ペドロ・パウレタ

ポルトガルのサッカー選手 (1973 - )

ペドロ・パウレタ(Pedro Pauleta, 1973年4月28日 - ) は、ポルトガルポンタ・デルガーダ出身の元サッカー選手。元ポルトガル代表。現役時代のポジションはFW

ペドロ・パウレタ
Pedro Pauleta
2012年撮影
名前
本名ペドロ・ミゲル・カレイロ・レセンデス
Pedro Miguel Carreiro Resendes
ラテン文字PAULETA
基本情報
国籍ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1973-04-28) 1973年4月28日(51歳)
出身地ポルトガルの旗 ポルトガル
アゾレス諸島の旗 アゾレス諸島 ポンタ・デルガーダ
身長180 cm
体重80 kg
選手情報
ポジションFWStriker
利き足右足
ユース
1991ポルトガルの旗 サンタ・クララ
1992-1994ポルトガルの旗 オペラーリオ英語版
1994ポルトガルの旗 アングレンセ英語版
クラブ1
クラブ出場(得点)
1994-1995ポルトガルの旗 ミカエレンセ英語版 23 (11)
1995-1996ポルトガルの旗 エストリル 29 (18)
1996-1998スペインの旗 サラマンカ 71 (34)
1998-2000スペインの旗 デポルティーボ 58 (18)
2000-2003フランスの旗 ボルドー 98 (65)
2003-2008フランスの旗 パリ・サンジェルマン 168 (76)
2010-2011ポルトガルの旗 サン・ロケ 2 (4)
1994-2011通算 449 (226)
代表歴
1996ポルトガルの旗 ポルトガル U-211 (0)
1997-2006[1]ポルトガルの旗 ポルトガル88 (47)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年9月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

登録名の「ペドロ・パウレタ」は愛称であり、本名はペドロ・ミゲル・カレイロ・レセンデス(Pedro Miguel Carreiro Resendes)。

プロサッカー選手として18年間プレーしたが、ポルトガルのスーペル・リーガ(1部)では一度もプレーしたことがない。経歴のほとんどをスペインとフランスで過ごし、リーグ・アンでは得点王に3度輝いた。ポルトガル代表としては88試合に出場し47得点を挙げている。FIFAワールドカップUEFA欧州選手権に2度ずつ出場した。

経歴

クラブ

初期の経歴

アゾレス諸島サンミゲル島にあるポンタ・デルガダに生まれ、諸島内のクラブで育った。その後ポルトガル本土のFCポルトの下部組織に短期間だけ在籍したが、ホームシックにかかってアゾレス諸島に戻っている。1994年にCUミカエレンセポルトガル語版と初のプロ契約を結び、1シーズンプレーした。1995年にはリーガ・デ・オンラ(2部)のGDエストリル・プライアに移籍し、30試合で19得点を挙げた。1996年にはスペイン・セグンダ・ディビシオン(2部)のUDサラマンカに移籍し、1996-97シーズンは19得点してプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に貢献した。1997-98シーズンは自身初のトップリーグで15得点を挙げた。1998年夏にはデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍し、2シーズンで92試合に出場して33得点した。1999-2000シーズンにはクラブ初のリーグ優勝を飾った。

FCジロンダン・ボルドー

2000年9月、フランス・リーグ・アンFCジロンダン・ボルドーに移籍した。FCナント戦 (5-0) でデビューし、その試合でハットトリックを達成した[2][3]。2000-01シーズンはチームトップとなる公式戦通算26得点を記録し[4]、20得点を挙げたリーグ戦では得点ランキングの2位となった。2001年11月にはバロンドールの50人のリストにノミネートされたが、リーグ・アンからのノミネートはパウレタだけだった[5]。2001-02シーズンは22得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。公式戦通算では35得点を挙げ、2シーズン連続でチーム内得点王となっている[6]。リーグ最優秀選手賞に選ばれ、さらに選手と監督の投票によるOscar of footballにも選ばれた[7]。2001-02シーズンのクープ・ドゥ・ラ・リーグ決勝では2得点を挙げ、クラブ初のリーグカップ優勝に導いた[8][9]。これらの活躍から、マンチェスター・シティFCケヴィン・キーガン監督が獲得に興味を示したが、FCジロンダン・ボルドーのジャン=ルイ・トリオー英語版会長は初めは移籍話に興味がないとし、次に適正な金額のオファーが来た場合のみパウレタを売る可能性があるとした[10]。2002-03シーズンはリーグ戦で23得点、公式戦通算で30得点を挙げ、リーグのベストイレブンと最優秀選手賞に選ばれた。FCジロンダン・ボルドーでは3シーズンでリーグ戦98試合に出場して65得点を挙げ、公式戦通算では130試合に出場して91得点を挙げた[11]。これはクラブ歴代3位の得点数となった[12]

パリ・サンジェルマンFC

PSG時代(2007年)

2003年夏、パリ・サンジェルマンFCと3年契約を交わした[13]。移籍金は1200万ユーロ。2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランスでは決勝のLBシャトールー戦で両チーム唯一の得点を挙げ、クラブにとって6年ぶりのタイトル獲得に貢献した。リーグ戦では37試合に出場して18得点を挙げ、3連覇のオリンピック・リヨンに次ぐ2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。2006年4月2日、古巣FCジロンダン・ボルドー戦 (3-1) で移籍後初のハットトリックを達成した[14]。2005-06シーズンには自身2度目、移籍してから初の得点王となり、2006年にはリーグ5連覇中のオリンピック・リヨンからの関心が報じられたが、パウレタはパリ・サンジェルマンFCに残留し、2005-06シーズンのクープ・ドゥ・フランスで2シーズンぶりの優勝を飾った。パリ・サンジェルマンFC移籍後99得点目はボレーシュートで決め、100点目はヘディングシュートで決めた[15]。2006-07シーズンには3度目の得点王のタイトルを獲得した。2007-08シーズンはリーグ・ドゥ(2部)降格の危機に直面したが、最終節でRCランスを上回って16位でリーグ・アン残留を決めた。

2008年夏に35歳で現役引退を表明したが、結局ポルトガルのスーペル・リーガでのプレー経験は全くなかった[16]。引退後もパリ・サンジェルマンFCに残ってスカウトとなった[17]。2009年5月後半、パルク・デ・プランスで行われた引退記念試合に臨み、彼の友人たちで構成されたチームと、パリ・サンジェルマンFCの現役選手・かつて所属した選手で構成されたチームの両方で前後半をプレーした。試合終盤には13歳の息子と交代し、代わって入った息子が2得点を挙げた[18]

引退後はPSGのスタッフに(2011年)

2010年、出身地のアゾレス諸島にあるアマチュアクラブ、GDサン・ロケ (Grupo Desportivo São Roque) に加入してプレーし、2011年6月に改めて現役引退を発表した。そしてパリ・サンジェルマンFCにて、スタッフの仕事を継続している。

代表

1991年にFIFAワールドユース選手権を制したポルトガルのゴールデン・ジェネレーション(1972年生のルイス・フィーゴマヌエル・ルイ・コスタら)と同年代であるが、世代別ポルトガル代表に招集された経験はない。1997年8月、アルメニア戦でポルトガル代表デビューした。自国のトップリーグ経験なしにポルトガル代表デビューしたのはパウレタが初めてであった。アルメニア戦の18ヶ月後のオランダ戦では初めて先発出場し、1999年3月26日、EURO2000予選アゼルバイジャン戦 (7-0) で代表初得点を含む2得点を挙げたが、2000年のEURO2000本大会では控え選手扱いであった。

2002 FIFAワールドカップ

2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では8得点を挙げてエースストライカーとしてスタメンに定着しているが、特にグループ首位を争ったオランダ戦ではホーム・アウェーともに得点を挙げた。日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップ本大会では優勝候補の一角として臨んだポルトガルの攻撃陣を牽引し、グループリーグ2戦目のポーランド戦 (4-0) ではハットトリックを記録した[19]。しかしグループリーグ初戦のアメリカ戦 (2-3) 、グループリーグ最終戦の韓国戦 (0-1) では得点できず、1勝2敗のグループ3位でグループリーグ敗退に終わった。

UEFA EURO 2004

2002年夏から2004年夏にかけての国際親善試合では得点を量産し、特に2002年11月20日のスコットランド戦では1試合2得点、2003年11月19日のクウェート戦では1試合4得点を記録したが、EURO2004予選では無得点であった。地元開催のEURO2004本大会では決勝に進出したが、全6試合に出場して無得点と沈黙し、チームも決勝でギリシャに敗れて準優勝に終わった。

2006 FIFAワールドカップ

2005年10月12日、ポルトで行われた2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ラトビア戦 (3-0) では代表通算41得点目と42得点目を決め、当時エウゼビオが保持していたポルトガル代表の歴代通算得点記録(41得点)を上回った[20]2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、グループ最下位(7位)のルクセンブルクから計4得点、グループ6位のリヒテンシュタインから計2得点、グループ5位のラトビアから計3得点と、FIFAランク下位の国から固め取りし、ヨーロッパ予選の得点王となる11得点を挙げた。2006 FIFAワールドカップ本大会前に行われたカーボベルデとの親善試合 (4-1) ではハットトリックを達成し、調子の良さを示した。

本大会グループリーグ初戦のアンゴラ戦 (1-0) では決勝点を決めたが[21]、2戦目のイラン戦 (2-0) と3戦目のメキシコ戦 (2-1) では得点できなかった。決勝トーナメント1回戦のオランダ戦 (1-0) 、準々決勝のイングランド戦(0-0、PK戦の末に勝利)、準決勝のフランス戦 (0-1) 、3位決定戦のドイツ戦 (1-3) でも無得点に終わった。3位決定戦後、フィーゴとともに代表引退を発表した。

人物

両腕を翼のように広げるゴールパフォーマンスを行うことから、アソリスの鳥人(The Birdman of the Açores)というニックネームを持つ[22]

2005年11月、FIFAが行っているSOS子供の村の親善大使にポルトガル人として初めて就任した[23]

タイトル

クラブ

デポルティーボ・ラ・コルーニャ
FCジロンダン・ボルドー
パリ・サンジェルマンFC

個人

勲章

  • Medal of Merit, Order of the Immaculate Conception of Vila Viçosa (House of Braganza)[24]

個人成績

クラブ

クラブリーグシーズン国内リーグ国内カップ国内リーグカップ欧州カップ通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
エストリルリーガ・デ・オンラ1995-963019--
通算3019--
サラマンカセグンダ1996-973719--
プリメーラ1997-983415--
通算6434--
デポルティーボプリメーラ1998-99281031--3111
1999-0030830-533811
通算581861-536922
ボルドーリーグ・アン2000-0128201310733726
2001-0233222444654535
2002-0337235521414830
通算98658127517913091
パリSGリーグ・アン2003-0437186500-4323
2004-0535143400614519
2005-0636216522-4428
2006-0733153112964624
2007-082782156-3415
通算168762016910157212109
通算41821216153719411222

代表

代表親善試合国際大会通算得点率
出場得点出場得点出場得点
ポルトガル19970030300
19981000100
19992152730.429
20005141920.222
200130771070.7
200284331170.636
2003128001280.667
2004431061490.643
200552751270.583
20063361940.444
通算4322452588470.534

代表での得点

#日時場所相手スコア結果大会
1.1999年3月26日 ギマランイス  アゼルバイジャン6-07-0UEFA EURO 2000予選
2.1999年3月26日 ギマランイス  アゼルバイジャン7-07-0UEFA EURO 2000予選
3.1999年8月18日 リスボン  アンドラ4-04-0親善試合
4.2000年8月16日 ヴィゼウ  リトアニア5-15-1親善試合
5.2000年10月11日 ロッテルダム  オランダ0-20-22002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6.2001年1月28日 フンシャル  アンドラ2-03-02002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
7.2001年3月28日 ポルト  オランダ1-22-22002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
8.2001年6月6日 リスボン  キプロス1-06-02002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
9.2001年6月6日 リスボン  キプロス4-06-02002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
10.2001年9月1日 リェイダ  アンドラ0-21-72002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
11.2001年9月5日 ラルナカ  キプロス1-21-32002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
12.2001年10月6日 リスボン  エストニア3-05-02002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
13.2002年5月25日 マカオ, タイパ島  中華人民共和国0-20-2親善試合
14.2002年6月10日 全州  ポーランド1-04-02002 FIFAワールドカップ
15.2002年6月10日 全州  ポーランド2-04-02002 FIFAワールドカップ
16.2002年6月10日 全州  ポーランド3-04-02002 FIFAワールドカップ
17.2002年10月12日 リスボン  チュニジア1-01-1親善試合
18.2002年11月20日 ブラガ  スコットランド1-02-0親善試合
19.2002年11月20日 ブラガ  スコットランド2-02-0親善試合
20.2003年3月29日 ポルト  ブラジル1-02-1親善試合
21.2003年9月10日 オスロ  ノルウェー0-10-1親善試合
22.2003年10月11日 リスボン  アルバニア4-25-3親善試合
23.2003年11月15日 アヴェイロ  ギリシャ1-11-1親善試合
24.2003年11月19日 レイリア  クウェート1-08-0親善試合
25.2003年11月19日 レイリア  クウェート2-08-0親善試合
26.2003年11月19日 レイリア  クウェート4-08-0親善試合
27.2003年11月19日 レイリア  クウェート5-08-0親善試合
28.2004年2月18日 ファロ  イングランド1-11-1親善試合
29.2004年4月28日 コインブラ  スウェーデン1-12-2親善試合
30.2004年6月5日 セトゥーバル  リトアニア2-04-1親善試合
31.2004年9月4日 リガ  ラトビア0-20-22006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
32.2004年9月8日 レイリア  エストニア3-04-02006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
33.2004年10月9日 ファドゥーツ  リヒテンシュタイン0-12-22006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
34.2004年10月13日 リスボン  ロシア1-07-12006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
35.2004年11月17日 ルクセンブルク・シティ  ルクセンブルク0-40-52006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
36.2004年11月17日 ルクセンブルク・シティ  ルクセンブルク0-50-52006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
37.2005年3月26日 バルセロス  カナダ2-04-1親善試合
38.2005年9月3日 ファロ  ルクセンブルク3-06-02006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
39.2005年9月3日 ファロ  ルクセンブルク4-06-02006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
40.2005年10月8日 アヴェイロ  リヒテンシュタイン1-12-12006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
41.2005年10月12日 ポルト  ラトビア1-03-02006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
42.2005年10月12日 ポルト  ラトビア2-03-02006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
43.2005年11月12日 コインブラ  クロアチア2-02-0親善試合
44.2006年5月27日 エヴォラ  カーボベルデ1-04-1親善試合
45.2006年5月27日 エヴォラ  カーボベルデ2-14-1親善試合
46.2006年5月27日 エヴォラ  カーボベルデ4-14-1親善試合
47.2006年6月11日 ケルン  アンゴラ1-01-02006 FIFAワールドカップ

脚注

外部リンク