アヤックス・アムステルダム

オランダのサッカークラブ

アヤックス・アムステルダムAjax Amsterdam、正式名称: Amsterdamsche Football Club Ajax)は、オランダ北ホラント州アムステルダムに本拠地を置くサッカークラブ。エールディヴィジに所属。AFCアヤックスAFC Ajax)とも表記される。

アヤックス・アムステルダム
原語表記Amsterdamsche Football Club Ajax
愛称de Godenzonen(神々の子)[1][2]
de Jodenユダヤ人
I Lancieri槍騎兵
Lucky Ajax
クラブカラー   
   
創設年1900年
所属リーグエールディヴィジ
所属ディビジョン1部(2023-24)
昨季リーグ順位3位(2022-23)
ホームタウンアムステルダム
ホームスタジアム
ヨハン・クライフ・アレナ
収容人数55,865人[3]
代表者オランダの旗 ヘニー・ヘンリフス
監督オランダの旗 ヨン・ファント・シップ (暫定)
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

エールディヴィジ優勝は最多の28回、UEFAチャンピオンズリーグは3連覇を含む4回、インターコンチネンタルカップ2回の優勝をしており、リーグ優勝11回のフェイエノールト、21回のPSVと共に、オランダの強豪クラブと認識されている。オランダで最も人気のあるクラブである[4]。フェイエノールトとの対戦はデ・クラシケルと呼ばれる。

1900年に創立。1971年から1973年にかけUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成、優勝カップ「ビッグイヤー」の永久保持を認められた。1972年にはエールディヴィジKNVBカップ、チャンピオンズカップを制覇してトレブルを達成。また、1972年のインターコンチネンタルカップで優勝。同じ年にリーグ、チャンピオンズカップ、コンチネンタルカップ優勝を果たした3つのクラブの1つ(他にユヴェントスバイエルン・ミュンヘンが達成している)。

歴史

1900-1950

オリンピスフ・スタディオン (アムステルダム)

1900年3月18日にアムステルダムの小さなカフェからアヤックスは生まれた。創設者はフロリス・ステンペルオランダ語版

1902年、クラブ名をFCアイウス (Footh-Ball Club Ajax) と名づける。名前の由来はギリシャ神話に登場するアイアースという人物で(Aiasをオランダ語でAjaxと読む)、ステンペル自身この人物をとても尊敬している。

1908年、クラブ名をAFCアヤックス (Amsterdamsche Football Club Ajax) に改名。

1910年、初のコーチとしてジョン・キーワンを雇う。とてもフットボールと呼べる状態ではなかったチームを監督の指導によって常勝チームにまで押し上げる。1911年にクラブ史上初の1部昇格を果たす。

1917年、イギリス人監督ジャック・レイノルズの下で初のリーグ優勝とカップタイトルを獲得する。当時の彼のトレーニング方法は現在に至る世界有数の育成プログラムの基礎となっている。28年から40年の間に5度のリーグ優勝へ導き、最初の黄金時代を迎える。しかし、第二次世界大戦の影響で一時クラブは弱体化。約10年間タイトルから遠ざかる低迷期へと続く。戦争中、オランダ人が立て篭もるスタディオン・デ・メールオランダ語版だけは制圧できなかったという逸話もある。

1950-2000

1956年、オランダのプロリーグ化が進む。プロ第一号はピート・カイザーである。

1965年にリヌス・ミケルスが就任。ミケルス監督がトータルフットボールと呼ばれる戦術を作り、ヨハン・クライフピート・カイザーシャーク・スワルトらがそれを実践し、黄金時代が訪れた。ミケルス就任当時のアヤックスはまだヨーロッパの第一線を行くクラブではなかった。チャンピオンズカップは一度も獲得したことがなく、オランダリーグの代表といえば、フェイエノールトであった。ミケルスの最初の2年間は厳しく、困難なものであった。チームはうまく機能せず、イタリア、スペイン、イングランドの有力クラブのような巨大な経済力は持ち合わせていなかった。生え抜き選手、そしてオランダ人だけという限られた条件の下、最高レベルの試合に挑戦していった。

降格の危機にあったが、ミケルス就任の翌年からリーグ3連覇を成し遂げた。UEFA主催のリーグにおいてはUEFAチャンピオンズカップの1968-69シーズン決勝でACミランに1-4で敗れたものの、この敗戦が、それから続く全ての栄光の始まりとなる。翌シーズンはクライフの他ヨハン・ニースケンスアリー・ハーンなどの若手が育ち、1970-71シーズンからチャンピオンズカップ3連覇を果たす。ロンドン(ウェンブリー)でのパナシナイコス戦2-0、監督はシュテファン・コヴァチに代わるも、ロッテルダムでの対インテル戦2-0、ベオグラードでの対ユヴェントス戦1-0。アヤックスにとって輝かしい3シーズンであった。これらの成功の多くは選手達を鍛え上げたミケルスの功績であった。

<4-3-3>、1973年、チャンピオンズカップ3連覇時のメンバー

1985年にヨハン・クライフテクニカルディレクターに就任。アヤックス・ユースアカデミー (Ajax Youth Academy) を設立。

1986-87シーズンはフランク・ライカールトマルコ・ファン・バステンらを擁し、チームはUEFAカップウィナーズカップを獲得した。

1991-92シーズンはアシスタントコーチからトップチームの監督へと昇格したルイ・ファン・ハールの指揮の下、UEFAカップではトリノFCに第1戦を2-2、第2戦を0-0としたが、アウェーでのゴールで優勝を果たした。1993-94年シーズン開幕を前にフランク・ライカールトがACミランから復帰した。

チャンピオンズリーグ1994-95シーズン決勝では、エトヴィン・ファン・デル・サールダニー・ブリントフランク・ライカールトエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフヤリ・リトマネンらを擁してイタリアのACミランを1-0で下し、4度目の欧州制覇を成し遂げている。またこの年には、トヨタカップでブラジルのグレミオFBPAをPK戦の末辛くも勝利、クラブ世界一のタイトルを手にしている。

1995-96シーズンには、再びチャンピオンズリーグ決勝の舞台に上がったが、ユヴェントスにPK戦の末敗れている。なお1994-95シーズンから1995-96シーズンでユヴェントスに敗れるまでチャンピオンズリーグ19戦無敗という記録を打ち立てている。

1997-98年シーズン、ミカエル・ラウドルップらを獲得、リーグと国内カップの2冠を達成した。

2000-

ヨハン・クライフ・アレナ(空撮)

ボスマン判決以降、ユース育成に「谷間の世代」ができた分を外国籍選手で補った。アヤックスのスカウト網は世界中に及んだ。そして、獲得してきたのがイブラヒモビッチ(現ACミラン)、トラベルスィーミドといった選手である。

2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝ACミラン戦の激闘では、ACミランのサポーターが健闘を称え、ロナルド・クーマン率いるアヤックスのイレブンにスタンディングオベーションを送っている。これ以降のシーズンも、2005-06シーズンまでチャンピオンズリーグ本戦に連続出場をし、2005-06シーズンにおいては決勝トーナメント1回戦まで進出した。

しかし、2006-07と2007-08シーズンは、予備戦3回戦にてそれぞれコペンハーゲンSKスラヴィア・プラハといったクラブに敗れ、チャンピオンズリーグ本戦出場を逃した。特に2007-08シーズンは、チャンピオンズリーグ予備戦3回戦敗退で出場することとなったUEFAカップにおいて、1回戦にてディナモ・ザグレブに敗れる失態を演じた。

2007年にクルゼイロEC、2008年3月にFCバルセロナと業務提携を結んだ。

2009-10シーズンはマルティン・ヨル監督の下、34試合で106ゴールと圧倒的な攻撃力を見せるも、首位のトゥウェンテに勝点1届かず2位に終わる。

2010-11シーズンはチャンピオンズリーグの予備予選とプレーオフを勝ち抜き、5シーズンぶりにチャンピオンズリーグ本戦出場を果たす。ヨル監督がシーズン途中で辞任するなど、パフォーマンスが安定しない前半戦だったが、後任のフランク・デ・ブール監督がチームに安定性をもたらし、首位決戦となった最終節のFCトゥウェンテ戦で勝利し、劇的な7シーズンぶりのエールディヴィジ制覇を達成。

2011年4月13日、東日本大震災の被災者支援慈善試合としてアヤックス側からJリーグクラブ清水エスパルスを招待し、入場料などの収益と約2週間の募金活動で合計約600万ユーロ(約7億2600万円)が集まり、オランダ赤十字を通して義援金として寄付されることとなった[5]

2012年5月2日、VVVフェンローを2-0で下し、エールディヴィジ2連覇を達成。連覇は1993年〜1996年以来16年振りの出来事。

2013年5月5日、ヴィレムIIを5-0で下し、エールディヴィジ3連覇達成。

2014年4月27日、ヘラクレス・アルメロ戦で引き分けるも、クラブ史上初となるエールディヴィジ4連覇を達成。

2016年、これまで4年半の間監督を務めていたフランク・デ・ブールが退任。新監督にピーター・ボスが就任。

2018-19シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは予選2回戦から出場。SKシュトゥルム・グラーツスタンダール・リエージュディナモ・キエフに勝利し、本大会出場を果たした。グループリーグではバイエルン・ミュンヘンSLベンフィカAEKアテネと対戦。ドイツ王者を相手に2度引き分けるなど無敗で2位通過し、2015-16シーズンのPSV以来オランダ勢3シーズンぶりのベスト16入りを果たした。決勝トーナメント1回戦では大会3連覇中のレアル・マドリードを相手にホームの1stレグを1-2で落とすも2ndレグで4-1(合計スコア5-3)と逆転勝利し、2006-07シーズンのPSV以来オランダ勢12シーズンぶりの準々決勝進出を果たした。準々決勝では前々回準優勝のユヴェントスと対戦し、ホームの1stレグで1-1で引き分けるも2ndレグで2-1(合計スコア3-2)と競り勝ち、2004-05シーズンのPSV以来オランダ勢14シーズンぶりの準決勝進出を果たした。準決勝トッテナム戦ではアウェイの1stレグを1-0で勝ち、ホームでも前半のうちに2点を追加。合計スコア3-0として通過を決定づけたかに思われたが、トッテナムMFルーカス・モウラに後半だけで3点を返されアウェイゴールの差で逆転敗退となった。それでも予選出場チームのベスト4進出は史上初の快挙であり、欧州トップクラスの強豪クラブを相手に一歩も引かず渡り合った若手たちの戦いぶりは世界中から称賛された。

19-20シーズンのチャンピオンズリーグには前シーズンオランダ王者として3次予選から出場し、PAOKサロニカとAPOELニコシアを下して本選への切符を掴んだ。グループステージではチェルシーバレンシアリールと対戦。トップクラブ不在の混戦の末、最終節バレンシア戦はホームで引き分け以上なら突破という状況であったが、先制されて取り返せないまま0-1で敗北し、グループ3位でELに回った。ELラウンド32ではスペインのヘタフェと対戦。アウェイの1stレグを0-2で落とし、ホームの2ndレグでも先制され、その後2点を返すが力尽き敗退した。なお直近2シーズンの欧州カップ戦においてアウェイで敗れたのはこれが初めてであった。一方エールディヴィジでは序盤から優勝争いのポジションを維持。25節時点でAZと勝点で並び得失点差で上回って1位であったが、ここで同時期の新型コロナウィルス感染拡大によりリーグ戦の中止が決定し、そのままシーズンを終了した。なお、1位ではあるが優勝クラブとしては扱われない[6]

2020-21シーズンのエールディヴィジ第6節VVVフェンロー戦で13-0の記録的大勝利をしてオランダ1部リーグにおける1試合の最多得点記録を更新した[7]

タイトル

トロフィールーム

国内タイトル

1956-57, 1959-60, 1965-66, 1966-67, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1982-83, 1984-85, 1989-90, 1993-94, 1994-95, 1995-96, 1997-98, 2001-02, 2003-04, 2010-11, 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2018-19, 2020-21, 2021-22
1916-17, 1942-43, 1960-61, 1966-67, 1969-70, 1970-71, 1971-72, 1978-79, 1982-83, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1997-98, 1998-99, 2001-02, 2005-06, 2006-07, 2009-10, 2018-19, 2020-21
1993, 1994, 1995, 2002, 2005, 2006, 2007, 2013, 2019

国際タイトル

1970-71, 1971-72, 1972-73, 1994-95
1986-87
1991-92
1973, 1995

※1972大会は、レンジャーズの招待に行われた試合であり、非公式戦として扱われてる。

1972, 1995

過去の成績

シーズンリーグ戦KNVBカップ欧州カップその他国内リーグ
最多得点者
ディビジョン順位選手

1956-57エールディヴィジ3422574964491位ヴィム・ブライエンベルフ21
1957-583417896244423位ヨーロピアンカップ準々決勝敗退ルーク・デン・エデル17
1958-5934157127763376位準々決勝敗退ヤン・セーレン16
1959-6034226610944501位ヘンク・フロート41
1960-6134227510251512位優勝ヨーロピアンカップ予選敗退ヘンク・フロート55
1961-6234167118059394位4回戦敗退カップウィナーズカップ1回戦敗退ヘンク・フロート35
1962-633017587341392位4回戦敗退セース・フロート23
1963-643013894023345位準決勝敗退セース・フロート36
1964-6530981352512613位1回戦敗退クラース・ヌニンハ15
1965-663024427925521位準々決勝敗退ヨハン・クライフ25
1966-6734264412234561位優勝ヨーロピアンカップ準々決勝敗退ヨハン・クライフ41
1967-683427439619581位準優勝ヨーロピアンカップ1回戦敗退ヨハン・クライフ33
1968-693425459034542位3回戦敗退ヨーロピアンカップ準優勝ヨハン・クライフ34
1969-7034276110023601位優勝ヨハン・クライフ33
1970-713424559020532位優勝ヨーロピアンカップ優勝ヨハン・クライフ27
1971-7234303110420631位優勝ヨーロピアンカップ優勝ヨハン・クライフ33
1972-7334300410218601位2回戦敗退ヨーロピアンカップ優勝インターコンチネンタルカップ優勝ヨハン・クライフ22
1973-743421948830513位準決勝敗退ヨーロピアンカップ2回戦敗退ヨニー・レップ17
欧州スーパーカップ優勝
1974-753421767634493位ベスト16UEFAカップ3回戦敗退ルート・ヘールス30
1975-763421857438503位準々決勝敗退UEFAカップ3回戦敗退ルート・ヘールス29
1976-773423656226521位ベスト32UEFAカップ1回戦敗退ルート・ヘールス34
1977-783420958536492位準優勝ヨーロピアンカップ準々決勝敗退ルート・ヘールス30
1978-793422667741501位優勝UEFAカップ3回戦敗退セーレン・レアビー16
1979-803422667741501位準優勝ヨーロピアンカップ準決勝敗退ディック・ショーナケル13
1980-813422488854482位準優勝ヨーロピアンカップ2回戦敗退ヴィム・キーフト17
1981-8234264411742581位ベスト16カップウィナーズカップ1回戦敗退ヴィム・キーフト32
1982-8334266210641581位優勝ヨーロピアンカップ1回戦敗退ヴィム・キーフト19
1983-8434227510046513位ベスト16ヨーロピアンカップ1回戦敗退マルコ・ファン・バステン28
1984-853424649346541位ベスト16UEFAカップ2回戦敗退マルコ・ファン・バステン22
1985-8634252712035522位優勝ヨーロピアンカップ1回戦敗退マルコ・ファン・バステン37
1986-873425369230532位優勝カップウィナーズカップ優勝マルコ・ファン・バステン31
1987-883423477840502位ベスト32カップウィナーズカップ準優勝ジョン・ボスマン25
UEFAスーパーカップ準優勝
1988-893422667432502位準々決勝敗退UEFAカップ1回戦敗退デニス・ベルカンプ
シュテファン・ペテルソン
13
1989-9034191146723491位準決勝敗退UEFAカップ1回戦敗退アーロン・ヴィンター10
1990-913422937521532位準々決勝敗退デニス・ベルカンプ25
1991-923425548324552位準々決勝敗退UEFAカップ優勝デニス・ベルカンプ22
1992-933420958730493位優勝UEFAカップ準々決勝敗退デニス・ベルカンプ26
1993-943426268626541位準決勝敗退カップウィナーズカップ準々決勝敗退スーパーカップ優勝ヤリ・リトマネン26
1994-9534277010628611位準々決勝敗退CL優勝スーパーカップ優勝パトリック・クライファート18
1995-963426539724831位ベスト16UEFAスーパーカップ優勝スーパーカップ優勝パトリック・クライファート15
CL準優勝インターコンチネンタルカップ優勝
1996-9734171075531614位ベスト32CL準決勝敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝パトリック・クライファート
ヤリ・リトマネン
6
1997-9834292311222891位優勝UEFAカップ準々決勝敗退ショタ・アルベラーゼ25
1998-993416997341576位優勝CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝ヤリ・リトマネン
ベニー・マッカーシー
11
1999-003418797251615位ベスト16UEFAカップ3回戦敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝リチャード・クノッペル
ニコス・マフラス
10
2000-013418798543613位ベスト16UEFAカップ2回戦敗退ショタ・アルベラーゼ17
2001-023422757334731位優勝CL予選3回戦敗退ラファエル・ファン・デル・ファールト14
UEFAカップ2回戦敗退
2002-033426539632832位準決勝敗退CL準々決勝敗退ヨハン・クライフ・スハール優勝ラファエル・ファン・デル・ファールト18
2003-043425547931801位ベスト16CLGS敗退ズラタン・イブラヒモビッチ13
2004-053424557433772位準決勝敗退CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝ライアン・バベル
ヴェスレイ・スナイデル
7
UEFAカップベスト32
2005-0634186106641604位優勝CLベスト16ヨハン・クライフ・スハール優勝クラース・ヤン・フンテラール16
2006-073423658435752位優勝CL予選3回戦敗退ヨハン・クライフ・スハール優勝クラース・ヤン・フンテラール21
UEFAカップベスト32
2007-083420959445692位4回戦敗退CL予選3回戦敗退ヨハン・クライフ・スハール優勝クラース・ヤン・フンテラール33
UEFAカップ1回戦敗退
2008-093421587441683位3回戦敗退UEFAカップベスト16ルイス・スアレス22
2009-1034274310620852位優勝ELベスト32ルイス・スアレス35
2010-113422757230731位準優勝CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝ムニル・エル・ハムダウィ13
ELベスト16
2011-123423749336761位4回戦敗退CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝シーム・デ・ヨング13
ELベスト32
2012-1334221028331761位準決勝敗退CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝シーム・デ・ヨング12
ELベスト32
2013-1434201136928711位準優勝CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール優勝コルベイン・シグソールソン
デイヴィ・クラーセン
10
ELベスト32
2014-153421856929712位ベスト16CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝アルカディウシュ・ミリク11
ELベスト16
2015-163425728121822位3回戦敗退CL予選3回戦敗退アルカディウシュ・ミリク21
ELGS敗退
2016-173425637923812位3回戦敗退CLプレーオフ敗退カスパー・ドルベリ15
EL準優勝
2017-183425458933792位ベスト16CL予選3回戦敗退ダヴィド・ネレス14
ELプレーオフ敗退
2018-1934282411932861位優勝CL準決勝敗退ドゥシャン・タディッチ28
2019-202518256823561位[8]準決勝敗退CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール優勝クインシー・プロメス
ドゥシャン・タディッチ
16
ELベスト32
2020-2134284210223881位優勝CLGS敗退ドゥシャン・タディッチ22
EL準々決勝敗退
2021-223426539819831位準優勝CLベスト16ヨハン・クライフ・スハール準優勝セバスティアン・ハラー21
2022-233420958638753位準優勝CLGS敗退ヨハン・クライフ・スハール準優勝ブライアン・ブロビー13
EL決勝TPO敗退
2023-2434

現所属メンバー

2024年2月1日現在[9]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK ヘロニモ・ルジ ( )
2DF デフィン・レンシュ ( )
3DF アントン・ガーエイ
4DF ヨレル・ハト ( )
6MF ジョーダン・ヘンダーソン
7FW ステーフェン・ベルフワイン ( )
8MF ケネト・テイラー
9FW ブライアン・ブロビー ( )
10FW チュバ・アクポム ( )
11FW カルロス・ボルジェス ( )
12GK ジェイ・ホルテル
13DF アフメジャン・カプラン
16MF シヴェルト・マンスヴェルク
18DF ヤコヴ・メディッチ
No.Pos. 選手名
19MF ユリアン・ライクホフ
21MF ブランコ・ファン・デン・ボーメン
22GK レンコ・パスフィール
23FW スティーヴン・ベルハイス
24MF シルヴァーノ・フォス ( )
25DF ボルナ・ソサ ( )
27FW アムリショ・ファン・アクセル・ドンヘン ( )
28MF キアン・フィッツ=イム
30DF ガストン・アビラ
33MF ベンヤミン・タヒロヴィッチ ( )
37DF ヨシプ・シュタロ ( )
38MF クリスティアン・フリンソン
39FW ミカ・ゴッツ
40GK ディアント・ラマイ ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

レンタル移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
No.Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF ユーリ・バース (NEC)
--DF ホルヘ・サンチェス (ポルト)
--DF オーウェン・ワインダル (ロイヤル・アントワープ)
--FW フランシスコ・コンセイソン (ポルト)
No.Pos. 選手名
--FW クリスティアン・ラスムッセン (ノアシェラン)
--FW ナジ・ユニュヴァル (トゥウェンテ)
--FW ゲオルゲス・ミカウターゼ (メス)

スタッフ

2023-2024シーズン体制

  • 監督 : モーリス・スタインヘドヴィヘス・マドゥロ (暫定)
  • テクニカルコーチ :
  • GKコーチ :
  • パフォーマンスコーチ :
  • パフォーマンスコーチ :
  • ユース最高責任者 :
  • チームマネージャー :

歴代監督

氏名国籍期間
ジョン・キーワン1910-1915
ジャック・レイノルズ1915-1925
ハロルド・ローズ1925-1926
スタンリー・キャッスル1926-1928
ジャック・レイノルズ1928-1940
ヴィルモス・ハルパーン1940-1941
ドルフ・ファン・コール1941-1945
ジャック・レイノルズ1945-1947
ロバート・スミス1947-1948
ウォルター・クルーク1948-1950
ロバート・トムソン1950-1953
ウォルター・クルーク1953-1954
カール・ヒューメンベルガー1954-1959
ヴィク・バッキンガム イングランド1959-1961
ケイス・シュプルゲオン イングランド1961-1962
ペピ・グルーベル  オーストリア1962-1963
ジャック・ローレイ イングランド1963-1964
ヴィク・バッキンガム イングランド1964-1965
リヌス・ミケルス オランダ1965-1971
シュテファン・コヴァチ  ルーマニア1971-1973
ジョージ・クノベル オランダ1973-1974
ハンス・クラーイ オランダ1974-1975
リヌス・ミケルス オランダ1975-1976
トミスラフ・イヴィッチ ユーゴスラビア1976-1978
コル・ブロム オランダ1978-1979
レオ・ベーンハッカー オランダ1979-1981
クルト・リンデル ドイツ1981-1982
ア・デモス オランダ1982-1985
ヨハン・クライフ オランダ1985-1988
クルト・リンデル ドイツ1988-1989
レオ・ベーンハッカー オランダ1989-1991
ルイ・ファン・ハール オランダ1991-1997
モアテン・オルセン  デンマーク1997-1998
ヤン・ボウタース オランダ1998-2000
ハンス・ベッセルホフ オランダ2000
コー・アドリアーンセ オランダ2000-2001
ロナルド・クーマン オランダ2001-2005
ダニー・ブリント オランダ2005-2006
ヘンク・テン・カテ オランダ2006-2007
アドリー・コスター オランダ2007-2008
マルコ・ファン・バステン オランダ2008-2009
マルティン・ヨル オランダ2009-2010
フランク・デ・ブール オランダ2011-2016
ピーター・ボス オランダ2016-2017
マルセル・カイザー オランダ2017
ミハエル・ライツィハー オランダ2017
エリック・テン・ハフ オランダ2017-2022
アルフレト・スフリューデル オランダ2022-2023
ヨン・ハイティンハ オランダ2023
モーリス・スタイン オランダ2023
ヨン・ファント・シップ オランダ2023-

歴代所属選手

サポーターによる事件

2023年9月24日、アヤックス対フェイエノールトの伝統の一戦デ・クラシケルで、アヤックスのサポーターがピッチに花火や発炎筒を投げ込み、0-3で負けている後半11分に試合は中止になった。オランダ公共テレビ「NOS」、英放送局「BBC」などによると、0-2の場面でプラスチックカップがピッチに投げ込まれ、0-3になると花火が打ち込まれた。後半開始後にも花火や発炎筒が投げ込まれたため、審判団が試合中止を宣告した。中止決定後には、アヤックスのサポーターが暴徒化。メインエントランスが破壊されたため、スタジアムは一時封鎖された。フェイエノールトの選手、スタッフは安全が確保されるまでドレッシングルームで待機を命じられた。スタジアム外でも混乱は続き、地元警察は暴力行為に及んだサポーター3人を逮捕。機動隊は催涙ガスを使って事態の収拾を図った[10]

その他

サテライトクラブ

下部組織

スタジアム

上記2つはアムステルダム・アレナが完成するまで併用

永久欠番

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脚注

関連項目

外部リンク