2区 (パリ)

フランス・パリ市内の行政区

パリ2区 (2く、: 2e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第2区、パリ2区ともいう。市の中央部に位置しており、1区の北にある。

パリ・2区の位置
地図
パリ・2区の位置

概要

Rue de la Paix et place Vendôme. リュ・ド・ラ・ペ(平和通り)とヴァンドーム広場
Rue Marsollier

パリの2区は、市の中央部にある行政区。「ブルス区 (Arrondissement de la Bourse)」と呼ばれることもある [2]。東西に細長い区域であり、20区の中では面積が最も小さい。1区の北に位置している。人口は19,585人 (1999年)で、20区の中では2番目に少ない(人口の推移等詳細については後述)。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその2番目にあたることから、「2区」と名づけられた。パリ証券取引所国立図書館旧館などがある。また、ギャルリ・ヴィヴィエンヌ、パサージュ・デュ・ケールなど多くのパサージュが現存している。

地理

パリ・2区の詳細地図
Rue Saint-Sauveur vue depuis la rue Montorgueil

2区は、パリ中央部のやや北寄り、1区 の北境に接している。セーヌ川の北の地域にある。面積は0.99平方キロメートルで、20区のうちでは最も小さい。

北は、同じパリの行政区である9区に接し、北東の一部は10区に接している。南は、エティエンヌ・マルセル通りやプティ=シャン通りなどを境界として、1区に接している。2区の北の境界線は、リシュリュー・ドルゥオー駅付近で南西方向に折れ、1区との区界である南の境界線と合流している。東は、セバストポル大通りを境界として、3区に接している。

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

パリ・2区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。2区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

  • 05 - ガイヨン地区 (Quartier Gaillon)
  • 06 - ヴィヴィエンヌ地区 (Quartier Vivienne)
  • 07 - デュ・マイユ地区 (Quartier du Mail)
  • 08 - ボンヌ=ヌーヴェル地区 (Quartier de Bonne-Nouvelle)

住民

人口

2区の人口は、パリが全20区になった直後の1861年には81,609人であったのが、約100年後の1962年には半分以下の40,864人となり、その後も減少を続けて1999年には19,585人となった。20区のうちで1区に次いで2番目に人口が少なく、1982年以降は、パリの人口のわずか1パーセント未満で推移している。2005年の推計では20,700人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、1861年の4分の1以下の19,743人となっている。20区のうちでは5番目に人口密度が低く、パリの平均人口密度の0.8倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口市人口区人口/市人口区人口密度市人口密度備考
1861年81,6091,696,1414.81%82,26719,512
1872年73,5781,851,7923.97%74,17121,303
1936年41,7802,829,7531.48%42,11732,553
1954年43,8572,850,1891.54%44,21132,788
1962年40,8642,790,0911.46%41,19432,097
1968年35,3572,590,7711.36%35,64229,804
1975年26,3282,299,8301.14%26,54026,457
1982年21,2032,176,2430.97%21,37425,035
1990年20,7382,152,4230.96%20,90524,761
1999年19,5852,125,2460.92%19,74324,449
2005年20,7002,166,2000.96%20,86724,920人口は推計。


歴史

政治・行政・司法

主な官公庁・公共機関

経済

証券取引所

主な企業

  • フランス通信社本社(Agence France-Presse
    • 通称「AFP通信」。ヴィヴィエンヌ通り (Rue Vivienne) 沿い、ないし同通りを抜けた北側に位置するブルス広場 (Place de la Bourse) 沿いに所在する。
  • セリーヌ本社(Céline
  • ケンゾー本社(Kenzo
    • ヴィヴィエンヌ通り18番地に建つ1660年建造のカステランないしデマレ館 (hotel-castelan-ou-hotel-desmarets) にある[5]

主な店舗・商業施設

主な商店街

  • ギャルリ・コルベール (Galerie Colbert
  • ギャルリ・ヴィヴィエンヌGalerie Vivienne
  • パサージュ・ショワズール (Passage Choiseul
  • パサージュ・デ・パノラマPassage des Panoramas
  • パサージュ・デ・プランス (Passage des Princes
  • パサージュ・デュ・グラン・セール (Passage du Grand-Cerf
  • パサージュ・デュ・ケール (Passage du Caire
  • パサージュ・デュ・ポンソー (Passage du Ponceau
  • パサージュ・ブール=ラベ (Passage Bourg-l'Abbé

宿泊施設

主な宿泊施設

教育

大学等

文化施設

美術館・博物館

  • フラゴナール・カピュシーヌ香水博物館 (Théâtre-Musée des Capucines-Fragonard

映画館・劇場

その他

宗教施設

教会・寺院

  • ノートルダム=デ=ヴィクトワール・バジリカ聖堂 (Basilique Notre-Dame-des-Victoires
  • ノートルダム=ド=ボンヌ=ヌーヴェル教会 (Église Notre-Dame-de-Bonne-Nouvelle

観光・憩い

画像をクリックして拡大

建築

公園・緑地等

  • ルーヴォワ公園 (Square Louvois)

交通

鉄道

画像をクリックして拡大

道路

  • イタリアン大通りBoulevard des Italiens
  • エティエンヌ=マルセル通り(Rue Étienne-Marcel
  • オペラ大通り(Avenue de l'Opéra
  • サン=タンヌ通り(Rue Sainte-Anne
  • カトル=セプタンブル通り(キャトル=セプタンブル通り, Rue du Quatre-Septembre
    • 西側9区南西端にあるオペラ広場で下記ラ・ペ通りと接続し、オペラ広場から東側の2区内中央を東西に走り、区内中央パレ・ブロンニャールがあるラ・ブルス広場から下記レオミュール通りと名を変え2区東側の3区内へ伸びてゆく。
  • カピュシーヌ大通り(Boulevard des Capucines
    • マドレーヌ大通りと共に、マドレーヌ寺院があるマドレーヌ広場とガルニエ宮(オペラ座)があるオペラ広場との300mほども無い区間を結ぶ通り。シャネル本店があるカンボン通り (Rue Cambon) や下記カピュシーヌ"通り"との交差点から東側オペラ方向通り側がカピュシーヌ大通り、同交差点から西側マドレーヌ方向がマドレーヌ大通りと通り名が変わる。イタリアン大通りにかけた通り沿いには、ゴーモン・オペラ映画やエドゥアールⅦ劇場、オランピア劇場、シャンゼリゼ沿いフランクラン=ローズヴェルト大通りやローム通り、シャトレ駅界隈やモンパルナス駅前等パリ各所にあるステーキレストランないしブラッスリーのイポポタミュ (Hippopotamus)、コンビニ モノップ (monop')、カルティエラコステ、マージュ (Maje)、子供服のオカイディ(Okaïdi)・・のフランスブランドからトミーヒルフィガーZaraまである。
  • カピュシーヌ通り(Rue des Capucines
    • 1区北西側と2区南西側との境界線を走り、カンボン通りも接続する通り。同接続する交差点辺りで、マドレーヌ寺院とオペラ広場との200〜300mほどを結ぶマドレーヌ大通りないしカピュシーヌ"大通り"と交差する。1854年ルイ・ヴィトンが4番地に、1932年ニナ・リッチが20番地にそれぞれ最初のブティックを構えた。
  • サンティエ通り(Rue du Sentier
    • メトロ グラン・ブールヴァール駅界隈ポワソニエール大通りからレオミュール通りまで区内東部を南北に伸びる通り。繊維街サンティエ地区 (fr) の名の由来となった通り。かつネガティブなコピーブランドの街というイメージもあったが、現在は起業家が集う"シリコン・サンティエ”とも称される[12]。安手なレストランないしブラッスリーもあるなか、同通り30-32番地の、かつてはテキスタイル工場の18世紀建物には英系ホテルチェーン ザ・オクストン (The Hoxton) 、ブラッスリー リヴィエ (Rivié) が2017年に開業した[12][13]。また、かつて1778年の半年ほど22歳のモーツァルトが同通り8番地に滞在し、同行していた母を亡くした地。建物は当時と変われどプラークが掲げられている。バルザック人間喜劇ソーの舞踏会 (fr)』の主人公マクシミリアンは5番地に居住していた設定。
  • サン=ドニ大通り(Boulevard Saint-Denis
    • レピュブリック広場から西側へ伸びる東西に走る通り。サン=マルタン凱旋門を過ぎた辺りでサン=マルタン大通りからサン=ドニ大通りと名を変え2区北側と10区との境界線を走る。さらにサン=ドニ凱旋門を過ぎると下記ボンヌ=ヌーヴェル、ポワソニエール、モンマルトル大通りと名を変えオスマン大通りとイタリアン大通りとに分岐し、それぞれ9区南西部にあるガルニエ宮(オペラ座)南北周辺界隈まで続いてゆく。
  • サン=ドニ通り(Rue Saint-Denis
    • 1区、2区各東側を南北に走り、サン=ドニ凱旋門を介して10区からフォーブール=サン=ドニ通りに接続。10区内で左斜め上を走るマジャンタ大通りと交差し、パリ北駅東側を抜け、諸通りを介して北部郊外サン=ドニ大聖堂方面まで続く、庶民的ないし猥雑な通り。
  • セバストポル大通り(Boulevard Sébastopol
    • 3区との境界線上を南北に伸びる。セーヌ川左岸(南岸)サン=ミッシェル大通りへは、シテ島のパレ大通りを経てセーヌ川を越えて接続する。1区・4区南側セーヌ川河岸シャトレ広場やサン=ジャック塔周辺のシャトレ駅があるリヴォリ通り界隈の繁華街から北側に伸び、西に上記サン=ドニ通り、東にサン=マルタン通りとに挟まれた形でそれぞれ南北に並走する。10区内からストラスブール大通りと名を変え、西にフォーブール=サン=ドニ通り、東にフォーブール=サン=マルタン通りと共に同区内を南北に並走し、パリ東駅南側正面界隈まで伸びてゆく。
  • ヴィヴィエンヌ通り(Rue Vivienne
  • プティ=シャン通り(Rue des Petits-Champs
    • 上記エティエンヌ=マルセル通りからヴィクトワール広場を介して西側へ、パレ・ロワイヤルとフランス国立図書館との間を走りオペラ大通りに差し掛かるまで続く、主に2区南側1区との境界線上を東西に走る通り。プティ=シャン沿いの国立図書館向かい、パレ・ロワイヤル北側の道 ボジョレー通り (Rue de Beaujolais) には1784年創業のレストラン・ガストロノミーク ル・グラン・ヴェフール (Le Grand Véfour) がある。
  • ポワソニエール大通り(Boulevard Poissonnière
    • 上記サン=ドニ大通り参照。
  • ボンヌ=ヌーヴェル大通り(Boulevard de Bonne-Nouvelle
    • 上記サン=ドニ大通り参照。時にオスマン大通りも含め、マドレーヌ、カピュシーヌ、イタリアン、モンマルトル、ポワソニエール、サン=ドニなどを介してレピュブリック広場に接続するサン=マルタン大通り、さらにレピュブリック広場から南へ走るタンプル、フィーユ=デュ=カルヴェール、ボーマルシェ大通りなどを加えた、主に2区北側と9区南側との境界線上を走る"グラン・ブールヴァール (Les Grands Boulevards)" の一つ。
  • モンマルトル大通り(Boulevard Montmartre
    • 上記、サン=ドニ大通り参照。ポワソニエール大通りから続き、イタリアン大通りとオスマン大通りとに分岐し、ガルニエ宮(オペラ座)南北周辺界隈までそれぞれ伸びる、2区・9区境界西側界隈を東西に走る通り。
  • モンマルトル通り(Rue Montmartre
    • 下記ルーヴル通り参照。同通り15番地には、上記ビストロ ル・コション・ア・ロレイユ (Le Cochon à l’Oreille) があり(厳密には1区になる)、同144番地建物には、1883-1914年の間、オーロール新聞 (ローロール, L'Aurore) が入居していた。1898年1月13日同紙上にエミール・ゾラが『私は弾劾する』を公開した。
  • ラ・ペ通り(平和通り, Rue de la Paix
    • 1区ヴァンドーム広場からガルニエ宮前オペラ広場までの南北に走る、高級ブランド店等が並ぶ200〜300mも無い通り。オペラ広場で上記キャトル=セプタンブル通りと接続する
  • ルーヴル通り(Rue du Louvre
    • ルーヴル東側、レ・アール西側を南北に伸びる。2区中央を東西に走る下記レオミュール通り辺りで上記モンマルトル通りと名を変える・・さらに2区9区境界を東西に走る"グラン・ブールヴァール"のモンマルトル大通り乃至ポワソニエール大通りを越えるとフォーブール=モンマルトル通りと名を変え、9区中心部ノートルダム=ド=ロレット教会広場(北側広場)に至り、マルティル(殉教者)通り・・等と接続する。
  • レオミュール通り(Rue Réaumur
    • 2区・3区内中央を東西に走る通り。2区内中央部にあるラ・ブルス広場から西側で上記キャトル=セプタンブル通りと名を変えてオペラ広場まで伸び、上記ラ・ペ通りと接続する。通り東側3区内でブルターニュ通りと名を変え、マレ地区の北端を走る。

広場・交差点

パリの「広場(プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。2区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • オペラ広場(Place de l'Opéra
    • 2区北西側と9区南西側との境界に位置している。
  • ヴィクトワール広場Place des Victoires
    • 1区と2区の境界に位置している。2区中央部の下記ブルス広場から、2区内を南北に走るノートルダム=デ=ヴィクトワール通り (fr)を、1区2区境界にあるヴィクトワール広場に至り、さらに同広場から1区内を南北に走るクロワ=デ=プティ=シャン通り (fr) を、同区内を東西に走るサントノレ通りまで至る・・これら2区から1区内の1キロ程度の範囲にかけて、ブルス広場のエクレア等のパティスリー レクレール・ド・ジェニ (L’Eclair de Génie la Fabrique)、パリ・クチュール組合学校、4区バスティーユ通り (fr) にあるボファンジェ[14]に次ぎパリで2番目に古い1876年創業ブラッスリー・ギャロパン (Brasserie Gallopin)、日本茶葉も扱うダマン・フレール (Dammann Frères)、ヴィクトワール広場のインテリア メゾン・サラ・ラヴォワンヌ (Maison Sarah Lavoine)、壁紙やファブリックなどインテリアの老舗ピエール・フレイ (Pierre Frey)、ディーゼルカルバン・クラインジーンズ、ケンゾー、日本人シェフ小林圭ミシュラン仏料理店ケイ (Restaurant Kei)、フランス銀行本店・・などが所在している。
  • ブルス広場(Place de la Bourse
    • 2区の中央部に位置している。旧パリ証券取引所 (La Bourse) の建物だったパレ・ブロンニャールが建っている。

著名な出身者

貴族・富豪

学者

文化

著名な居住者

貴族・政治家・軍人

財界

文化

その他

ゆかりの人物

文化

脚注

参考文献

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク

🔥 Top keywords: メインページ宮崎麗果特別:検索豊後水道松本忠久土居志央梨若葉竜也能登半島地震 (2024年)田中雄士長谷部誠井上道義The GazettE若林志穂服部百音黒木啓司REITA虎に翼平井理央出口夏希サーブ (盲導犬)三鷹事件セウォル号沈没事故白眞勲三淵嘉子高橋克也 (オウム真理教)ME:Iルーシー・ブラックマン事件佐藤ありさ杉咲花蜜谷浩弥水野真紀亀井亜紀子 (政治家)熊本地震 (2016年)水原一平井川意高中川安奈 (アナウンサー)内藤剛志いなば食品YOSHIKI