1918年の相撲

1918年の相撲(1918ねんのすもう)は、1918年相撲関係のできごとについて述べる。

1917年-1918年-1919年

できごと

台覧相撲

  • 4月29日 - 高輪東宮御所において、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が誕辰祝賀余興相撲を台覧[1]
  • 6月22日 - 小石川後楽園において、コノート公爵アーサー親王が台覧[2]

本場所など

  • 1月場所(東京相撲)[3]
  • 1月場所(大阪相撲)[4]
    • 興行場所:新世界
    • 1月11日より晴天10日間興行
  • 5月場所(大阪相撲)[5]
    • 興行場所:千日前東
    • 5月11日より晴天10日間興行
  • 5月場所(東京相撲)[6]
    • 興行場所:靖国神社
    • 5月12日より晴天10日間興行
    • 93対84で東方勝利。旗手は常ノ花寛市。個人優勝は栃木山守也
    •  場所前から「かぜ」(「相撲風邪」と呼ばれた)が流行、初日も天候を理由に2日間延期しての開催となったが、それでも休場者が多く、横綱・大関での皆勤は4横綱3大関のうち横綱栃木山と大関千葉ヶ嵜の2名にとどまった。

その他相撲披露

誕生

死去

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。