金子 元孝 | |
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別名 | 金子 万久(かねこ・ばんきゅう) |
生誕 | 1925年9月14日(誕生日には諸説あり) |
出身地 | 日本 大阪府 |
死没 | 2007年7月10日(81歳) |
職業 | 音楽家、アコーディオン奏者、雑誌編集長 |
担当楽器 | クロマティック・アコーディオン |
活動期間 | 1954年 - 2007年 |
公式サイト | [] |
金子 元孝(かねこ もとたか、1925年9月14日 - 2007年7月10日)は日本のアコーディオンの演奏家、啓蒙家、教育者。世界最長の刊行継続記録[1]をもつアコーディオン専門誌・月刊『アコーディオン・ジャーナル』の編集長を長くつとめた。
クロマティック・アコーディオンのプロ奏者としては日本最初期の一人である[2]。演奏活動のかたわら、アコーディオンの教育や指導、日本のアコーディオン文化の振興にもつとめ、専門誌の編集や、「アコーディオン150年祭」(1979年)その他の企画を多数手がけた。テレビやラジオの出演歴、雑誌の取材等、多数[3]。その門下から多数のアコーディオン奏者を輩出した。自身が主催するアコーディオン教室では、クロマティック式だけでなく、日本で一般的に普及しているピアノ鍵盤式のアコーディオンも指導した。
1925年9月14日、大阪府泉南郡春木(現・岸和田市)に生まれる。
1944年、奥多摩で小学教員をしていた時に陸軍に召集され、九二式重機関銃の射手となり、中国大陸に渡る[4]。
戦後、中国から復員。会社に就職していたが、定期検診の結果、自然退職させられ、1954年からアコーディオニストの松原千加士に師事[5]、音楽を作曲家の小松平五郎 (小松耕輔の弟) から習い[6]、その後、プロのアコーディオン奏者となる[7]。
毎晩、東京・溜池にあったドイツ風ビア・レストラン「ベルマンズ・ポルカ」専属アコーディオン奏者をつとめるかたわら、昼は月刊『アコーディオン・ジャーナル』(谷口楽器)編集長や、アコーディオンの指導を行う[1]。
1984年、日本アコーディオン振興協会理事長。
1994年3月、70歳を機に、30年間つとめた「ベルマンズ・ポルカ」を自主退職し[5]、1962年12月から毎月欠かさず刊行してきた月刊『アコーディオン・ジャーナル』も通巻376号にて終刊[3](その後、季刊の無料誌として復活)。
退職後も、アコーディオンの指導や啓蒙活動に精力的に取り組み続けた。晩年は「金子万久」(かねこ・ばんきゅう)という名義を使用。
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