SLベンフィカ

ポルトガルのサッカークラブ

SLベンフィカSport Lisboa e Benfica, ポルトガル語発音: [sɨˈpɔɾ liʒˈβo.ɐ i βɐ̃jˈfikɐ] ( 音声ファイル))は、ポルトガルリスボンに本拠地を置くプロサッカークラブ。ポルトガルサッカーのトップリーグであるプリメイラ・リーガに所属している。

SLベンフィカ
原語表記Sport Lisboa e Benfica
愛称Encarnados (赤),
Águias (ワシ),
Benfiquistas (ベンフィキスタス),
Glorioso (栄光のクラブ)
クラブカラー   
   
創設年1904年
所属リーグプリメイラ・リーガ
所属ディビジョン1部
ホームタウンリスボン
ホームスタジアム
エスタディオ・ダ・ルス
収容人数65,647
代表者ポルトガルの旗 ルイス・フェリペ・ヴィエイラポルトガル語版
監督ドイツの旗 ロガー・シュミット
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

1904年2月28日創設[1]FCポルトスポルティングCPとともに、ポルトガルサッカーにおけるビッグ3(トレス・グランデス)のひとつに数えられる[2]。65,647人収容のエスタディオ・ダ・ルスをホームスタジアムとしている。ヨーロッパの多くのクラブとは異なり、クラブ創設以来ずっとソシオ(ファンクラブ会員)がクラブを所有して運営している。2013年のデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、世界で21番目に多くの収入があるサッカークラブである[3]。2009年に国際サッカー歴史統計連盟 (IFFHS) が発表した「20世紀最高のクラブ」ランキングでは第9位にランクインした[4]。毎年夏のプレシーズンにエウゼビオ・カップという親善大会を主催している。

ベンフィカには脈々と引き継がれる''Vénia(お辞儀)"と呼ばれる慣習があり、日本が発祥。1970年に来日したベンフィカは日本代表との親善試合に4-1で勝利。試合後に日本の皇族がベンフィカの選手達へ直々の挨拶したことが、ベンフィカ関係者に感銘を与え、70/71シーズンから現在に至るまで続いている。

プリメイラ・リーガ創設時(1934年)のメンバーに名を連ね、それ以来2部リーグに降格したことがない。プリメイラ・リーガでは32回、タッサ・デ・ポルトガルでは24回、タッサ・ダ・リーガでは4回優勝しており、これらはいずれもポルトガル最多である。スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラでは4回、カンペオナート・デ・ポルトガルでは3回優勝している。リーグ戦とカップ戦の2冠(ダブル)は9回達成している。1972-73シーズンにはポルトガルで初めてシーズン(30試合)無敗を達成し、1977-78シーズンには2度目のシーズン無敗を達成した。国際舞台に目を向けると、UEFAチャンピオンズカップで1960-61シーズンと1961-62シーズンに優勝しており、同大会で2連覇したことのあるポルトガル唯一のクラブである。同大会では1964-65シーズン、1967-68シーズン、1987-88シーズン、1989-90シーズンに準優勝しており、UEFAカップでは1982-83シーズンに準優勝している。欧州カップ戦の決勝出場回数(8回)はポルトガル最多である。1950年にはラテン・カップでも優勝している。1961年と1962年のインターコンチネンタルカップでは準優勝している。最後の欧州制覇が1961-62シーズンと近年欧州では低迷しているが、国内では2013-14、14-15と2連覇を達成した。

歴史

黎明期 (1904年 - 1934年)

前身クラブであるスポルト・リジュボアの選手

1904年2月28日、リスボンポルトガル語でリジュボア)の南西部にあるベレン地区のフランコ薬局で大学卒業生らによる集会が行われ、スポルト・リジュボアという名称のサッカークラブの設立が話し合われた。この集会には24人が参加し、共同設立者のひとりとなる18歳のコスメ・ダミオンも参加していた。集会中にはジョゼ・ロサ・ロドリゲスの初代会長就任が決定し、その補佐にダニエル・ブリト、会計にManuel Gourlade(後に初代監督となる)の就任が決定した。この集会ではさらに、赤色と白色をクラブカラーとすること、鷲をエンブレムに用いること、「E Pluribus Unum」(ラテン語、Out of many, oneという意味)というモットーを掲げることも決定した。創設初期はスポーツ面で成功を収めたが、マネジメント面では稚拙さを露呈し、1907年にはトップチームの何人かの選手が、金銭面の待遇の良いスポルティングCPに移籍した。19世紀末のサッカーはまだ裕福な人々によって行われていたスポーツだったため、設立当初のメンバーには良家の子息が多く、医者、画家、建築家、教員などが名を連ねていた[5]

1906年7月26日にはベンフィカ地区にグルポ・スポルト・ベンフィカが設立されており、1908年9月13日、スポルト・リジュボアはグルポ・スポルト・ベンフィカを吸収合併してスポルト・リジュボア・イ・ベンフィカ(SLベンフィカ)となった。スポルト・リジュボアからはクラブカラー(赤色と白色)・モットーがSLベンフィカに引き継がれ、グルポ・スポルト・ベンフィカからはグラウンド(カンポ・ダ・フェイテイラ)・主要な経営陣・クラブハウスがSLベンフィカに引き継がれた。グルポ・スポルト・ベンフィカでもっとも重要な競技チームは自転車競技チームであり、スポルト・リジュボアの鷲のエンブレムに自転車のホイールが付け加えられてSLベンフィカのエンブレムとなった[5]

ベンフィカは市南西部のベレン地区から市北部のベンフィカ地区に移転したが、グラウンドの賃貸契約が問題として残った。1913年にはカンポ・デ・セテ・リオスに移転したが、セテ・リオスの賃貸料が高額だったため、わずか4年後にはカンポ・デ・ベンフィカへの移転を余儀なくされ、1925年にはエスタディオ・ダス・アモレイラスを建設した。全国リーグ開始前のポルトガルではカンペオナート・デ・ポルトガル(現在のタッサ・デ・ポルトガル)が国内最高峰のサッカー大会とされており、ベンフィカは1929-30シーズンに同大会初優勝を飾った。サッカーチームと並行して、ローラーホッケーチーム、ラグビーチーム、バスケットボールチーム、ハンドボールチーム、ビリヤードチーム、バレーボールチームも設立された。

発達期 (1934年 - 1940年代)

1934年にポルトガルの全国リーグ(プリメイラ・リーガ)が開始されると、第1回大会の1934-35シーズンは優勝を逃したが、続く3シーズン(1935-36、36-37、37-38)に優勝した[6]。1940年にはタッサ・デ・ポルトガルで初優勝し、1941年にはエスタディオ・ド・カンポ・グランデに移転した。1940年代には、プリメイラ・ジヴィゾン[注釈 1]で3回(1941-42、42-43、44-45)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで4回(1939-40、42-43、43-44、47-48)優勝。この時期までに、クラブでもっとも重要な競技チームは疑うことなくサッカーチームとなった。1945-46シーズンにはCFベレネンセスがリーグ戦初優勝を遂げ、ビッグ3以外で初のポルトガル王者に輝いた[7]。ベレネンセスはベンフィカ、スポルティングに次ぐリスボン第3のクラブであり、1919年に設立されている。1940年代後半から1950年代前半にかけてはスポルティングの黄金期であり、1946-47シーズンから3連覇、1950-51シーズンから4連覇しているが、間の1949-50シーズンにはベンフィカがスポルティングのタイトル獲得を阻止した[7]。1949年5月3日にはセリエA5連覇中で「グランデ・トリノ」と称されていたACトリノ(イタリア)を招いて親善試合を行ったが、イタリアに帰国途中の飛行機が墜落して乗客全員が死亡する事故が起こった(スペルガの悲劇[7]。この事故はポルトガルでも大きく報じられ、数千人のリスボン市民がイタリア大使館まで記帳に赴いたという[7]

飛躍期と黄金期 (1950年代 - 1960年代)

1950年に獲得したラテン・カップ

1950年、エスタディオ・ナシオナルFCジロンダン・ボルドー(フランス)を下してラテン・カップを制した。ラテン・カップはスペイン、フランス、イタリア、ポルトガルの各国優勝クラブが争った大会であり、当時のヨーロッパでもっとも権威ある国際カップ戦だった。1954年にはブラジル人のオットー・グロリア監督が就任し、それまでのWMフォーメーションに代わる4-2-4フォーメーションを採用したほか、サッカーがプロスポーツであるという意識をポルトガルにもたらした[8]。1950年代には強豪クラブがこぞって大規模なスタジアムを建設しており、ベンフィカも1952年にエスタディオ・ダ・ルス(2003年に完成した同名のスタジアムとは異なる)をオープンさせた[8][1]。当初40,000人収容だったスタジアムはクラブの発展とともに増築され、1980年代にはヨーロッパ最大・世界第3位の135,000人収容まで拡張されている。1950年代後半には、ストライカーのジョゼ・アグアスなどポルトガル人選手の他に、キーパーのアルベルト・ダ・コスタ・ペレイラやマリオ・コルナなどモザンビーク出身選手も在籍していた。1950年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで6回優勝した。

UEFAチャンピオンズカップでは第1回大会の1955-56シーズンから1959-60シーズンまでレアル・マドリード(スペイン)が5連覇していたが、レアル・マドリードの6連覇を阻んだのはベンフィカだった。1959年にはハンガリー人のベーラ・グットマン監督が就任し、1960-61シーズンの同大会では1回戦でウーイペシュト・ドージャFC(ハンガリー)、準々決勝でオーフスGF(デンマーク)、準決勝でSKラピード・ウィーン(オーストリア)を破って決勝に進出。スイスのベルンで行われた決勝はスペイン王者のFCバルセロナ(スペイン)との対戦となり、2-2の同点から相手キーパーのアントニ・ラマレッツがオウンゴールを記録してベンフィカの初優勝が決まった[1]。1961年夏にはモザンビーク出身のエウゼビオが本格的にチームに加わり[注釈 2]、黒豹と呼ばれたエウゼビオ、コルナ、ジョゼ・アウグスト・トーレスなどで構成される攻撃陣は抜群の破壊力を誇った。1961年9月にはインターコンチネンタルカップナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)と対戦したが、プレーオフの末に敗れた。1961-62シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは1回戦でFKアウストリア・ウィーン(オーストリア)、準々決勝で1.FCニュルンベルク(ドイツ)、準決勝でトッテナム・ホットスパーFC(イングランド)を破り、2シーズン連続で決勝に進出。オランダのアムステルダムで行われた決勝では、アルフレッド・ディ・ステファノフェレンツ・プスカシュルイス・デル・ソルなどを擁したレアル・マドリードと対戦。プシュカーシュが前半だけでハットトリックを達成し、2点差を付けられたベンフィカは劣勢だったが、4点に絡んだエウゼビオの活躍で5-3と逆転し、大会2連覇を果たした[9]。1962年のインターコンチネンタルカップではペレを擁するサントスFC(ブラジル)と対戦したが、ホーム&アウェーともに敗れて優勝を逃した。この時代のポルトガルリーグでは植民地出身選手が何人もプレーしていたが、植民地以外の外国人選手の登録は認められていなかった[10]

1962-63シーズン、1964-65シーズン、1967-68シーズンにもUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したが、それぞれACミラン(イタリア)[11]インテル(イタリア)[12]マンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)[13]に敗れて準優勝に終わっている。1960年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで8回(1959-60、60-61、62-63、63-64、64-65、66-67、67-68、68-69)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで3回(1960-61、63-64、68-69)優勝し、UEFAチャンピオンズカップで2回(1960-61、61-62)優勝した。1965年にはエウゼビオがバロンドールを獲得し、1968年にはフランス・フットボール誌によってヨーロッパ最高のクラブに選出された。

安定期 (1970年代 - 1994年)

1960年代から1970年代前半に活躍したエウゼビオ

1970年代には欧州カップ戦での存在感がやや薄れたが、ポルトガル国内では主役の座を維持し、プリメイラ・ジヴィゾンで6回(1970-71、71-72、72-73、74-75、75-76、76-77)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで2回(1969-70、71-72)優勝した。1970年から1974年まではイングランド人のジミー・ヘイガン監督に率いられ、ヘイガン監督指揮下で4個のタイトルを獲得した。1971-72シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準決勝に進出してヨーロッパ中から注目を浴びたが、AFCアヤックス(オランダ)に2試合合計0-1のスコアで敗れた。1972-73シーズンのリーグ戦は30戦無敗(28勝2分)で、シーズンを無敗で終えたポルトガル初のクラブとなった[1]。このシーズンには23試合連続勝利の記録も樹立した。すでに選手経歴の晩年を迎えていたエウゼビオが40得点を挙げ、リーグ得点王に輝くとともにヨーロッパ・ゴールデンシュー(ヨーロッパ全体の得点王)にも輝いた。チーム全体では101得点を挙げたが、1シーズンで100得点を超えたのはクラブ史上2度目のことだった。1975年、33歳のエウゼビオはモザンビーク独立と時を同じくしてポルトガルを離れ、アメリカのクラブに移籍した[14]

1970年代後半から1980年代初頭にかけてのベンフィカは問題を抱えたが、1982年から1984年に指揮を執ったスウェーデン人のスヴェン・ゴラン・エリクソン監督の下で持ち直した。エリクソンが初めて海外のクラブの指揮を執ったのがベンフィカであり、就任時にはまだ34歳だった[15]。就任初年度となる1982-83シーズンには国内2冠を達成し、1982-83シーズンのUEFAカップでは決勝でRSCアンデルレヒト(ベルギー)に敗れたものの準優勝した[1]。この時期にはルスの増築工事が完成して3階席がオープンし、最大で120,000人(固定座席に限らなければ135,000人)を収容するルスはヨーロッパ最大のスタジアムとなった。1986-87シーズンには9度目のダブル(2冠)を達成したが、これが今日に至るまでの最後のダブルである。1988年から1994年には、再びUEFAチャンピオンズカップで優勝するために巨額の投資が行われた。1987-88シーズンと1989-90シーズンには決勝に進出したが、それぞれPSVアイントホーフェン(オランダ)[16]とミランに敗れ[1][17]、欧州カップ戦の決勝では6連敗となった。この時期にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回(1988-89、90-91、93-94)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで1回(1992-93)優勝した。

暗黒期 (1994年 - 2003年)

1980年代にはスタジアムの増設工事に加え、UEFAチャンピオンズカップでの好成績のために巨額の投資を行ったため、クラブの財政状況が悪化し始めた。明確な獲得方針がないまま移籍金を浪費して選手を乱獲したため、契約選手数は30人を超し、さらに財政状況を圧迫した。1994年から2003年までの期間はクラブの暗黒期と言ってよい。この期間中にはプリメイラ・リーガ[注釈 3]で優勝することはできず、獲得したトロフィーは1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガルの1個だけだった。さらに、2000-01シーズンのリーグ戦では6位、2001-02シーズンのリーグ戦では4位と、不満の残る成績が続いた。ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド会長時代には債務不履行に陥ってクラブの信用を失墜させ、ほとんど毎シーズンのように監督の解任を繰り返した。1994年から2002年の間には11人の監督が次々と入れ替わり、マリオ・ウィルソン監督は3度もベンフィカのベンチに座った。1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガル決勝では、ベンフィカサポーターが放ったロケット花火がスポルティングサポーターを直撃、死亡するという事故が起こった[15]。2001年にはポルトガル史上最高額の1300万ユーロを支払ってシモン・サブローザを獲得。2000年秋には、マヌエル・ヴィラリーニョ会長が就任し、2001年4月にはクラブの株式会社化を行った[15]。2001年9月28日には新しいスタジアム(スタジアム名は旧名称と同じルス)の建設を決定し、建設には最終的に1億6200万ユーロを投じた[18][19][20]

再建期 (2003年 - )

31回目の優勝を飾った2004-05シーズン
32回目の優勝を飾った2009-10シーズン

2003年10月には新エスタディオ・ダ・ルスに移転。同時期にルイス・フィリペ・ヴィエイラが新会長に就任し、ホセ・アントニオ・カマーチョ監督に率いられた2003-04シーズンには、タッサ・デ・ポルトガル決勝でジョゼ・モウリーニョ監督率いるポルトを破り、実に8年ぶりとなるトロフィーを獲得した。2004年にはジョバンニ・トラパットーニ監督が就任し、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラで4回目の優勝を飾って幸先よいスタートを切ると、2004-05シーズンのリーグ戦では11年ぶりに優勝した。しかし、同シーズンにエスタディオ・D. アフォンソ・エンリケスで行われたヴィトーリア・ギマランイス戦では、ハンガリー代表フォワードのフェヘール・ミクローシュが試合中に倒れ、病院で死亡が確認された[1]。ルスには多くの人々が弔問に訪れ、ハンガリーで行われた埋葬にはヴィエイラ会長やキャプテンのヌーノ・ゴメスが参列した。フェヘールが背負っていた背番号29はクラブの永久欠番となったが、ポルトガルのクラブで永久欠番を持つのはベンフィカのみである[21]。タッサ・デ・ポルトガルでは2シーズン連続で決勝に進出したが、ヴィトーリア・セトゥーバルに敗れて2連覇を逃した。なお、同大会決勝にはポルトガル大統領が列席することが慣例となっているが、ジョルジェ・サンパイオ大統領(1996年-2006年に在職)は熱心なスポルティングファンであり、準決勝でベンフィカがスポルティングを下したことで決勝の列席を拒んだ[22]。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、ビジャレアルCF(スペイン)、リール(フランス)と同組となった。グループ突破のかかったマンチェスター・U戦に2-1で勝利し、ビジャレアルに次ぐグループ2位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では前回大会王者のリヴァプールFC(イングランド)と顔を合わせたが、2試合合計3-0で準々決勝進出を決めた。準々決勝ではバルセロナと対戦し、結果的に優勝するクラブに2試合合計0-2で敗れた。

2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは再びマンチェスター・Uと同組となり、またもやグループ突破をかけてマンチェスター・Uと対戦したが、今度は1-3で敗れてグループリーグ敗退となった。2007-08シーズン開幕戦後にはフェルナンド・サントス監督が解任され、カマーチョ監督がクラブと2年契約を結んでベンフィカに復帰した[23]。2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦では、前年度のグループリーグでも対戦していたFCコペンハーゲン(デンマーク)と顔を合わせ、ホーム&アウェーの2試合ともに勝利して本選グループリーグ出場を決めた。グループリーグではミラン、FCシャフタール・ドネツク(ウクライナ)、セルティックFC(スコットランド)と対戦したが、3位でグループリーグ敗退となり、UEFAカップに回った。UEFAカップではラウンド16でヘタフェCF(スペイン)に敗れ、カマーチョ監督はその数日後に辞任した。リーグ戦ではSCブラガの後塵を拝し、トップ3でのフィニッシュを逃した。

2007-08シーズン終了後にはレジェンドのマヌエル・ルイ・コスタが現役引退し、そのままスポーツディレクターに就任[1]。手始めに元バレンシアCF監督のキケ・サンチェス・フローレスを監督に招聘すると、ホセ・アントニオ・レジェスパブロ・アイマールなどの実力者獲得に尽力した[1]。2008-09シーズンのタッサ・ダ・リーガでは決勝でスポルティングを破り、同大会初優勝を飾った。同シーズンのリーグ戦では3位となり、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2009年6月8日、監督・クラブ双方合意の上で契約を解除し、キケ・フローレス監督が退任。6月17日、元SCブラガ監督のジョルジェ・ジェズスが監督に就任した。2009年夏には過去最大級の投資を行い、ハビエル・サビオラハビ・ガルシアラミレスなどを獲得[24]パブロ・アイマールアンヘル・ディ・マリアなど既存戦力も合わさって豪華メンバーとなった。2009-10シーズンは過去最高となる1試合平均50,033人の観客を集め[25]、勝利したポルト戦ではシーズン最高の58,659人を集めた。2010年3月21日、タッサ・デ・ポルトガル決勝ではポルトに3-0で快勝し、同大会2連覇を達成した。同シーズンのUEFAヨーロッパリーグ準々決勝ではリヴァプールと対戦。ルスで行われたファーストレグには2-1で勝利したが、アンフィールドで行われたセカンドレグに1-4で敗れ、2試合合計3-5で敗退が決まった[26]。リーグ戦のホームゲームでは圧倒的な成績(14勝1分)を残し、リーグ最多得点・最少失点で32回目のリーグ優勝を決めた。UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグの出場権を獲得し[27]、26得点を挙げたパラグアイ代表オスカル・カルドソが得点王に輝いた[28]

2010-11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではシャルケ04(ドイツ)、オリンピック・リヨン(フランス)、ハポエル・テルアビブFC(イスラエル)と同組となり、2勝4敗の勝ち点6でグループリーグ敗退となった[29]。グループ3位枠でUEFAヨーロッパリーグに回ったが、UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦でVfBシュトゥットガルト(ドイツ)[30]、決勝トーナメント2回戦でパリ・サンジェルマンFC(フランス)[31]、準々決勝でPSV[32]を下し、欧州カップ戦では18年ぶりに準決勝に進出した。ベスト4にはポルトガルから3クラブ(ベンフィカ、ポルト、ブラガ)が残り、ブラガと対戦した準決勝では1990年以来の欧州カップ戦出場を目指したが、2試合合計2-2(アウェーゴール差)で敗退が決まった[33][34]。同シーズンのタッサ・ダ・リーガ決勝ではFCパソス・デ・フェレイラを下して3連覇を達成したが[35][36]、リーグ戦は2位に終わった。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、FCバーゼル(スイス)、FCオツェルル・ガラツィ(ルーマニア)と同組となり、3勝3分の負けなしで首位通過を決めた[37]。決勝トーナメント1回戦ではFCゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)に2試合合計4-3で勝利したが[38]、準々決勝では結果的に優勝するチェルシーFC(イングランド)に敗れた[39][40]。同シーズンのタッサ・ダ・リーガでは4連覇を果たしたが[41]、リーグ戦では再び2位に終わった。20得点を挙げたカルドソが2度目の得点王に輝いた[42]。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではバルセロナ、セルティックFC(スコットランド)、FCスパルタク・モスクワ(ロシア)と同組となったが、勝ち点8のグループ3位でUEFAカップに回った[43]

2012-13シーズンはUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグにおいて3位となったことからUEFAヨーロッパリーグの決勝トーナメントへ出場し、決勝戦においてチェルシーFCに敗れ準優勝となった。このシーズンではリーグ戦においても優勝を勝ち点1の差で逃しており、またタッサ・デ・ポルトガルにおいても決勝でヴィトーリア・ギマランイスに敗れ準優勝に終わったことから、「準三冠」を達成したもののタイトルを獲得することはできなかった。

2013-14シーズン、国内ではプリメイラ・リーガを制覇、タッサ・ダ・リーガリオ・アヴェFCを決勝で破り優勝。タッサ・デ・ポルトガルでもリオ・アヴェFCを決勝で破り優勝という文句のつけようのない結果を残した。UEFAチャンピオンズリーグでは、グループリーグにおいてオリンピアコスと勝ち点10で並ぶも得失点差で敗退し、グループ3位となった。UEFAヨーロッパリーグでは、ホームスタジアムで決勝戦開催ということで優勝を期待されたユヴェントスFCを準決勝で撃破するも、決勝戦でセビージャFCにPK戦で敗れて2年連続での準優勝に終わった。

スタジアム

エスタディオ・ダ・ルスの内部

ベンフィカはカテドラル(大聖堂)の愛称を持つエスタディオ・ダ・ルス(『光のスタジアム』という意味)をホームスタジアムとしており、試合開始前にはクラブのシンボルである鷲が止まり木に飛来するパフォーマンスが行われる[21]。ルスは公式にはエスタディオ・ド・スポルト・リジュボア・イ・ベンフィカという名称である。1954年に建設された初代ルスは135,000人を収容し、ヨーロッパ最大のスタジアムだった。2003年に完成した2代目ルスは65,647人を収容し[1]、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオを招いて落成記念親善試合が行われた[44]。ルスは様々な機能を持つ複合施設であり、ふたつの体育館、スイミングプールなども備えている[1]。フットサルチーム(SLベンフィカ)、バスケットボールチーム、自転車競技チーム、ラグビーチーム、ハンドボールチームなどがこれらの施設を使用している[1]

1966-67シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝はルスで開催され、セルティックFC(スコットランド)がインテル(イタリア)を破って優勝した[45]。ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004の際にはルスも開催地のひとつとなり、ポルトガル代表ギリシャ代表の決勝戦などが行われた。ポルトガル代表はルスでの対戦成績が良いため、2004年以降は主要大会予選の強豪国との対戦がルスで行われることが多い[46]。2012年3月20日、2013-14シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝がルスで開催されることが決定した[47][48]

ライバルとサポーター

ライバル

リスボン・ダービー

ベンフィカの最大のライバルは、同じリスボンに本拠地を置くスポルティングCPである[49]。この2チームの対戦はオ・デルビー・デ・リジュボア(リスボン・ダービー)と言われている。1950年から約15年間はベンフィカが欧州カップ戦のタイトルを持つポルトガル唯一のクラブだったが、1963-64シーズンにはスポルティングがUEFAカップウィナーズカップを制した。

オ・クラシコ

FCポルトともライバル関係にあり、両クラブの対戦はオ・クラシコと呼ばれる[50]。初のダービーは1912年4月28日に行われた親善試合であり、ベンフィカが8-2で勝利した[1]。ベンフィカは1960-61シーズンと1961-62シーズンにUEFAチャンピオンズカップで優勝しており、長らく同大会で優勝したことのあるポルトガル唯一のクラブだったが、1986-87シーズンにポルトが優勝。ポルトは2003-04シーズンにも同大会で優勝し、ベンフィカは優勝回数で並ばれた。ポルトは欧州カップ戦で7個のトロフィーを獲得しており、ベンフィカの3個を大きく上回っている。

ポルトは1960年代から1970年代にかけて約20年間リーグ優勝から見放されたが、1977-78シーズンに5回目のリーグ優勝を飾ると、1980年代後半以降はベンフィカを上回るペースで優勝回数を増やし、1990年代にはリーグ記録の5連覇を果たした。ポルトの急成長は、1974年に起こったカーネーション革命によってリスボンの一極支配体制が崩れたこととも無関係ではない[51]。1977年時点でのリーグ優勝回数は23回(ベンフィカ)と4回(ポルト)だったが、2012年時点でのリーグ優勝回数は32回(ベンフィカ)と25回(ポルト)であり、四半世紀で10回以上も差を詰めた。ポルトの躍進とともにライバル意識がどんどん高まり、ダービーは白熱度を増した。

サポーター

ベンフィカのファンは全世界で1400万人いるとされており、ポルトガル最大・ヨーロッパ最大級である[52]。全世界に20万人のソシオ(ファンクラブ会員)がおり、世界最多のソシオ数を持つクラブとしてギネス・ワールド・レコーズに認定されている[53][21]。ポルトガルの総人口1070万人のうち約600万人がベンフィカのファンだとされている[53]。2011-12シーズンの1試合平均観客数は42,464人であり、ポルトの35,176人、スポルティングの34,494人を上回ってポルトガル最多だった[54]。リーグ優勝を遂げた2009-10シーズンには、ポルトガル最多・ヨーロッパ第10位の1試合平均50,033人を集めた[54]

また、ファンクラブはポルトガル国外にも広がっており、アンドラ、アンゴラ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、カーボベルデ、クロアチア、フランス、ドイツ、ギニアビサウ、イギリス、日本、ルクセンブルク、マカオ、マレーシア、スイス、オランダ、アメリカに存在する。

エンブレムとユニフォーム

ベンフィカの象徴である鷲

エンブレム

クラブのエンブレム下部には自転車のホイールがあり、クラブカラー(赤色と白色)の盾が重ねられている。盾の中にはサッカーボール、クラブの頭文字 (SLB) があり、エンブレム上部には羽を広げた鷲が描かれている。現在のエンブレムの基本形となったのは、スポルト・リジュボアがグルポ・スポルト・ベンフィカと合併した1908年に制定されたデザインである。1930年と1999年にマイナーチェンジが加えられ、1999年の変更時には鷲のデザインが多少変えられた[55]。2008年以降は、現行のデザインに獲得タイトル数を表す星を加えた記念エンブレムを使用している[56]。公式アンセムは「サー、ベンフィキスタ」(Ser Benfiquista) であり、クラブのモットーは「E Pluribus Unum」(「Out of many, one」という意味)である。

デザインの変遷

[57]

ユニフォーム

現行のデザイン

  • ホームユニフォーム
赤色と白色のシャツ、白色のパンツ、赤色と白色のソックス(フィールドプレーヤー)
白色のシャツ、白色のパンツ、白色のソックス(キーパー)
  • アウェーユニフォーム
赤色と黒色のシャツ、赤色のパンツ、赤色と黒色のソックス(フィールドプレーヤー)
濃灰色のシャツ、灰色のパンツ、灰色のソックス(キーパー)
フィールドプレーヤー(ホーム)
フィールドプレーヤー(アウェー)
キーパー(ホーム)
キーパー(サード)
キーパー(アウェー)

スポンサーとサプライヤー

期間サプライヤー胸スポンサー
1974-1985 アディダスなし
1985-1986ロイヤル・ダッチ・シェル(エネルギー)
1986-1989フナック(電機)
1989-1992 ヒュンメル
1992-1994カジノ・エストリル(カジノ)
1994-1996 オリンピックパルマラット(食品)
1996-1997テレセル(通信)
1997-2000 アディダス
2000-2001Netc
2001-2005ボーダフォン(通信)
2005-2008ポルトガルテレコム[注釈 4](通信)
2008-2012tmn(通信)
2012-2015Meo(通信)
2015-0000エミレーツ(航空)

記録

エウゼビオの彫像
個人の記録

エウゼビオはクラブ史上最多の公式戦614試合に出場した。クラブ史上最多得点者もエウゼビオであり、440試合で474得点を挙げた。得点数第2位はジョゼ・アグアスであり、384試合で374得点を挙げた。第3位はネネであり、575試合で360得点を挙げた。

通算得点数

公式戦の通算得点数

#名前在籍期間得点数出場試合数得点率
1エウゼビオ1960-19754744401.07
2ジョゼ・アグアス1950-19633743840.94
3ネネ1968-19863605750.62
4ジョゼ・アウグスト・トーレス1959-19712262590.87
5アルセニオ1943-19552182980.73
6ロジェリオ・デ・カルバーリョ1942-19542113200.65
7ジュリーニョ1942-19532052001.02
8ジョゼ・アウグスト1959-19701753690.47
9ヌーノ・ゴメス1997-2000, 2002-20111663980.41
10アルフレード・ヴァラダス1934-19441562640.59
11ギリェルモ・エスピリト・サント1936-19501522110.72
12オスカル・カルドソ2007-20141281770.59
13マリオ・コルナ1954-19701275250.24
14ジョアキン・テイシェイラ1938-19461181710.69
15ヴィトール・シウヴァ1927-19361081310.82
16アルトゥール・ジョルジェ1969-19751051300.80
17ルイ・アグアス1985-1988; 1990-19941042370.43
18ドミシアーノ・カヴェン1955-19691024150.24
19ロジェリオ・デ・ソウザ1932-19401001680.59
20フランシスコ・ロドリゲス1939-194299881.12

プリメイラ・リーガの得点数

#名前在籍期間得点数出場試合数得点率
1エウゼビオ1960-19753193131.05
2ジョゼ・アグアス1950-19632902811.03
3ネネ1968-19862624210.89
4ジョゼ・アウグスト・トーレス1959-19711521690.48
5アルセニオ・ドゥアルテ1943-19551522240.67
6ジュリーニョ1942-19531501431.04
7ロジェリオ・デ・カルバーリョ1942-19541262120.59
8ヌーノ・ゴメス1997-2000, 2002-20111252930.42
9ジョゼ・アウグスト1959-19701132480.45
10マリオ・コルナ1954-1970883630.24

通算得点数(外国人選手)

#名前在籍期間得点数出場試合数得点率
1 オスカル・カルドソ2007-20141482300.64
2 マッツ・マグヌソン1987-199284
3 ミカエル・マニケ1983-198776
4 イサイアス1990-199571
5 ゾラン・フィリポヴィッチ1981-198441
6 ハビエル・サビオラ2009-2012391200.33
7 ヴァタ1988-199137
8 セルゲイ・ユラン1991-199435
9 ルイゾン2003-33
10 ペドロ・マントラス2001-2011311270.24
11 トミスラヴ・ソコタ2001-200528
12 リカルド・ゴメス1988-1991, 1995-199627
ヴァルド1988-1991, 1995-1997
13 ロドリゴ2011-201525570.44
14 ジェオヴァンニ2003-200623
ピエール・ファン・ホーイドンク2000-2001330.7

節目となる得点の記録者

プリメイラ・リーガに限る

得点数得点者日付試合
1点目 アルフレード・ヴァラダス1935年1月20日ベンフィカ 1-0 ヴィトーリア・セトゥーバル
100点目1937年1月31日ベンフィカ 10-2 レイションイスSC
500点目 ジョアキン・テイシェイラ1944年2月6日ベンフィカ 6-1 SCサルゲイロス
1000点目 ロザリオ1949-50シーズンヴィトーリア・ギマランイス 3-5 ベンフィカ
1500点目 ジョゼ・アグアス1956-57シーズンベンフィカ 6-0 GDファブリル
2000点目 ヤウカ1963年11月17日ベンフィカ 4-2 CFベレネンセス
2500点目 アルトゥール・ジョルジェ1970年9月27日ベンフィカ 4-0 ボアヴィスタFC
3000点目 ヴィトール・マルティンス1977年2月13日ベンフィカ 6-1 GDエストリル・プライア
3500点目 ネネ1984年3月18日SCファレンセ 2-7 ベンフィカ
4000点目 セルゲイ・ユラン1991年12月7日ベンフィカ 3-0 SCベイラ・マル
4500点目 カレル・ポボルスキー2000年2月14日ヴィトーリア・セトゥーバル 1-2 ベンフィカ
5000点目 ダビド・スアソ2008年11月2日ヴィトーリア・ギマランイス 1-2 ベンフィカ

獲得時の移籍金

#選手移籍元移籍金
(ユーロ)
移籍年
1 エドゥアルド・サルビオ アトレティコ・マドリード1350万2012年
2 シモン・サブローザ FCバルセロナ1300万2001年
3 オスカル・カルドソ ニューウェルズ・オールドボーイズ1120万2007年
4 ラザル・マルコヴィッチ パルチザン・ベオグラード1000万2013年
アンドレアス・サマリス オリンピアコスFC2014年
6 ロベルト・ヒメネス アトレティコ・マドリード850万2010年
7 ニコラス・ガイタン ボカ・ジュニアーズ840万2010年
8 アンヘル・ディ・マリア CAロサリオ・セントラル800万2007年
オラ・ジョン FCトゥウェンテ2012年
フィリップ・ジュリチッチ SCヘーレンフェーン2013年
11 ラミレス クルゼイロEC750万2009年

放出時の移籍金

#選手移籍先移籍金
(ユーロ)
移籍年
1 ジョアン・フェリックス アトレティコ・マドリード1億2720万2019年
2 ルベン・ディアス マンチェスター・シティFC6800万2020年
3 アクセル・ヴィツェル FCゼニト・サンクトペテルブルク4000万2012年
エデルソン・モラエス マンチェスター・シティFC2017年
5 ラウル・ヒメネス ウルヴァーハンプトン3800万2019年
6 ネルソン・セメド FCバルセロナ3570万2017年
7 レナト・サンチェス FCバイエルン・ミュンヘン3500万2016年
ビクトル・リンデロフ マンチェスター・ユナイテッドFC2017年
9 アンヘル・ディ・マリア レアル・マドリード3300万[注釈 5]2010年
10 ファビオ・コエントラン3000万2011年
ロドリゴ・モレノ バレンシアCF2015年
ゴンサロ・ゲデス PSG2016年
クラブの記録

1972-73シーズンには28勝2分(30試合制)で無敗優勝を果たした。このシーズン中にはポルトガル記録の23試合連続勝利を達成している。30試合で勝ち点58(勝利勝ち点2)を記録し、ポルトガル史上最高の獲得勝ち点率96.7%を記録した。2位との勝ち点差18は勝利勝ち点2だった時代の最高記録である。1971-72シーズンから1972-73シーズンにかけて29試合連続勝利のヨーロッパ記録を達成した。

プリメイラ・リーガ優勝32回、タッサ・デ・ポルトガル優勝24回、タッサ・ダ・リーガ優勝4回、ダブル(リーグとカップの2冠)達成9回はいずれもポルトガル記録である。UEFAチャンピオンズカップ2連覇はポルトガルでベンフィカしか達成しておらず、欧州カップ戦の決勝出場回数8回はポルトガル記録である。

タイトル

国内タイトル

  • プリメイラ・リーガ : 38回
    • 1935-36, 1936-37, 1937-38, 1941-42, 1942-43, 1944-45, 1949-50, 1954-55, 1956-57, 1959-60, 1960-61, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1975-76, 1976-77, 1980-81, 1982-83, 1983-84, 1986-87, 1988-89, 1990-91, 1993-94, 2004-05, 2009-10, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2018-19, 2022-23
  • タッサ・デ・ポルトガル(ポルトガル全国選手権): 29回[注釈 6]
    • 1929-30, 1930-31, 1934-35, 1939-40, 1942-43, 1943-44, 1948-49, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1963-64, 1968-69, 1969-70, 1971-72, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1995-96, 2003-04, 2013-14, 2016-17
  • カンペオナート・デ・リジュボア(リスボン選手権): 10回
    • 1909-10, 1911-12, 1912-13, 1913-14, 1915-16, 1916-17, 1917-18, 1919-20, 1932-33, 1939-40
  • タッサ・デ・オンラ・デ・リジュボア(リスボンカップ): 18回
    • 1919-20, 1921-22, 1962-63, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1972-73, 1973-74, 1974-75, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1987-88
  • タッサ・リベイロ・ドス・レイス : 3回
    • 1963-64, 1965-66, 1970-71

国際タイトル

親善タイトル

成績

略称の詳細

現存する大会
現存しない大会

近年の成績

プリメイラ・リーガに名称変更された1999年以降の成績

シーズン国内リーグTPTLST欧州カップ最多得点者
ディビジョン順位選手得点数
1999-00プリメイラ3421675833693位6回戦敗退存在せずUC3回戦敗退 N・ゴメス20
2000-0134159105444546位6回戦敗退UC1回戦敗退 ファン・ホーイドンク23
2001-0234171256637634位5回戦敗退 マントラス13
2002-033423657427752位4回戦敗退 シモン・サブローザ18
2003-043422846228742位優勝CL予選3回戦敗退15
UC4回戦敗退
2004-053419875131651位準優勝準優勝CL予選3回戦敗退20
UC1回戦敗退
2005-063420775129673位準々決勝敗退優勝CL準々決勝敗退 N・ゴメス17
2006-073020735520673位6回戦敗退CLグループリーグ敗退 シモン・サブローザ16
UC準決勝敗退
2007-0830131344521524位準決勝敗退4回戦敗退CLグループリーグ敗退 オスカル・カルドソ22
UC4回戦敗退
2008-093017855432593位5回戦敗退優勝UCグループリーグ敗退17
2009-103024427820761位4回戦敗退優勝EL準決勝敗退38
2010-113020376131632位準決勝敗退優勝準優勝CLグループリーグ敗退23
EL準決勝敗退
2011-123021636627692位5回戦敗退優勝CL準々決勝敗退28
2012-133024517720772位準優勝準決勝敗退-CLグループリーグ敗退33
EL準優勝
2013-143023525818741位優勝優勝-CLグループリーグ敗退 リマ21
EL準優勝
2014-153427438616851位5回戦敗退優勝優勝CLグループリーグ敗退 ジョナス31
2015-163429148822881位4回戦敗退優勝準優勝CL準々決勝敗退36
2016-173425727218821位優勝準決勝敗退優勝CLベスト16 K・ミトログル16
2017-183425638022812位ベスト163回戦敗退優勝CLグループリーグ敗退 ジョナス33
2018-1934283310331871位準決勝敗退準決勝敗退CLグループリーグ敗退 H・セフェロヴィッチ23
EL準々決勝敗退
2019-203424557126772位準優勝3回戦敗退優勝CLグループリーグ敗退 ピッツィ30
ELベスト32
2020-213423746927763位準優勝準決勝敗退準優勝CL予選3回戦敗退 H・セフェロヴィッチ26
ELベスト32
2021-223423567830743位5回戦敗退準優勝CL準々決勝敗退 ダルウィン・ヌニェス34
2022-233428337322871位準々決勝敗退GS敗退CL準々決勝敗退 ゴンサロ・ラモス27
2023-2434優勝CL

過去の成績

シーズン国内リーグTPTLST欧州カップチーム得点王[注釈 10]
ディビジョン順位名前得点数
1904-05[注釈 11]なし存在せず存在せず存在せず存在せずなしなし
1905-06[注釈 11]なしなしなし
1906-07[注釈 11]リスボン選手権650154102位R・ロドリゲス (?)1 (?)
1907-08[注釈 11]リスボン選手権105051316103位E・コルガ4
1908-09リスボン選手権107122712152位A・メイレレス6
1909-10リスボン選手権10802244161位ダミオン (?)3 (?)
1910-11リスボン選手権12921416202位A・J・ペレイラ1 (?)
1911-12リスボン選手権6600214121位??
1912-13リスボン選手権8710224151位??
1913-14リスボン選手権10910414191位A・ガスパル14
1914-15リスボン選手権10802508162位H・サントス (?)15 (?)
1915-16リスボン選手権8710164151位F・ペレイラ6
1916-17リスボン選手権8710261151位A・リオス (?)4 (?)
1917-18リスボン選手権43017561位A・アウグスト2
1918-19リスボン選手権106042610122位J・クレスポ (?)6 (?)
1919-20リスボン選手権9621268141位A・アウグスト7
1920-21リスボン選手権104241614104位J・クレスポ (?)4 (?)
1921-22リスボン選手権6303111062位A・アウグスト (?)2 (?)
1922-23リスボン選手権84221813102位J・クレスポ (?)3 (?)
1923-24リスボン選手権8332131093位J・クレスポ5
1924-25リスボン選手権841318793位J・タヴァレス4
1925-26リスボン選手権146444027165位シモエス14
1926-27リスボン選手権145362325135位ベスト4A・アントゥネス7
1927-28リスボン選手権1410314014232位ベスト4M・カルヴァーリョ (?)10 (?)
1928-29リスボン選手権148511110352位2回戦敗退V・シウヴァ11
1929-30リスボン選手権1410134015352位優勝V・シウヴァ14
1930-31リスボン選手権14446352265位優勝V・シウヴァ14
1931-32リスボン選手権137243217293位ベスト4O・ポリカルド13
1932-33リスボン選手権1913334422481位ベスト8V・シウヴァ17
1933-34リスボン選手権95221810215位ベスト4トーレス7
1934-35プリメイラ・リーガ148334123193位優勝ヴァラダス23
リスボン選手権128042713282位
1935-36プリメイラ・リーガ148514423211位ベスト4ヴァラダス24
リスボン選手権118033416272位
1936-37プリメイラ・リーガ1412025713241位ベスト4ロジェリオ32
リスボン選手権105322614232位
1937-38プリメイラ・リーガ1410313416231位準優勝エスピリト・サント35
リスボン選手権107214214262位
1938-39プリメイラ・ジヴィゾン149324424213位準優勝エスピリト・サント23
リスボン選手権105142328213位
1939-40プリメイラ・ジヴィゾン1811165834234位優勝ロドリゲス44
リスボン選手権107303613271位
1940-41プリメイラ・ジヴィゾン148243928184位ベスト4ロドリゲス31
リスボン選手権108022921262位
1941-42プリメイラ・ジヴィゾン2219037434381位ベスト8ロドリゲス25
リスボン選手権107123916252位
1942-43プリメイラ・ジヴィゾン1815037438301位優勝ジュリーニョ37
リスボン選手権107124116252位
1943-44プリメイラ・ジヴィゾン1811435734262位優勝ジュリーニョ31
リスボン選手権107213921262位
1944-45プリメイラ・ジヴィゾン1814227926301位ベスト4J・テイシェイア37
リスボン選手権107034118242位
1945-46プリメイラ・ジヴィゾン2217328229372位ベスト8ピピ24
リスボン選手権104241721204位
1946-47プリメイラ・ジヴィゾン2620159947412位なしアルセニオ29
リスボン選手権106224122242位
1947-48プリメイラ・ジヴィゾン2619348435412位ベスト4ジュリーニョ26
1948-49プリメイラ・ジヴィゾン2617367234372位優勝コロナ23
1949-50プリメイラ・ジヴィゾン2621328633451位なしラテン・カップ優勝ジュリーニョ31
1950-51プリメイラ・ジヴィゾン2612688143303位優勝アルセニオ35
1951-52プリメイラ・ジヴィゾン2618447626402位優勝J・アグアス34
1952-53プリメイラ・ジヴィゾン2617547527392位優勝J・アグアス35
1953-54プリメイラ・ジヴィゾン2613676240323位1回戦敗退なしJ・アグアス23
1954-55プリメイラ・ジヴィゾン2618356120391位優勝J・アグアス26
1955-56プリメイラ・ジヴィゾン3619527631432位2回戦敗退ラテン・カップ3位J・アグアス31
1956-57プリメイラ・ジヴィゾン2617727525411位優勝ラテン・カップ準優勝J・アグアス33
1957-58プリメイラ・ジヴィゾン2617277921363位準優勝CC予選敗退J・アグアス31
1958-59プリメイラ・ジヴィゾン2617727820412位優勝J・アグアス29
1959-60プリメイラ・ジヴィゾン2620517527451位ベスト4J・アグアス30
1960-61プリメイラ・ジヴィゾン2622229221461位3回戦敗退CC優勝J・アグアス43
1961-62プリメイラ・ジヴィゾン2614846938363位優勝CC優勝エウゼビオ29
IC準優勝
1962-63プリメイラ・ジヴィゾン2623218515481位ベスト4CC準優勝エウゼビオ38
IC準優勝
1963-64プリメイラ・ジヴィゾン26214110326461位優勝CC1回戦敗退エウゼビオ46
1964-65プリメイラ・ジヴィゾン2619528821431位準優勝CC準優勝エウゼビオ48
1965-66プリメイラ・ジヴィゾン2618537330412位ベスト8CCベスト8エウゼビオ37
1966-67プリメイラ・ジヴィゾン2620336419431位ベスト8ICFC3回戦敗退エウゼビオ42
1967-68プリメイラ・ジヴィゾン2618537519411位ベスト4CC準優勝エウゼビオ50
1968-69プリメイラ・ジヴィゾン2616734917391位優勝CCベスト8エウゼビオ29
1969-70プリメイラ・ジヴィゾン2617455814382位優勝CC2回戦敗退エウゼビオ25
1970-71プリメイラ・ジヴィゾン2618536217411位準優勝CWC2回戦敗退A・ジョルジュ37
1971-72プリメイラ・ジヴィゾン3026318116551位優勝CCベスト4A・ジョルジュ33
1972-73プリメイラ・ジヴィゾン30282010113581位6回戦敗退CC2回戦敗退エウゼビオ42
1973-74プリメイラ・ジヴィゾン3021546823472位準優勝CC2回戦敗退エウゼビオ19
1974-75プリメイラ・ジヴィゾン3021726212491位準優勝CWCベスト8モイニョス18
1975-76プリメイラ・ジヴィゾン3023439420501位5回戦敗退CCベスト8ネネ34
1976-77プリメイラ・ジヴィゾン3023526724511位7回戦敗退CC1回戦敗退ネネ27
1977-78プリメイラ・ジヴィゾン3021905611512位ベスト8CCベスト8ネネ21
1978-79プリメイラ・ジヴィゾン3023347521492位3回戦敗退UC2回戦敗退ネネ28
1979-80プリメイラ・ジヴィゾン3019747921453位優勝UC1回戦敗退ネネ36
1980-81プリメイラ・ジヴィゾン3022627215501位優勝優勝CWCベスト4ネネ32
1981-82プリメイラ・ジヴィゾン3020466022442位ベスト4準優勝CC2回戦敗退ネネ37
1982-83プリメイラ・ジヴィゾン3022716713511位優勝UC準優勝ネネ32
1983-84プリメイラ・ジヴィゾン3024428622521位5回戦敗退準優勝CCベスト8ネネ27
1984-85プリメイラ・ジヴィゾン3018756528433位優勝準優勝CC2回戦敗退マニケ28
1985-86プリメイラ・ジヴィゾン3021545413472位優勝優勝CWCベスト8マニケ21
1986-87プリメイラ・ジヴィゾン3020915123491位優勝準優勝CWC2回戦敗退R・アグアス20
1987-88プリメイラ・ジヴィゾン38191365925512位ベスト4準優勝CC準優勝R・アグアス18
1988-89プリメイラ・ジヴィゾン3827926015631位準優勝UC2回戦敗退ヴァタ18
1989-90プリメイラ・ジヴィゾン3423927619552位4回戦敗退優勝CC準優勝マグヌソン40
1990-91プリメイラ・ジヴィゾン3832518918691位ベスト8UC1回戦敗退R・アグアス26
1991-92プリメイラ・ジヴィゾン34171256233462位ベスト4準優勝CCグループリーグ敗退イサイアス17
1992-93プリメイラ・ジヴィゾン3422846018522位優勝UCベスト8イサイアス17
1993-94プリメイラ・ジヴィゾン3423837325541位6回戦敗退準優勝CWCベスト4ジョアン・ピント18
1994-95プリメイラ・ジヴィゾン3422576128493位ベスト8準優勝CLベスト8エジウソン17
1995-96プリメイラ・ジヴィゾン3422755727732位優勝UC3回戦敗退ジョアン・ピント23
1996-97プリメイラ・ジヴィゾン34177104930583位準優勝準優勝CWCベスト8ジョアン・ピント16
1997-98プリメイラ・ジヴィゾン3420866229682位準優勝UC1回戦敗退N・ゴメス22
1998-99プリメイラ・ジヴィゾン3419877129653位5回戦敗退CLグループリーグ敗退N・ゴメス34
1999-00プリメイラ・リーガ3421675833693位6回戦敗退UC3回戦敗退N・ゴメス20
2000-01プリメイラ・リーガ34159105444546位6回戦敗退UC1回戦敗退ファン・ホーイドンク23
2001-02プリメイラ・リーガ34171256637634位5回戦敗退マントラス13
2002-03プリメイラ・リーガ3423657427752位4回戦敗退シモン18
2003-04プリメイラ・リーガ3422846228742位優勝CL予選3回戦敗退シモン15
UC4回戦敗退
2004-05プリメイラ・リーガ3419875131651位準優勝準優勝CL予選3回戦敗退シモン20
UC1回戦敗退
2005-06プリメイラ・リーガ3420775129673位ベスト8優勝CLベスト8N・ゴメス17
2006-07プリメイラ・リーガ3020735520673位6回戦敗退CLグループリーグ敗退シモン16
UCベスト8
2007-08プリメイラ・リーガ30131344521524位ベスト44回戦敗退CLグループリーグ敗退カルドソ22
UC4回戦敗退
2008-09プリメイラ・リーガ3017855432593位5回戦敗退優勝UCグループリーグ敗退カルドソ17
2009-10プリメイラ・リーガ3024427820761位4回戦敗退優勝ELベスト8カルドソ38
2010-11プリメイラ・リーガ3020376131632位ベスト4優勝準優勝CLグループリーグ敗退カルドソ23
ELベスト4
2011-12プリメイラ・リーガ3021636627692位5回戦敗退優勝CLベスト8カルドソ28
2012-13プリメイラ・リーガ3024517720772位準優勝ベスト4CLグループリーグ敗退カルドソ33
EL準優勝

欧州カップ

シーズンごとの戦績

シーズン大会最終成績試合数勝利引分敗北
1989-90UEFAチャンピオンズカップ準優勝9702
1990-91UEFAカップ1回戦敗退2002
1991-92UEFAチャンピオンズカップ3回戦敗退10442
1992-93UEFAカップベスト88611
1993-94UEFAカップウィナーズカップベスト48431
1994-95UEFAチャンピオンズリーグベスト88341
1995-96UEFAカップ3回戦敗退6312
1996-97UEFAカップウィナーズカップベスト86411
1997-98UEFAカップ1回戦敗退2001
1998-99UEFAチャンピオンズリーググループリーグ敗退8323
1999-00UEFAカップ3回戦敗退6213
2000-011回戦敗退2011
2003-04UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦敗退2002
UEFAカップ4回戦敗退8422
2004-05UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦敗退2101
UEFAカップ決勝トーナメント
1回戦敗退
8512
2005-06UEFAチャンピオンズリーグベスト810433
2006-07グループリーグ敗退8323
UEFAカップベスト86312
2007-08UEFAチャンピオンズリーググループリーグ敗退8413
UEFAカップベスト164112
2008-09UEFAヨーロッパリーググループリーグ敗退6114
2009-10ベスト814923
2010-11UEFAチャンピオンズリーググループリーグ敗退6204
UEFAヨーロッパリーグベスト48521
2011-12UEFAチャンピオンズリーグベスト814653

試合一覧

UEFAチャンピオンズリーグ

UEFAチャンピオンズカップ時代も含む

シーズンラウンド対戦相手スコア
1984-851回戦 レッドスター・ベオグラード2-3 (A)
2-0 (H)
2回戦 リヴァプールFC1-3 (A)
1-0 (H)
1987-881回戦 FKパルティザニ・ティラナ4-0 (H)[注釈 18]
2回戦 オーフスGF0-0 (A)
1-0 (H)
準々決勝 RSCアンデルレヒト2-0 (H)
0-1 (A)
準決勝 FCステアウア・ブカレスト0-0 (A)
2-0 (H)
決勝 PSV0-0 (N)[注釈 19]
1989-901回戦 デリー・シティFC2-1 (A)
4-0 (H)
2回戦 ブダペスト・ホンヴェードFC2-0 (A)
7-0 (H)
準々決勝 FCドニエプル・ドニエプロペトロフスク1-0 (H)
3-0 (A)
準決勝 オリンピック・マルセイユ1-2 (A)
1-0 (H)[注釈 13]
決勝 ACミラン0-1 (N)
1991-921回戦 ハムルーン・スパルタンズFC6-0 (A)
4-0 (H)
2回戦 アーセナルFC1-1 (H)
3-1 (A)[注釈 20]
グループB FCディナモ・キエフ0-1 (A)
5-0 (H)
FCバルセロナ0-0 (H)
1-2 (A)
ACスパルタ・プラハ1-1 (H)
1-1 (A)
1994-95グループC HNKハイドゥク・スプリト0-0 (A)
2-1 (H)
RSCアンデルレヒト3-1 (H)
1-1 (A)
FCステアウア・ブカレスト2-1 (H)
1-1 (A)
準々決勝 ACミラン0-2 (A)
0-0 (H)
1998-99予選2回戦 ベイタル・エルサレムFC6-0 (H)
2-4 (A)
グループF 1.FCカイザースラウテルン0-1 (A)
2-1 (H)
PSV2-1 (H)
2-2 (A)
HJKヘルシンキ0-2 (A)
2-2 (H)
2003-04予選3回戦 SSラツィオ1-3 (A)
0-1 (H)[注釈 12]
2004-05予選3回戦 RSCアンデルレヒト1-0 (H)
0-3 (A)
2005-06グループD リール1-0 (H)
0-0 (A)
マンチェスター・ユナイテッドFC1-2 (A)
2-1 (H)
ビジャレアルCF1-1 (A)
0-1 (H)[注釈 12]
ラウンド16 リヴァプールFC1-0 (H)
2-0 (A)
準々決勝 FCバルセロナ0-0 (H)
0-2 (A)
2006-07予選3回戦 FKアウストリア・ウィーン1-1 (A)
3-0 (H)
グループF FCコペンハーゲン0-0 (A)
3-1 (H)
マンチェスター・ユナイテッドFC0-1 (H)[注釈 12]
1-3 (A)
セルティックFC0-3 (A)
3-0 (H)
2007-08予選3回戦 FCコペンハーゲン2-1 (H)
1-0 (A)
グループD ACミラン1-2 (A)
1-1 (H)
FCシャフタール・ドネツク0-1 (H)[注釈 12]
2-1 (A)
セルティックFC1-0 (H)
0-1 (A)
2010-11グループB ハポエル・テルアビブFC2-0 (H)
0-3 (A)
シャルケ040-2 (A)
1-2 (H)
オリンピック・リヨン0-2 (A)
4-3 (H)
2011-12予選3回戦 トラブゾンスポル2-0 (H)
1-1 (A)
プレーオフ FCトゥウェンテ2-2 (A)
3-1 (H)
グループC マンチェスター・ユナイテッドFC1-1 (H)
2-2 (A)
FCオツェルル・ガラツィ1-0 (A)
1-0 (H)
FCバーゼル2-0 (A)
1-1 (H)
ラウンド16 FCゼニト・サンクトペテルブルク2-3 (A)
2-0 (H)
準々決勝 チェルシーFC0-1 (H)
1-2 (A)
2012-13グループG セルティックFC0-0 (A)
2-1 (H)
FCバルセロナ0-2 (H)
0-0 (A)
FCスパルタク・モスクワ1-2 (A)
2-0 (H)
2013-14グループC RSCアンデルレヒト2-0 (H)
3-2 (A)
パリ・サンジェルマンFC0-3 (A)
2-1 (H)
オリンピアコスFC1-1 (H)
0-1 (A)

UEFAカップウィナーズカップ

ヨーロッパ・カップウィナーズカップ時代も含む

シーズンラウンド対戦相手スコア
1986-871回戦 リールストロムSK2-0 (H)
2-1 (A)
2回戦 FCジロンダン・ボルドー1-1 (H)
0-1 (A)
1993-941回戦 GKSカトヴィツェ1-0 (H)
1-1 (A)
2回戦 PFC CSKAソフィア3-1 (H)
3-1 (A)
準々決勝 バイエル・レバークーゼン1-1 (H)
4-4 (A)[注釈 13]
準決勝 パルマAC2-1 (H)
0-1 (A)[注釈 23]
1996-971回戦 ルフ・ホジューフ5-1 (H)
0-0 (A)
2回戦 FCロコモティフ・モスクワ1-0 (H)
3-2 (A)
準々決勝 ACフィオレンティーナ0-2 (H)[注釈 12]
1-0 (A)

UEFAヨーロッパリーグ

インターシティーズ・フェアーズカップ、UEFAカップ時代も含む

シーズンラウンド対戦相手スコア
2004-051回戦 FKデュクラ・バンスカー・ビストリツァ3-0 (A)
2-0 (H)
グループG SCヘーレンフェーン4-2 (H)
VfBシュトゥットガルト0-3 (A)
NKディナモ・ザグレブ2-0 (H)
KSKベフェレン3-0 (A)
ラウンド32 PFC CSKAモスクワ0-2 (A)
1-1 (H)
2006-07ラウンド32 FCディナモ・ブカレスト1-0 (H)
2-1 (A)
ラウンド16 パリ・サンジェルマンFC1-2 (A)
3-1 (H)
準々決勝 RCDエスパニョール2-3 (A)
0-0 (H)
2007-08ラウンド32 1.FCニュルンベルク1-0 (H)
2-2 (A)
ラウンド16 ヘタフェCF1-2 (H)[注釈 12]
0-1 (A)
2008-091回戦 SSCナポリ2-3 (A)
2-0 (H)
グループB ヘルタ・ベルリン1-1 (A)
ガラタサライSK0-2 (H)[注釈 12]
オリンピアコスFC1-5 (A)
FCメタリスト・ハルキウ0-1 (H)[注釈 12]
2009-10プレーオフ FCヴォルスクラ・ポルタヴァ4-0 (H)
1-2 (A)
グループI FC BATEボリソフ2-0 (H)
2-1 (A)
AEKアテネFC0-1 (A)
2-1 (H)
エヴァートンFC5-0 (H)
2-0 (A)
ラウンド32 ヘルタ・ベルリン1-1 (A)
4-0 (H)
ラウンド16 マルセイユ1-1 (H)
2-1 (A)
準々決勝 リヴァプールFC2-1 (H)
1-4 (A)
2010-11ラウンド32 VfBシュトゥットガルト2-1 (H)
2-0 (A)
ラウンド16 パリ・サンジェルマンFC2-1 (H)
1-1 (A)
準々決勝 PSV4-1 (H)
2-2 (A)
準決勝 SCブラガ2-1 (H)
0-1 (A)[注釈 23]
2012-13ラウンド32 バイエル・レバークーゼン1-0 (A)
2-1 (H)
ラウンド16 FCジロンダン・ボルドー1-0 (H)
3-2 (A)
準々決勝 ニューカッスル・ユナイテッドFC3-1 (H)
1-1 (A)

決勝一覧

大会対戦相手スコア場所
1960-61UEFAチャンピオンズカップ FCバルセロナ3-2 バンクドルフ・スタジアム
1961-62UEFAチャンピオンズカップ レアル・マドリード5-3 オリンピス・スタディオン
1962-63UEFAチャンピオンズカップ ACミラン1-2 ウェンブリー・スタジアム
1964-65UEFAチャンピオンズカップ インテル0-1 サン・シーロ
1967-68UEFAチャンピオンズカップ マンチェスター・ユナイテッドFC1-4 (延長) ウェンブリー・スタジアム
1982-83UEFAカップ RSCアンデルレヒト1-22レグ制
1987-88UEFAチャンピオンズカップ PSV0-0 (延長) (PK 5-6) ネッカーシュタディオン
1989-90UEFAチャンピオンズカップ ACミラン0-1 プラーターシュターディオン
2012-13UEFAヨーロッパリーグ チェルシーFC1-2 アムステルダム・アレナ
2013-14UEFAヨーロッパリーグ セビージャFC0-0 (延長) (PK 2-4) ユヴェントス・スタジアム

準決勝勝利一覧

大会対戦相手スコアその他のベスト4
1960-61UEFAチャンピオンズカップ SKラピード・ウィーン4-1 FCバルセロナ
ハンブルガーSV
1961-62UEFAチャンピオンズカップ トッテナム・ホットスパーFC4-3 レアル・マドリード
スタンダール・リエージュ
1962-63UEFAチャンピオンズカップ フェイエノールト3-1 ACミラン
ダンディーFC
1964-65UEFAチャンピオンズカップ ジェールETO FC5-0 インテル
リヴァプールFC
1967-68UEFAチャンピオンズカップ ユヴェントスFC3-0 マンチェスター・ユナイテッドFC
レアル・マドリード
1982-83UEFAカップ FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1-1 [注釈 23] RSCアンデルレヒト
ボヘミアンズ・プラハ
1987-88UEFAチャンピオンズカップ FCステアウア・ブカレスト2-0 PSV
レアル・マドリード
1989-90UEFAチャンピオンズカップ オリンピック・マルセイユ2-2 [注釈 23] ACミラン
バイエルン・ミュンヘン
2012-13UEFAヨーロッパリーグ フェネルバフチェSK3-2 チェルシーFC
FCバーゼル
2013-14UEFAヨーロッパリーグ ユヴェントスFC2-1 セビージャFC
バレンシアCF

準決勝敗北一覧

大会対戦相手スコアその他のベスト4
1971-72UEFAチャンピオンズカップ AFCアヤックス0-1 インテル
セルティックFC
1980-81UEFAカップウィナーズカップ FCカールツァイス・イェーナ1-2 FCディナモ・トビリシ
フェイエノールト
1993-94UEFAカップウィナーズカップ パルマAC2-2 [注釈 23] アーセナルFC
パリ・サンジェルマンFC
2010-11UEFAヨーロッパリーグ SCブラガ2-2 [注釈 23] FCポルト
ビジャレアルCF

現所属メンバー

2024年2月1日現在[58]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK アナトリー・トルビン
3DF アルバロ・カレーラス
4DF アントニオ・シウヴァ
5DF モラート
6DF アレクサンダー・バー ( )
7FW ダヴィド・ネレス
8MF フレデリク・アウルスネス
9FW アルトゥール・カブラウ
10MF オルクン・コクチュ ( )
11FW アンヘル・ディ・マリア ( )
14DF フアン・ベルナト
19FW カスパー・テングシュテット
20MF ジョアン・マリオ ( )
No.Pos. 選手名
24GK サムエル・ソアレス
25FW ジャンルカ・プレスティアーニ ( )
27FW ラファ・シルヴァ
30DF ニコラス・オタメンディ
32FW ベンハミン・ロールハイザー ( )
36FW マルコス・レオナルド
44DF トマス・アラウージョ
45GK 小久保玲央ブライアン
47FW チアゴ・グヴェイア
61MF フロレンティーノ・ルイス ( )
75GK アンドレ・ゴメス
87MF ジョアン・ネヴィス

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
3DF アルバロ・カレーラス (マンチェスター・ユナイテッド)
14DF フアン・ベルナト (パリ・サンジェルマン)
No.Pos. 選手名
15FW ゴンサロ・ゲデス (ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ)
32FW ベンハミン・ロールハイザー (エストゥディアンテスLP)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF ルーカス・ベリッシモ (コリンチャンス)
--DF ダヴィド・ユラーセク (ホッフェンハイム)
--MF ガブリエウ・ピレス (ボタフォゴ)
--MF ティアゴ・ダンタス (AZ)
--MF パウロ・ベルナルド (セルティック)
No.Pos. 選手名
--MF ソアリオ・メイテ (PAOKテッサロニキ)
--FW エンリケ・アラウージョ (ファマリカン)
--FW ゴンサロ・ラモス (パリ・サンジェルマン)
--FW アンドレアス・シェルデルップ (ノアシェラン)

歴代会長

[59]

#名前就任退任獲得タイトル
国内リーグ国内カップ欧州カップその他
1 ジョゼ・ロザ・ロドリゲス
(スポルト・リスボンの初代会長)
1904年2月28日1906年11月22日0000
2 ジャヌアリオ・ゴンサウヴェス・バレート・ドゥアルテ1906年11月22日1909年2月26日0000
3 ルイス・カルロス・デ・ファリア・レアル
(グルポ・スポルト・ベンフィカの初代会長)
1906年8月12日1908年6月28日0000
4 ジョアン・ジョゼ・ピレス
(SLベンフィカの初代会長)
1908年6月28日1910年2月2日0001 リスボン選手権
(5代会長と共有)
5 アルフレード・アレシャンドレ・ルイス・ダ・シウヴァ1910年2月2日1911年3月26日0001 リスボン選手権
(4代会長と共有)
6 アントニオ・ヌネス・デ・アウメイダ・ギマランイス1911年3月26日1911年7月9日0000
7 アルベルト・リマ1911年7月9日
1912年12月5日
1912年3月31日
1915年8月29日
0003 リスボン選手権
8 ジョゼ・エドゥアルド・モレイラ・サレス1912年3月31日1912年12月5日0000
9 ジョゼ・アントゥネス・ドス・サントス・ジュニオル1915年8月29日1916年7月15日0001 リスボン選手権
10 フェリクス・ベルムデス1916年7月15日
1945年1月18日
1916年10月7日
1946年1月19日
0000
11 ヌーノ・フレイレ・テムド1916年10月7日1917年7月22日0001 リスボン選手権
12 ベント・マントゥア1917年7月22日1926年8月25日0002 リスボン選手権, 2 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
13 アルベルト・シルヴェイラ・アヴィラ・デ・メロ1926年8月25日1930年8月15日01 [注釈 25]00
14 マヌエル・ダ・コンセイソン・アフォンソ1930年8月15日
1936年11月4日
1946年1月19日
1933年8月28日
1938年7月31日
1946年7月30日
21 [注釈 25]01 リスボン選手権
15 ヴァスコ・ロサ・リベイロ1933年8月20日1936年11月4日11 [注釈 25]00
16 ジュリオ・リベイロ・ダ・コスタ1938年7月31日1939年7月29日0001 リスボン選手権
(17代会長と共有)
17 アウグスト・ダ・フォンセカ・ジュニオル1939年8月1日1945年1月18日3301 リスボン選手権
(16代会長と共有)
18 ジョアン・タマグニーニ・バルボーザ1947年1月25日1948年12月15日0000
19 マリオ・ランプレイア・デ・グスモン・マデイラ1949年1月29日1952年3月15日121 LC0
20 ジョアキン・フェレイラ・ボガーリョ1952年3月15日1957年3月28日1300
21 マウリシオ・ヴィエイラ・デ・ブリト1957年3月28日1962年3月31日321 CC0
22 アントニオ・カルロス・カブラル・フェザス・ヴィタル1962年3月31日1964年3月26日111 CC1 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
23 アドルフォ・ヴィエイラ・デ・ブリト1964年3月26日
1967年7月3日
1965年5月8日
1969年4月12日
3103 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
24 アントニオ・カタリーノ・ドゥアルテ1965年5月8日1966年6月17日0000
25 ジョゼ・フェレイラ・ケイマド1966年6月17日
1977年5月26日
1967年7月3日
1981年5月29日
2201 スーペルタッサ, 4 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
26 ドゥアルテ・アントニオ・ボルジェス・コウティーニョ1969年4月12日1977年5月26日7304 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
27 フェルナンド・マルティンス1981年5月29日1987年3月27日231 CI1 スーペルタッサ, 3 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
28 ジョアン・マリア・ドス・サントス・ジュニオル1987年3月27日1992年4月20日3101 スーペルタッサ, 1 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
29 ジョルジ・アルトゥール・レゴ・デ・ブリト1992年4月24日1994年1月7日0100
30 マヌエル・ダマシオ・ソアレス・ガルシア1994年1月7日1997年10月31日1100
31 ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド1997年10月31日2000年10月28日0000
32 マヌエル・ヴィラリーニョ2000年10月28日2003年10月31日0000
33 ルイス・フィリペ・ヴィエイラ2003年10月31日現職2101 スーペルタッサ, 4 タッサ・ダ・リーガ

歴代監督

歴代所属選手

下部組織

ベンフィカ・ジュニオルス

SLベンフィカ・ジュニオルス
原語表記Sport Lisboa e Benfica Juniors
ホームスタジアムセイシャル地区, フチボウ・カンプス
収容人数1,600
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

下部組織としてSLベンフィカ・ジュニオルスが存在する。ベンフィカB、U-23チーム、U-19チーム(ジュニオレス=A)、U-17チーム(ジュヴェニス=B)、U-15チーム(イニシアドス=C)、U-13チーム(インファンチス=D)、U-12チーム、U-11チーム、U-9チームがある。

タイトル

国際タイトル
  • ブルー・スターズ/FIFAユースカップ : 1回[60][注釈 26]
    • 優勝 : 1996
    • 準優勝 : 1997
    • 3位 : 2000, 2001
国内タイトル[61]
  • ジュニオレス・ポルトガル選手権 : 22回
    • 1943-44, 1944-45, 1948-49, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1961-62, 1962-63, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1984-85, 1987-88, 1988-89, 1999-00, 2003-04
  • ジュヴェニス・ポルトガル選手権 : 15回
    • 1963-64, 1967-68, 1968-69, 1973-74, 1974-75, 1982-83, 1989-90, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1995-96, 1996-97, 2000-01, 2007-08, 2010-11
  • イニシアドス・ポルトガル選手権 : 7回
    • 1978-79, 1981-82, 1984-85, 1988-89, 2008-09, 2009-10, 2011-12
  • リーガ・インテルカラル : 0回
    • 最高位準優勝 : 2010-11(南地区)

その他のスポーツ

クラブは最初にサッカークラブとして活動を始めたが、フットサルローラーホッケーバスケットボールハンドボールバレーボール体操アーチェリービーチサッカービリヤードカヌー自転車競技ゴルフカート柔道ペイントボールラグビースポーツフィッシング水泳卓球トライアスロンの競技チームも持っている。

2001年に設立されたフットサルチーム(SLベンフィカ)もポルトガル屈指の強豪であり、リーガ・プラカルド(国内リーグ)で6回、タッサ・デ・ポルトガル(国内カップ)で5回、スーペルタッサ・デ・ポルトガル(国内スーパーカップ)で6回優勝している。リーガ・プラカルドでは参戦初年度の2001-02シーズンから2011-12シーズンまで必ず1位か2位となっている。UEFAフットサルカップでは2003-04シーズンに準優勝し、2009-10シーズンに優勝した。ヨーロッパ・フットサル・カップウィナーズカップでは2006-07シーズンに準優勝した。インターコンチネンタル・フットサルカップでは2007年に4位となり、2011年に3位となった。日本人選手では逸見勝利ラファエルが2013年シーズンより所属している。

ポルトガルで高い人気を集めるローラーホッケーチームは、ポルトガル・リーグで21回優勝(ポルトガル最多)している。1990-91シーズンと2010-11シーズンにはCERSカップで優勝してヨーロッパ王者となり、2011年にはヨーロピアン・コンチネンタルカップ(スーパーカップ)を獲得した。

1927年に設立されたバスケットボールチームは、ポルトガル・リーグで23回優勝(ポルトガル最多)している。ハンドボールチームは1980年代から1990年代初頭に黄金期を迎え、ポルトガル・リーグで7回優勝(ポルトガル第4位)している。バレーボールチームはポルトガル・リーグA1での優勝回数こそ少ないが、ポルトガル・カップでは14回優勝(ポルトガル最多)している。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 市ノ瀬敦『ポルトガル・サッカー物語』社会評論社、2001年
  • 鰐部哲也『ポルトガルサッカーの魔力』白夜書房サッカー小僧新書、2012年

外部リンク