サウサンプトンFC

イングランドのサッカークラブ

サウサンプトン・フットボール・クラブ英語: Southampton Football Club)は、イングランドハンプシャーサウサンプトンをホームタウンとするプロサッカークラブ。2023-24シーズンからはEFLチャンピオンシップに在籍している。

サウサンプトンFC
原語表記Southampton Football Club
愛称The Saints(セインツ)
クラブカラー   
   
創設年1885年
所属リーグEFLチャンピオンシップ
所属ディビジョン2部(2023-24)
昨季リーグ順位20位(2022-23
ホームタウンサウサンプトン
ホームスタジアム
セント・メリーズ・スタジアム
収容人数32,384[1]
代表者セルビアの旗 ドラガン・ショラク
監督イングランドの旗 ラッセル・マーティン英語版
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

愛称はセインツ(The Saints)[2]。主な獲得タイトルは1976年のFAカップ優勝で、リーグ戦の最高順位は1983-84シーズンの2位である。ホームグラウンドはセント・メリーズ・スタジアム(収容人数32,505人)。2001年に旧ホームグラウンドのザ・デルから移転した。

アカデミー(ユース組織)に定評があり、現在もクラブに所属しているジェームズ・ウォード=プラウズや、セオ・ウォルコットアダム・ララーナアレックス・オックスレイド=チェンバレン(いずれもイングランド代表)、ガレス・ベイルウェールズ代表)、クリス・ベアード北アイルランド代表)をはじめ、ウェイン・ブリッジ(元イングランド代表)、アンドリュー・サーマン(元U-21イングランド代表)、ネイサン・ダイアーなどといった有望な選手を輩出していることで知られる。また、ニューカッスル・ユナイテッドの英雄で元イングランド代表アラン・シアラーもサウサンプトンのユース出身である。

同じイギリス南部の港湾都市であるポーツマスとの対戦はサウスコーストダービーと呼ばれる[3]が、入れ替わるように昇降格したり、ポーツマスが4部まで低迷したりする中で、近年はリーグでの対戦が行われていない。

歴史

創成期

1885年にセントメリーズ教会が設けた "St. Mary's Young Men's Association F.C.(St. Mary's Y.M.A.)" として創設された[2]。その後2回の改名を経て、1896-97シーズンにサザンフットボールリーグを制したのちに現在の名称となった。1898年、ホームスタジアムを街の中心の北西に新たに建設したザ・デルに移転した。

フットボールリーグへの参加

1921年から現在までの順位の変遷[4]

1920年、新たに創設されたフットボールリーグ3部に参加。翌1921-22シーズン、フットボールリーグ3部は南北に分かれるが、サウス・ディビジョンで優勝してリーグ2部に昇格した。その後、31年間2部に在籍したが、1952-53シーズンを22チーム中21位で終了し、再びリーグ3部に降格した。1959-60シーズンに3部で優勝し、フットボールリーグ2部に復帰すると、1965-66シーズン、シーズン30ゴールを挙げたマーティン・チヴァーズの活躍もあって、2部を2位で終了し、クラブ創設以来初のリーグ1部昇格を果たした。しかし、1973-74シーズン、22チーム中20位となって再びフットボールリーグ2部に降格した。

FAカップ優勝の栄光

1976年5月1日、大方の予想を覆して、ボビー・ストークスのゴールによりマンチェスター・ユナイテッドを1-0で下してFAカップに優勝した。これがクラブが唯一獲得した主要タイトルである。翌1976-77シーズンにはUEFAカップウィナーズカップに出場し、準々決勝に進出した。

トップフライトの時代

1977-78シーズン、主将アラン・ボールを中心としたチームは2位でフットボールリーグ2部を終え、フットボールリーグ1部に再び昇格した。以来、1978-79シーズンから2004-05シーズンまでトップディビジョンに所属し、1983-84シーズンにはチーム史上最高順位である2位となった。

1990年代には成績がやや低迷したが、その中で活躍したのがクラブのレジェンド、マット・ル・ティシエであった。ル・ティシエは、1986年のデビュー以来、2002年の引退までサウサンプトン一筋で活躍して209ゴールを挙げ、"Le God"と呼ばれた[5]

2000年代に入り、2001年8月にホームスタジアムを103年間使用したザ・デルからセント・メリーズ・スタジアムに移転した。2002-03シーズンにはFAカップで準優勝し、翌2003-04シーズンのUEFAカップに出場した。しかし、2004-05シーズンは成績が振るわず、2004年12月には前月にライバルチームのポーツマスの監督を辞任したばかりのハリー・レドナップが監督に就任してチームのてこ入れを図った[6]が、その甲斐もなく、2005年5月15日、セント・メリーズ・スタジアムで行われた最終節でマンチェスター・ユナイテッドに1-2で敗れ、20位(最下位)でシーズンを終了し、27年間所属したトップディビジョンからチャンピオンシップ(2部)に降格することとなった[7]

クラブ低迷期 -運営会社の倒産、リーグ1への降格-

チャンピオンシップ1年目となった2005-06シーズンは、2005年8月29日のコヴェントリー・シティ戦から2006年3月28日のバーンリー戦まで35試合でわずか5勝しかできず、1部昇格どころか2部残留も危ぶまれたが、最後の6試合で5勝してシーズンを12位で終了し、降格を免れた。なお、シーズン中の2005年12月、ハリー・レドナップは辞任して再びポーツマスの監督に復帰した。2006年1月、期待の若手のセオ・ウォルコット(当時16歳)が報酬500万ポンドから1200万ポンドという条件でアーセナルに移籍した[8]

2007年5月、ダービー・カウンティ戦のキックオフ前に円陣を組むサウサンプトンの選手達

2006-07シーズンはポーランド人ストライカーのグジェゴシュ・ラシャクマレク・サガノフスキ、当時17歳のガレス・ベイルの活躍もあって、6位で終了して昇格プレーオフに出場するも、準決勝でPK戦の末にダービー・カウンティに敗れて昇格を逃した。翌2007-08シーズンは、クラブの財政状況の悪化を防ぐためにガレス・ベイルケンウィン・ジョーンズなどの主力選手を売却せざるを得なくなったこともあり、一転して残留争いに巻き込まれ、最終節でシェフィールド・ユナイテッドに3-2で勝利してようやく残留を決めた。ところが、翌2008-09シーズンには運営会社が会社再建手続に入ったため勝ち点10を剥奪された結果、23位で終了してリーグ1(3部)に降格し、2009-10シーズンも勝ち点-10からスタートすることとなった。

プレミアリーグへの復帰

2009年7月8日、ドイツ生まれのスイス人ビジネスマンのマルクス・リーブヘルがクラブを買収したことからクラブは転機を迎える。9日、当時の監督マルク・ヴォッテは解任され、17日にアラン・パーデューが監督に就任し、2009-10シーズン開幕直後の8月10日にはブリストル・ローヴァーズからストライカーのリッキー・ランバートを約100万ポンドで獲得した[9]。2009-10シーズンは、シーズン後半に追い上げを見せたものの、勝ち点-10の影響は大きく、プレーオフ圏内である6位と勝ち点差7の7位で終了した。ただ、カップ戦では、2010年3月28日にウェンブリー・スタジアムカーライル・ユナイテッドを4-1で下して、フットボールリーグトロフィーで優勝し、1976年のFAカップ優勝以来のタイトルを獲得した[10]

クラブ創設125周年となる2010-11シーズンは、2010年8月にオーナーのマルクス・リーブヘルが死去するという悲運に見舞われたが[11]、9月にナイジェル・アドキンスが3年契約で監督に就任してから調子を上げ、リーグ1を2位で終了してチャンピオンシップに昇格した。

翌2011-12シーズンは、U-21イングランド代表で前シーズン41試合に出場して10ゴールを挙げ、チャンピオンシップ昇格に貢献したアレックス・オックスレイド=チェンバレンが1500万ポンドでアーセナルに移籍したが[12]、開幕当初から快進撃を続けた。12月から1月にかけて一時調子を落とすが、その後再び勢いを取り戻し、シーズンを通じて一度も自動昇格圏の2位より下位に落ちることなく、2012年4月28日、最終節でコヴェントリー・シティに4-0で勝利したことで2位を確定させ、8年ぶりにプレミアリーグ復帰を決めた。なお、この試合、セント・メリーズ・スタジアムにはクラブ最多観客動員となる32,363人が詰めかけた。このシーズン、リッキー・ランバートは27ゴールを挙げて最近4シーズンで3度目の得点王となり、昇格の原動力となったほか、11ゴールを挙げ、最終節のコヴェントリー・シティ戦でも得点したアダム・ララーナチェルシーユース出身の新加入選手でチーム唯一のリーグ戦全試合出場を果たしたジャック・コーク[13]らも昇格に大きく貢献した。

2013年1月18日、ナイジェル・アドキンスは解任され、エスパニョールの前監督であるマウリシオ・ポチェッティーノが監督に就任した[14]。移籍市場ではデヤン・ロブレンビクター・ワニアマパブロ・ダニエル・オスヴァルドを獲得。

2014年5月27日、ポチェッティーノが辞任しトッテナム・ホットスパーFCの監督に就任[15]

2014年6月16日、オランダ人のロナルド・クーマンが監督に就任。契約期間は3年[16]

2014年夏の移籍市場では、アダム・ララーナリッキー・ランバートルーク・ショーデヤン・ロヴレンといった主力が退団した。一方でトビー・アルデルヴァイレルトライアン・バートランドサディオ・マネドゥシャン・タディッチグラツィアーノ・ペッレフレイザー・フォースターシェーン・ロングら実力者を多く獲得し、冬の移籍市場ではエルイェロ・エリアフィリップ・ジュリチッチを獲得。

2015-16シーズンはアルデルヴァイレルト、ナサニエル・クラインモルガン・シュネデルランらが退団した。代わりにマールテン・ステケレンブルフオリオール・ロメウフィルジル・ファン・ダイクセドリック・ソアレスフアンミヨルディ・クラーシらを獲得し、冬の移籍市場ではクイーンズ・パーク・レンジャーズからチャーリー・オースティンを獲得した。

2016-17シーズンよりクロード・ピュエルが監督に就任。夏の移籍市場では、ネイサン・レドモンドや、ピエール・エミール・ホイビュルクソフィアン・ブファルらを獲得し、冬の移籍市場ではイタリア代表FWのマノロ・ガッビアディーニを獲得した。フットボールリーグカップではファイナルまで進んだものの、マンチェスター・ユナイテッドに2-3で敗れた。

2019-20シーズンは、2019年10月25日にホームでレスター・シティに0-9と大敗を喫した[17]

2020-21シーズンは、2021年2月2日にアウェーでマンチェスター・ユナイテッドに0-9と大敗を喫した[18]

2022-23シーズンは、11年間とどまり続けたプレミアリーグからの降格が決定した。

クラブ名の変遷

  • 1885年 - 1887年:セント・メリーズ・ヤングメンズAFC
  • 1887年 - 1894年:セント・メリーズFC
  • 1894年 - 1897年:サウサンプトン・セント・メリーズFC
  • 1897年 -:サウサンプトンFC

タイトル

セント・メリーズ・スタジアム内にあるクラブのトロフィーキャビネット

国内タイトル

国際タイトル

  • なし

過去の成績

シーズンリーグFAカップリーグカップ欧州カップ監督最多得点者
ディビジョン順位選手得点数
1992-93プレミアリーグ4213111854615018位3回戦敗退3回戦敗退イアン・ブランフットマット・ル・ティシエ18
1993-94プレミアリーグ421272349664318位3回戦敗退2回戦敗退イアン・ブランフット
アラン・ボール
マット・ル・ティシエ25
1994-95プレミアリーグ4212181261635410位5回戦敗退3回戦敗退アラン・ボールマット・ル・ティシエ29
1995-96プレミアリーグ389111834523817位準々決勝敗退4回戦敗退デイビット・マリントンニール・シッパリー12
1996-97プレミアリーグ3810111750564116位3回戦敗退準々決勝敗退グレアム・スーネスマット・ル・ティシエ17
1997-98プレミアリーグ381461850554812位3回戦敗退4回戦敗退デイブ・ジョーンズマット・ル・ティシエ14
1998-99プレミアリーグ381181937644117位3回戦敗退2回戦敗退エギル・オステンスタッド8
1999-00プレミアリーグ381281845624415位4回戦敗退4回戦敗退デイブ・ジョーンズ
グレン・ホドル
マリアン・パハース13
2000-01プレミアリーグ3814101440485210位5回戦敗退3回戦敗退グレン・ホドルジェームズ・ビーティー12
2001-02プレミアリーグ381291746544511位3回戦敗退3回戦敗退スチュアート・グレイ
ゴードン・ストラカン
マリアン・パハース16
2002-03プレミアリーグ381313124346528位準優勝3回戦敗退ゴードン・ストラカンジェームズ・ビーティー24
2003-04プレミアリーグ3812111544454712位3回戦敗退準々決勝敗退UC1回戦敗退ゴードン・ストラカン
ポール・スタロック
ジェームズ・ビーティー17
2004-05プレミアリーグ386141845663220位準々決勝敗退4回戦敗退ポール・スタロック
スティーブ・ウィグリー
ハリー・レドナップ
ピーター・クラウチ16
2005-06チャンピオンシップ4613191449505812位5回戦敗退4回戦敗退ハリー・レドナップ
ジョージ・バーリー
リカルド・フラー9
2006-07チャンピオンシップ462112137753756位4回戦敗退3回戦敗退ジョージ・バーリーグジェゴシュ・ラシャク21
2007-08チャンピオンシップ4613151856725420位5回戦敗退1回戦敗退ジョージ・バーリー
ナイジェル・ピアソン
スターン・ジョン19
2008-09チャンピオンシップ4610152146694523位3回戦敗退3回戦敗退ヤン・ポールトフリート
マルク・ヴォッテ
デイビッド・マクゴールドリック14
2009-10リーグ146231498547737位5回戦敗退2回戦敗退アラン・パーデューリッキー・ランバート36
2010-11リーグ146288108638922位4回戦敗退2回戦敗退アラン・パーデュー
ディーン・ウィルキンス
ナイジェル・アドキンス
リッキー・ランバート21
2011-12チャンピオンシップ462610108546882位4回戦敗退4回戦敗退ナイジェル・アドキンスリッキー・ランバート31
2012-13プレミアリーグ389141549604114位3回戦敗退4回戦敗退ナイジェル・アドキンス
マウリシオ・ポチェッティーノ
リッキー・ランバート15
2013-14プレミアリーグ381511125446568位5回戦敗退4回戦敗退マウリシオ・ポチェッティーノジェイ・ロドリゲス17
2014-15プレミアリーグ38186145433607位4回戦敗退準々決勝敗退ロナルド・クーマングラツィアーノ・ペッレ16
2015-16プレミアリーグ38189115941636位3回戦敗退5回戦敗退ELプレーオフ敗退ロナルド・クーマンサディオ・マネ15
2016-17プレミアリーグ381210164148468位4回戦敗退準優勝ELGL敗退クロード・ピュエルチャーリー・オースティン9
2017-18プレミアリーグ387151637563617位準決勝敗退2回戦敗退マウリシオ・ペジェグリーノ
マーク・ヒューズ
チャーリー・オースティン
ドゥシャン・タディッチ
7
2018-19プレミアリーグ389121745653916位3回戦敗退4回戦敗退マーク・ヒューズ
ラルフ・ハーゼンヒュットル
ネイサン・レドモンド9
2019-20プレミアリーグ381571651605211位4回戦敗退4回戦敗退ラルフ・ハーゼンヒュットルダニー・イングス25
2020-21プレミアリーグ381271947684315位準決勝敗退2回戦敗退ラルフ・ハーゼンヒュットルダニー・イングス13
2021-22プレミアリーグ389131643674015位準々決勝敗退4回戦敗退ラルフ・ハーゼンヒュットルジェームズ・ウォード=プラウズ10
2022-23プレミアリーグ38672536732520位5回戦敗退準決勝敗退ラルフ・ハーゼンヒュットル
ルベン・セイエス
ネイサン・ジョーンズ
ルベン・セイエス
ジェームズ・ウォード=プラウズ9
優勝準優勝昇格降格

欧州の成績

現所属メンバー

プレミアリーグ2023-24シーズン 開幕戦フォーメーション(4-3-3
2023年10月29日 [19][20]現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK アレックス・マッカーシー
2DF カイル・ウォーカー=ピータース
3DF ライアン・マニング
4MF フリン・ダウンズ
5DF ジャック・スティーヴンス
6DF メイソン・ホルゲート ( )
7MF ジョー・アリボ ( )
9FW アダム・アームストロング
10FW チェ・アダムス ( ) ( )
11FW ロス・スチュワート
13GK ジョー・ラムリー
14DF ジェームズ・ブリー
16MF ウィル・スモールボーン ( )
No.Pos. 選手名
17MF スチュアート・アームストロング
18FW セク・マラ ( )
20FW カマルディーン・スレマナ
21DF テイラー・ハーウッド=ベリス
22MF カルロス・アルカラス
23MF サミュエル・エドジー ( )
24MF シェイ・チャールズ ( )
26MF ライアン・フレイザー
27MF サミュエル・アモ・アメヨー
28DF フアン・ラリオス
31GK ギャヴィン・バズヌ ( )
35DF ヤン・ベドナレク ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督
  • ラッセル・マーティン

リザーブチーム

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
47MF ウィリー・フェリー
52MF ライアン・フィニガン
No.Pos. 選手名
62DF アラン・チャッチェ
65MF カレブ・ワッツ

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
4MF フリン・ダウンズ (ウェストハム)
6DF メイソン・ホルゲート (エヴァートンFC)( )
No.Pos. 選手名
21DF テイラー・ハーウッド=ベリス (マンチェスター・シティFC)
26FW ライアン・フレイザー (ニューカッスル)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF デューゼ・カレタ=カー (リヨン)
--DF ロマン・ペロー (OGCニース)
--DF アルメル・ベラ=コチャプ (PSVアイントホーフェン)( ) ( )
No.Pos. 選手名
--FW ポール・オヌアチュ (トラブゾンスポル)
--GK マテウシュ・リス (ギョズテペSK)
--DF リャンコ (アル・ガラファ)

スタジアムとトレーニング施設

セント・メリーズ・スタジアム

クラブは1898年から103年間、ザ・デルをホームスタジアムにしていたが、2001年8月にセント・メリーズ・スタジアム(収容人数32,505人)に移転した。最多観客動員数は、2012年4月28日のチャンピオンシップコヴェントリー・シティ戦の32,363人である。

セント・メリーズ・スタジアムでは過去に国際試合も行われており、2002年には、イングランド代表 vs. マケドニア代表の試合が行われた。イングランド代表はデヴィッド・ベッカムスティーヴン・ジェラードのゴールにより2-2で引き分けた。

「ステープルウッド」として知られるクラブのトレーニング施設はサウサンプトン近郊のマーチウッドにある。トレーニング施設は、ここ10年で多大な設備投資がされ、現在、国内でも有数の施設となっていたが、2009年12月8日、2階建ての最新鋭の建物に建て替えることが発表された[21]

アンセム

クラブのアンセムは、スポーツの応援歌としてもポピュラーな「聖者の行進」(When the Saints Go Marching In)である。「聖者の行進」はプレミアリーグではトッテナムリヴァプールなどもチャントに用いているが、サウサンプトンはニックネームが "The Saints" であるため、オリジナルの歌詞を変えずに使用している数少ないチームである。

エンブレム

チームカラーの赤、白はサウサンプトン市の色である。当初エンブレムは町の紋章を使っていたが、1974-75シーズンにサポーターの投票でオリジナルのエンブレムが決まり、若干の変更以外基本デザインは変わっていない。サッカーボール上の金の輪はチームの愛称 "The Saints" から、ボール下のリボンはチームカラーそして選手とサポーターを示す。木はサウサンプトン近郊のニューフォレスト公園を示し、二本の波線は川と海が繋がるサウサンプトンの地を象徴する。白バラは町の紋章から受け継がれた[2]

ダービーマッチ

サウサンプトンからわずか17マイル(約27km)の位置に本拠地を構えるポーツマスとは、その距離の近さといずれも港町であるということからライバル関係にある[22]。ポーツマスとの一戦は「サウスコースト・ダービー(South Coast derby、ハンプシャー・ダービー)」と呼ばれ、過去71回の対戦でサウサンプトンの35勝21敗15引き分け(2019年現在)となっている。直近の対戦は、2019年9月にフラットン・パークで行われたアウェイゲーム(カラバオ・カップ)で4-0の勝利を収めた。

クラブ各種記録

[23][24]

一試合最多得点勝利試合

  • 14-0 vs ニューベリータウン 1894年10月13日(FAカップ予選ラウンド)

一試合最多失点敗戦試合

最多出場試合数

  • テリー・ペイン – 809試合(1956-74)

最多得点

1シーズン最多得点

  • デレク・リーヴス – 44ゴール (1959-60)

最も若い出場選手

最高額移籍選手(他チームへの移籍)

ホーム最多観客動員試合

連勝記録(リーグ戦)

  • 10試合(2011年4月16日 – 2011年8月20日)

連続無敗記録

  • 19試合(1921年9月5日 – 1921年12月31日)

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

外部リンク

公式
ニュース
その他