ドージマファイター

ドージマファイターとは、日本サラブレッド競走馬である。日本におけるサラブレッドの平地競走連勝記録をもっている。中央競馬から登録抹消されたあとに地方競馬宇都宮競馬場足利競馬場で連勝記録を作り、その経歴から当時の世相を反映して「リストラの星」というあだ名が付けられていた。

ドージマファイター
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1992年3月12日
死没2003年9月
抹消日2001年10月12日
ペンシルプッシャー
ドウジマゴールド
母の父ラインゴールド
生国日本の旗 日本北海道三石町
生産者松本俊博
馬主堂島和夫
→小池里子
調教師佐藤全弘(美浦
→手塚佳彦(足利
厩務員米山義一(宇都宮)
競走成績
生涯成績中央競馬5戦0勝
地方競馬29戦29勝
獲得賞金2630万円
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経歴

1995年9月に中央競馬でデビューしたが5回出走して未勝利に終わり、5戦目のレース後に骨折。競馬番組の関係から未勝利戦への出走が不可能となったため、地方競馬足利競馬場)へ移籍した。移籍後1996年2月から2000年11月にかけて負けなしの29連勝を達成。この記録は、2020年1月にばんえい競馬ホクショウマサルが更新するまで、日本における最多連勝記録であった[1]。なお、日本におけるサラブレッドの平地競走に限れば、同馬が最多連勝記録である。連勝記録が話題となりはじめて以降、ドージマファイターが出走する日には普段の倍近い観客が競馬場を訪れた[2]

体重が500キログラムを超える巨体の持ち主で、蹄に負荷がかかることによる慢性的な裂蹄に悩まされた。そのため1996年に約半年間休養したほか、長期間の休養を数回とりながら連勝を続けた。27連勝を達成したレースではレース中に落鉄し、蹄が大きく割れるアクシデントに見舞われながら勝利を飾った[3]

2001年10月6日、右前脚に発生した故障を理由に引退が発表され、翌日に引退式を行って7年間の競走生活を終えた。引退後はにいかっぷホロシリ乗馬クラブで乗馬として過ごし、2003年9月に競技中の事故により死亡している。

血統表

ドージマファイター血統プリンスキロ系 / Nasrullah5.5x5=9.38%、 Princequillo 父内4x5=9.38%)(血統表の出典)

ペンシルプッシャー
*Pencil Pusher
1982 鹿毛
父の父
Apalachee
1971 鹿毛
Round TablePrincequillo
Knight's Daughter
MoccasinNantallah
Rough Shod
父の母
Herbaginette
1976
ボールドラッド
*Bold Lad
Bold Ruler
Misty Morn
HerbageneVandale
Flagette

ドウジマゴールド
1983 鹿毛
ラインゴールド
*Reingold
1969 黒鹿毛
ファバージ
*Faberge
Princely GIft
Spring Offensive
AtheneSupreme Court
Necelia
母の母
ドウジマコトブキ
1977 栗毛
ノーレアセ
*No Le Hace
Candy Spots
Tasma
ドウジマローズ*アイオニアン
レスリーカリム F-No.16

父のペンシルプッシャーはアメリカで5戦未勝利に終わった馬だが、本馬の他に札幌3歳ステークススカーレットブーケの3着に入ったバッキンガムシチーらを出している。

4代母レスリーカリムの孫に安田記念を制したハッピープログレスがいる。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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