FCポルト

ポルトガルのサッカークラブ

FCポルト: Futebol Clube do Porto, MHIH, OM[1][2]ポルトガル語発音: [futɨˈβɔl ˈkluβ(ɨ) ðu ˈpoɾtu])は、ポルトガルポルトに本拠地を置く総合プロスポーツクラブ。一般的に、ポルトガルサッカーのトップリーグであるプリメイラ・リーガに所属するプロサッカーチームとして最も知られている。1893年9月28日に設立されたポルトは、リスボンのライバルであるベンフィカスポルティングCPとともに、ポルトガルの「ビッグ3」(Os Três Grandes)の一つであり、1934年の設立以来、プリメイラ・リーガのすべてのシーズンに出場している。

FCポルト
原語表記Futebol Clube do Porto
愛称Azuis e brancos (青と白)
Dragões (ドラゴン)
クラブカラー   
   
創設年1893年
所属リーグプリメイラ・リーガ
所属ディビジョン1部
ホームタウンポルト
ホームスタジアム
エスタディオ・ド・ドラゴン
収容人数50,399
代表者ポルトガルの旗 アンドレ・ビラス・ボアス
監督ポルトガルの旗 セルジオ・コンセイソン
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

FCポルトのサポーター
UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04 決勝 ASモナコ戦の先発メンバー

2010-11シーズンは史上初のリーグ無敗優勝、それも30試合27勝3分け、73得点16失点という成績を残し、さらにタッサ・デ・ポルトガル、後述のUEFAヨーロッパリーグも優勝し、ポルトガル史上初の3冠を達成した[3]。直後のUEFAスーパーカップではFCバルセロナに敗れて優勝を逃した。国内リーグで1994-95シーズンから1998-99シーズンにかけて、プリメイラ・リーガ史上初、そして唯一の5連覇を達成した他、UEFAヨーロッパリーグ2回優勝 (2002-032010-11) 、UEFAチャンピオンズリーグ優勝 (1986-872003-04) を初め、2度の世界一に輝くなど国際タイトルも数多く獲得してきた。ポルトガルのサッカークラブで唯一、クラブ世界一の称号を手にしたクラブである。

ポルトガルで最も人気のあるフットボール・チームの一つである[4]。まだ欧州で無名の若手を安く買い、育てて他のビッグクラブへ高額で売却するという方針で多額の利益を上げており[5]、これまでリカルド・カルヴァーリョブルーノ・アウヴェスラウール・メイレレスジョアン・モウティーニョフレディ・グアリンハメス・ロドリゲスルイス・ゴンサレスリサンドロ・ロペスフッキラダメル・ファルカオといった選手が在籍してきた (下記参照) 。

アメリカ「フォーブス」誌が、2003-04シーズンの世界のビッグクラブの収益体制を調査した報告によると、当時のクラブ収入は1億1000ドルで欧州第12位であった[6]

歴史

創設期

1893年9月28日に創設された。初代会長のニコラウ・デ・アルメイダはポートワインの輸出業者で、イングランド出張の際にサッカーと出会ったことでクラブの創設を決意した。当初のクラブ名はポルトガル語のフトゥボル・クルーベ (Futebol Clube) ではなく、英語のフットボール・クラブ (Foot-ball Club) が用いられていた。1894年にリスボネンセと最初の試合を行うが、直後にクラブは休止状態に入った。原因はニコラウの妻ヒルダがサッカー嫌いだったためといわれる。1906年に新会長ジョゼ・モンテイロ・ダ・コスタによりクラブの活動が再開された。

欧州のトップチームへ

ポルトガルのビッグ3クラブの中では実績の面でやや遅れをとっていたが、1980年代以降は毎年のようにタイトルを獲得するようになった。

最初の欧州制覇は、アルトゥール・ジョルジェに率いられたチームが1986-87シーズンに達成した。UEFAチャンピオンズカップ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、残り15分で1点のビハインドを背負っていたが、アルジェリアラバー・マジェールが1得点1アシストの活躍で逆転。2-1の勝利をおさめた。また、同年のトヨタカップ (後のFIFAクラブワールドカップ) の決勝では、大雪の中で南米代表CAペニャロールと戦い、またもラバー・マジェールの活躍により、延長戦の末2-1で初の世界一となった。

1994-95シーズンから1998-99シーズンにかけて、プリメイラ・リーガ史上初、そして唯一のリーグ5連覇を達成した。

2002年に監督に就任したジョゼ・モウリーニョのもと、2002-03シーズンにポルトガルのクラブとして初めてUEFAカップに優勝。2003-04シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝にてASモナコを3-0で破り、17年ぶりに欧州一の座に返り咲いた。同シーズン終了後はモウリーニョ監督や主力選手が軒並み他国クラブに移籍したが、最後の開催となった同年12月のインターコンチネンタルカップでも南米代表オンセ・カルダスをPK戦の末に降して、2度目の世界一の座に輝いた。ちなみに、それまでFCポルトの本拠地だったエスタディオ・ダス・アンタスの代わりとして、またEURO 2004開催のために2003年、現在のホームスタジアムであるエスタディオ・ド・ドラゴンが完成した。こけら落としとなった2003年11月16日のFCポルト対FCバルセロナの親善試合では、FCポルトが2-0で勝利した。

2008年5月、2003-04シーズンに自国リーグで審判の買収を行っていたことが発覚。これに対する処分として、2007-08シーズンに獲得した勝ち点から6ポイント剥奪するとともに罰金15万ユーロを科せられた (ただし、勝ち点を剥奪されてもまだリーグ優勝はFCポルトとなるほど大差をつけていた) 。さらに、欧州サッカー連盟はFCポルトの来季UEFAチャンピオンズリーグ出場権を剥奪すると発表したが、後に撤回された。処分撤回を不服とするSLベンフィカヴィトーリアSCスポーツ仲裁裁判所に対して訴えを起こしたが、同7月に退けられた。

2010-11シーズンはポルトガル人のアンドレ・ビラス・ボアスが監督に就任。27勝3分け、2位のベンフィカと21ポイント (7勝差) もの大差をつける圧倒的な記録を残し無敗優勝した。さらに、タッサ・デ・ポルトガルUEFAヨーロッパリーグも制覇し、三冠を達成した[3]

近年は国内リーグにおける強さを維持する一方で主力選手の売却により莫大な移籍金を稼ぎ出しており、ラダメル・ファルカオアトレティコ・マドリード移籍の際には4000万ユーロ[7]フッキFCゼニト・サンクトペテルブルク移籍の際には5000万ユーロ[8]ハメス・ロドリゲスジョアン・モウティーニョASモナコ移籍の際には2人合わせて7000万ユーロ[9]の移籍金をそれぞれ獲得している。他にもジャクソン・マルティネスアトレティコ・マドリードに4200万ユーロで[10]エリアカン・マンガラマンチェスター・シティに3200万ポンドで[11]ダニーロレアル・マドリードに3150万ユーロで[12]アレックス・サンドロユヴェントスに2200万ユーロで[13]アンドレ・シウヴァACミランに3800万ユーロで移籍している。[14]

2013-14シーズンは、リーグ優勝をSLベンフィカに譲り[15]、タッサ・デ・ポルトガルでも準決勝でベンフィカに敗れて敗退[16]UEFAチャンピオンズリーグでもグループステージでの敗退で久々の無冠に終わり、屈辱的なシーズンとなった。

ユニフォーム

FCポルトのユニフォームは、青色白色のストライプである。チーム・カラーの青色と白色は、クラブ設立当時のポルトガルの国旗が青と白だったことに由来する。

ライバル

FCポルトのライバルはベンフィカスポルティングCPである。この2チームとの対戦はクラシコと見なされている。国際的なビッグタイトルを手にしたことが無いスポルティングCPや、1963年を最後に国際タイトルを獲得していないベンフィカとは違い、ポルトはコンスタントに欧州カップ戦に出場して、21世紀に入ってからも成果を残している。

オ・クラシコ

SLベンフィカとライバル関係にあり、両クラブの対戦はオ・クラシコと呼ばれる[17]。初のダービーは1912年4月28日に行なわれた親善試合であり、ベンフィカが8-2で勝利した。ベンフィカは1960-61及び1961-62シーズンにUEFAチャンピオンズカップで優勝しており、長らく同大会で優勝したことのあるポルトガル唯一のクラブだったが、1986-87シーズンにポルトが優勝。さらに、ベンフィカのチャンピオンズリーグ優勝がもはや昔の話になった頃、ポルトは2003-04シーズンにも同大会で優勝し、ベンフィカに優勝回数で並んだ。また、ポルトは欧州カップ戦 (UEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグUEFAスーパーカップ等) で7個のトロフィーを獲得しており、ベンフィカの3個を大きく上回っている。また、リーグの優勝回数も通算ではポルトが27回でベンフィカが34回だが、1990年以降 (2015年現在) はポルトが17回に対してベンフィカが6回と、ポルトが大きく引き離している。ポルトは1960年代から1970年代にかけて約20年間リーグ優勝から見放されたが、1977-78シーズンに5回目のリーグ優勝を飾ると、1980年代後半以降はベンフィカを上回るペースで優勝回数を増やし、1990年代にはリーグ記録の5連覇を果たした。ポルトの急成長は、1974年に起こったカーネーション革命によってリスボンの一極支配体制が崩れたこととも無関係ではない[18]。四半世紀で優勝回数を10回以上も差を詰めたポルトの躍進とともにライバル意識がどんどん高まり、ダービーは白熱度を増した。

タイトル

国内タイトル

  • プリメイラ・リーガ:30回
    • 1934-35, 1938-39, 1939-40, 1955-56, 1958-59, 1977-78, 1978-79, 1984-85, 1985-86, 1987-88, 1989-90, 1991-92, 1992-93, 1994-95, 1995-96, 1996-97, 1997-98, 1998-99, 2002-03, 2003-04, 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2011-12, 2012-13, 2017-18, 2019-20, 2021-22
  • ポルトガル・カップ:19回
    • 1955-56, 1957-58, 1967-68, 1976-77, 1983-84, 1987-88, 1990-91, 1993-94, 1997-98, 1999-2000, 2000-01, 2002-03, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2019-20, 2021-22, 2022-23
  • タッサ・ダ・リーガ:1回
    • 2022-23
  • スーパーカップ:23回
    • 1981, 1983, 1984, 1986, 1990, 1991, 1993, 1994, 1996, 1998, 1999, 2001, 2003, 2004, 2006, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2018, 2020, 2022

国際タイトル

過去の成績

シーズンディビジョンカップリーグカップ欧州カップその他最多得点者
リーグ順位選手得点数
1988-89プリメイラ・ディヴィゾン2位3821143521756ベスト16UEFAチャンピオンズカップ2回戦敗退スーペルタッサ準優勝ルイ・アグアス13
1989-90プリメイラ・ディヴィゾン1位342752721659ベスト16UEFAカップ3回戦敗退ルイ・アグアス17
1990-91プリメイラ・ディヴィゾン2位383152772267優勝UEFAチャンピオンズカップ準々決勝敗退スーペルタッサ優勝ドミンゴス・パシエンシア24
1991-92プリメイラ・ディヴィゾン1位342482581156準優勝UEFAカップウィナーズカップ2回戦敗退スーペルタッサ優勝イオン・ティモフテ
エミル・コスタディノフ
9
1992-93プリメイラ・ディヴィゾン1位342464591754ベスト16UEFAチャンピオンズリーググループステージ敗退スーペルタッサ準優勝イオン・ティモフテ11
1993-94プリメイラ・ディヴィゾン2位3421103561552優勝UEFAチャンピオンズリーグ準決勝敗退スーペルタッサ優勝エミル・コスタディノフ16
1994-95プリメイラ・ディヴィゾン1位342941731562準決勝敗退UEFAカップウィナーズカップ準々決勝敗退スーペルタッサ優勝ドミンゴス・パシエンシア19
1995-96プリメイラ・ディヴィゾン1位342662842084準決勝敗退UEFAチャンピオンズリーググループステージ敗退スーペルタッサ準優勝ドミンゴス・パシエンシア25
1996-97プリメイラ・ディヴィゾン1位342743802485準決勝敗退UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝敗退スーペルタッサ優勝マリオ・ジャルデウ30
1997-98プリメイラ・ディヴィゾン1位342455753877優勝UEFAチャンピオンズリーググループステージ敗退スーペルタッサ準優勝マリオ・ジャルデウ26
1998-99プリメイラ・ディヴィゾン1位342473852679ベスト32UEFAチャンピオンズリーググループステージ敗退スーペルタッサ優勝マリオ・ジャルデウ36
1999-00プリメイラ・リーガ2位342275662673優勝UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝敗退スーペルタッサ優勝マリオ・ジャルデウ38
2000-01プリメイラ・リーガ2位342446732776優勝

予選3回戦敗退

準々決勝敗退
スーペルタッサ準優勝ペーナ22
2001-02プリメイラ・リーガ3位342158663468準々決勝敗退UEFAチャンピオンズリーグ2次グループステージ敗退スーペルタッサ優勝デコ13
2002-03プリメイラ・リーガ1位342752732686優勝UEFAカップ優勝エルデル・ポスティガ13
2003-04プリメイラ・リーガ1位342575631982準優勝UEFAチャンピオンズリーグ優勝

優勝

準優勝
ベニー・マッカーシー20
2004-05プリメイラ・リーガ2位3417116392662ベスト64UEFAチャンピオンズリーグベスト16


インターコンチネンタルカップ
優勝

準優勝

優勝
ベニー・マッカーシー11
2005-06プリメイラ・リーガ1位342473541679優勝UEFAチャンピオンズリーググループステージ敗退ルチョ・ゴンサレス10
2006-07プリメイラ・リーガ1位302235652069ベスト64UEFAチャンピオンズリーグベスト16スーペルタッサ優勝アドリアーノ11
2007-08プリメイラ・リーガ1位302433601369[20]準優勝3回戦敗退UEFAチャンピオンズリーグベスト16スーペルタッサ準優勝リサンドロ・ロペス24
2008-09プリメイラ・リーガ1位302172611870優勝準決勝敗退UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝敗退スーペルタッサ準優勝リサンドロ・ロペス
エルネスト・ファリアス
10
2009-10プリメイラ・リーガ3位302154702668優勝準優勝UEFAチャンピオンズリーグベスト16スーペルタッサ優勝ラダメル・ファルカオ25
2010-11プリメイラ・リーガ1位302730731684優勝3回戦敗退UEFAヨーロッパリーグ優勝スーペルタッサ優勝フッキ23
2011-12プリメイラ・リーガ1位302361691975ベスト32準決勝敗退

グループステージ敗退

ベスト32

優勝

準優勝
フッキ16
2012-13プリメイラ・リーガ1位302460701478ベスト16準優勝UEFAチャンピオンズリーグベスト16スーペルタッサ優勝ジャクソン・マルティネス26
2013-14プリメイラ・リーガ3位301947572561準決勝敗退準決勝敗退

グループステージ敗退

準々決勝敗退
スーペルタッサ優勝ジャクソン・マルティネス20
2014-15プリメイラ・リーガ2位3425727413823回戦敗退準決勝敗退UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝敗退ジャクソン・マルティネス21
2015-16プリメイラ・リーガ3位342347673073準優勝3回戦敗退

グループステージ敗退

ベスト32
ヴァンサン・アブバカル13
2016-17プリメイラ・リーガ2位3422102711976ベスト323回戦敗退UEFAチャンピオンズリーグベスト16アンドレ・シウヴァ16
2017-18プリメイラ・リーガ1位342842821888準決勝敗退準決勝敗退UEFAチャンピオンズリーグベスト16ムサ・マレガ22
2018-19プリメイラ・リーガ2位342743742085準優勝準優勝UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝敗退スーペルタッサ優勝フランシスコ・ソアレス15
2019-20プリメイラ・リーガ1位342644742282優勝準優勝

プレーオフ敗退

ベスト32
フランシスコ・ソアレス19
2020-21プリメイラ・リーガ2位342482742980準決勝敗退準決勝敗退UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝敗退スーペルタッサ優勝メフディ・タレミ25
2021-22プリメイラ・リーガ1位342941862291優勝3回戦敗退

グループステージ敗退

ベスト16
メフディ・タレミ26
2022-23プリメイラ・リーガ2位342743732285優勝優勝UEFAチャンピオンズリーグベスト16スーペルタッサ優勝

現所属メンバー

2024年1月31日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
2DF ファビオ・カルドーゾ
3DF ペペ ( )
5DF イバン・マルカノ (副主将)
6MF ステファン・ユースタキオ ( )
8MF マルコ・グルイッチ
9FW メフディ・タレミ
10MF フランシスコ・コンセイソン
11FW ペペー ( )
12DF ザイドゥ・サヌジ
13FW ガレーノ ( )
14GK クラウディオ・ラモス
15DF ホルヘ・サンチェス
16MF ニコ・ゴンサレス
17FW イバン・ハイメ
18DF ヴェンデウ
19FW ダニー・ナマソ ( )★
No.Pos. 選手名
20MF アンドレ・フランコ
22MF アラン・バレラ
23DF ジョアン・マリオ
28MF ロマーリオ・バロ ( )
29FW トニ・マルティネス
30FW エヴァニウソン
31DF オタヴィオ ★
55DF ジョアン・メンデス
70FW ゴンサロ・ボルジェス
71GK フランシスコ・メイシェド
87MF ベルナルド・フォーリャ
91GK ゴンサロ・リベイロ
94GK サムエウ・ポルトゥガウ
97DF ゼ・ペドロ
99GK ディオゴ・コスタ ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
10MF フランシスコ・コンセイソン (アヤックス)
No.Pos. 選手名
15DF ホルヘ・サンチェス (アヤックス)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF ダヴィド・カルモ (オリンピアコス)
--MF ママドゥ・ルーム (アル・ラエド)
No.Pos. 選手名
--FW ガブリエウ・ヴェロン (クルゼイロ)
--FW フラン・ナバーロ (オリンピアコス)

スタッフ

役職氏名
監督 セルジオ・コンセイソン
アシスタントコーチ ヴィトール・ブルーノ
シラマナ・デンベレ
GKコーチ ヴェドラン・ルニェ

歴代監督


歴代所属選手

GK

DF


MF


FW


その他のスポーツ

サッカーの他に体操バスケットボールビリヤードボクシングキャンプチェス釣りハンドボール空手モータースポーツローラーホッケー障害者スポーツ水泳重量挙げの各部門を持つ。

ローラーホッケーにおいては、国内はもとより欧州チャンピオンズカップ優勝2回 (1985-86、1989-90) の強豪である。

脚注

参考文献

外部リンク