ヴィルヘルム2世 (ヘッセン選帝侯)

ヴィルヘルム2世Wilhelm II., 1777年7月28日 - 1847年11月20日)は、第2代ヘッセン選帝侯(在位:1821年 - 1847年)。ヴィルヘルム1世とその妃であったデンマークフレデリク5世の王女ヴィルヘルミーネ・カロリーネの次男。祖父はヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世、曽祖父はヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世、高祖父はヘッセン=カッセル方伯カール。

ヴィルヘルム2世
Wilhelm II.
第2代ヘッセン選帝侯
在位1821年2月27日 - 1847年11月20日

出生 (1777-07-28) 1777年7月28日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領ハーナウ
死去 (1847-11-20) 1847年11月20日(70歳没)
フランクフルト・アム・マイン
埋葬 ヘッセン選帝侯国ハーナウ、聖マリア教会
配偶者アウグステ・フォン・プロイセン
 エミーリエ・オルトレップ
 カロリーネ・フォン・ベルレプシュ
子女フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
マリー
家名ヘッセン=カッセル家
父親ヴィルヘルム1世
母親ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク
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生涯

祖父ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世の治世の1777年7月28日にハーナウに生まれ、マールブルクライプツィヒで学ぶ。1797年2月13日プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の王女アウグステ(1780年 - 1841年)と結婚し、彼女との間にフリードリヒ・ヴィルヘルム(のちのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世)やマリー(1804年 - 1888年、ザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト2世妃)ら三男三女をもうけた。

兄のフリードリヒが1784年に死去したため嫡男となり、1785年10月31日に祖父フリードリヒ2世が死去し父が42歳でヴィルヘルム9世として跡を継ぐと8歳で世子になった。1803年5月15日に父が59歳でヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世になると25歳で選帝侯世子になった。1821年2月27日に父ヴィルヘルム1世が77歳で死去すると43歳で第2代ヘッセン選帝侯となった。1830年の革命騒ぎに際してカッセルの宮殿を追われ、息子に実権を引き渡すのを余儀なくされた。1841年に別居していた妻アウグステが他界すると、長年の愛妾で、既にあいだに8人の子供をもうけていたエミーリエ・オルトレップと再婚した。1843年にエミーリエと死別すると、カロリーネ・フォン・ベルレプシュ男爵夫人と3度目の結婚をした。

1847年11月20日フランクフルト・アム・マインで死去し、次男のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世が後を嗣いだ。

先代
ヴィルヘルム1世
ヘッセン選帝侯
1821-1847
次代
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世