オーストリア人

オーストリア人ドイツ語: Österreicher 女性形はÖsterreicherin)は、

  1. オーストリア共和国の国籍を有する人(ドイツ系バイエルン系アレマン系の一部)、イタリア系チェコ系スロバキア系スロベニア系マジャル系トルコ系ユダヤ系など)。
  2. 1.の中でも特にドイツ語オーストリア・ドイツ語バイエルン・オーストリア語アレマン諸語の一部など)を母語とする人々。オーストリア国民の9割以上を占める。ドイツ系オーストリア人という呼び方をする場合もあるが、この呼び名が(たとえば日系アメリカ人のように)ドイツ連邦共和国からの移住者やその2世3世を指すことは滅多になく、ほとんどは累代のオーストリア人である。
オーストリア人
Österreicher
総人口
(1000万人以上[1][2][3])
居住地域
 オーストリア 800万人フォアアールベルク州チロル州最西部を除く地域)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国800,000
イタリアの旗 イタリア
ボルツァーノ自治県の大部分、ヴェネト州フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州北部)
300,000[4]
ドイツの旗 ドイツ バイエルン州中部・東部・南東部)230,000
スイスの旗 スイスグラウビュンデン州最東部)80,000
イギリスの旗 イギリス24,000
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国20,204
オーストラリアの旗 オーストラリア15,000
 チェコ (大半は南モラヴィア)9,300
 スウェーデン6,300
スロベニアの旗 スロベニア (大半はシュタイエルスカ地方)5,400
スロバキアの旗 スロバキア (大半はブラチスラヴァ)5,400
ブラジルの旗4,000
 ハンガリー (大半はショプロン)3,000
ギリシャの旗 ギリシャ1,800
ニュージーランドの旗 ニュージーランド1,300
言語
ドイツ語オーストリア・ドイツ語バイエルン・オーストリア語[5]クロアチア語ハンガリー語スロベニア語
宗教
カトリック教会 66%
福音主義教会 4%
イスラム教 4%
無宗教 26%
関連する民族
ゲルマン人チェコ人[6]スロバキア人ハンガリー人マジャル人)、スロベニア人クロアチア人[7]

概要

元々、現在のオーストリアは神聖ローマ帝国皇帝位を近世に独占していたハプスブルク家の領国オーストリア大公国の後身であり、名目上とはいえオーストリアはドイツ諸邦の盟主の座にあった。

神聖ローマ帝国が崩壊した後、神聖ローマ皇帝フランツ2世オーストリア皇帝フランツ1世と称し、オーストリア帝国が成立した。しかしハプスブルク家が世襲してきた領国(ハプスブルク帝国)には11の民族と5,000万の国民が居住しており、彼らがオーストリア家(ハプスブルク家)に忠誠を誓うことでオーストリア帝国は糾合されると考えられた。そのため「領地はたくさんある。人口はたくさんある。オーストリア民族はいない。国家はない」(H・アンディクス)と言われる有様であった。

神聖ローマ帝国亡き後に発足したドイツ連邦の議長国はオーストリア帝国であった。ドイツ連邦の解体後はプロイセン王国を中心とするドイツ帝国とハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国に完全に分断されたが、その後もアンディクスの評を証明するように、オーストリアのドイツ語話者の間には自分たちは「ドイツ人」であるという意識が続いた。19世紀オーストリアを代表する宰相メッテルニヒも、オーストリア域外出身のドイツ人である。

第一次世界大戦によって「民族自決の原則」に従いオーストリア=ハンガリー帝国は解体に向かい、大戦末期の1918年オーストリア革命によって第一共和国が成立した。上オーストリア下オーストリアケルンテンザルツブルク地方チロルのドイツ人居住地域(南チロルを除く)などを残すのみの小国となったオーストリアでは、ドイツとの統合が政治的立場の左右を問わない国民の念願となったが、サン=ジェルマン条約によってドイツとオーストリアとの統合は禁じられた。

ドイツ・オーストリア合邦(アンシュルス)がようやく実現したのは1938年のことだったが、それは決して平和的なものではなく、ナチス・ドイツによる軍事的圧力の下で行われた。エスターライヒ(オーストリアのドイツ語名)という地名は抹殺されて「オストマルク」と改称させられ、戦争の惨禍に巻き込まれた。ナチス・ドイツを率いたアドルフ・ヒトラーはオーストリア出身で、ドイツに移り「ドイツ民族の糾合」を唱えたが、自身のルーツはボヘミアチェコ)系(ボヘミア・ドイツ人?)であった。ボヘミア自体も現在こそスラヴ系が圧倒的多数となっているが、ドイツ人入植者が多かったころは神聖ローマ帝国の帝都としてプラハがドイツ民族の中心となった時期もあり、スラヴ系でもゲルマン風の名乗りが多くなるなど、その住民の出自は混沌としている。ドイツ人がこうしたものであるように、オーストリア民族というのは文化的集団であり、後述するように国家によって創造される概念である。

ナチス・ドイツ統治下時代を経て、オーストリア人は自分たちがドイツ人ではなくオーストリア人であるという感情(アイデンティティ)を初めて抱くようになり、1955年カール・レンナー首班によるオーストリア第二共和国が成立する。しかし、今なお右派政党は国号にドイツの文字を入れるように主張し、またしばしば、上記2の意味合いでドイツ人という言葉が用いられる。

特に近年[いつ?]、統一EUの発足後、東欧人トルコ人への差別意識を背景にドイツ民族主義の復興が著しい。オーストリアの地名には頭にドイッチェ(ドイツ人の)とつくものがドイツ以上に目立つが、これはドイツ人地域内で南東部に位置して異民族との境界に接してきた歴史を反映している。

ただし、宗教的にオーストリア人はドイツのバイエルン州の住民と同じくカトリックが主流で、ドイツ国内の他の地域で信者が多い福音主義教会の信者が少ない。

関連項目

出典

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