井上 就貞(いのうえ なりさだ)は、江戸時代前期の毛利家の家臣・長州藩士。父は井上就勝。知行は200石。
寛永14年(1637年)、長州藩士・井上就勝の子として生まれ、毛利秀就と綱広の2代に仕える。
正保4年(1647年)に秀就から「八兵衛尉」の官途名と「就」の偏諱を与えられ、諱を就貞とした。
寛文8年(1668年)9月22日に死去した。享年32。子の道経が跡を継いだ。