ハックナザル・ハイダル・スルタン・ビン・カーシム・ハン(カザフ語: حقنظر حيدر سلطان بن قاسم خان, ラテン文字転写: Haqnazar Haydar Sultan bin Qasim Khan, 1509年 - 1580年)は、カザフ・ハン国の君主[1](在位:1538年 - 1580年)。その名は内戦後のカザフ・ハン国の復活期に関連付けられており、その在位中に国家の内外において政策を推し進め、権力を強化した[2]。
カーシム・ハン(英語版)とハヌク・スルタン・ハヌム(ロシア語版)の次男[3]。ターヒル・ハン(カタルーニャ語版)とブイダシュ・ハン(英語版)の治世中、ハックナザルはノガイのミルザの1人と住んでいた。1538年、シグナク(英語版)において即位。1548年から1549年にかけて、トルクメン人と戦ったが敗北した[3]。治世が40年以上続いたハックナザルの統治下において、1550年代にはカザフ・ハン国の復活が見られると一部の研究者は指摘している。ハックナザルの治世中に、カザフ・ハン国はカーシムの治世に達成されていた以前の力を取り戻し始めた。ハックナザルは西方に進出し、分裂していたノガイや1520年以降にカザフ・ハン国から散在した草原の住民を糾合した[2]。