小岩盛親

小岩 盛親(こいわ もりちか)は、戦国時代武将信濃国安曇郡小岩嶽城主。

 
小岩盛親
時代戦国時代
生誕明応6年(1497年
死没天文21年7月12日1552年8月12日
改名仁科盛兼→古厩盛兼→小岩盛親
別名小岩嶽図書(ずしょ)
主君小笠原氏
氏族仁科氏→小岩氏
父母父:仁科盛国
兄弟仁科盛能青柳清長盛親飯森盛春渋田見盛家
盛康
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略歴

小岩氏は信濃安曇郡の国人である仁科氏の支族。

大永2年(1522年)、小岩嶽城主に任じられる。天文年間の武田晴信の信濃侵攻に際し、分家含め仁科氏全体で抵抗したが各個撃破された。盛親も天文20年(1551年)武田軍の攻撃を受け、支城の宿城が落城。

翌天文21年(1552年)、500名で守る小岩嶽城に5倍の大軍で攻められ、末子・盛康共々自害した。