日野自動車

日本の東京都日野市にある商用車メーカー

日野自動車株式会社(ひのじどうしゃ、: HINO MOTORS, LTD.[1])は、東京都日野市に本社を置く、主にトラックバスといった商用車製造するメーカーである。通称日野」、略称「日野自」、ローマ字表記は「HINO」。トヨタ自動車連結子会社トヨタグループ16社のうちの一つ。日本のトラック・バス製造業界の大手。日経平均株価及びJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。

日野自動車株式会社
HINO MOTORS, LTD.
本社・日野工場
種類株式会社
市場情報
東証プライム 7205
1949年5月16日上場
名証プレミア 7205
1954年5月15日上場
略称日野、HINO
本社所在地日本の旗 日本
191-8660
東京都日野市日野台三丁目1番地1
設立1942年昭和17年)5月1日
(日野重工業株式会社)
(創業:1910年(明治43年))
業種輸送用機器
法人番号8013401000626 ウィキデータを編集
事業内容トラック・バスの製造販売
トヨタ自動車株式会社からの自動車受託生産
代表者代表取締役社長 小木曽聡
資本金727億1700万円(2021年3月31日時点)
発行済株式総数5億7458万850株(2021年3月31日時点)
売上高連結:1兆4597億600万円
単独:8636億4200万円
(2022年3月期)
営業利益連結:338億1000万円
単独:△30億300万円
(2022年3月期)
純利益連結:△847億3200万円
単独:△885億9900万円
(2022年3月期)
純資産連結:5160億700万円
単独:3099億6800万円
(2022年3月31日現在)
総資産連結:1兆2583億5000万円
単独:7808億5080万円
(2022年3月31日現在)
従業員数連結:3万4405人
単独:1万2691人
(2022年3月31日時点)
決算期3月31日
主要株主トヨタ自動車(株):50.1%
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口):6.7%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口):4.3%
(2021年3月31日現在)
主要子会社(株)トランテックス:100%
(株)武部鉄工所:51.7%
(株)ソーシン:96.2%
日野セールスサポート(株):80%
大阪日野自動車(株):100%
MONET Technologies:10%
関係する人物大久保正二(元社長)
蛇川忠暉(元社長)
湯浅浩(元社長)
白井芳夫(元社長)
楠兼敬(元会長)
大西利美(元会長)
市川正和(元会長)
岡本一雄(元会長)
加藤光久(元取締役)
寺師茂樹(取締役)
木部信彦(元整備士)
大西朗(大西利美の長男)
外部リンクwww.hino-global.com ウィキデータを編集
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2024年令和6年)末に予定されている三菱ふそうトラック・バスとの経営統合をもって、トヨタ自動車の子会社ではなくなる[2]

概要

日野・プロフィア ダンプトラック
左はブルーリボンシティ、右は2代目ポンチョ

主にトラックバスなどの商用車の生産を手がけ、トヨタブランドのライトバン[注釈 1]ダイハツ工業に集約)や小型乗用車[3]、小型・普通ピックアップトラックスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)などの受託生産も行っている。親会社のトヨタが陸上自衛隊へ納入する73式中型トラックやトヨタ向け普通トラック用ディーゼルエンジンの生産、あるいは軍用ハイブリッドシステムも共同開発している。

2004年平成16年)3月期に、連結決算で売上高が1兆円を超えた。2019年(平成31/令和元年)も1兆9,813億円で過去最高益を更新している。日本国内の大型・中型トラックで2021年(令和3年)現在、48年連続で販売台数が1位、大型トラック顧客満足度調査で11年連続で1位、小型トラックも6年連続で1位である。

2007年(平成19年)に海外向け販売台数が国内向けを上回り、現在は総販売台数の7割以上を海外向けが占めている。世界93カ国で販売しており、台湾タイインドネシアマレーシアパキスタンペルーなどではシェアが首位である。2013年(平成25年)に世界で初めてハイブリッドトラック・バスのグローバルでの累計販売台数が1万台を超えた。全世界の大型トラック製造メーカーの中でも毎年生産台数トップ10にランクしている。

1966年昭和41年)にトヨタ自動車の傘下に入り、2001年(平成13年)にトヨタが株式の過半数を取得して子会社化した。合理化のためにバス部門はいすゞ自動車と経営統合して2004年(平成16年)10月に日野自動車・いすゞ自動車共同出資の新会社(ジェイ・バス)に移行し、日野は観光バス、いすゞは路線バスを開発して相互供給する形となり、いすゞと共通の車両がジェイ・バスから日野へ供給されている。

いすゞは日野の母体になった会社で、2006年(平成18年)から2018年(平成30年)までトヨタ自動車との資本提携関係にあったため、日野との関係も深い。ジェイ・バスの立ち上げに伴い、西日本車体工業(西工)へのシャシ供給を取りやめている。2006年(平成18年)から一部の路線車に限り、西工へのシャシ供給が再開したが、それも2010年(平成22年)の西工の解散と共に終了した。また、2018年(平成30年)4月にはバス・トラック分野でドイツフォルクスワーゲンと包括提携することが発表されている[4]

2022年(令和4年)3月に発覚した日本国内向けエンジン不正問題により、同年3月期は約847億円の赤字となった他[5]、同年3月以降、日本国内向けの製品は出荷停止となった製品が相次いでおり、2024年(令和6年)1月現在で日本国内で発売されている車種は3車種のみとなっている(後述)。

東京都八王子市の日野自動車21世紀センター内にトラック主体の企業博物館である日野オートプラザが設けられている。

沿革

東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電:がすでん)が今日の日野自動車の母体とされている。

東京瓦斯電気工業はその名の通り、明治時代末期から大正時代にかけて、普及期にあったガス・電気器具を生産した。第一次世界大戦時には海外から薬莢の大量受注などにより業績を伸ばし、航空機用国産エンジン「神風」なども生産している。「TGE」(Tokyo Gas Electric Engineering Co. の頭字語)のブランドで、日本でも初期の自動車量産に取り組んだ。

1930年代、大型車両生産を強化する国策により、東京瓦斯電気工業株式会社の自動車部と自動車工業株式会社、および共同国産自動車株式会社とが合併し、ヂーゼル自動車工業(現・いすゞ自動車、設立当初は東京自動車工業株式会社)を設立した。その後、戦時体制下の国策により、総合車両メーカーのヂーゼル自動車工業から特殊車両製造部門の日野製造所が分離独立されて、日野自動車の元となる日野重工業が設立され、九七式中戦車などの軍需車両の製造を行わせた。

企業系譜としてはいすゞ自動車の分派ではあるが、日野製造所が星子勇ら瓦斯電系出身の技術者を主軸とした製造拠点であったことから、日野自動車では自社のルーツを瓦斯電に求めている。そのほか、瓦斯電を母体とした会社にはトキコ小松ゼノアなどがある。

終戦後の1946年(昭和21年)には民需転換により日野産業に改称。ディーゼルエンジン技術を生かして当時としては異例の超大型トレーラートラック・バスを開発、次いで1950年(昭和25年)以降は通常シャシ(単車)の大型ディーゼルトラック・バスの生産も開始して、母体企業のいすゞと競合する大型車両業界の有力メーカーとなった。

1953年(昭和28年)には、フランスルノーの技術供与を受け、小型乗用車ルノー・4CVノックダウン生産を行い、後に完全国産化を果たした。その後自社開発のリアエンジンRR駆動)小型乗用車コンテッサ」、ピックアップトラックブリスカ」、前輪駆動で4輪独立懸架ワンボックスカーコンマース」など、先進的な自動車を開発・生産していたが、1966年(昭和41年)のトヨタ自動車との提携以後は、再びトラック・バスの開発・生産に特化して現在に至る。

年表

TGE-A
日野ルノー4CV

歴代社長

氏名就任日退任日備考
日野重工業
1松井命1942年5月1日1945年11月
日野産業
2大久保正二1946年1948年
日野ヂーゼル工業
3大久保正二1948年1959年
日野自動車工業
4大久保正二1959年1961年
5松方正信1961年5月4日
6荒川政司1974年5月30日
7深澤俊勇1983年6月[22]
8二見富雄1987年6月[23]1997年
9湯浅浩1997年6月1999年社名改称
日野自動車
9湯浅浩1999年2001年トヨタの子会社化に伴い退任
10蛇川忠暉2001年2004年トヨタ出身
11近藤詔治2004年6月2008年6月トヨタ出身
12白井芳夫2008年6月2013年6月トヨタ出身
13市橋保彦2013年6月2017年トヨタ出身
14下義生2017年2021年6月プロパーだが、2016年度にトヨタで常務役員
15小木曽聡2021年6月現職トヨタ出身

生産拠点

海外拠点

  • 海外拠点26カ所(北米3、中南米6、ヨーロッパ2、中東2、オセアニア1、アジア12)

古河工場

古河工場(2018年12月撮影)

2010年12月22日、茨城県開発公社より茨城県古河市名崎4112番1外の古河名崎工業団地(旧NTT名崎無線送信所跡地、古河市立名崎小学校南側)を約59億円で取得した(2009年1月に予約していた)。2012年から新工場を建設している。2011年の移転発表当時には、海外輸出のKD工場を2012年まで移管するとした[24]。最終的には2025年までに日野工場の全ての機能を古河新工場に移管する予定[20]

車種一覧

現行の車種・製品

トラック

バス

バスについては、トヨタ自動車いすゞ自動車からのOEM車種もあるが、ジェイ・バスから日野自動車・いすゞ自動車の両社に同一製品が供給される統合車種に移行が進んでいる。

日野自動車で開発
トヨタ自動車から供給されている車種
いすゞ自動車から供給されている車種

その他

産業用ディーゼルエンジン

クレーン杭打ち機フォークリフトロードローラープレジャーボート小型船舶エンジン、コンプレッサー発電機用として国内外各社にエンジンを供給している。

型式内径×行程(mm)排気量出力(PS)
W04C-T104×1133,83950 - 81
W04D104×1184,00935 - 63
W04D-T104×1184,00950 - 85
W04D-TI104×1184,00969 - 118
型式内径×行程(mm)排気量出力(PS)
J08C114×1187,96174 - 129
J08C-T114×1187,961119 - 173
J08C-TI114×1187,961118 - 177
  • K系 - 直列6気筒エンジン
型式内径×行程(mm)排気量出力(PS)
K13C-T135×15012,882189 - 239
K13C-TI135×15012,882231 - 278
K13D137×15013,267127 - 177
K13D-T137×15013,267160 - 199

世界各国向け製品

北米向けについては、北米工場におけるエンジン認証の遅れにより、2021年10月から600シリーズはカミンズ製エンジンを搭載して販売を再開する他、小型トラックに関してもいすゞ自動車からのOEM供給が決定している[25][26]

  • 700シリーズ - 基本的にはプロフィアであるが、地域特性に合わせ、日本では見られないものもある。
  • 600シリーズ - 北米に特化してアメリカで生産されているボンネットトラック。
  • 500シリーズ - 基本的にはレンジャーであるが、地域特性に合わせ、日本では見られないものもある。
  • 300シリーズ - デュトロ。
いすゞ自動車から供給されている車種
海外バスシャーシ(台灣)

出荷停止中の車種・製品

2022年3月に発覚した日野自動車エンジン不正問題により一時、日野自動車開発の車両が全て生産停止になったが、2022年9月には日野セレガ・いすゞガーラを除き生産再開。(プロフィア・セレガ・ガーラもA09C搭載車のみ2023年7月に再開済み)[27]

トラック

  • 大型プロフィア(海外名:700シリーズ) (E13Cエンジン搭載車のみ生産停止中)

バス

豊田自動織機による認証不正問題

2024年1月29日、豊田自動織機のエンジンの排ガス認証試験の不正発覚により、デュトロ(HINO 200、HINO 300 Series、トヨタ・ダイナ)向けのエンジンである1GD型の出荷停止により、同羽村工場の稼働が停止した。また、これ以外にも「N04C/HC-SCR」を搭載する車両の製造も停止した[28]

過去の生産車種・製品

トラック

  • トレーラートラックT10型・T20型
  • 大型トラックTH型(4X2)
  • 大型トラックTE型(4X2)
  • 大型トラックWD型(前1軸・後1軸 4X4)
  • 大型トラックZC型(前1軸・後2軸 6X6)
  • 大型トラックTC型(前2軸・後1軸 6X2)
  • 大型トラックZM型(前1軸・後2軸 6X4)
  • 大型トラックKF型(前1軸・後2軸 6X2)
  • 大型トラックKS型(前2軸・後2軸 8X4)
  • 大型トラックKB型(4X2)
  • 大型トラクタHE型(4X2)
  • 大型トラクタHH型(前1軸・後2軸 6X4)
  • 構内専用ダンプWP型(前1軸・後2軸 6X4)
  • 重ダンプZG型(前1軸・後1軸 4X2)
  • レンジャー2
  • スーパードルフィン
  • スーパードルフィン プロフィア
  • 輸出仕様車では1995年まで「エコノディーゼル(ECONO DIESEL)」シリーズとして販売していた。

バス

廃止された型式および車名を示す。

乗用車

商用車

オート三輪

オート三輪三井精機工業製で1960年代初頭まで日野で販売された。

  • オリエント
  • ハンビー
  • ハスラー

産業用ディーゼルエンジン

  • P系 - P09-TD・P09C-TD
  • EP系 - EP100-T

その他

販売会社

  • 北海道日野自動車(札幌・札幌北・旭川・室蘭・苫小牧・千歳・空知・小樽・岩見沢)
  • 函館日野自動車(函館)- 函館トヨペットグループ
  • 東北海道日野自動車(釧路・帯広・北見・網走・中標津・紋別)
  • 青森日野自動車(青森・八戸・弘前・十和田・むつ)
  • 岩手日野自動車(盛岡・花北・水沢・一関・宮古・大船渡)
  • 宮城日野自動車(仙台・石巻・古川・大河原)
  • 西東北日野自動車(秋田・山形・庄内・横手・大館・能代・米沢・新庄)
  • 福島日野自動車(福島・いわき・郡山・会津・相双・白河)
  • 茨城日野自動車(土浦・つくば・茨城・ひたちなか・守谷・古河・岩瀬・鹿島)- 茨城トヨタグループ
  • 栃木日野自動車(宇都宮・那須・足利・小山・真岡)
  • 群馬日野自動車(前橋・高崎・太田・上武・吉岡)
  • 南関東日野自動車(大宮・熊谷・川越・足立・八王子・江戸川・瑞穂・六郷・板橋・新狭山・朝霞・松伏・川口・千葉・習志野・成田・柏・市原・木更津・長沼・銚子・横浜・川崎・湘南・相模原・瀬谷・厚木・港北)
  • 山梨日野自動車(甲府・田富・笛吹)
  • 新潟日野自動車(新潟・新発田・長岡・上越・糸魚川・六日町)- 新潟トヨタグループ
  • 富山日野自動車(富山・高岡・入善・砺波)
  • 石川日野自動車(金沢・七尾・小松)
  • 長野日野自動車(長野・松本・小諸・飯田)
  • 福井日野自動車(福井・敦賀)
  • 岐阜日野自動車(岐阜・各務原・本巣・大垣・多治見・美濃加茂・高山) - セイノーホールディングスグループで、以前は株式上場(名証二部)していた。
  • 静岡日野自動車(静岡・沼津・富士・藤枝・袋井・浜松・清水・御殿場)
  • 愛知日野自動車(名古屋・港・半田・豊橋・岡崎・豊田・小牧・一宮)
  • 三重日野自動車(四日市・津・伊勢・上野・尾鷲・桑名)
  • 滋賀日野自動車(栗東・彦根・長浜)- セイノーホールディングスグループ
  • 京都日野自動車(京都・舞鶴)
  • 大阪日野自動車(中央・北摂・東大阪・南大阪・住之江・臨海)
  • 神戸日野自動車(神戸・姫路・尼崎・明石・小野・淡路・但馬)
  • 奈良日野自動車(奈良)
  • 和歌山日野自動車(和歌山・田辺・新宮)
  • 島根日野自動車(松江・米子・鳥取・出雲・石見・益田)
  • 岡山日野自動車(岡山・岡山西・岡山東・倉敷・津山)
  • 広島日野自動車(坂・西条・福山西・福山東・呉・三次・西風新都・廿日市・本郷)
  • 山口日野自動車(山口・下関・岩国・宇部・周南・萩出)
  • 徳島日野自動車(徳島)
  • 香川日野自動車(高松・丸亀)
  • 愛媛日野自動車(松山) - 伊予鉄グループ
  • 高知日野自動車(高知・中村)
  • 九州日野自動車(福岡・古賀・糸島・北九州・久留米・筑豊・佐賀・長崎・佐世保・大分・中津)
  • 熊本日野自動車(熊本・大津・八代)
  • 南九州日野自動車(宮崎・鹿児島・鹿児島南・川内・鹿屋・都城・日向)- 鹿児島トヨタグループ
  • 沖縄日野自動車(豊見城・中部・北部)

子会社・関連会社

子会社

関連会社

モータースポーツ

ダカール・ラリー用マシン(2018年)
2019年から投入されているボンネット型
ノーズにHINOのロゴが入ったチーム・ペンスキーのマシン(2008年)

1960年代の乗用車を開発していた頃は、「日野プロト」「日野GTP」などと呼ばれるクローズドタイプのプロトタイプレーシングカーを開発して日本グランプリに参戦していた。1967年にはシェルビー・デイトナをデザインしたピート・ブロックが日野エンジンを用いたマシンで、「ヒノ・サムライ」というチーム名に加えて三船敏郎を監督に据えて話題となったが、車両規定違反により出走が認められなかった。

また併催のフォーミュラカーレースにも、日野のエンジンを用いるチームがいた。

1990年以降日本国内の大型車メーカーでは唯一、ダカール・ラリーに「日野・レンジャー」で参戦している。チームオペレーションはダカール出場のギネス記録を保持する菅原義正とその息子菅原照仁のチームである「チームスガワラ」で、彼らは日野のワークス支援のなかった1993~1995年、1998年~2005年、2023年〜もプライベーターとして日野のトラックで参戦し続けるほど関わりが深い。1997年のダカールではトラック部門総合では史上初となる1・2・3位独占、排気量10L未満トラックとして初優勝、国産トラックとしても初優勝という歴史的な記録ずくめの勝利を収め、「リトル・モンスター」の異名を取った[29]。その後設定された排気量10リッター未満クラスにおいては、2022年大会までで12連覇・31回連続完走を達成している[30]。2019年には、専任のチーフエンジニアや車両開発の最先端にいる技術者を結集させた「新生チームダカール」を社内にも発足させ、さらなる活動の強化が執られている。また、2020年にはAT(オートマチックトランスミッション)、2022年にはレーシングハイブリッドシステム(蓄電池はキャパシタ)を採用するなど、新技術の開発にも活かしている。

2023年は10L未満クラスが消滅し、日野のエンジン認証不正の煽りもあったものの、チームスガワラの単独活動として参戦が継続されている。

なお1999~2002年のダカールでは、ラリーの最後尾を走り選手の安全を確保するスイパートラックとしてプロフィアが採用されていた[31]

2000年代にインディカー・シリーズの強豪チームであったチーム・ペンスキースポンサーシップ契約を締結していたこともある[32]

宣伝・広告

1980年代前半の「風のレンジャー」と称されたレンジャーCM桂歌丸佳那晃子ジャンボ鶴田の3人を起用した。続く1986年発売のレンジャー+5 のCMには「日野」つながりで日野皓正の曲をBGMに使用した。1989年のレンジャーフルモデルチェンジの際には、トラックのイメージ一新を狙い、ダイアン・レインを起用した。また1990年代前半にはスーパードルフィンのCMにケニー・Gの曲にイルカのCGイラストが流れるもの、1992年のモデルチェンジ時には役所広司出演のCMも流れた。1990年代後半のデュトロ発売当時はともさかりえがCMに出演していた。2004年以降はポパイが同CMに起用されており、「日野ダイナミックスコープ→日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲」の影響があってか文化放送で比較的多く(1日中)流れていた。近年はTBSラジオニッポン放送でもCMを流す。かつて放送されていたABCラジオ近鉄バファローズアワーでは試合中継の際にスポンサーとなっていた。これは大阪近鉄バファローズの親会社であった近畿日本鉄道近鉄バス)との関係が深いためである。

2010年代は「トントントントン日野の二トン」という軽快なキャッチフレーズと対照的な、堤真一リリー・フランキーの繰り広げるシュールギャグのCMが人気を集めている。

トラックだけでなく、バスのCMも流す事もあった。モデルチェンジ時に制作され、セレガ(初代)のCMはバブル期の1990年ということもあり、大々的な宣伝活動を行っていた。

テレビCMは、フジテレビの「ご存知 女ねずみ小僧」・「新・座頭市」・「大空港」・「裸の街」・「欽ちゃんの9時テレビ」・「江戸の用心棒」・「超潜入!リアルスコープハイパー」・「ボクらの時代」・「おじゃマップ」・「VS嵐」・「フジテレビ水10ドラマ」・「FNSの日」、関西テレビの「にじいろジーン」、TBSの「ドラマチック22」・「ブロードキャスター」・「さんまのSUPERからくりTV」、日本テレビ火曜8時枠時代劇24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスポンサーも務めていたが、「踊る!さんま御殿!!」の番組途中で降板するも、2011年10月にテレビ東京系列の「乃木坂って、どこ?」(テレビ愛知制作)、ミニ番組「ひるパパ」で久々にテレビ番組のスポンサーになった(提供コメントでは「日野・デュトロ」と読み上げている。沖縄での日本テレビ火曜20時枠でのCMは沖縄テレビで放送された)。また、2013年4月にTBSの「水曜プレミアシネマ」に1992年以来のスポンサーとして提供するようになった。

JFN系列土曜もしくは日曜5:00 - 13:00の時報CMにも起用されている。

書籍・雑誌ではバスラマ・インターナショナルに書籍広告を出している。バブル期には漫画ゴラクに広告を出していた。

1995年1月17日兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)発生時は近畿地方のテレビ・ラジオのCMを自粛する処理で対応し、それ以外のエリアでは通常通りCMを流していたが、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)では、未曾有の災害と東京電力福島第一原子力発電所での事故などの被害を受けて3月15日 - 4月21日まで全てのラジオCMを自粛した。4月22日にラジオCMを再開するも当面は企業CMや緊急災害時のトラック運転に対する心構え、燃料の節約に関するお願いなど「日野自動車が今、何かできること」を宣伝していた。7月1日より主力トラックのデュトロの新CMを制作、放送すると同時にイメージタレントに佐々木蔵之介柳沢慎吾新山千春を起用したテレビCMスポットとラジオCMを流している。この3人には実家が自営業であるという共通点があり、特に佐々木の実家佐々木酒造は実際にデュトロハイブリッドのユーザーでもある。また、ブランドCMとして、ダカールラリーへの挑戦「明日を止めないために」を放送している。

2022年4月から4年間、羽村市動物公園[注釈 3]ネーミングライツを取得し、『ヒノトントンZOO』の名称で営業する[33]

キャッチフレーズ

  • ディーゼル車は日野(1970年代〜1980年代)
  • 新しい時代はいつも日野から始まる(1980年〜1986年頃)
  • 夢はいつでも地球サイズ(1990年代前半、CI採用前まで使用)
  • 性能は、環境のために(1994年〜2006年頃)

日野工業高等学園

日野工業高等学園は、日野自動車株式会社が職業能力開発促進法に基づき運営する認定職業訓練による職業能力開発校で、東京都日野市にある。もとは1951年4月に、労働基準法に基づき、中学校卒業後入社した社員を対象とした3カ年教育の技能者養成所で、事業内職業訓練施設として認定される。これを1959年6月に「日野自動車工業高等学園」と改称。1962年11月から、学校教育法に基づき文部大臣の指定を受けて指定技能教育施設となり、東京都立八王子工業高等学校との連携を開始。1964年4月には、科学技術学園高等学校と連携を開始した。1970年代後半から1980年代にはしばらく休止していたが、1991年3月に「日野工業高等学園」として機械科と板金科の2科で再開、また、4月には専修コースを設置した。その後自動車整備科、電気制御回路組立科を追加した。2003年に専修コースの募集は休止したが、2022年現在は、機械加工科、塑性加工科、製造設備科、自動車製造科の4科で運営されている。

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目

外部リンク