では今までのステージチャンプからは考えられない強烈な追い込みを見せる。鞍上の蛯名は差し切ったと思い、ガッツポーズをしたが、結果はライスシャワーにハナ差[注 4]届かずの2着であった。

秋は京都大賞典から復帰したが6着、天皇賞(秋)は距離不適で13着に敗れるが、アルゼンチン共和国杯で2着になって復調し、年末のステイヤーズステークスで待望の重賞2勝目を挙げた。その後、有馬記念出走を目指していたが調教中に骨折し、休養に入った。

7歳~9歳

半年の休養ののち、ステージチャンプは宝塚記念の前哨戦として施行された芝2500mのオープン特別・エメラルドステークスで復帰した。レースでは61kgの酷量を背負いながら、阪神の坂を猛然と追い込んで2着に入り、健在ぶりをアピールした。しかし、宝塚記念直前に屈腱炎を発症し、再び長期休養を余儀なくされた。

およそ10ヶ月の休養を経て、8歳になったステージチャンプは天皇賞(春)で復帰した。天皇賞(春)では優勝したマヤノトップガン、2着サクラローレル、3着マーベラスサンデーに次ぐ4着と健闘した。しかし、宝塚記念を目指して調教していた最中に再び骨折し、3度目の長期休養に入った。

年が明けて9歳になったステージチャンプは1998年2月に復帰を期して、再び美浦に入厩したが、天皇賞を目指しての追い切り中に再び屈腱炎を発症。遂に引退した。

競走成績

以下の内容はnetkeiba.comの情報[2]に基づく。

競走日競馬場競走名距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順タイム
(上り3F)
着差騎手斤量
[kg]
1着馬(2着馬)馬体重
[kg]
1992.11.07東京3歳新馬芝1600m(良)10810002.60(2人)06着R1:37.8(36.9)-1.20柴田政人54ダイイチリカー458
0000.]11.21東京3歳新馬ダ1600m(不)944002.00(1人)02着R1:40.1(38.2)-0.00柴田政人54ゴールドリュート456
0000.12.06中山3歳未勝利ダ1200m(良)944001.90(1人)01着R1:13.5(38.7)-0.80蛯名正義54(スティールアロン)454
1993.02.20東京カトレア賞500万下ダ1600m(良)1612058.7(10人)06着R1:39.0(38.5)-1.20蛯名正義55ホクトベガ452
0000.03.07中山弥生賞GII芝2000m(良)1167090.6(11人)03着R2:00.4(35.5)-0.30蛯名正義55ウイニングチケット450
0000.03.28中山スプリングSGII芝1800m(稍)1458003.70(1人)06着R1:50.6(38.0)-0.70蛯名正義56マルチマックス446
0000.04.18中山皐月賞GI芝2000m(良)18713033.00(6人)07着R2:00.9(35.7)-0.70蛯名正義57ナリタタイシン448
0000.05.01東京青葉賞OP芝2400m(良)1623002.60(1人)01着R2:27.7(36.0)-0.10蛯名正義56(ラリーキャップ)448
0000.05.30東京東京優駿GI芝2400m(良)18612022.60(7人)09着R2:27.6(38.3)-2.10蛯名正義57ウイニングチケット448
0000.10.17京都京都新聞杯GII芝2200m(良)1077022.60(8人)06着R2:14.3(35.6)-1.00南井克巳57ウイニングチケット448
0000.11.07京都菊花賞GI芝3000m(良)18715033.50(9人)02着R3:05.6(35.3)-0.90南井克巳57ビワハヤヒデ448
1994.01.05中山金杯(東)GIII芝2000m(良)1256003.20(1人)02着R2:00.8(35.3)-0.10岡部幸雄56.5ヒダカハヤト462
0000.01.23中山AJCCGII芝2200m(良)1422002.60(1人)03着R2:14.4(35.4)-0.30岡部幸雄56マチカネタンホイザ464
0000.02.20東京目黒記念GII芝2500m(良)13813001.80(1人)04着R2:34.2(35.4)-0.20岡部幸雄57ナリタタイシン460
0000.03.20中山日経賞GII芝2500m(良)955006.00(4人)01着R2:32.8(36.5)-0.00岡部幸雄56ライスシャワー452
0000.04.24京都天皇賞(春)GI芝3200m(稍)1179016.40(4人)05着R3:23.3(36.9)-0.70南井克巳58ビワハヤヒデ450
0000.06.12阪神宝塚記念GI芝2200m(良)1433035.80(7人)08着R2:12.8(36.0)-1.60南井克巳56ビワハヤヒデ448
0000.10.09東京毎日王冠GII芝1800m(良)11811025.0(10人)10着R1:45.9(36.2)-1.30的場均58ネーハイシーザー452
0000.10.30東京天皇賞(秋)GI芝2000m(良)1368068.4(12人)13着R1:59.5(35.1)-0.90南井克巳58ネーハイシーザー452
0000.11.19東京アルゼンチン共和国杯GII芝2500m(良)1411010.10(5人)03着R2:31.4(34.7)-0.10蛯名正義57.5マチカネアレグロ454
0000.12.10中山ステイヤーズSGII芝3600m(良)1022003.30(2人)03着R3:42.1(37.2)-0.50蛯名正義58エアダブリン456
1995.01.05中山金杯(東)GIII芝2000m(重)16815008.10(4人)06着R2:01.7(37.7)-1.20蛯名正義58サクラローレル460
0000.01.22中山AJCCGII芝2200m(良)1089019.10(5人)03着R2:14.5(35.0)-0.10蛯名正義57サクラチトセオー462
0000.02.19東京目黒記念GII芝2500m(良)1256008.60(3人)08着R2:32.4(37.0)-1.30蛯名正義57.5ハギノリアルキング454
0000.03.19中山日経賞GII芝2500m(不)922009.80(4人)02着R2:41.1(37.2)-0.10蛯名正義58インターライナー454
0000.04.23京都天皇賞(春)GI芝3200m(重)18715014.00(6人)02着R3:19.0(35.3)-0.00蛯名正義58ライスシャワー452
0000.10.08京都京都大賞典GII芝2400m(良)1345011.30(4人)06着R2:14.3(35.3)-0.50蛯名正義58ヒシアマゾン454
0000.10.29東京天皇賞(秋)GI芝2000m(良)17816030.60(7人)13着R1:59.6(35.3)-0.80蛯名正義58サクラチトセオー454
0000.11.18東京アルゼンチン共和国杯GII芝2500m(良)1357008.50(6人)02着R2:31.3(34.5)-0.00蛯名正義58ゴーゴーゼット454
0000.12.09中山ステイヤーズSGII芝3600m(良)922002.10(1人)01着R3:47.1(35.9)-0.30蛯名正義58.5(インターライナー)456
1996.06.15阪神エメラルドSOP芝2500m(良)888003.40(2人)02着R2:30.6(35.8)-0.20蛯名正義61カミノマジック458
1997.04.27京都天皇賞(春)GI芝3200m(良)16816055.20(8人)04着R3:15.4(35.5)-1.00蛯名正義58マヤノトップガン472

引退後

ステージチャンプは良血馬だったが、リアルシャダイ産駒のステイヤーだったため、種牡馬としてのオファーがなく、種牡馬にはなれず、ノーザンホースパーク乗馬となった。

脚元が極度に弱い事からしばらくは乗馬としての調教も行われず、悠々自適の生活を送っていたが、2002年馬術競技馬としてデビューした。2004年に競技馬から引退したステージチャンプはノーザンホースパークを離れ、2009年まで秋田県角館高等学校で繋養されていた。その後は北海道に戻り、余生を過ごしていたが、2020年2月7日に死亡した[要出典]

血統表

ステージチャンプ血統ヘイルトゥリーズン系) / Lady Angela5×4=9.38% Nasrullah5×5=6.25%)(血統表の出典)[§ 1]
父系ロベルト系ヘイルトゥリーズン系
[§ 2]

*リアルシャダイ
Real Shadai
1979 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to ReasonTurn-to
Nothirdchance
BramaleaNashua
Rarelea
父の母
Desert Vixen
1970 黒鹿毛
In RealityIntentionally
My Dear Girl
Deset TrialMoslem Chief
Scotch Verdict

ダイナアクトレス
1983 鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern DancerNearctic
Natalma
Lady VictoriaVictoria Park
Lady Angela
母の母
モデルスポート
1975 黒鹿毛
*モデルフールTom Fool
Model Joy
*マジックゴディスRed God
Like Magic F-No.1-x
母系(F-No.)1号族(FN:1-x)[§ 3]
5代内の近親交配Lady Angela4×5、Nasrullah5×5[§ 4]
出典

母ダイナアクトレスは重賞5勝。半妹プライムステージは重賞2勝、その仔アブソリュート東京新聞杯勝ち。甥マルカラスカル中山大障害を、同じく甥のスクリーンヒーロージャパンカップアルゼンチン共和国杯を勝っている。

脚注

注釈

出典

外部リンク