遍照院 (倉敷市)

岡山県倉敷市西阿知町にある寺院

遍照院(へんじょういん)は岡山県倉敷市西阿知町に所在する真言宗御室派別格本山の寺院。山号は神遊山。詳しくは、神遊山 神宮寺 遍照院と号する。本尊は十一面観音

遍照院
三重塔(国の重要文化財)
所在地岡山県倉敷市西阿知町464
位置北緯34度35分32.7秒 東経133度44分8.9秒 / 北緯34.592417度 東経133.735806度 / 34.592417; 133.735806 東経133度44分8.9秒 / 北緯34.592417度 東経133.735806度 / 34.592417; 133.735806
山号神遊山
院号遍照院
宗派真言宗御室派
寺格別格本山
本尊十一面観音
創建年伝・寛和元年(985年
開基伝・智空上人、花山天皇(勅願)
正式名神遊山 神宮寺 遍照院
札所等瀬戸内三十三観音2番
浅口三十三観音26番・27番
文化財三重塔(国の重要文化財)
聖観音立像(県重要文化財)
法人番号8260005004277 ウィキデータを編集
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瀬戸内三十三観音霊場第二番札所、浅口三十三観音霊場第二十六番札所・第二十七番札所。

御詠歌:世を救う 大悲の誓 深ければ あまねく照らす 西阿知の寺

概要

寺伝によれば平安時代寛和元年(985年)智空上人が花山天皇の勅願を受け、市内にある式内社足高神社神宮寺として開山したと伝わる。寺院の西隣には熊野神社があり、神仏習合の形体を留めている。延久元年(1069年)には後三条天皇の祈願所の一つに列せられたと伝えられている。

備中国南東部の有力な寺院として31ヶ寺の末寺を有した。天正年間(1573年 - 1592年)には毛利家より寺領2,000石を与えられた。江戸時代になると、岡山藩池田家の祈願所として寺領50石を与えられた。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 三重塔
最初の建造は智空上人が開山した寛和元年(985年)と伝わる。現在の塔は応永23年(1416年)に智開僧正によって建造された。本尊は大日如来。高さ21メートル。頭貫の木鼻の形状に室町時代の特色が出ている。中備(なかぞなえ)に双斗(ふたつど)を用いるのは珍しい。昭和41年(1966年)から昭和42年(1967年)にかけて解体修理が行われた。大正14年(1925年)4月24日指定。

岡山県指定重要文化財

  • 木造聖観音立像
ヒノキの一木造りで像高は90cm聖観音立像。製作年代は平安時代後期と推定されている。左手先と左手持物の蓮華、両足の先、台座などは後世に作り直された跡が見られる。昭和34年(1959年)3月27日指定。

アクセス

前後の札所

瀬戸内三十三観音霊場
1 不洗観音寺 -- 2 遍照院 -- 3 寶島寺

参考文献

  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 86ページ
  • 『瀬戸内三十三観音所巡り』 瀬戸内三十三観音霊場会作成パンフレット
  • 現地説明板 遍照院・倉敷市教育委員会/作成

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、遍照院 (倉敷市)に関するメディアがあります。
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