RSCアンデルレヒト

ベルギーのサッカークラブ

ロワイヤル・スポルティング・クルブ・アンデルレヒトオランダ語: Royal Sporting Club Anderlecht)またはロワイヤル・スポルティング・クルブ・アンデルレクトフランス語: Royal Sporting Club d'Anderlecht)は、ベルギーブリュッセルアンデルレヒトを本拠地とするサッカークラブチーム。略称はR.S.C.Aジュピラー・プロ・リーグに所属する。

RSCアンデルレヒト
原語表記Royal Sporting Club Anderlecht
愛称Les Mauves(仏語)
Paarswit (蘭語)
クラブカラー   
   
創設年1908年
所属リーグジュピラー・プロ・リーグ
所属ディビジョン1部
ホームタウンブリュッセル
ホームスタジアム
コンスタン・ヴァンデン・ストックスタディオン
収容人数28,063[1][2][3]
代表者ベルギーの旗 ロジャー・ファンデン・ストック
監督デンマークの旗 ブライアン・リーマー
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

ベルギーでもっとも大きな成功を収めたクラブである。ジュピラー・プロ・リーグでは32回、ベルギー・カップでは9回、ベルギー・リーグカップでは1回、ベルギー・スーパーカップでは10回優勝している。ジュピラーリーグでは1963-64シーズンから1967-68シーズンまで5連覇しており、これはリーグの最多連覇記録である。UEFAカップで1回、UEFAカップウィナーズカップで2回、UEFAスーパーカップで2回優勝しており、欧州カップ戦で計5個のトロフィーを獲得している。これは欧州サッカー連盟 (UEFA) 加盟クラブ中第12位の獲得数であり、国際サッカー歴史統計連盟 (IFFHS) によって「20世紀におけるヨーロッパのサッカークラブランキング」の第10位に選出されている。2012年のUEFAチームランキングは第41位である[4]。1986年にはユヴェントスFC(イタリア)と並んで第1位に輝いた[5]

1908年創立。1921-22シーズンにトップリーグに初昇格し、1935-36シーズン以降は継続してトップリーグに在籍している。第二次世界大戦後の1946-47シーズンに初のリーグ優勝を果たし、それ以来7位以下でシーズンを終えたことがない。歴史的に、クラブ・ブルッヘスタンダール・リエージュサークル・ブルッヘとはライバル関係にある。1993年、ブリュッセル・D71がRSCアンデルレヒト・レディースに名称変更され、クラブ組織に女子チームが新設された。アンデルレヒト・レディースファースト・ディヴィジョン・レディース(女子1部)で3回、ベルギー・カップ・レディースで5回優勝している。

歴史

黎明期 (1908年 - 1930年代)

1908年5月27日、アンデルレヒト地区のRue d'Aumale/Aumalestraatを本拠地とし、コンコルディア・カフェにてSCアンデルレヒト (Sporting Club Anderlecht) として創設された[6]。Institut Saint-Georgesとの間で行なわれた初試合には11-8で勝利した。

公式大会に初参加したのは1909-10シーズンである。地域3部リーグからスタートし、1912-13シーズンには全国2部リーグ昇格を決めた。2部で1シーズン戦った後、ベルギーリーグは第一次世界大戦のために中断され、1919-20シーズンに再開された。クラブの人気が増したため、1917年にAstrid ParkのStade Emile Verséに移転した。1920-21シーズン終了後、クラブ史上初のトップリーグ昇格を果たした。その後の14シーズンの間には4回の降格(1923年、1926年、1928年、1931年)と4回の昇格(1924年、1927年、1929年、1935年)を経験し、ローカル・ライバルのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズやDCブリュッセルからは「リフトクラブ」(エレベータークラブ)と揶揄された。

国内リーグでの成功 (1940年代 - 1960年代)

創設から25年目の1933年、クラブ名に「ロワイヤル」を冠したRSCアンデルレヒト (Royal Sporting Club Anderlechtois) に名称変更した。1935年にトップリーグに昇格すると、その後は一度も降格することなくトップリーグの地位を保ち続けている。1942年にはK Tubantia FCに12万5000ベルギーフランの大金を支払ってストライカーのジェフ・メルマンスを獲得。1946-47シーズンには国内リーグ初優勝を飾った。1949-50シーズンから1955-56シーズンの間には6回のリーグ優勝を果たし、1958-59・1961-62シーズンにもリーグ優勝した。1960年代にはフランス人のPierre Sinibaldi監督やハンガリー人のAndreas Beres監督に率いられ、1963-64シーズンから1967-68シーズンにかけて5連覇を達成した。これは現在でもリーグ最多連覇記録となっている。この時期のチーム最高のスター選手はポール・ヴァン・ヒムストであり、リーグ得点王を3回(1964-65・1966-67・1968-69シーズン)、ベルギー年間最優秀選手賞を4回(1959-60・1960-61・1964-65・1973-74シーズン)獲得した。

欧州カップ戦での躍進 (1960年代 - 1980年代)

1955-56シーズンにはUEFAチャンピオンズカップに初出場したが、初戦でヴェレシュ・ロボゴーSE(ハンガリー)に敗れた。1956-57シーズン、1959-60シーズンの同大会では予選で敗れたが、1962-63シーズンの同大会では予選でレアル・マドリード(スペイン)に2試合合計4-3で勝利し、欧州カップ戦初勝利を挙げた。2回戦ではCDNAソフィア(ブルガリア)に勝利したが、準々決勝でダンディーFC(スコットランド)に敗れた。1969-70シーズンのインターシティーズ・フェアーズカップでは決勝に進出したが、決勝でアーセナル(イングランド)に敗れた。1975年から1984年には、リーグ優勝こそ1回だけだったが、欧州カップ戦で大きな成功を収めた。1975-76シーズンと1977-78シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは、決勝でそれぞれウェストハム・ユナイテッドFC(イングランド)とアウストリア・ウィーン(オーストリア)を下して優勝した。1976年と1978年にはUEFAスーパーカップも制している。1982年、選手時代にアンデルレヒトのアイドルだったヒムストが監督に就任し、この時期にはスタジアムの完全改修工事が始まった。1982-83シーズンのUEFAカップでは決勝でベンフィカ(ポルトガル)を下して優勝したが、国内リーグではスタンダール・リエージュに次ぐ2位に終わった。1983-84シーズンのUEFAカップでは、決勝でトッテナム・ホットスパー(イングランド)に敗れた。準決勝のノッティンガム・フォレスト戦(イングランド)には2試合合計3-2で勝利したが、同点で迎えた延長に与えられたPKで勝ち上がりを決めたため、試合後に議論が起こった。後には、決勝進出を保証してもらうために、2万7000ポンド分の賄賂を審判に贈ったことが明らかとなった[7]。1981-82・1982-83・1983-84シーズンは3シーズン連続で2位だったが、1984-85シーズンには2位のクラブ・ブルッヘに勝ち点11の大差を付け、18回目のタイトルを獲得した。1985-86シーズンのリーグ戦ではプレーオフでクラブ・ブルッヘを破り、19回目のリーグ優勝を果たした。1986-87シーズンは最終節で20回目のリーグ優勝を決めた。1987年夏には主力選手のフランキー・ベルコーテレンエンツォ・シーフォが退団し、フアン・ロサーノがKSVワレヘム戦で重傷を負って長期離脱した[8]レイモン・ゲタルスが弱体化したチームを率いたが、1987-88シーズンはクラブ・ブルッヘ、KVメヘレンロイヤル・アントワープに次ぐ4位にとどまった。しかし、ベルギー・カップではスタンダール・リエージュとの決勝に進出し、ルク・ニリスとEddie Krnčevićが得点して6回目の優勝を飾った。1988-89シーズンのベルギー・カップ決勝でもスタンダールと顔を合わせ、今度はKrnčevićとヤンコヴィッチが得点して2連覇を決めたが、リーグ戦では2位に終わった。このシーズン終了後、ゲタルス監督はボルドー(フランス)監督に転任した。

欧州カップ戦での地位低下 (1990年代 - )

1989-90シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは決勝に進出したが、サンプドリア(イタリア)に敗れて準優勝に終わった。1990年代には欧州カップ戦での地位が低下し、1990-91シーズンと1996-97シーズンのUEFAカップでベスト8となったのが最高成績である。国内に目を向けると10シーズンで4回のリーグ優勝とカップ優勝を果たした。2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、大会名称変更後初めて2次リーグに進出した。レアル・マドリード、リーズ・ユナイテッド(イングランド)、ラツィオ(イタリア)と同組となり、レアル・マドリードとリーズに次ぐ3位で敗退となった。2006-07シーズンには29回目のリーグ優勝を果たした。2009-10シーズンには30回目のリーグ優勝を果たした。2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・グループリーグではロコモティフ・モスクワシュトゥルム・グラーツAEKアテネと同組となった。6戦全勝で勝ち点18(グループリーグ出場クラブ中最高)を獲得し、欧州カップ戦のグループリーグで最多勝ち点を獲得したベルギー初のクラブとなった。同大会グループリーグではスタンダール・リエージュ、クラブ・ブルッヘも首位通過を果たし、ベルギーから3クラブが決勝トーナメントに進出した。アンデルレヒトは決勝トーナメント1回戦でウディネーゼ(イタリア)に敗れた。2011-12シーズンには31回目のリーグ優勝を果たした[9]。2012年にはベルギー・スーパーカップで10回目の優勝を果たした[10]

サポーター

2000年代にはほとんどのシーズンでリーグ最高の1試合平均観客数を誇っており、2002-03シーズン(KRCヘンクが1位)と2004-05シーズン(クラブ・ブルッヘが1位)に1位を逃しただけである。サポーターはベルギー全土に存在し、ブリュッセルに住むアンデルレヒトサポーターは少数派である。77のファンクラブがあり、そのうち5つはベルギー国外(フランス、ポーランド、アメリカのテキサス州、カナダのモントリオール、イングランドのサンダーランド)にある。

クラブカラーとエンブレム

アンデルレヒトのクラブカラーは紫色と白色である。ホーム用ユニフォームは一般に紫色の装飾が施された白色であるが、2005-06シーズンは紫色の装飾が施された黒色であり、2007-08シーズンは灰色だった。クラブ創設当初は紫色主体のユニフォームだった。クラブのモットーは「Mens sana in corpore sano」であり、旧クラブ名称 (Sporting Club Anderlechtois) の頭文字である「SCA」の3文字とともにエンブレムに刻みこまれている。1933年にはクラブ名称にロワイヤルが付与された (Royal Sporting Club Anderlechtois) ため、エンブレムにも王冠が追加された。アンデルレヒトのクラブカラーはアル・アインFCのクラブカラーの由来となっている。

スタジアム

1917年以前は、Rue Démosthènestraat地区(旧名称 : Rue Verheydenstraat地区)にあるグラウンドで試合を行なっていた[11]。1917年、Astrid ParkにホームスタジアムのStade Emile Verséが建設された。クラブ初の大規模後援者であり資本家のEmile Verséの名が冠されている。Stade Emile Verséは1983年に完全改築され、当時の会長名を冠したコンスタン・ヴァンデン・ストックスタディオンに名称変更された。現在の収容人数は28,063人であり、このうちの約6,900席は立見席であるため、欧州カップ戦開催時の収容人数は21,845人である。収容人数を30,000人(全席固定座席)まで拡張する計画がある[12]

タイトル

国内タイトル

  • ジュピラー・プロ・リーグ (1部) : 34回
    • 1946-47, 1948-49, 1949-50, 1950-51, 1953-54, 1954-55, 1955-56, 1958-59, 1961-62, 1963-64, 1964-65, 1965-66, 1966-67, 1967-68, 1971-72, 1973-74, 1980-81, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1990-91, 1992-93, 1993-94, 1994-95, 1999-00, 2000-01, 2003-04, 2005-06, 2006-07, 2009-10, 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2016-17
  • ベルギー・セカンドディビジョン (2部) : 2回
    • 1923-24, 1934-35
  • ベルギー・カップ:9回
    • 1964-65, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1975-76, 1987-88, 1988-89, 1993-94, 2007-08
  • ベルギー・リーグカップ:1回
    • 1999-00
  • ベルギー・スーパーカップ:13回
    • 1985, 1987, 1993, 1995, 2000, 2001, 2006, 2007, 2010, 2012, 2013, 2014, 2017
  • ブルージュ・マティンス:2回
    • 1985, 1988

国際タイトル

親善タイトル

  • トゥルヌワ・ド・パリ:3回
    • 1964, 1966, 1977

過去の成績

シーズンリーグ戦プレーオフベルギーカップ欧州カップその他
ディビジョン順位
2002-03JL3223277233712位導入前準々決勝敗退UCベスト16
2003-043425637727811位準決勝敗退CLグループリーグ敗退
2004-053423747534762位ベスト16CLグループリーグ敗退BSC準優勝
2005-0634201047227701位6回戦敗退CLグループリーグ敗退
2006-073423837530771位準決勝敗退CLグループリーグ敗退 BSC優勝
2007-083422765931702位優勝CL
UC
予選3回戦敗退
ベスト16
BSC優勝
2008-09JPL3424557530772位[注釈 1]ベスト16CL予選2回戦敗退BSC準優勝
2009-102822336220691位1位準々決勝敗退CL
EL
予選プレーオフ敗退
ベスト16
2010-113019835820651位3位ベスト16CL
EL
予選プレーオフ敗退
ベスト32
BSC優勝
2011-123020736126671位1位ベスト16ELベスト32
2012-133020736927671位1位準決勝敗退CLグループリーグ敗退BSC優勝
2013-143018396131573位1位7回戦敗退CLグループリーグ敗退BSC優勝
2014-153016955130573位3位準優勝CL
EL
グループリーグ敗退
ベスト32
BSC優勝
2015-1630151055129553位2位7回戦敗退ELラウンド16
2016-173018756730611位1位7回戦敗退CL
EL
予選3回戦敗退
準々決勝敗退
2017-183016774942552位3位7回戦敗退CLグループリーグ敗退BSC優勝
2018-193015694934514位6位6回戦敗退ELグループリーグ敗退
2019-2029111084529438位準々決勝敗退
2020-2134151365134583位4位準決勝敗退
2021-2234181067236643位3位準優勝 ECL プレーオフ敗退
2022-23341371449464611位ベスト16 ECLベスト8
2023-2430

欧州での記録

2022年11月3日
大会勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ200704486282320−38035.00
UEFAカップウィナーズカップ 44293128634+52065.91
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ155743843257180+77047.74
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ 9612167+9066.67
インターシティーズ・フェアーズカップ 1813055127+24072.22
UEFAスーパーカップ 420296+3050.00
総通算42819485149702572+130045.33

欧州の成績

1955-2000

シーズン大会ラウンド対戦相手スコアUEFAポイント
1955-56CC1回戦 ヴェレシュ・ロボゴーSE3-6, 1-40.0
1956-57CC予選 マンチェスター・ユナイテッド0-2, 0-100.0
1959-60CC予選 レンジャーズ2-5, 0-20.0
1962-63CC予選 レアル・マドリード3-3, 1-07.0
ラウンド16 CDNAソフィア2-2, 2-0
準々決勝 ダンディー1-4, 1-2
1964-65CC予選 ボローニャ1-0, 1-2, 0-02.0
1回戦 リヴァプール0-3, 0-1
1965-66CC予選 フェネルバフチェ0-0, 5-18.0
1回戦 デリー・シティ9-0, w/o
準々決勝 レアル・マドリード1-0, 2-4
1966-67CC1回戦 ハカ10-1, 2-04.0
2回戦 デュクラ・プラハ1-4, 1-2
1967-68CC1回戦 カール=マルクス=シュタット3-1, 2-15.0
2回戦 スパルタ・プラハ2-3, 3-3
1968-69CC1回戦 グレントラン3-0, 2-25.0
2回戦 マンチェスター・ユナイテッド0-3, 3-1
1969-70IF1回戦 ヴァルル6-0, 2-019.0
2回戦 コールレーン6-1, 7-3
ラウンド16 ダンファームリン・アスレティック1-0, 2-3
準々決勝 ニューカッスル・ユナイテッド2-0, 1-3
準決勝 インテル0-1, 2-0
決勝 アーセナル3-1, 0-3
1970-71IF1回戦 ジェリェズニチャル4-3, 5-410.0
2回戦 AB3-1, 4-0
3回戦 ヴィトーリア・セトゥーバル2-1, 1-3
1971-72UC1回戦 ボローニャ1-1, 0-21.0
1972-73CC1回戦 ヴェイレBK4-2, 3-04.0
2回戦 スパルタク・トルナヴァ0-1, 0-1
1973-74CWC1回戦 チューリッヒ3-2, 0-12.0
1974-75CC1回戦 スロヴァン・ブラチスラヴァ2-4, 3-15.0
2回戦 オリンピアコス5-1, 0-3
準々決勝 リーズ・ユナイテッド0-3, 0-1
1975-76CWC1回戦 ラピド・ブカレスト0-1, 2-016.0
2回戦 ボラツ・バニャ・ルカ3-0, 0-1
準々決勝 レクサム1-0, 1-1
準決勝 ザクセンリンク・ツヴィッカウ3-0, 2-0
決勝 ウェストハム・ユナイテッド4-2
1976SC決勝 バイエルン・ミュンヘン4-1, 1-2
1976-77CWC1回戦 ローダJC2-1, 3-215.0
2回戦 ガラタサライ5-1, 5-1
準々決勝 サウサンプトン2-0, 1-2
準決勝 ナポリ0-1, 2-0
決勝 ハンブルガーSV0-2
1977-78CWC1回戦 ロコモティフ・ソフィア6-1, 2-018.0
2回戦 ハンブルガーSV2-1, 1-1
準々決勝 ポルト0-1, 3-0
準決勝 トゥウェンテ1-0, 2-0
決勝 アウストリア・ウィーン4-0
1978SC決勝 リヴァプール3-1, 1-2
1978-79CWC1回戦 バルセロナ3-0, 0-3 (PK 1-4)2.0
1979-80UC1回戦 ダンディー・ユナイテッド0-0, 1-12.0
1980-81UC1回戦 カイザースラウテルン0-1, 3-22.0
1981-82CC1回戦 ヴィジェフ・ウッチ4-1, 2-114.0
2回戦 ユヴェントス3-1, 1-1
準々決勝 レッドスター・ベオグラード2-1, 2-1
準決勝 アストン・ヴィラ0-1, 0-0
1982-83UC1回戦 Koparit3-0, 3-122.0
2回戦 ポルト4-0, 2-3
3回戦 サラエヴォ6-1, 0-1
準々決勝 バレンシア2-1, 3-1
準決勝 ボヘミアンズ・プラハ1-0, 3-1
決勝 ベンフィカ1-0, 1-1
1983-84UC1回戦 ブリンFK3-0, 1-118.0
2回戦 FCバニーク・オストラヴァ2-0, 2-2
3回戦 ランス1-1, 1-0
準々決勝 スパルタク・モスクワ4-2, 0-1
準決勝 ノッティンガム・フォレスト0-2, 3-0
決勝 トッテナム・ホットスパー1-1, 1-1 (PK 3-4)
1984-85UC1回戦 ヴェルダー・ブレーメン1-0, 1-27.0
2回戦 フィオレンティーナ1-1, 6-2
準々決勝 レアル・マドリード3-0, 1-6
1985-86CC準々決勝 オモニア1-0, 3-110.0
準決勝 バイエルン・ミュンヘン1-2, 2-0
決勝 ステアウア・ブカレスト1-0, 0-3
1986-87CC1回戦 グールニク・ザブジェ2-0, 1-17.0
2回戦 ステアウア・ブカレスト3-0, 0-1
準々決勝 バイエルン・ミュンヘン0-5, 2-2
1987-88CC1回戦 マルメFF1-0, 1-110.0
2回戦 スパルタ・プラハ2-1, 1-0
準々決勝 ベンフィカ0-2, 1-0
1988-89CWC1回戦 メス3-1, 2-04.0
2回戦 KVメヘレン0-1, 0-2
1989-90CWC1回戦 バリーメナ・ユナイテッド6-0, 4-016.0
ラウンド16 バルセロナ2-0, 1-2
準々決勝 アドミラ・ヴァッカー2-0, 1-1
準決勝 ディナモ・ブカレスト1-0, 1-0
決勝 サンプドリア0-2
1990-91UC1回戦 ペトロルル・プロイェシュティ2-0, 2-010.0
2回戦 オモニア1-1, 3-0
3回戦 ボルシア・ドルトムント1-0, 1-2
準々決勝 ローマ0-3, 2-3
1991-92CC1回戦 グラスホッパー1-1, 3-014.0
2回戦 PSVアイントホーフェン0-0, 2-0
グループリーグ パナシナイコス0-0, 0-0
レッドスター・ベオグラード2-3, 3-2
サンプドリア3-2, 0-2
1992-93UC1回戦 ハイバーニアン2-2, 1-18.0
2回戦 ディナモ・キエフ4-2, 3-0
3回戦 パリ・サンジェルマン0-0, 1-1
1993-94CL1回戦 HJKヘルシンキ3-0, 3-014.0
2回戦 スパルタ・プラハ1-0, 4-2
グループリーグ ミラン0-0, 0-0
ヴェルダー・ブレーメン3-5, 1-2
ポルト1-0, 0-2
1994-95CLグループリーグ ステアウア・ブカレスト0-0, 1-15.0
ベンフィカ1-3, 1-1
ハイドゥク・スプリト1-2, 0-0
1995-96CLQ フェレンツヴァーロシュ0-1, 1-11.0
1996-97UC1回戦 アラニア・ウラジカフカス1-2, 4-09.0
2回戦 ヴィトーリア・ギマランイス1-1, 0-0
3回戦 ヘルシンボリIF0-0, 1-0
準々決勝 インテル1-1, 1-2
1997-98UC予選2回戦 ヴォルスクラ・ポルタヴァ2-0, 2-06.0
1回戦 アウストリア・ザルツブルク3-4, 4-2
2回戦 シャルケ040-1, 1-2
1998-99UC予選1回戦 ティリグル=ティラス・ティラスポリ1-0, 5-04.0
予選2回戦 オシエク1-3, 2-0
1回戦 グラスホッパー0-0, 0-2
1999-00UC予選 KF6-1, 3-08.0
1回戦 オリンピア・リュブリャナ3-1, 3-0
2回戦 ボローニャ2-1, 0-3

2000-

欧州カップ戦での好成績

準々決勝以上の成績を残した欧州カップ戦の一覧である

現所属メンバー

2023-24シーズン 国内リーグ最新節フォーメーション(4-3-3)
2023年11月29日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK マキシム・デュープ英語版
5DF ムサ・エンディアイェ
7MF フランシス・アムズ英語版 ( )
8FW アレクシス・フリップ英語版
9FW ベニト・ラマン
10MF ヤリ・フェルスハーレン
11FW トルガン・アザール
12FW カスパー・ドルベリ
14DF ヤン・フェルトンゲン
15DF ルドビク・アウグスティンソン
17MF テオ・レオーニ英語版 ( )
18MF マジード・アシメル英語版
19MF ユスティン・ロンワイク英語版 ( )
No.Pos. 選手名
20FW ルイス・バスケス英語版
21MF アマドゥ・ディアワラ
22DF ルイ・パトリス
23MF マッツ・リッツ
25MF トーマス・デラネイ ( )
26GK コリン・クーセマンス英語版
29FW マリオ・ストロインケス英語版
32FW ニルソン・アングロ
33GK カスパー・シュマイケル
36MF アンデルス・ドライヤー
54DF キリアン・サルデラ
56DF ゼノ・デバスト
61MF クリスティアン・アルンスタッド

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
15DF ルドビク・アウグスティンソン (セビージャFC)
19MF ユスティン・ロンワイク英語版 (FCディナモ・キエフ) ( )
25MF トーマス・デラネイ (セビージャFC) ( )
42FW 後藤啓介 (ジュビロ磐田)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--MF マルコ・カナ (KVコルトレイク) ( )
--DF イシャク・アブドゥルラザク英語版 (BKヘッケン)

歴代会長

  • Charles Roos 1908-1910
  • Théo Verbeeck 1911-1951
  • Albert Roosens 1951-1971
  • コンスタン・ファンデン・ストック 1971-1996
  • ロジャー・ファンデン・ストック 1996-

歴代監督

1920年にSylva Brébartが初代監督に就任して以来、2012年までに37人の監督(加えて3人の暫定監督)がアンデルレヒト監督を経験した。1946-47シーズン、フランス人のGeorges Perinoはクラブを初タイトル(リーグ優勝)に導いた。歴代最長の在任期間を誇ったのは、1950年から1959年まで(9シーズン)在任したイングランド人のBill Gormlieである。監督を2度経験したのは7人であり、Ernest Churchill Smith、Pierre Sinibaldi、Urbain Braems、レイモン・ゲタルスアリー・ハーン、Johan Boskamp、フランキー・ベルコーテレンである。

歴代主将

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

外部リンク