ゼリコ・ペトロヴィッチ

モンテネグロのサッカー選手、監督

ジェリコ・ペトロヴィッチセルビア・クロアチア語: Željko Petrović, 1965年11月13日 - )はモンテネグロ(旧ユーゴスラビア)・ニクシッチ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダーミッドフィールダー

ジェリコ・ペトロヴィッチ
名前
愛称ペトロ
ラテン文字Željko Petrović
キリル文字Жељко Петровић
基本情報
国籍モンテネグロの旗 モンテネグロ
生年月日 (1965-11-13) 1965年11月13日(58歳)
出身地ニクシッチ
身長175cm
体重70kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足
クラブ1
クラブ出場(得点)
1985-1987ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ニクシッチ 31 (5)
1987-1990ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ブドゥチノスト・ティトーグラード 59 (6)
1990-1991クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 31 (2)
1991-1992スペインの旗 セビージャ 11 (1)
1992-1994オランダの旗 デン・ボス 40 (7)
1994-1996オランダの旗 RKC 60 (14)
1996-1997オランダの旗 PSV 35 (6)
1997-2000日本の旗 浦和レッズ 61 (3)
2000-2004オランダの旗 RKC 97 (5)
代表歴
1990-1998ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア18 (0)
監督歴
2006ポルトガルの旗 ボアヴィスタ
2007-2008オランダの旗 RKC
2008-2009ドイツの旗 ハンブルガーSV (アシスタントコーチ)
2010イングランドの旗 ウェストハム (アシスタントコーチ)
2010-2011日本の旗 浦和レッズ
2012-2013ロシアの旗 アンジ・マハチカラ (アシスタントコーチ)
2013-2014アラブ首長国連邦の旗 アル・シャアブ
2014セルビアの旗 セルビア (アシスタントコーチ)
2015イングランドの旗 サンダーランド (アシスタントコーチ)
2016-2017オランダの旗 ADO
2018-2019オランダの旗 ユトレヒト (アシスタントコーチ)
2019ブルガリアの旗 ボテフ・プロヴディフ
2019インドネシアの旗 バダック・ランプン
2020クロアチアの旗 インテル・ザプレシッチ
2020-2021オランダの旗 フェイエノールト (アシスタントコーチ)
2021オランダの旗 ヴィレムII
2021イラクの旗 イラク (アシスタントコーチ)
2021-2022イラクの旗 イラク
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

人物

現役時代はオランダ日本など計4カ国、7つにクラブを渡り歩いた。ポジションは主にミッドフィールダーやサイドバック。労を惜しまない豊富な運動量と、旺盛なファイティングスピリットでサポーターの支持を集め、「ペトロ」の愛称で親しまれた[1]

2003-04シーズンをもって現役を引退。フェイエノールトのアシスタントトレーナーを経て、2006年秋にポルトガルリーグボアヴィスタFC監督となるが、僅か2か月(2勝3敗1分)で解任された[2]。2007-08シーズンはオランダ2部のRKCヴァールヴァイクの監督を務めるが、プレイオフの末に一部昇格を逃して辞任[2]。2008年からはドイツのハンブルガーSVでコーチを務めた。

2010-11シーズンより、ウェストハム・ユナイテッドFCアヴラム・グラント監督のアシスタントマネージャーとなったが、2010年11月23日に解任された。僅か4ヶ月の着任期間であった。去り際に「プレミアリーグのレベルが高いなんて神話」「どのチームも3人程度しか良い選手がいないし、そいつら以外はオランダリーグの最下位クラブでも通用しない」「ブンデスリーガのほうがレベルはずっと高い」とコメントを残している。[3]

2011年から古巣・浦和レッドダイヤモンズの監督に就任したが、クラブは12年ぶりのJ2降格危機に瀕し、サポーターからは「いつになったら辞めるのか」など不満が噴出した[4]。また、サッカー専門紙エル・ゴラッソの採点では3.5を5月7日の柏戦、9月17日の清水戦で記録している。Jリーグの監督経験者で3.5を複数回つけられたのは彼が初めてのケースである。

2011年10月16日、Jリーグ第29節、対大宮アルディージャ戦に敗れた後の監督会見で、2011年シーズン限りでの辞意を表明[5]。同年10月20日、解任が発表された[6]。リーグ戦績は29試合戦い6勝11分12敗というものだった。なお解任時点においてヤマザキナビスコカップでは勝ち残っており、決勝を目前にしての解任であった。

2012年2月17日、フース・ヒディンク監督とともにロシア・プレミアリーグFCアンジ・マハチカラのコーチに就任することが発表された。2013年7月、シーズン開始2試合で、ヒディンク監督が辞任するとともに自身も辞任。

2013年12月23日、UAEのアル・シャアブの監督に就任。

2014年7月、ディック・アドフォカート監督とともに、セルビア代表のアシスタントコーチに就任。11月に共に辞任。

2015年3月17日、アドフォカートとともに、サンダーランドAFCのアシスタントコーチに就任[7]

2016シーズンからADOデン・ハーグの監督に就任している[8]

所属クラブ

代表歴

1998 ワールドカップ・フランス大会出場

指導歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
ユーゴスラビアリーグ戦 リーグ杯オープン杯期間通算
1986-87ブドゥチノスト
1987-88ディナモ・ザグレブ183
スペインリーグ戦 国王杯オープン杯期間通算
1988-89セビージャプリメーラ213
オランダリーグ戦 リーグ杯KNVBカップ期間通算
1989-90デン・ボスエールディヴィジ191
ユーゴスラビアリーグ戦 リーグ杯オープン杯期間通算
1990-91ディナモ・ザグレブ311
スペインリーグ戦 国王杯オープン杯期間通算
1991-92セビージャプリメーラ111
オランダリーグ戦 リーグ杯KNVBカップ期間通算
1992-93デン・ボスエールディヴィジ131
1993-942部276
1994-95ヴァールヴァイクエールディヴィジ304
1995-96309
1996-97PSV255
1997-98101
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
1997浦和37J00-2121
199862720030302
1999J11914000231
2000J216000-160
オランダリーグ戦 リーグ杯KNVBカップ期間通算
2000-01ヴァールヴァイクエールディヴィジ212
2001-02230
2002-03231
2003-04311
通算ユーゴスラビア
スペインプリメーラ324
オランダエールディヴィジ22525
オランダ2部276
日本J14634051554
日本J216000-160
総通算

タイトル

選手時代

PSVアイントホーフェン

脚注

関連項目

外部リンク