一関市立千厩中学校

岩手県一関市にある中学校

一関市立千厩中学校(いちのせきしりつ せんまやちゅうがっこう)は、岩手県一関市千厩町にある公立中学校。略称は千中(せんちゅう)。岩手県立一関清明支援学校千厩分教室中学部を併設する。

一関市立千厩中学校
校舎外観(2023年12月)
地図北緯38度55分46.8秒 東経141度21分29.3秒 / 北緯38.929667度 東経141.358139度 / 38.929667; 141.358139 東経141度21分29.3秒 / 北緯38.929667度 東経141.358139度 / 38.929667; 141.358139
過去の名称千厩町立千厩中学校
国公私立の別公立学校
設置者千厩町(2000年 - 2005年)
一関市(2005年 - )
併合学校千厩町立千厩中学校(2代目)
千厩町立小梨中学校
千厩町立奥玉中学校
設立年月日2000年4月8日
創立記念日4月8日
共学・別学男女共学
学期3学期制
学校コードC103220900087 ウィキデータを編集
校地面積46,195 m2[1]
校舎面積5,887 m2[1]
所在地029-0803
岩手県一関市千厩町千厩字上駒場195-5
外部リンク公式サイト(edumap)
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1999年度を以って本校への統合により閉校した、旧千厩町立千厩中学校についても記載[2]

概要

統計が残る中では1962年度をピーク[注 1]に千厩町内の中学校では生徒数の減少が続いており、小梨中学校(千厩町小梨)に至っては各学年1学級で東磐井郡内では最小規模の中学校であった。教育環境の改善を図るべく、1990年代に1校へ統合する案が浮上し、新たに学校を設置することが決定した[3][4]。旧千厩中学校が所在していた千厩字構井田からは、約1キロメートル北東の千厩字上駒場の高台に1999年、鉄筋コンクリート造3階建ての校舎や屋内体育館などを落成した[5][6]。校舎は、各学年で階層を分けた3階建ての普通教室棟と2階建ての特別教室棟に区分され、真上から見ると「コ」の字の形状となっているのがGoogleマップなどで確認できる[7]。校舎の内側には人工芝のテニスコート2面分を設け、ソフトテニス部の活動場所となっている。また、校舎にはシンボルタワーを設置し、本校の象徴的な存在である[5]

右下部分には中学校、西隣には駒場交流公園がある(2020年5月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

開校後

2000年3月を以って町内の全中学校(旧千厩中学校・小梨中学校・奥玉中学校)が統合に伴い閉校し、4月8日に3代目の千厩町立千厩中学校として開校した[8][9][10]。開校後は、主に千厩地区以外(小梨・清田・奥玉・磐清水)の生徒を対象にスクールバスの運行を開始した。屋外プールや柔剣道場などの施設は開校時点では着工しておらず、2002年に全ての施設が落成した際に校舎などの落成式を行い、同町生まれの楢崎教子元柔道選手による記念講話や、柔剣道場開場式の一環として公開演武を行った[5][6]

2009年度より校舎の一角に、各種障がいを抱える生徒を対象とした岩手県立一関清明支援学校千厩分教室中学部(みなトモ学級)を開設した[11]。主要行事などの際には本校の生徒と共に参加している[12]

野球部・ソフトボール部・サッカー部などは、校舎西側に隣接する駒場交流公園(一関市運営)の施設を活動拠点としている。開校以降から各部活動では数々の大会で入賞しており、特に男子バドミントン部やソフトボール部は岩手県大会で何度も優勝し、東北大会や全国大会などに進出している[13][14][15]

沿革

旧・千厩中学校

  • 1947年昭和22年)- 千厩町立千厩中学校として開校[2]
  • 1960年(昭和35年)10月 - 統合中学校の敷地造成工事を着工[16]
  • 1961年(昭和36年)4月 - 初代千厩中学校・磐清水中学校・清田中学校を名目統合[2]。3校は「千厩中学校〇〇校舎」に移行。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての校舎を落成[17]
    • 4月1日 - 実質統合し、2代目の千厩町立千厩中学校として開校[16]
    • 校歌(作詞:佐伯郁郎、作曲:千葉了道)を制定[18]
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月 - 体育館を落成[17]
    • 4月 - 初代千厩中学校跡地に千厩町立千厩女子専門学校が移転[16]
    • 12月 - 管理棟を落成[17]
  • 1965年(昭和40年)3月 - 落成式を挙行[17]
  • 1966年(昭和41年)8月 - 県下中学校野球大会にて野球部「優勝」[10]
  • 1971年(昭和46年)7月 - 町内初のプールを落成[10]
  • 1975年(昭和50年)5月 - 千厩町学校給食センターの設置に伴い、完全給食の提供開始[10]
  • 1998年平成10年)8月 - 全国中学校ソフトボール大会にてソフトボール部「優勝」[19]
  • 1999年(平成11年)8月 - 全国中学校ソフトボール大会にてソフトボール部「優勝」[19]
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 閉校式を挙行[20]
    • 3月31日 - 千厩町内の全中学校統合に伴い、閉校[2]
  • 2010年度(平成22年度)- 施設一帯を解体[21]
  • 2011年(平成23年)9月 - 気仙沼市へ用地を提供し、東日本大震災に伴う応急仮設住宅を設置[22]
  • 2020年令和2年)6月 - 用地を一関市に返還[23][24]

新・千厩中学校

  • 1998年(平成10年)8月 - 校舎を着工[9]
  • 1999年度(平成11年度)- 校舎と体育館を落成[25]
  • 2000年(平成12年)
  • 2002年(平成14年)
    • 3月 - 屋外プールを落成[15]
    • 5月 - 柔剣道場(武道館)を着工[5]
    • 10月 - 柔剣道場(武道館)を落成[5]
    • 11月8日 - 落成記念式典を挙行[6]
  • 2003年(平成15年)
    • 1月 - 海外派遣研修「若駒の翼事業」を開催[28]
    • 4月 - 県より学力向上フロンティアスクール県研究校に指定(2年間)[15]
  • 2004年(平成16年)
    • 4月 - 県より少人数県研究校に指定[15]
    • 8月 - 県大会と東北大会にてソフトボール部「優勝」。全国大会に出場[15]
  • 2005年(平成17年)
    • 3月 - 校舎南側の校庭を整備。テニス1コート2面を設置[15]
    • 9月20日 - 市町村合併に伴い、所在地が一関市千厩町となり「一関市立」に改称[15]
  • 2009年(平成21年)4月 - 岩手県立一関清明支援学校千厩分教室中学部「みなとも学級」を併設[11]
  • 2011年(平成23年)
  • 2014年(平成26年)
    • 2月 - 太陽光発電システムを導入[15]
    • 7月 - 県中総体にてソフトボール部と男子バドミントン部「優勝」[30][31]
  • 2015年(平成27年)7月 - 県中総体にてソフトボール部「優勝」[14]
  • 2016年(平成28年)
  • 2017年(平成29年)
    • 7月 - 県中総体にて男子バドミントン部団体「優勝」[33]
    • 11月 - 県新人戦にて男子バドミントン部団体「優勝」[13]
  • 2018年(平成30年)7月 - 県中総体にて男子バドミントン部「優勝」[34]
  • 2019年(令和元年)10月 - 県新人戦にて野球部「優勝」[35]。創立20周年記念として生徒会歌を制定[15]
  • 2022年(令和4年)10月 - 県新人戦にて合同チーム(千厩・大東大原・興田・東山・藤沢中)のソフトボール部「優勝」[36]

旧・千厩中学校

千厩町立千厩中学校(2代目)
空中写真(1977年11月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
北緯38度55分19.5秒 東経141度20分49.1秒 / 北緯38.922083度 東経141.346972度 / 38.922083; 141.346972
国公私立の別公立学校
設置者千厩町
学区千厩町千厩、清田、磐清水
併合学校千厩町立千厩中学校(初代)
千厩町立清田中学校
千厩町立磐清水中学校
設立年月日1963年4月1日
閉校年月日2000年3月31日
共学・別学男女共学
学期3学期制
学校コードC103220900087
所在地029-0803
岩手県東磐井郡千厩町千厩字構井田88
(現:岩手県一関市千厩町千厩字構井田88)
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1947年の学制改革に基いて開校した初代の千厩中学校を前身とする。その後、小梨中学校の分校から独立して間もない[注 2]清田中学校(千厩町清田)と、磐清水中学校(千厩町磐清水)と初代千厩中学校が1961年4月付で名目統合し、1963年4月に実質統合(開校)[注 3]した[10][2]。約5年間の新築移転工事を経て、千厩字構井田地内の高台に校舎を落成し移転した[16]。2000年に千厩町内の3校が統合してからは施設一帯が放置されていたが、2010年度に全て解体され、更地となった[21]。翌年3月の東日本大震災発生後は、気仙沼市へ仮設住宅の設置のために用地を提供した[22]。228戸の住宅が建設され、8年間利用されたのち、2020年に住宅を解体し更地に戻された上で用地が返還された[23][24]

ソフトボール部の活躍

2度目の出場権を得た1998年の全国中学校ソフトボール大会では、東北地方の中学校では初となる優勝を掴んだ。その翌年(1999年)も同大会へ出場し、初戦の綾歌中学校との対戦から決勝戦の四條畷学園との対戦まで無失点の完封勝ちを果たし、大会史上3校目となる2連覇を成し遂げた[19][10]。両大会でそれぞれ優勝へ貢献した藤原麻起子藤野遥香はその後プロ選手の道へ進み、様々な大会において功績を残している[37][38]

学校目標

教育目標

東山の雄としての誇りを持ち、豊かな人間性に支えられたよりよい中学校生活を目指し、知恵と心と体を鍛える生徒を育成する
  • 賢く生きる知恵
  • 明るく清らかな心
  • たくましく健やかな体

出典[15]

学校活動

主な学校活動(行事)のみ掲載[39][40]

1学期

  • 4月 - 紹介式、始業式、入学式、応援歌練習
  • 5月 - 体育祭、地区通信陸上大会
  • 6月 - 芸術鑑賞(3年生)、一関地方中総体、県通信陸上競技大会
  • 7月 - 吹奏楽コンクール、県中総体、終業式(夏季休業)

2学期

  • 8月 - 始業式、地区駅伝大会、社会体験学習(2年生)
  • 9月 - 一関地方児童生徒独唱大会、一関地方新人戦、修学旅行(3年生)
  • 10月 - 一関地方中文祭、県新人大会前期、紅輝祭
  • 11月 - 県新人大会後期
  • 12月 - アンサンブルコンテスト、終業式(冬期休業)

3学期

  • 1月 - 始業式、県立高校推薦入試
  • 2月 - なし
  • 3月 - 県立高校一般入試、卒業式、修了式(年度末休業)、離任式

部活動

運動部

計10部が活動している。

  • 野球部(男子)
  • ソフトボール部(女子)
  • サッカー部(男子)
  • バドミントン部
  • ソフトテニス部
  • バレーボール部
  • バスケットボール部
  • 卓球部
  • 柔道部
  • 剣道部

文化部

計2部が活動している。

  • 吹奏楽部
  • 総合文化部

特設部

期間限定で有志の生徒が加入する。

  • 特設駅伝部
  • 特設合唱部

廃部となった部活動

  • 情報科学部 - 総合文化部を新設
  • 文化文芸部 - 同上

付属施設

主な施設のみ掲載。

  • 体育館(1,337 m2[1])- 鉄骨一部鉄筋コンクリート造平屋建て[6]
  • 武道館(588 m2[1])- 鉄骨造平屋建て[6]
  • 屋外プール(25メートル8コース[6]
  • 校庭(13,300 m2[1]
  • テニスコート - 校舎の内側に所在
  • スクールバス車庫

生徒・学級数

統合直前(1999年度)の各校の生徒・学級数

学校名生徒数学級数出典
千厩中学校306不明[20]
奥玉中学校113
小梨中学校693[3]
合計48817[41]

本校の生徒・学級数

1999年度以前は旧千厩中学校の生徒数と学級数、千厩町の生徒数を記載。

1948年度以降の生徒数・学級数の推移
年度生徒数増減学級数増減出典備考町内の生徒数増減
初代 千厩中学校(1947年 - 1963年)
1948(昭和23)年度3798[42]1,125
1949(昭和24)年度4234491[43]1,20984
1950(昭和25)年度4371490[44]1,2101
1951(昭和26)年度427-1090[45]1,189-21
1952(昭和27)年度404-2390[46]1,104-85
1953(昭和28)年度4242090[47]1,15753
1954(昭和29)年度44723101[48]1,21154
1955(昭和30)年度48336100[49]1,28069
1956(昭和31)年度不明[16]1,29616
1960(昭和35)年度1,216-80
2代目 千厩中学校(1963年 - 2000年)千厩・磐清水・清田中を統合
1962(昭和37)年度884401不明[50]1,545329
1963(昭和38)年度860-24[16]完全統合(開校)不明
1965(昭和40)年度不明1,334-211
1970(昭和45)年度604-256[51]1,043-291
1971(昭和46)年度570-341,019-24
1972(昭和47)年度559-11986-33
1973(昭和48)年度5601967-19
1974(昭和49)年度57616946-21
1975(昭和50)年度568-8897-49
1976(昭和51)年度559-9880-17
1977(昭和52)年度540-19817-63
1978(昭和53)年度5433[52]84124
1979(昭和54)年度500-43755-86
1980(昭和55)年度494-6753-2
1981(昭和56)年度483-11690-63
1982(昭和57)年度483070010
1983(昭和58)年度469-14672-28
1985(昭和60)年度不明[16]674-2
1988(昭和63)年度4756133[53]69117
1989(平成元)年度不明不明[41]657-34
1990(平成2)年度650-7
1991(平成3)年度647-3
1992(平成4)年度625-22
1993(平成5)年度618-7
1994(平成6)年度588-30
1995(平成7)年度578-10
1996(平成8)年度526-52
1997(平成9)年度510-16
1998(平成10)年度475-35
1999(平成11)年度306-163[20]閉校48813
年度生徒数増減学級数増減出典備考
3代目 千厩中学校(2000年 - )千厩・小梨・奥玉中を統合
2000(平成12)年度467-21130[54]開校
2001(平成13)年度447-20141[55]
2002(平成14)年度411-3613-1[56]
2003(平成15)年度392(5)-1913(1)0[57]
2004(平成16)年度402(5)1013(1)0[58]
2005(平成17)年度386(5)-1613(1)0[59]
2006(平成18)年度395(4)913(1)0[60]
2007(平成19)年度384(3)-1113(1)0[61]
2008(平成20)年度366(2)-1812(1)-1[62]
2009(平成21)年度346(5)-2012(2)0[63]
2010(平成22)年度323(6)-2311(2)-1[64]開校10周年
2011(平成23)年度337(6)1412(2)1[65]
2012(平成24)年度344(5)712(1)0[66]
2013(平成25)年度352(5)813(2)1
2014(平成26)年度334(5)-1811(2)-2
2015(平成27)年度321(4)-1311(2)0
2016(平成28)年度308(5)-1311(2)0
2017(平成29)年度302(11)-612(3)1
2018(平成30)年度289(11)-1311(2)-1
2019(令和元)年度284(9)-511(2)0
2020(令和2)年度283(11)-111(2)0開校20周年
2021(令和3)年度263(8)-2012(3)1
2022(令和4)年度236(8)-2711(2)-1
2023(令和5)年度221(4)-1511(2)0[15]
※生徒数・学級数内の()は特別支援生徒・学級数
※岩手県立一関清明支援学校千厩分教室中学部の生徒や学級は含めない
※1955年度以前の町内の生徒数は、旧千厩町・小梨村・奥玉村・磐清水村を含む

学区

出典[67]

進学前小学校

2017年度以前は旧千厩小学校、小梨小学校、奥玉小学校、磐清水小学校、清田小学校が対象だった。

アクセス

千厩町駒場地区の高台、駒場交流公園のそばに位置している。

鉄道

バス

自動車

  • 国道284号(千厩バイパス)千厩字下駒場地内の交差点から市道経由で約2分

周辺

出身者

旧千厩中学校の出身者も掲載。

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

公式サイト