プマタン・シアンタール

インドネシアの都市

プマタン・シアンタール(Pematangsiantar[1])は、インドネシアスマトラ島北スマトラ州都市で、シマルングン県に囲まれている。シアンタールはかつては2級地区(ダエラー・ティングカトゥ・ドゥア)で、近年「市」(コタ)に昇格した。1990年に21万9319人だったが、2000年には24万2756人に増加し、2010年に24万787人に減少した。[2][3]州都メダンの次に人口が多い。

プマタン・シアンタール

Kota Pematangsiantar
Pematangsiantar
プマタン・シアンタール市
プマタン・シアンタール市
プマタン・シアンタールの公式印章
印章
標語: 
Sapangambei Manoktok Hitei
プマタン・シアンタールの位置
プマタン・シアンタールの位置
プマタン・シアンタールの位置(スマトラ島内)
プマタン・シアンタール
プマタン・シアンタール
プマタン・シアンタールの位置
プマタン・シアンタールの位置(インドネシア内)
プマタン・シアンタール
プマタン・シアンタール
プマタン・シアンタール (インドネシア)
北緯2度57分36秒 東経99度3分36秒 / 北緯2.96000度 東経99.06000度 / 2.96000; 99.06000
インドネシア
北スマトラ州
政府
 • 市長フルマン・シトルス
面積
 • 合計79.97 km2
人口
(2010)
 • 合計240,787人
等時帯UTC+7 (WIB)
ウェブサイトwww.pematangsiantarkota.go.id

行政区分

シアンタールは8つの区(ケカマタン)に分かれている。[4]

名称人口
2010年統計[4]
シアンタール・マリハトゥ17,872
シアンタール・マリンブン14,642
シアンタール・セラタン(南部)17,101
シアンタール・バラトゥ(西部)34,984
シアンタール・ウタラ(北部)46,427
シアンタール・ティムー(東部)38,454
シアンタール・マートバ38,368
シアンタール・シタラサリ26,854

歴史

1910年の通りの風景
1923年のオランダ人の家
1938年の航空写真

1907年以前は、プマタン・シアンタールはダマニク率いる王国が有った。バタック人の中にシマルングン人が居て、ダマニクはその1氏族である。最後の王はトゥアン・サンナワルー・ダマニクだった。

1907年、オランダが王国を滅ぼし、植民地にした。

1942年、オランダを排除し日本がインドネシアを侵略・統治した。

1945年にインドネシアが独立宣言をした後、プマタン・シアンタールは自治権を得た。

1974年、プマタン・シアンタールは2級地区になり、シマルングン県の県都になった。[5]

住民

プマタン・シアンタールに元々住んでいたのはシマルングン・バタック人である。今日では、中国人マレー人(ジャワ人を含む)も特に中心部に住んでいる。

交通と旅行

プマタン・シアンタール動物園

プマタン・シアンタールはスマトラ島縦断高速道路トバ湖から50km離れている。トバ湖は世界有数の大きさのカルデラで、人気の観光地である。シアンタールはトバ湖観光の為に宿泊する人が多い。シアンタールは布(「バティク」「ウロス」)やバタック料理等のバタック文化が有名である。タマン・ヘワン・プマタン・シアンタール(プマタン・シアンタールの動物庭園)という動物園が有る。鳥や虎、猿等のインドネシア原産の動物が見られる。熱帯植物が豊富で、古い物も有る。大通りから徒歩圏内に有る。入場料は2009年4月時点で7000ルピアである。観音像が有るヴィハラ・アヴァロキテサヴァラ寺院も人気が有る。22.8mの観音像はインドネシア最大である。建物は2008年5月に焼失し、再建された。シアンタールはメダンから電車や大型バスで行ける。メダンからは130km離れており、車で3時間かかる。

料理

プマタン・シアンタールの料理はバタック料理と中華料理が基になっている。サクサン(血で調理した豚)やトゥアク(砂糖椰子とココナッツで作る酒)が代表的である。中華料理屋も多く、ミー・パンシット(雲呑麺)が人気が有る。ナシ・パダンやサテ・パダン(ロントンとカレー風ソース)等の西スマトラ料理も有る。

出典

東経99度3分36秒 / 北緯2.96000度 東経99.06000度 / 2.96000; 99.06000