一関市立小梨小学校

岩手県一関市にあった小学校

一関市立小梨小学校(いちのせきしりつ こなししょうがっこう)は、岩手県一関市千厩町にあった公立小学校。略称は梨小(なししょう)。

一関市立小梨小学校

上:校章
下:閉校前の校舎外観(2017年10月)
地図北緯38度54分0.25秒 東経141度22分59.3秒 / 北緯38.9000694度 東経141.383139度 / 38.9000694; 141.383139 東経141度22分59.3秒 / 北緯38.9000694度 東経141.383139度 / 38.9000694; 141.383139
過去の名称小梨学校
大登学校
大登尋常小学校
北小梨尋常小学校
小梨村立北小梨尋常高等小学校
小梨村立小梨尋常高等小学校
小梨村立小梨国民学校
小梨村立小梨小学校
千厩町立小梨小学校
国公私立の別公立学校
設置者北小梨村(1873年 - 1875年)
小梨村(1875年 - 1956年)
千厩町(1956年 - 2005年)
一関市(2005年 - 2018年)
併合学校南小梨尋常小学校
清田尋常小学校
千厩町立小梨小学校(旧)
千厩町立南小梨小学校
校訓誠実 勤勉 自治 協同 進取
設立年月日1873年5月10日
閉校年月日2018年3月31日
共学・別学男女共学
分校南小梨分校(1880年独立)
1873年 - 1880年
釘子分校(1875年以前独立)
1873年 - 1875年以前
熊田倉分校(廃止時期不明)
1873年 - 1875年以前
清水馬場分校(同上)
1873年 - 1878年以前
南小梨分教場(1929年独立)
1908年 - 1929年
清田分教場(同上)
1908年 - 1929年
学期3学期制
校地面積22,044 m2[1]
校舎面積1,831.79 m2[2]
所在地029-0802
岩手県一関市千厩町小梨字時ノ沢109-3
外部リンク公式サイト - 一関市HP内
WARPアーカイブ)
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ウィキプロジェクト 学校
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かつては千厩町立小梨中学校が隣接していた[3]

概要

学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により2018年をもって閉校した小学校である[4]。校名に「小梨」を冠していたのは、この地区一帯を指す地名から由来している。なお、校名は勅令や設置自治体の変遷などによって9回変更している。

1889年に小梨字時ノ沢へ移転するまでは、北小梨地区の各地を転々としていた。現在地への移転後は進学先の中学校である「小梨中学校」を長らく併設し、体育館やプールといった各施設は共同で利用していた。また、閉校するまで使用していた校舎が落成するまでは同じ校舎に構えていた。

旧校舎時代の空中写真(1977年9月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

校歌は、1987年に制定されたものと1959年に制定されたものがある[5][6]。1959年制定の校歌は菅原憲が作詞し、小山誠之が作曲した[6]。1987年制定の新校歌は以前の校歌を小山嘉明が改訂したもので、歌詞には学校林の「五訓之森」や小梨地区に聳える山「黄金山・観音山」などが盛り込まれている[7]。制作に携わった3人はいずれも小梨村の出身であり、後述する小梨中学校や南小梨小学校の校歌も手掛けている[5][6]

当校は、記録が残る1967年3月に受賞した「学校安全優良校」から閉校に至るまで何度ものコンクールや大会で受賞を果たしている。1983年2月には、「県緑化コンクール」の特選ならびに「全国環境緑化コンクール」の入選を果たし、小梨保育園と当校舎の間に受賞記念碑が建てられた。付近には2000年3月に閉校した小梨中学校の閉校記念碑及び校歌が記された石碑が所在していた[8]

児童数は、統計が残る中では1939年度の375人[9]が最多である。のちに高等科中学校へ改組されたことで200人強まで減少したものの、1958年度に294人[10]を記録している。その後1965年度を境に減少に転じ、1978年度からは100人前後を推移していた。1987年に南小梨小学校と統合して以降は少子化過疎化によって減少し続け、2005年度には100人を割った。その後も減少は止まらず、2016年度には40人を記録した[11]。児童の減少を受けて2012年度からは複式学級が発生し、閉校時まで解消することはなかった[12][注 1]

閉校後、校地には後述する特別養護老人ホームが立地している[13]

地区との関わり

五訓之森

校庭の南に聳える学校林「五訓之森」は、校訓である「誠実・勤勉・自治・共同・進取」を後世に継承することを目的として1963年に設置された。整備にあたっては学区民総出で行った[14]。地元の自治会やPTAで形成された五訓之森美化委員会によって、樹木の剪定や植樹、四阿(あずまや)などの維持管理を担っている。設置以降は児童らの遊びの場・憩いの場として親しまれていた[15]

校舎側から五訓之森を望む。斜面に名称が樹木で描かれている。(閉校前)

郷土芸能

北小梨地区で長らく継承されている郷土芸能「小梨打ちばやし」の伝承活動に取り組んでいた。小梨芸能保存会から指導を受け、運動会や各種催事で披露していた[8][16]

沿革

1873年5月、小梨字大登112番地[17]にあった「明進学校」が「北小梨小学校」に改名したのが起源である[14][7]。開校当初、分校南小梨分校(南小梨村、現:千厩みなみ交流センター)、釘子分校(釘子村、現:国際医療福祉専門学校一関校)、熊田倉分校(熊田倉村)、清水馬場分校(清水馬場村)の4校で構成されていたが、後に熊田倉と清水馬場の2分校は廃止、南小梨分教場と釘子分校と清田分教場は独立し分校(分教場)は消滅した[18][19]。開校時から1899年1月に現在地である小梨字時ノ沢に至るまで3回ほど移転しており、学校名は国民学校令や市町村の合併などに伴い8回ほど変更された。現在地に移転して使用された初代校舎は木造平屋建て(別棟は2階建て)となっており、1935年12月、1950年、1957年9月にそれぞれ教室や講堂を増築した[14]

1979年、2代目の校舎として鉄筋コンクリート造の2階建て(一部4階建て)が落成し、それまで校舎西半分に小梨中学校を併設していたが、独立校舎となった。閉校時まで幾多の増改築を経て約40年間使用された[14]。1987年3月に元分校の南小梨小学校と本校が統合するのに伴い一旦閉校し、4月から新制小梨小学校として開校した[14]。以後、南小梨小学校の学区内の児童はスクールバスを利用して登下校をする形となった[14]。南小梨小学校は後に大規模改修を施し、一関市営の宿泊交流施設「みなみ交流センター」として開館した[20]

2018年4月を以って千厩地域の全ての小学校(千厩・奥玉・清田・磐清水)と共に、新制の一関市立千厩小学校へ統合された[8][21]。145年の歴史に幕を閉じ、延べ5,700人ほどの児童を送り出した[4]。閉校後、同年7月には体育館にて熱気球イベントを[22]、2020年6月には解体される校舎を一般開放してお別れ会を開催した[23]

2021年には校舎や体育館、プールをはじめとした施設一帯が解体され[2]、跡地には社会福祉法人千厩寿慶会の「特別養護老人ホーム五訓の森」の建設が2022年夏から始まった。建設に伴い、記念碑や石碑は訓庭園へ移設された[24]。施設は2023年4月に開所した[13]

特別養護老人ホーム五訓之森の裏手の外観(2023年8月)

年表

旧・小梨小学校

  • 1873年明治6年)
    • 5月10日 - 学制発布に伴い、小梨学校[注 2]として北小梨村大登(現:小梨字大登)に開校[27][17]
    • 5月 - 南小梨村の御嶽神社そば(現:小梨字西ノ前)に南小梨分校を開設[27]。釘子村に釘子分校を開設[25]
    • 熊田倉村の熊野神社(現:清田字内野97番地)に熊田倉分校を開設[27]
    • 清水馬場村の小野寺家(現:清田字川前)に清水馬場分校を開設[28]
  • 1875年(明治8年)以前 - 熊田倉分校を廃止[29][26]
  • 1877年(明治10年)頃 - 「大登学校」に改称[28]
  • 1877年(明治10年)
    • 7-8月頃 - 小梨字舘前81番地の洞雲寺に移転[28]
    • 小梨字猫沢の西城家に移転[28]
  • 1878年(明治11年)以前 - 清水馬場分校を廃止[29][26]
  • 1880年(明治13年)4月 - 南小梨分校が「南小梨小学校」として独立[30]
  • 1884年(明治17年)11月2日 - 小梨字大浜の佐藤家に移転[30]
  • 1886年(明治19年)12月 - 第一次小学校令施行に伴い、「大登尋常小学校」に改称[25]
  • 1892年(明治25年)5月 - 「北小梨尋常小学校」に改称[25]
  • 1893年(明治26年)7月 - 校舎を増築[25]
  • 1899年(明治32年)1月 - 小梨字時ノ沢109番地の2に校舎を落成し、移転[31]
  • 1901年(明治34年)4月 - 高等科を開設し、「小梨村立北小梨尋常高等小学校」に改称[32]
  • 1904年(明治37年)4月 - 「小梨村立小梨尋常高等小学校」に改称[25]
  • 1906年(明治39年)4月1日 - 小梨農業補修学校を併設[33]
  • 1907年(明治40年)校訓「五訓」を制定[34]
  • 1908年(明治41年)4月 - 南小梨尋常小学校と清田尋常小学校を統合し、「南小梨分教場」「清田分教場」に移行[35]
  • 1924年大正13年)10月 - 石柱の校門を設置[25]
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 青年訓練所令施行に伴い、小梨村青年訓練所を併設[33]
  • 1929年昭和4年)4月1日 - 南小梨分教場と清田分教場がそれぞれ「南小梨尋常小学校」「清田尋常小学校」として独立[36][37]
  • 1935年(昭和10年)
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行に伴い、「小梨村立小梨国民学校」に改称[25]
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月 - 小梨青年学校を廃止[25]
    • 4月 - 学校教育法施行に伴い、「小梨村立小梨小学校」に改称[41]
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 父母と先生の会(現:PTA)を結成[42]
  • 1950年(昭和25年)12月 - 講堂を落成[43]
  • 1953年(昭和28年)4月 - 図書館を設置[43]
  • 1955年(昭和30年)4月 - 学校林を設置[41]
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併に伴い、「千厩町立小梨小学校」に改称[41]
  • 1957年(昭和32年)
    • 9月 - 校舎を増改築[41]
    • 学校図書館が県より表彰[44]
  • 1959年(昭和34年)11月 - 校歌を制定(作詞:菅原憲、作曲:小山誠之、校訂:尾澤喜雄[6]
  • 1960年(昭和35年) - 牛乳給食を開始[41]
  • 1962年(昭和37年)10月 - みそ汁給食を開始[44]
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月 - 学校林「五訓之森」を設置[41]
    • ミルク給食を開始[44]
  • 1965年(昭和40年)6月 - 校旗を制定[41]
  • 1969年(昭和44年)9月 - 学校園「訓庭園」を設置[41]
  • 1970年(昭和45年)7月 - PTAが簡易水泳場を整備[44]
  • 1973年(昭和48年)7月28日 - 小梨中学校との共同プールを落成[41]
  • 1975年(昭和50年)5月1日 - 千厩町学校給食センターの落成に伴い、完全給食を開始[3][45]
  • 1979年(昭和54年)
  • 1980年(昭和55年)11月 - 遊具と国旗掲揚塔を設置[41]
  • 1981年(昭和56年)4月 - 県より「学校保健安全優良校」を受賞[47]
  • 1983年(昭和58年)2月 - 岩手県学校環境緑化コンクールにて特選を受賞。全日本学校環境緑化コンクールにて入選[47]
  • 1986年(昭和61年)1月 - 県歯科医師会より「よい歯の学校」を受賞[47]
  • 1987年(昭和62年)
    • 1月 - 県より「学校環境衛生優良校」を受賞[47]
    • 3月31日 - 南小梨小学校との新設統合に伴い、閉校[47][4]

新・小梨小学校

  • 1987年(昭和62年)
    • 4月1日 - 新制の小梨小学校として開校。南小梨地区を対象にスクールバスを運行開始[47][4]。新校歌を制定(作詞:小山嘉明、作曲:小山誠之)[5][44]
    • 10月 - 小さな親切の実行賞を受賞[47]。JRC(青少年赤十字)に登録[44]
  • 1988年(昭和63年)11月 - 県歯科医師会より「よい歯の学校」を受賞[47]
  • 1993年平成5年)4月 - 岩手県と千厩町より福祉教育協力校に指定[47]
  • 1996年(平成8年)10月 - 東磐井郡安全協議会より「交通安全優良校」を受賞[47]
  • 1999年(平成11年)4月 - 県より環境教育推進校に指定[47]
  • 2000年(平成12年)3月31日 - 隣接する小梨中学校が閉校[48]
  • 2003年(平成15年)11月 - 一茶祭りの「全国青少年教化協議会賞」を受賞[11]
  • 2004年(平成16年)
    • 8月 - 読書活動が岩手県PTA連合会団体から表彰[11]
    • 12月 - 東磐井地区教育事務協議会より読書活動フロンティアスクールに指定[11]
  • 2005年(平成17年)9月20日 - 市町村合併に伴い、「一関市立小梨小学校」に改称[11]
  • 2006年(平成18年)10月 - 岩手県読書活動フロンティアスクールに指定[11]
  • 2008年(平成20年)4月 - 読書活動優秀実践校として「文部科学大臣賞」を受賞[11][49]
  • 2009年(平成21年)4月 - 小さな親切の実行賞を受賞[11]
  • 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により各所が被災[50]
  • 2012年(平成24年)
  • 2016年(平成28年)
    • 1月 - 県歯科医師会より「岩手県学校歯科保健優良賞」を受賞[11]
    • 4月1日 - 特別支援学級(情緒障がい児、学級名:そらいろ学級)を開設[11]
    • 12月 - 県歯科医師会より「岩手県学校歯科保健優良賞」を受賞[11]
  • 2017年(平成29年)
    • 5月 - 全日本学校関係緑化コンクール学校林等活動の部に入選[11][51]
    • 12月 - 県歯科医師会より「岩手県学校歯科保健優良賞」を受賞[11]
  • 2018年(平成30年)
    • 3月18日 - 閉校式・閉校記念碑の除幕式・思い出を語る会を開催[4][52]。記念碑を訓庭園に設置[53]
    • 3月31日 - 新制の一関市立千厩小学校への統合に伴い、閉校[21]
閉校記念碑(2022年8月)

閉校後

  • 2020年令和2年)6月28日 - 校舎を一般開放し、旧小梨小学校お別れ会を開催[23]
  • 2021年(令和3年) - 校舎・体育館・プールなどを解体[2]
  • 2022年(令和4年)6月 - 五訓之森頂上の四阿(あずまや)を建て替え[54]
  • 2023年(令和5年)4月 - 跡地に「特別養護老人ホーム五訓の森」が開所[13]

学校目標

教育目標

心身ともに たくましく 人間性豊かな子どもの育成
  • - よく考え 進んで学ぶ子(自治・進取)
  • - 思いやり 助け合う子(協同・誠実)
  • - 明るく たくましい子(勤勉)

特色ある教育活動

  • 校風づくりを考慮した教育活動

一人一チャンピオンの取組み、縦割り班を活用した異学年交流の推進、ことばの力の育成(俳句作りや言語環境の整備)、読書活動の推進

  • 学力向上に向けて

「話す・聞く」の言語環境の充実を目指した授業展開、授業と連動した家庭学習の充実、年4回のスタディ―ウィーク(家庭学習強化週間)の取組み

  • PTA・地域との連携を密にした開かれた学校づくり

フリー参観の実施、ふるさと交流会での祖父母交流、伝統芸能「うちばやし」の伝承

出典[7][55]

学校活動

主な学校行事を掲載[55]

1学期

  • 4月 - 新任式、始業式、入学式、一年生を迎える会、交通安全教室、家庭訪問
  • 5月 - 運動会
  • 6月 - 修学旅行(6年生)
  • 7月 - 終業式(夏休み)

2学期

  • 8月 - 始業式
  • 9月 - 一関地方陸上競技大会、宿泊学習(5年生)
  • 10月 - 学習発表会
  • 11月 - 校内マラソン大会
  • 12月 - 終業式(冬休み)

3学期

  • 1月 - 始業式、スケート教室
  • 2月 - なし
  • 3月 - 6年生を送る会、修了式、卒業式(春休み)、離任式

施設概要

主な施設を掲載。

  • 校舎(1,831.79 m2) - 鉄筋コンクリート造2階建て[2]
  • 体育館(706.02 m2) - 鉄骨一部鉄筋コンクリート造平屋建て[2]
  • プール(728 m2) - 鉄筋コンクリート造[2]
  • 校庭(7,844 m2[1]
  • 五訓之森(学校林)
  • 訓庭園(学校園)

体育館・プール・五訓之森などは小梨中学校と共用していた。

校門(2016年4月)

児童・学級数

1874年度以降の児童数と学級数の推移。1874年度から1877年度、1936年度から1939年度、1962年度以降は毎年度掲載。

年度児童数増減学級数増減出典備考
旧・小梨小学校(1873年 - 1987年)
1874(明治7)年度244不明[56]3分校分含む
1875(明治8)年度72[57]
1876(明治9)年度71-1[17]
1877(明治10)年度7873[58]
1881(明治14)年度50-28不明[59]
1897(明治30)年度12373[31]
1901(明治34)年度119-4[60]高等科併設
1910(明治43)年度不明6(2)3[61]
1918(大正7)年度6(2)0[62]
1922(大正11)年度6(2)0[63]
1926(大正15)年度93[64]高等科分含む
1931(昭和6)年度287(74)1686(2)-3[65]
1933(昭和8)年度321(109)346(2)0[66]
1934(昭和9)年度327(107)67(2)1[67]
1936(昭和11)年度342(112)158(2)1[68]
1937(昭和12)年度348(115)68(2)0[69]
1938(昭和13)年度371(127)238(2)0[70]
1939(昭和14)年度375(131)48(2)0[9]
1947(昭和22)年度247-1286-2[42]6・3制施行
1949(昭和24)年度233-1460[71]
1951(昭和26)年度231-2不明[72]
1955(昭和30)年度2734260[72][73]
1956(昭和31)年度28815不明[74]
1958(昭和33)年度294682[10]
1960(昭和35)年度280-14不明[72]
1962(昭和37)年度226-546-2[75]
1963(昭和38)年度226060[76]
1964(昭和39)年度216-1060[77]
1965(昭和40)年度2291360[72][78]
1966(昭和41)年度225-460[79]
1967(昭和42)年度213-1260[80]
1968(昭和43)年度208-560[81]
1969(昭和44)年度194-1460[82]
1970(昭和45)年度185-960[83]
1971(昭和46)年度157-2860[84]
1972(昭和47)年度145-12不明[85]
1973(昭和48)年度139-660[86]
1974(昭和49)年度128-1660[87]
1975(昭和50)年度127-160[88]
1976(昭和51)年度117-1060[89]
1977(昭和52)年度113-460[90]
1978(昭和53)年度99-1460[91]
1979(昭和54)年度96-360[92]
1980(昭和55)年度96060[93]
1981(昭和56)年度89-760[94]
1982(昭和57)年度92360[95]
1983(昭和58)年度89-360[96]
1984(昭和59)年度98960[97]
1985(昭和60)年度100260[98]
1986(昭和61)年度1022不明[72]
新・小梨小学校(1987年 - 2018年)
1987(昭和62)年度1514960[11]新制小梨小開校
1988(昭和63)年度153260
1989(平成元)年度158560
1990(平成2)年度151-760
1991(平成3)年度152160
1992(平成4)年度139-1360
1993(平成5)年度133-660
1994(平成6)年度133060
1995(平成7)年度125-860
1996(平成8)年度126160
1997(平成9)年度120-660
1998(平成10)年度1311160
1999(平成11)年度129-260中学校閉校
2000(平成12)年度123-660[99]
2001(平成13)年度127460[100]
2002(平成14)年度123-460[101]
2003(平成15)年度104-1960[102]
2004(平成16)年度103-160[103]
2005(平成17)年度97-660[104]
2006(平成18)年度92-560[105]
2007(平成19)年度92060[106]
2008(平成20)年度85-760[107]
2009(平成21)年度81-460[108]
2010(平成22)年度70-1160[109]
2011(平成23)年度58-1260[110]
2012(平成24)年度58(2)06(1)0[12]複式・特別支援学級設置
2013(平成25)年度54(3)-46(1)0
2014(平成26)年度50(3)-46(1)0
2015(平成27)年度48(4)-25(1)-1
2016(平成28)年度40(5)-85(2)0
2017(平成29)年度44(5)46(2)1閉校
※児童数・学級数内の括弧は、
1939年度以前は高等科分(内数)、2012年度以降は特別支援児童・学級数(内数)。

学区

  • 一関市千厩町
    • 小梨

出典[111]

進学先の中学校

アクセス

一関市立小梨保育園のそばに位置していた。

鉄道

デマンドタクシー

  • 「堂ケ崎」バス停(西宗タクシー・北小梨線)から徒歩で約3分

2022年4月1日より路線廃止に伴い、一関市営バスからデマンド型タクシーへ転換された[112]

自動車

  • 国道284号(千厩バイパス)前田交差点から市道経由で約6分

周辺

  • 一関市立小梨保育園
  • 一関市国民健康保険千厩歯科診療所
  • 一関市 小梨市民センター
  • 千厩警察署小梨駐在所

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 一関市立小梨小学校閉校記念事業実行委員会 編『一関市立小梨小学校閉校記念誌 五訓』一関市立小梨小学校閉校記念事業実行委員会、2018年3月26日。 
  • 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第4巻 近代編』千厩町、2000年7月31日。 
  • 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第5巻 現代編』千厩町、2005年9月12日。 

関連項目

外部リンク

公式サイト