コンテンツにスキップ

レスリー・グラハム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レスリー・グラハム
画像募集
グランプリでの経歴
国籍イギリスの旗 イギリス
活動期間1949 - 1953
チームAJSMVアグスタ
レース数33
チャンピオン500cc - 1949
優勝回数8
表彰台回数19
通算獲得ポイント145
ファステストラップ回数5
初グランプリ1949 500cc マン島TT
初勝利1949 500cc スイスGP
最終勝利1953 125cc マン島TT
最終グランプリ1953 500cc マン島TT
テンプレートを表示

レスリー・グラハム(Robert Leslie (Les) Graham、1911年9月14日1953年6月12日)は、1930年代から50年代前半に掛けて活躍したイギリス出身のオートバイレーサー。彼はロードレース世界選手権500ccクラス初代チャンピオンである。

生涯

キャリア初期

レスリーは、リヴァプール市のダートトラックレース場・スタンリースピードウェイでキャリアの口火を切った。1929年にはオスウェストリー(en)のレースに中古のDot-JAPマシンで出場し、2位となった。その後ルッジ・ウィットウォース(en)に乗り活躍を見せた。

1936年、レスリーはOK-Supreme社製250ccOHCエンジンのオートバイを入手した。これは既に型落ちの安価品だったが、彼はこれに手を加え同年のアルスターGPに出場した。しかし、サーキットを一周したところでエンジンが焼きついてしまった。しかし挫けず、翌年には改造を施してノースウエスト200(en)にエントリーし、最終的にはエンジンバルブのギア破損のためリタイアしたが、一時トップを快走して見せた。修理はドニントンで行われた次のレースに間に合い、レスリーは優勝を遂げた。

この活躍に眼をつけたOK-Supreme創設者の息子ジョン・ハンフリーズは、レスリーをOHCエンジン製作担当兼レーサーとして採用した。程なく、レスリー・グラハム、アンディ・マッケイ、ジョン・ハンフリーズの三人はミッドランド(en)で名を馳せたOK-JAPライダーとなった。サウスイースト・チャンピオンシップ、ギアボックスの故障で惜しくもリタイアするまで2位を疾走した1939年のマン島TTレースなどでレスリーは活躍を見せた。そんな彼に注目していたジョック・M・ウエスト(当時BMW社員)は、レスリーと1940年の契約を交わし、ベロセットのオートバイに乗る事になった[1]。だが、第二次世界大戦が勃発し、この契約は実行されなかった。

大戦中

レスリーはイギリス空軍に召集され、166戦隊に所属するパイロットとなった。アブロ ランカスターを操縦してドイツ上空を飛行するなどの兵役に服し、1944年12月には大尉に昇進して空軍殊勲十字章(en)を授かった[2]。その後1946年に退役するまで、彼は輸送部隊に属した。

レース界への復帰と活躍

戦争が終結すると、空軍中佐として大英帝国勲章も授与されていたJ.M.ウエストは、AMC(en)の販売担当兼レーサーとしてレスリーを誘い[1]、レースの世界に呼び戻した。AMC傘下のAJSレーシングチームに属し、1946年にキャドウェルパーク・サーキット(en)で開催された戦後初のレースに出場。ノートン350ccマシンで疾走し彼は優勝した。

1947年にはマン島セニアTTにAJS『Porcupine』で出場したが、結果は9位で終わった[3]。翌年にはジュニアTTで7位に入った[4]が、セニアTTはリタイタで終えた。この年、アウトドモーロ・デ・リナス・モントレ(en)でレスリーはウエストやフランス人ライダーのGeorges Monneretとともに、18個の世界最高速度記録を更新した。

1949年に開催された第1回ロードレース世界選手権にレスリーはAJSからエントリーした。第1戦マン島レースでは、最初のラップで後続を90秒も引き離す快調ぶりを見せつけた。しかしながら、残り数マイルという所でメカニカルトラブルが発生してしまう。だがレスリーは諦めず、マシンを押してフィニッシュラインに向かい、レースを9位で終えた。レスリーは続くブレムガルテンで開催された第2戦スイスGPでは優勝、第3戦オランダGPは2位と順調にポイントを重ねた。第4戦ベルギーこそリタイアに終わったが、第5戦アルスターで再び勝利を掴み、ファーステストラップも記録した。最終戦イタリアGPでは地元の英雄でありポイントを競うジレラネッロ・パガーニに優勝をさらわれ勝利数で並ばれたが、総得点で2点上回り、レスリーは500ccクラス最初のチャンピオンとなった[5]

1950年は、ジレラを駆るイタリア人ウンベルト・マセッティと、台頭著しいノートンジェフ・デュークの後塵を拝し、500ccクラスランキング3位に終わった。この年、ダブルエントリーしていた350ccクラスでも成績は1勝・ランキング3位だった。

1951年、一向に開発が進まないAJSに不満を募らせていたレスリーは、ドメニコ・アグスタ伯爵の求めに応じイタリアMVアグスタに乗った。当時のMVアグスタ500ccは、馬力に欠き、扱いづらい操作性から「手に負えない代物」との悪評を受けていたが、開発能力の高いレスリーの手腕によって同年500ccクラス2位を得た。ただし、更に評判が悪い350ccへの搭乗は避け、同クラスにレスリーはベロセット『MkVIII KTT 350』で出場した。彼は、スイスGPを制し年間ランキング6位を得た[6]。なお、レスリーは125ccクラスにも出場したが、こちらは8位で終わった。

1952年のシーズン500ccクラスでは、レスリーは第1戦でポイント獲得に失敗。第2戦ではギアの操作ミスや馬力不足が祟り、アイルランド人のレグ・アームストロング後塵わずか33.4秒及ばなかった。ゴール時、アームストロングはドライブ・チェーンが外れるアクシデントに見舞われていたが、不幸にもレスリーは追いつけなかった。以後、第3・4戦でもノーポイント。第5戦ドイツGPではファーステストラップを記録したが4位。第6戦でもファーステストラップを刻むが、ダンロップタイヤにトラブルが生じノーポイントと苦戦が続いた。だが、第7戦のイタリアGPでは、モンツァに押しかけた熱狂的な観客の声援に支えられ、MVアグスタ初の優勝とファーステストラップ記録を同時に成し遂げた。続く第8戦も勝利し、彼はジレラウンベルト・マセッティに次ぐ2位でシーズンを終えた。なお、250ccクラス(ベロセット)と125ccクラス(MVアグスタ)では、それぞれ3位と4位につけた。

1953年6月12日

レスリーは選手権チャンピオン奪回の意欲に燃え、1953年のシーズン開幕を迎えた。シニアTTが500cc選手権第1戦を兼ねるマン島TTレースで、6月11日木曜日に開催された125ccのライトウェイトTTに出場した。彼はこれを勝利で飾り翌日の500ccレースに勢いをつけたが、これがレスリー最後の勝利となるとは誰も予想できなかった。

明けて12日金曜日、ジレラジェフ・デュークとの争いになるであろうと予想されていた500ccクラスは開幕した。高速で疾走中、突然レスリーはコントロールを失った。ブレイヒル(Bray Hill)のふもとに衝突し乗り上げた時には、レスリーは即死状態だった。カルロ・バンディローラらMVアグスタチームのメンバーは哀悼の意を示し、この年の選手権出場から撤退した[7]

事故の原因については、ステアリングの破損によるもの、ジェフ・デュークから40秒遅れのピットサインに動揺したため、アールズフォークタイプのフロントサスペンションを使用したため、など諸説あるがはっきりしたことはわかっていない[8]。現在、マン島にはグラハムの記念碑が立っている。

戦歴

ロードレース世界選手権

1949年のポイントシステム
順位12345ファステストラップ
ポイント1087651
1950年から1968年までのポイントシステム
順位123456
ポイント864321
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラスチーム123456789ポイント順位勝利数
1949350ccAJSIOM
NC
SUI
2
NED
-
BEL
-
ULS
-
87位0
500ccAJSIOM
10
SUI
1
NED
2
BEL
-
ULS
1
ITA
6
301位2
1950350ccAJSIOM
4
BEL
-
NED
-
SUI
1
ULS
-
ITA
2
173位1
500ccAJSIOM
4
BEL
-
NED
-
SUI
1
ULS
2
ITA
-
173位1
1951125ccMVアグスタSPA
-
IOM
NC
NED
3
ULS
-
ITA
-
48位0
350ccベロセットSPA
2
SUI
1
IOM
10
BEL
-
NED
-
FRA
-
ULS
-
ITA
-
146位1
500ccMVアグスタSPA
-
SUI
-
IOM
NC
BEL
-
NED
-
FRA
-
ULS
-
ITA
-
0-0
1952125ccMVアグスタIOM
-
NED
-
GER
-
ULS
-
ITA
3
SPA
2
104位0
250ccベロセットSUI
3
IOM
4
NED
-
GER
-
ULS
3
ITA
-
113位0
350ccベロセットSUI
-
IOM
NC
NED
-
BEL
6
GER
-
ULS
-
ITA
-
113位0
500ccMVアグスタSUI
-
IOM
2
NED
-
BEL
-
GER
4
ULS
-
ITA
1
SPA
1
252位2
1953125ccMVアグスタIOM
1
NED
-
GER
-
ULS
-
ITA
-
SPA
-
85位1
350ccMVアグスタIOM
NC
NED
-
BEL
-
FRA
-
ULS
-
SUI
-
ITA
-
SPA
-
0-0
500ccMVアグスタIOM
NC
NED
-
BEL
-
GER
-
FRA
-
ULS
-
SUI
-
ITA
-
SPA
-
0-0

脚注

外部リンク

🔥 Top keywords: メインページ飯豊まりえ高橋一生石丸伸二特別:検索キダ・タロー廣瀬智紀弥助三淵嘉子川栄李奈羽賀研二葛西美空岸辺露伴は動かない秋元優里鈴村健一ユージ虎に翼山崎育三郎STARTO ENTERTAINMENT乙黒えり出口夏希窪塚愛流木田美千代緒方賢一Never young beach田村正和ニューカレドニア猿の惑星シリーズマイケル・ゴードンプロポーズ大作戦 (テレビドラマ)スロバキア麿赤兒浅野温子笠松将竜とそばかすの姫堀田賢慎ラナルド・マクドナルド伊倉愛美仲野太賀