キユーピー

日本の東京都渋谷区にある食品メーカー

キユーピー株式会社キューピー: Kewpie Corporation[3])は、1919年大正8年)に設立されたマヨネーズなどの調味料を主力としている日本の食品メーカー株式会社中島董商店アヲハタ株式会社とともに「キユーピー・アヲハタグループ」を形成している。

キユーピー株式会社
Kewpie Corporation
渋谷董友ビル(キユーピー本社)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報
東証プライム 2809
1970年7月22日上場
本社所在地日本の旗 日本
150-0002
東京都渋谷区渋谷一丁目4番13号
北緯35度39分41.0秒 東経139度42分17.8秒 / 北緯35.661389度 東経139.704944度 / 35.661389; 139.704944 東経139度42分17.8秒 / 北緯35.661389度 東経139.704944度 / 35.661389; 139.704944
設立1919年大正8年)11月30日
業種食料品
法人番号6011001006277 ウィキデータを編集
事業内容マヨネーズ、ソースなどの製造販売等
代表者代表取締役社長執行役員 高宮満
資本金241億400万円
(2020年11月30日現在)[2]
発行済株式総数1億5000万株
(2020年11月30日現在)[2]
売上高連結: 5311億0300万円
単独: 1767億3400万円
(2020年11月期)[2]
営業利益連結: 283億0300万円
単独: 118億0200万円
(2020年11月期)[2]
経常利益連結: 289億8900万円
単独: 162億1400万円
(2020年11月期)[2]
純利益連結: 140億0000万円
単独: 97億9400万円
(2020年11月期)[2]
純資産連結: 2853億7700万円
単独: 1563億2600万円
(2020年11月30日現在)[2]
総資産連結: 4517億2300万円
単独: 2509億2900万円
(2020年11月30日現在)[2]
従業員数連結: 16,003人
単独: 2,426人
(2020年11月30日現在)[2]
決算期11月30日
主要株主
主要子会社
関係する人物
外部リンクwww.kewpie.co.jp ウィキデータを編集
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概要

母体は現在の中島董商店で、創立者の中島董一郎が若いころのアメリカ留学時代にマヨネーズと出会い、1919年(大正8年)、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区小滝町)に食品工業株式会社を設立。1925年(大正14年)3月に国産初のマヨネーズ(キユーピーマヨネーズ)の製造を開始、1957年昭和32年)に社名を「キユーピー株式会社」に変更。現在も中島董商店がキユーピー・アヲハタグループの中核となっている。

有名なマヨネーズのほかにも、さまざまな食品、調味料、業務用製品も手がけている。

食品流通トップのキユーソー流通システムはキユーピーから独立した会社。ディスペンパックジャパンサラダクラブ三菱商事との合弁会社である。

社名と商標

  • 社名・商標の正式な表記は、「キーピー」であり、小字を用いた「キーピー」ではない。
    この表記を継続しているのは、キユーピー側ではデザイン上の理由であるとしている[4]。同様の例として富士フイルム[注 1]キヤノンシヤチハタオンキヨーエーアイテイージヤトコ[注 2]キヤリアなどがある。国語国字改革前に創業した老舗企業では、歴史的仮名遣として社名の拗音を現在でも小書きにしない会社も多い。
    なお、ドレッシングボトルの点字では、読みを優先させるという観点から「きゅーぴー」で表記している。
  • ロゴマークの由来はキューピー人形である[注 3]。ただしイスラム圏では、キユーピーが天使イスラム教禁忌である偶像崇拝)と誤解されないために、2013年からのないキユーピーが描かれている[5]
    キユーピーの英文商号は、2010年2月まで「Q.P. Corporation」としていたが、同年2月23日より「Kewpie Corporation」に変更した。製品のマヨネーズに印字される文字は、以前から常にキューピー人形と同じ「KEWPIE」で、公式ウェブサイトドメイン名kewpie.co.jpである。瓶入りマヨネーズなど、極一部の製品にこの文字が印字されている。
    2010年(平成22年)1月21日に同年2月23日株主総会で、英文商号を「Kewpie Corporation」に変更する提案の告知が行われ、実際に変更が行われた[6]2017年(平成29年)から、テレビ番組における協賛表示クレジットやCMサウンドロゴも「キユーピー」から「kewpie」に変更されている[7][注 4]
  • キユーピーのマークは1922年(大正11年)に日本で(第147269号)、1965年(昭和40年)にアメリカ合衆国で商標登録を行っている。
  • 企業キャッチフレーズは「Food, for ages 0-100」「愛は食卓にある。(love around the kitchen table)」。
    2007年(平成19年)4月からは「愛は食卓にある。」のキャッチフレーズを加えて商標として使用している。
  • 1998年(平成10年)、ローズ・オニール遺産財団からキューピーの日本での著作権を譲り受けた「日本キューピークラブ」の代表が、「キユーピーマヨネーズのロゴマークは著作権侵害にあたる」と裁判を起こしたが、原告の請求は棄却された[8]
  • 東京都世田谷区の「キューピータクシー」という社名のタクシー会社を、キユーピーが商標の無断使用で裁判に訴えた。そのため、この会社は2000年(平成12年)3月1日付で、ビゲスト株式会社(Biguest=BigとGuestの合成語)に社名を変更した[9]

沿革

キユーピー北京工場(北京丘比食品有限公司)

出典:キユーピー企業サイト「キユーピーの歩みと未来

  • 1919年大正8年)11月 - 中島董一郎が、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区小滝町)に食品工業株式会社を設立。
  • 1925年(大正14年)3月 - 日本初のマヨネーズ「キユーピーマヨネーズ」を発売、商標として「キユーピー」を使用。
  • 1932年昭和7年) - 株式会社旗道園(現・アヲハタ)を設立。
  • 1933年(昭和8年) - 東京府北多摩郡西府村(現在の東京都府中市)に西府農場を設置、マヨネーズ原料の鶏卵を生産。
  • 1938年(昭和13年) - 現在の兵庫県伊丹市に稲野工場(現・伊丹工場)を設置。
  • 1941年(昭和16年)- 中島董一郎が代表取締役社長に就任。
  • 1945年(昭和20年)- 東京大空襲により、中野区の本社および工場を焼失。
  • 1948年(昭和23年)- 戦時中に中止していたマヨネーズ製造を西府農場で再開。
  • 1951年(昭和26年)- 東京府北多摩郡神代村(現在の東京都調布市仙川町)に仙川工場を設置(現・仙川キユーポート)[10]
  • 1957年(昭和32年)9月 - 商号をキユーピー株式会社に変更。
  • 1958年(昭和33年)- 日本初のドレッシング「キユーピーフレンチドレッシング(赤)」を発売。
  • 1959年(昭和34年)- 日本初のミートソース缶詰「キユーピーミートソース」、日本初のホワイトソース缶詰「キユーピーホワイトソース」を発売。
  • 1960年(昭和35年)- 本社を東京都調布市仙川町に移転。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1964年(昭和39年)- 佐賀県鳥栖市に鳥栖工場を設置(現・鳥栖キユーピー株式会社)。
  • 1965年(昭和40年)- 日本初の醤油ベースドレッシング「キユーピー オリエンタルドレッシング」発売。
  • 1966年(昭和41年)2月 - キユーピーの倉庫部門が分離・独立し、キユーピー倉庫株式会社として設立(現・キユーソー流通システム)。
  • 1968年(昭和43年)3月 - 本社を東京都渋谷区に移転。
  • 1970年(昭和45年)7月 - 東京証券取引所第2部に上場。
  • 1972年(昭和47年)- キユーピー製造商品の販売を中島董商店からキユーピーに移管。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月 - 東京証券取引所第1部に上場。
    • 12月19日 - 創業者の中島董一郎が死去。
    • 12月 - キユーピー株式会社、中島董商店の販売部門を継承。
  • 1977年(昭和52年)- 東京都府中市の中河原工場が仙川工場から独立。
  • 1988年(昭和63年)- 中河原工場の分工場として、青森県三戸郡に階上工場を設置(現・階上キユーピー株式会社)
  • 1993年平成5年)- 中華人民共和国に北京丘比食品有限公司を設立。
  • 1998年(平成11年)- 日本初の家庭用介護食を発売。翌年、ユニバーサルデザインフード「キユーピー やさしい献立」を発売。
  • 1999年(平成12年)
    • 2月 - 東京都府中市住吉町に、株式会社サラダクラブを三菱商事との合弁会社として設立(2013年10月、仙川キユーポートへ本社移転)[11]
    • 4月 - サラダクラブ中河原工場(キユーピー中河原工場内)でパッケージサラダ5品の製造販売を開始[11]
  • 2013年(平成25年)
    • 9月1日 - 連結子会社の株式会社菜華(生鮮野菜の加工・販売業)[注 5]を吸収合併[12]
    • 10月15日
      • 渋谷の本社社屋の建て替え工事に伴い、本社を旧仙川工場跡地に完成した仙川キユーポートへ仮移転。中島董商店などグループ4社の社屋・事務所、労働組合企業年金の事務所もそれぞれ仮移転[10][13]
      • 東京都府中市のキユーピー醸造(宮町1丁目40)、サラダクラブ(住吉町5丁目13-1)の本社を仙川キユーポートへ移転。
  • 2014年(平成26年)12月 - 会社分割によりアヲハタにパン周り商品の販売事業を移管し、これに伴う株式取得でアヲハタを連結子会社[14]
  • 2015年(平成27年) - 中河原工場の敷地内に、キユーピーグループ研修センター「みらいたまご」を開設。
  • 2016年(平成28年)1月18日 - 渋谷董友ビル(新本社ビル)竣工に伴い、本社が渋谷区渋谷に再移転[15]
  • 2018年(平成30年) - 中華人民共和国に広州丘比食品有限公司、フィリピンにKewpie Philippines, Inc. 設立。
  • 2021年(令和3年)

工場・事業所

工場

五霞、挙母、神戸、鳥栖工場は見学可。

事業所

  • 支店 - 札幌、仙台、関東、東京、名古屋、大阪、中四国、福岡
  • 営業所 - 全国17か所
  • 仙川キユーポート(東京都調布市仙川町
    • 閉鎖した旧仙川工場(2011年3月閉鎖。1960年から1969年まで本社)跡地に2013年10月開設[19]。上記の通り、渋谷区の本社ビル建替完成までの仮本社が置かれていた。
  • 関西キユーポート(兵庫県尼崎市・伊丹市)[20]
    • 老朽化した旧伊丹工場のマヨネーズ&ドレッシング製造工場跡地と大阪市淀川区[21][22]大阪府吹田市広芝町の江坂董友ビルにあった大阪支店に変わる関西の研究開発・オフィス複合施設を兼ねた事業所。2020年1月に竣工し同年2月稼動開始。これに合わせてグループ企業を含めて大阪支店の引っ越し作業が順次相次いで行われていた。さらに同年3月より生産も開始されている。

グループ会社

キユーピー・アヲハタグループという名称で下記の会社でグループを構成している。

株式会社中島董商店
各種瓶缶詰食料品の卸売および酒類の輸入販売、キユーピー・アヲハタグループの特許権や商標権など知的財産の管理
キユーピー株式会社
マヨネーズ他一般ソース類、各種瓶缶詰食料品、その他食料品の製造加工販売他。
アヲハタ株式会社
ジャム・果実・デザート等の瓶詰類、ソース・調理品等の製造。
キユーピー醸造株式会社
各種ビネガーおよび関連調味料の製造販売。
株式会社nakato(なかとう)
輸入酒類・国産自社ブランド及び輸入食料品の販売。中島董商店の販社として【nakato】ブランドを冠した、こだわり高級食品を取り扱っている。
株式会社トウ・ソリューションズ
コンピュータソフトウェアの企画・設計・開発および販売。コンピュータシステムの運営・管理。
株式会社トウ・アドキユーピー
広告代理業。
株式会社トウ・キユーピー
キユーピーウエルネス運営、食料品・雑貨の販売、通信販売業務、自動車の賃貸借。
株式会社董花
不動産の売買および賃貸、事務用情報機器のリース。
株式会社キユーソー流通システム
製品、原材料の保管、運送。
株式会社サラダクラブ
三菱商事と共同で設立。
株式会社ディスペンパックジャパン

おもな商品とブランド

キユーピーマヨネーズ
  • キユーピー
    • キユーピーマヨネーズ(特に450gが主力とされている[23]
    • キユーピーマスタード
    • キユーピーパスタソース
      • キユーピーミートソース(オリジナル、マッシュルーム入り、フォン・ド・ヴォー仕立て)
      • あえるパスタソース
      • パスタ倶楽部
      • キユーピーイタリアンテ
      • キユーピー3分クッキング レンジで手作りパスタソース
      • キユーピー3分クッキング パスタのためのオイルソース
      • キユーピー3分クッキング パスタのための手作り用ソース
    • キユーピーパン工房シリーズ
    • キユーピードレッシング
      • キユーピードレッシング - 機能性表示食品も多数ある。[24]
      • キユーピーテイスティドレッシング
      • キユーピー味わいすっきりドレッシング
      • キラキラ元気&
      • キユーピーノンオイル

以下のブランドは、かつて中島董商店の販売であったが、2008年6月よりキユーピーの販売に変更された[25]

  • サラダクラブ(農水産加工食品)
  • 玉九(加工品)
  • ほしえぬ(業務用食品)
  • スノーマン(業務用冷凍食品)

過去に発売されていた製品

  • キユーピーバーンスタインドレッシング(1971年発売。1973年頃生産終了)過去に業務提携していたアメリカのバーンスタインズ社との共同開発のドレッシング。
  • キユーピーアメリカンマヨネーズ1980年に発売。1999年に生産終了)
  • キユーピーホイップマヨネーズ(1999年発売。翌年生産終了)
  • キユーピークオーター(2004年発売。2011年2月生産終了)

以下のブランドは2014年12月よりアヲハタがおもに販売する[14]

広報活動

キユーピーマヨネーズの広告については、1968年よりライトパブリシティ秋山晶細谷巌らが50年もの長きにわたり、一貫した「トーン&マナー」でクオリティの高い作品を制作している。また、パスタソース、ドレッシングの広告ではライトパブリシティ出身の山下勇三が制作。

新聞広告

キユーピーマヨネーズの新聞広告は全国紙や一部地方紙にて毎月1回、給料日(25日)明け最初の日曜日付朝刊の1面中段部(いわゆる「記事中」)に掲載されている。キユーピーマヨネーズ300g瓶とシルエット、それをバックに料理皿を持ったキユーピーのイラストが描かれたレイアウトになっている。キユーピーが持っているに乗っているのはマヨネーズをかけたサーモンである。これはキユーピーマヨネーズが世に出た当初(1920年代)まだ日本では生野菜を食べる習慣がなく、マヨネーズはおもに魚料理に使うよう発売されていたためである。このレイアウトが60年以上使用されており、現在の広告には「毎日のお食膳に」と記されている。

たらこキユーピー

2004年(平成16年)10月に放送を開始した[26][27]「キユーピー あえるパスタソース たらこ」のCMは、たらこを連呼するCMソングたらこ・たらこ・たらこ』(作詞:加藤良一、作曲:上野耕路)に合わせて、たらこの格好をしたキユーピーちゃん人形(通称:たらこキユーピー)が行列行進するもので、2006年(平成18年)にはCMソングがCD化されオリコンシングルチャートのトップ10入り、新語・流行語大賞のベスト10入りするなど大流行した。

このCMを制作したのはCM監督の加藤良一。たらこキユーピーはキモかわいいとして人気を集め、CMで本来宣伝するはずだった「あえるパスタソース」よりも有名になった。これに対し、加藤良一は日本経済新聞インタビューで「僕にはかわいいとしか思えない。感覚がずれているのかなあ」と語っている[28]

キユーピー社内では本来、たらこキユーピーのキャラクター商品を販売する予定はなかったが、関係者らに配布した携帯ストラップが評判になったため、商品化に踏み切った。

2006年(平成18年)にはロックバンドthe brilliant greenのボーカルの川瀬智子のソロプロジェクト「Tommy heavenly6」がリリースしたシングル「I'm Gonna SCREAM+」のミュージック・ビデオで、たらこキユーピーがゲスト出演している[29]

2018年(平成30年)、6年ぶりにたらこキユーピーの出演するCMが制作・放送された[30]

テレビ・ラジオの提供番組

☆はかつての提供番組

テレビ

主に30秒枠のテレビ提供番組が多い。しかし、2009年4月の改編でCMの放送時間が大幅に変わった(例えば、東海テレビ制作フジテレビ系全国ネットの昼帯ドラマ隔日の提供[注 7]、『ぴったんこカン・カン』など)。

独立UHF局向けにも『佐藤しのぶ 出逢いのハーモニー』(tvk発でチバテレ玉SUN-TVへネットしている)のスポンサーである。30秒枠。近年ではBS朝日BSジャパンなどBSテレビ局でも提供番組を持っている。

稀に特別番組で筆頭提供することもある。

主な提供番組

など。

ラジオ

長期間のCM自粛

2004年6月8日、同社と三菱商事の合弁企業であるサラダクラブ不法就労が発覚したことを受け、翌日から1ヶ月半程度CM自粛した。『3分クッキング』のCMも同年6月9日から7月17日にかけてACジャパン(当時:公共広告機構)に差し替えられた[注 15]

唯一のテレビアニメ・特撮における協賛番組はテレビ愛知製作の『デルトラ・クエスト』で、開始当初は半年間、PT扱いだったが、2007年10月以降はヒッチハイクで放送されていた。2008年に入ってからは『トミカヒーロー レスキューフォース』のヒッチハイクとなっていたが、6月にアヲハタの生産品の販売先が中島董商店から同社に変更しており、この番組も同年12月まで放送されている。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により、当日15時以降長期間にわたりCM自粛が続いていた。同社の五霞工場と富士吉田工場に損傷があったため、この2工場の工場見学を一時中止する旨をホームページで告知している。物流面では五霞工場で製造している商品を挙母工場や伊丹工場・鳥栖工場へ生産を振り替えつつ2工場の修復作業を進め、在庫品の流通も数日後より再開した。しかしテレビ・ラジオのCM再開はまだ目処が立たないため、『3分クッキング』については急遽日本テレビとCBCの各番組ホームページに放送予定だった料理を動画で見られるように処置した。この他の各提供番組(特番で提供予定だった番組を含む)はCMをACジャパンなどに差し替えつつ再開時期を模索していた。

その後『3分クッキング』は日本テレビ系18局が同年3月28日に放送を再開するが、CBC発版は東北放送・テレビユー福島・IBC岩手放送の3局を除き系列10局で同日より放送再開、各提供番組も一部を除きCMを再開している。ただし一部の番組は提供クレジットを自粛していた。同年4月4日に東北放送・テレビユー福島・IBC岩手放送でもCMを再開したが、この3局は震災被災地の食糧事情を配慮して、CMをキユーピーではなくACジャパンに差し替えて放送していた。同様にその他の各提供番組も福島県・宮城県・岩手県にある各放送局ではキユーピーのCMではなく、ACジャパンに差し替えてCMを流していた。なお「キユーピー ハート・オブ・サンデー」は、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降CMを自粛して放送していた。その後は震災被災地の食糧事情の回復を確認した上で、同年5月1日夜の「ホンネ日和」より順次『3分クッキング』以外の提供クレジットを再開、被災地でもキユーピーのCMが流れ始め、「ハート・オブ・サンデー」も同5月1日放送分より提供クレジット・CMを再開した。

しかし、2011年8月4日東海テレビローカル番組ぴーかんテレビ』における「セシウムさん騒動」を受け、東海テレビについては同年8月8日提供分より、キユーピーは抗議の意味をこめてCM自粛とした(ACジャパンのCMに差し替え)。また同局発FNS系27局同時ネット番組である東海テレビ制作昼の帯ドラマの主要スポンサーでもあるため、テロップ問題の影響によりPT扱いに格下げして、ネット先ではCMを流し続けていた(CM送出の役割をテレビ静岡・新潟総合テレビ・長野放送以東の東日本・北日本はフジテレビから、富山テレビと石川テレビ・福井テレビと関西テレビ以西の西日本は関西テレビに変更)。その後は同年10月より東海テレビエリアでもCM送出を再開し(提供クレジットは自粛)、同年11月に提供クレジットを含めCM自粛が解除された。なお中京地区のその他の各テレビ局でのテレビCM提供番組については通常通りCMを流している。

CM再開後の東海テレビで、翌2012年11月 - 12月に放送された昼ドラマ『幸せの時間』で、性表現の演出が放送時間にふさわしくないとBPOから指摘されたのを受けて、放送途中から最終回まで提供クレジットを自粛してCMを流した[注 16]。同様に性表現の際どい連続ドラマについては放送期間中、単発特番を除き提供クレジットを自粛する判断をしている。

2013年4月 - 6月放送の日本テレビ水曜ドラマ雲の階段』でも性表現の問題で提供クレジットを自粛していたが、2014年1月15日 - 3月12日放送の同枠『明日、ママがいない』では、再び提供クレジットどころかCMまで自粛する事態が生じた。自粛によるCM休止分は一部同時刻裏番組の他局特番や他局単発特番に振り替えられて放送されていた。一部の未放送分休止振り替えは年度をまたいで春夏期編成の単発特番に回された。

また、関西テレビ火曜22時枠連続ドラマでも、2013年4月期放送の『幽かな彼女』の主演俳優他社のマヨネーズのCMに出演している関係で、提供クレジットを自粛してCMを流している[注 17]2017年に放送された関西テレビの火曜21時ドラマ第4作『僕たちがやりました』では、学園ドラマであるが性表現のシーンが度々出ることなどから提供クレジットを自粛してCMを流していた。なお、月曜22時枠連続ドラマ移行後は、クロスネット局を除いての放送となった。

なお、短期間ではあるが報道系・情報系の提供番組を一時休止したケースもある[注 18][注 19]

TBSテレビの『ひるおび!』内で2021年9月14日および15日放送分番組後半(番組構成上の区分けでは第3部または午後パート(11:55-13:55に当たるゾーン)で当日の専門家による解説で問題発言をし6回分の番組提供を見合わせた[34]。その後問題発言の訂正放送および発言撤回と謝罪を受けて番組提供を再開させることに至ったケースが起きていた[35][36][注 20]

同じくTBSテレビの『THE TIME,』の金曜のメインキャスターだった男性俳優銀座のあるホステスとの不祥事が2022年8月下旬に一部週刊誌のスクープで発覚し、2022年8月26日と9月2日のスポンサーゾーンである7時台後半枠のクレジットを見合わせた[注 21]。なお、その男性俳優は当初TBSが引き続きメインキャスターを継続と見解を示すもその後、9月1日になって見解を変更し8月いっぱいで番組降板と、9月2日放送分の同番組内にて謝罪VTRが流れた[注 22]。同番組の金曜メインは翌週の9月9日より江藤愛(TBSアナウンサー)に急遽変更されている[37][38]

CMキャラクター

現在

過去

ギャラリー

関連項目

脚注

注釈

出典

外部リンク