ブルース・スミス (ミュージシャン)

ブルース・スミスBruce Smith1957年12月25日 - )は、ポストパンク・バンドのポップ・グループのドラマーとして最もよく知られているイギリスのミュージシャンである。また、スリッツニュー・エイジ・ステッパーズのメンバーでもあり、現在はパブリック・イメージ・リミテッドと共演している。かつてネナ・チェリーと結婚していた。

ブルース・スミス
Bruce Smith
基本情報
出生名Bruce Neal Smith
別名Minty
生誕 (1957-12-25) 1957年12月25日(66歳)
出身地イングランドの旗 イングランド ブリストル
ジャンルポストパンク
オルタナティヴ・ロック
職業ミュージシャン
担当楽器ドラム
活動期間1977年 -
共同作業者ポップ・グループ
スリッツ
リップ・リグ&パニック
パブリック・イメージ・リミテッド

略歴

スミスは、1977年にポップ・グループの共同での結成を手伝い、1981年に解散するまで一緒に演奏していた[1] 。2010年にバンドが再結成されたとき、スミスもこのラインナップの一員となった[2][3]

ポップ・グループがまだ活動中に、スミスは1979年からスリッツにも参加し、1981年に解散するまで一緒に演奏した[1]

ポップ・グループとスリッツでの活動の後、スミスはエイドリアン・シャーウッドとチームを組み、シャーウッドのOn-Uサウンドというレコード・レーベルにおいてニュー・エイジ・ステッパーズやその他さまざまなバンド等で演奏した。この時期、彼はニュー・エイジ・ステッパーズにも関わっていたネナ・チェリーと結婚した。その後、スミスとチェリーは元ポップ・グループのギタリスト、ギャレス・セイガーと一緒にリップ・リグ&パニックを結成した。このバンドでは1981年から1983年まで演奏活動を行った[4][5]

1986年に、スミスはPiLにアルバム『ALBUM』のリリースをサポートするツアーから参加し、次の2枚のスタジオ・アルバム『HAPPY?』『9/ナイン』で演奏するバンドのパーマネント・メンバーとなった[6]。スミスは、バンドが解散する数年前の1990年にPiLを脱退した。しかし、ジョン・ライドンが2009年にバンドを再結成したときに、スミスはバンドへ復帰した[7]

スミスはレギュラー・バンドとのコラボレーションに加えて、テレンス・トレント・ダービーザ・ザビョークなどのアーティストとのレコーディングでも多くのセッションを行ってきた[4][6][8]

ディスコグラフィ

ポップ・グループ

  • 『Y (最後の警告)』 - Y (1979年)
  • 『ハウ・マッチ・ロンガー』 - For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder? (1980年)
  • 『ウィ・アー・タイム』 - We Are Time (1980年) ※ライブ、デモ、アウトテイクのコンピレーション。旧邦題『狂気の時』
  • 『ウィ・アー・オール・プロスティテューツ (最後の聖戦)』 - We Are All Prostitutes (1998年) ※コンピレーション
  • 『シチズン・ゾンビ』 - Citizen Zombie (2015年)

リップ・リグ&パニック

  • 『ゴッド』 - God (1981年)
  • 『アイム・コールド』 - I Am Cold (1982年)
  • 『アティテュード』 - Attitude (1983年)
  • 『キル・ミー・イン・ザ・モーニング』 - Kill Me in the Morning (1985年) ※フロート・アップ・CP名義

パブリック・イメージ・リミテッド

  • 『HAPPY?』 - Happy? (1987年)
  • 『9/ナイン』 - 9 (1989年)
  • AliFE (2009年) ※ライブ
  • Live at the Isle of Wight Festival 2011 (2011年) ※ライブ
  • 『ディス・イズ・PiL』 - This Is PiL (2012年) ※旧邦題『This is PiL - 伝説をぶっとばせ』
  • 『ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ…』 - What The World Needs Now (2015年)

その他のアルバム

脚注

外部リンク