ひきた こうぞう 疋田 耕造 | |
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生誕 | (1929-01-01) 1929年1月1日(95歳) 大日本帝国・和歌山県新宮市 |
住居 | 大日本帝国 → 日本 |
国籍 | 大日本帝国 → 日本 |
出身校 | 関西大学 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1950年 - |
時代 | 昭和時代前期 - |
団体 | コーナン商事 トータル |
活動拠点 | 日本 |
肩書き | コーナン商事創業者 コーナン商事初代代表取締役社長 トータル代表取締役会長 |
子供 | 長男:疋田直太郎(コーナン商事第2代代表取締役社長) 長女:涼紫央 |
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疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日 - )は、日本の実業家。コーナン商事創業者、初代代表取締役社長。
和歌山県新宮市生まれ[1]。1945年(昭和20年)大阪市立住吉商業高等学校卒業[2]。1951年(昭和26年)関西大学文学部英文科卒業[3]。
寺下石油、木津川タンカー勤務を経て[3]、28歳で石油商社「木津川石油商会」を立ち上げ[4]、1961年「港南石油商会」創業[3]、1970年(昭和45年)石油販売会社・日本燃料販売設立。石油危機をきっかけに事業の多角化を図るため、1978年(昭和53年)ホームセンター事業のコーナン商事設立[4]。ホームセンターの草分けとして発展し、近畿地区トップのチェーンに成長させ、2001年には東証一部上場を果たした[1]。
中国製品輸入事務のために雇った34歳下の中国人女性と生計を一にする関係となったことから、当該女性の異例の昇進や億単位の貸付、不透明な取引などが問題となり、第三者委員会の調査の結果、取引先から女性へのリベートが発覚し、2013年(平成25年)代表取締役を引責辞任した[4]。長男疋田直太郎を後任の代表取締役社長に据え、自身はコーナン商事取締役相談役に退いた[5]。2019年(令和元年)トータル代表取締役会長[6]。