モーリスレベロトーナメント

毎年フランスで開催される、U-23世代のサッカーの国際大会
トゥーロン国際大会から転送)

モーリスレベロトーナメント英語: Maurice Revello Tournamentフランス語: Tournoi Maurice Revello)は、フランスプロヴァンス地方で開催されるU-23世代のサッカーの国際大会。毎年5月末から6月頃にフランスのブーシュ=デュ=ローヌ県域で開催されている。

モーリスレベロトーナメント
開始年1967年
地域国際大会
参加チーム数12
前回優勝 フランス (13回目)
最多優勝 フランス (13回)
TV放送テレ朝チャンネル1 / 2[1][2]
サイト公式ウェブサイト
テンプレートを表示

2016年開催の第44回大会までは、トゥーロン国際大会(トゥーロンこくさいたいかい、英語: Toulon Tournamentフランス語: Festival International Espoirs de Toulon et du Var)の名称で、毎年5月末から6月頃にフランス南東部のヴァール県周辺で試合が行われ、決勝戦はトゥーロンで行われていた。

概要

1967年の第1回大会はクラブチーム6チームによって開催された。1974年の第2回大会ではクラブチームと代表チームの混合大会となり、1975年の第3回大会からフランスの招待した代表チーム8ヶ国(または10ヶ国)が参加して毎年行われる方式となり、1977年にはFIFA公認の大会となった。2007年大会まではU-21世代が対象だったが、2008年大会からU-23世代が対象となった。

大会はホスト国フランスを含めたユース(現在は上記U-23世代)のナショナルチームによる招待トーナメントであり、現在では欧州各国のスカウトが有望な若手選手を発掘する見本市的な意味合いの大会となっている。なお、優勝回数は開催国フランスの13回が最も多く、ブラジルの9回がそれに続く。歴代得点王にはジャン=ピエール・パパン(1985年)、アラン・シアラー(1991年)、マヌエル・ルイ・コスタ(1992年)、ヌーノ・ゴメス(1996年)、ティエリ・アンリ(1997年)、エミール・ヘスキー(1998年)、ジブリル・シセ(2001年)、ケヴァン・ガメイロ(2007年)、マルコ・ファビアン(2012年)などが名を連ねている。

2008年から日本のSBSカップ 国際ユースサッカーと友好大会となり、お互いにトロフィーを提供している[3][4]

大会の創設者で会長を務めたモーリス・レベロが2016年2月に死去[4]したことに伴い、翌2017年開催の第45回大会から同氏の名を冠したモーリスレベロトーナメント(英語:Maurice Revello Tournamentフランス語:Festival international espoirs – Tournoi Maurice Revello)へ大会名が変更され[5][注 1]、あわせて開催地もヴァール県からブーシュ=デュ=ローヌ県へ変更となり[8]、参加国も12ヶ国に拡大された[9]。さらに2018年にはU-20世代の女子ナショナルチームによる大会となるSUD Ladies Cup(英語: Sud Ladies Cupフランス語:SUD Ladies Cup – Tournoi Maurice Revello)も創設されている[10]

日本代表の参加

日本2000年に初参加。2000年は全日本大学選抜が参加したが[11]2001年からはアンダー世代の日本代表が参加している[12]2002年には松井大輔山瀬功治阿部勇樹らの活躍で3位となり、中山悟志アレッサンドロ・ペッリコーリイタリア語版イタリア)と共に3得点で得点王となった。2008年には本田圭佑岡崎慎司李忠成森本貴幸らを擁し、グループリーグでオランダや地元フランスを破って決勝トーナメントに進出。しかし準決勝でイタリアにPK戦の末敗れ、3位決定戦でもコートジボワールにPK戦で敗れている。

史上初の決勝進出・準優勝

2019年第47回大会にU-22日本代表が参加した際は、東京五輪世代の複数の選手が今大会直後にブラジルで開催されるコパ・アメリカ2019日本代表として臨むことが決定[13]し、この大会に出場するメンバー[14]は決して同世代の主力とされる選手が揃っているわけではなかった。そのような経緯の中でも、グループリーグ初戦では大会3連覇中のU-20イングランドと対戦。38分にセットプレーからトレヴォ・チャロバーに先制ゴールを決められたが、大南拓磨長沼洋一の得点で逆転し、2-1で逆転勝利[15]。続く第2節・U-22チリ戦では三笘薫の先制点を皮切りに、旗手怜央岩崎悠人が2得点ずつ挙げて前半だけで5-1と大量リード(35分に連係ミスからアンジェロ・アラオスに1点を返された)。後半には、更に旗手が得点を挙げてハットトリックを達成し、6-1で大勝した[16]。第3節・U-19ポルトガル戦では再三の決定機を相手の堅い守備の前に決めきれず、85分にウマロ・エムバロに失点を献上して0-1で惜敗する[17]も、グループ首位で11年ぶりとなる準決勝に進出[18]。準決勝・U-22メキシコ戦ではメキシコに50分にヘスス・ゴディネスに先制ゴールを許すも、71分に田中碧の放ったシュートがバーに当たり、跳ね返ったこぼれ球を相馬勇紀が押し込んで1-1の同点とした。試合終盤の86分にエドゥアルド・アギーレにヘディングシュートを沈められて勝ち越しゴールを決められたが、直後の89分に小川航基が同点弾を挙げ、後半が終了。決勝進出はPK戦の結果に委ねられる。先攻のメキシコが4人目のキッカーで失敗するが、後攻の日本は小川・相馬・岩崎・長沼・旗手の順に全員がPKを成功[19]し、大会史上初めての決勝進出を決めた[20]。決勝では「4試合全勝、15得点・無失点」の成績で勝ち進んだU-22ブラジル代表と対戦[21]。試合序盤こそ日本が積極的な姿勢を見せるが、前半19分にアントニーにゴールを決められ失点を許してしまう。以後も押し込まれる展開が続くが、前半39分にブラジルのDFがロングボールの処理を誤ると、そのミスを突いた小川の左足ボレーシュートでゴールネットを揺らし、同点とした。後半はブラジルペースで試合が進み、同点弾を挙げた小川が負傷し、神谷優太と交代するアクシデントもあったが、チーム全員で粘り強く耐えて失点することなくPK戦に持ち込んだ。PK戦で後攻となった日本は、相馬・三笘・神谷・長沼の順に4人目まで成功。5人目のキッカーも成功させたブラジルに対し、日本は5人目のキッカーを務めた旗手のPKがGKにセーブされ、4-5で惜敗[22]。しかし「U-22日本代表初招集の選手[23]が複数いる東京五輪世代のサブチーム[24][25][26]で最高成績を残した」ことは、同世代のコパ・アメリカメンバー[27]や、大会公式サイト[28]からも称賛された。U-22日本代表はフェアプレー賞、サステイナブルディベロップメント賞を受賞[29]。更に、椎橋慧也・相馬勇紀・田中碧(優秀選手賞・3位も受賞)が大会ベストイレブンに選出された[30]

大会方式

Aグループ・Bグループ各4ヶ国(または5ヶ国)でリーグ戦を行い、A・B上位各2チームが決勝トーナメントに進む。2013年からは各グループ1位同士が決勝戦、2位同士が3位決定戦を行う方式となった。2017年は12ヶ国が出場し、A・B・Cの3グループのうち各グループ1位と、2位の中から成績上位1チームの計4チームが決勝トーナメントに進む方式となった。

試合は大会のローカルルールで、40分ハーフ(80分)グループリーグにおいては延長PK戦なし。交代は5人まで(ゴールキーパーの交代も含む)。その理由として、大会はほぼ1日おきのプログラムであることや、現地の初夏の気候から、通常の45分ハーフで開催すると選手の疲労面など体調管理が難しいためとしている[31]

歴代成績

優勝準優勝3位
11967 アンデルレヒト ブラチスラヴァ ニーム
21974 ポーランド  ハンガリー チェコスロバキア
31975 アルゼンチン フランス イタリア
41976 ブルガリア フランス メキシコ
51977 フランス ブルガリア オランダ
61978  ハンガリー フランス オランダ
71979 ソビエト連邦 オランダ  ハンガリー
81980 ブラジル フランス チェコスロバキア
91981 ブラジル チェコスロバキア ソビエト連邦
101982 ユーゴスラビア チェコスロバキア オランダ
111983 ブラジル アルゼンチン フランス
121984 フランス ソビエト連邦 チェコスロバキア
131985 フランス イングランド スペイン
141986  ブルガリア フランス ソビエト連邦
151987 フランス  ブルガリア ブラジル
161988 フランス イングランド ブルガリア
171989 フランス ブルガリア アメリカ合衆国
181990 イングランド チェコスロバキア ブラジル
191991 イングランド フランス スコットランド
201992
詳細
ポルトガル ユーゴスラビア フランス
211993 イングランド フランス スコットランド
221994 イングランド ポルトガル フランス
231995 ブラジル フランス イングランド
241996 ブラジル フランス ポルトガル
251997 フランス ポルトガル メキシコ
261998
詳細
アルゼンチン フランス ポルトガル
271999  コロンビア アルゼンチン フランス
282000  コロンビア ポルトガル イタリア
292001 ポルトガル  コロンビア フランス
302002 ブラジル イタリア 日本
312003 ポルトガル イタリア アルゼンチン
322004 フランス  スウェーデン 中国
332005 フランス ポルトガル イングランド
342006
詳細
フランス オランダ ポルトガル
352007
詳細
フランス 中国 コートジボワール
362008
詳細
イタリア  チリ コートジボワール
372009
詳細
 チリ フランス アルゼンチン
382010
詳細
コートジボワール  デンマーク フランス
392011
詳細
 コロンビア フランス イタリア
402012
詳細
メキシコ トルコ オランダ
412013
詳細
ブラジル  コロンビア フランス
422014
詳細
ブラジル フランス ポルトガル
432015
詳細
フランス モロッコ アメリカ合衆国
442016
詳細
イングランド フランス ポルトガル
452017
詳細
イングランド コートジボワール スコットランド
462018
詳細
イングランド メキシコ トルコ
472019
詳細
ブラジル 日本 メキシコ
-2020開催中止[32]
-2021
482022  フランス  ベネズエラ  メキシコ
492023  パナマ  メキシコ  オーストラリア

注釈

脚注

関連項目

外部リンク