エヴァートンFC

イングランドのサッカークラブ

エヴァートン・フットボール・クラブ(Everton Football Clubイギリス英語発音: [ˈevətən ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランドリヴァプールをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ[1]

エヴァートンFC
原語表記Everton Football Club
愛称トフィーズ (The Toffees)
クラブカラー 
創設年1878年
所属リーグプレミアリーグ
所属ディビジョン1部(2023-24
ホームタウンリヴァプール
ホームスタジアム
グディソン・パーク
収容人数39,571
代表者不在
監督イングランドの旗 ショーン・ダイチ
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

1980年代までは9度のリーグ制覇を含め、数多くのタイトルを獲得したイングランドフットボール界を代表する古豪クラブであったが、1992年のプレミアリーグ発足以降は概ね中堅の地位に甘んじている。

チーム名のエヴァートンはリヴァプールの一地域のこと。愛称の「トフィーズ(The Toffees)」は、エヴァートン地区で作られるエヴァートン・ミント(ミント・トフィー)と呼ばれるキャンディのようなお菓子がグディソン・パークで無料配布されていたことに由来する。

歴史

創設と初期の栄光

1887年のエヴァートンFC

1878年、セント・ドミンゴスクールのサッカークラブとして設立された。実力が上がるのと共に域外からの選手獲得も行われるようになり、1879年により広義な名称である「エヴァートンFC」に改称された。1888年に始まった世界最古のサッカーリーグ、フットボールリーグに最初から参加した12クラブの一つである。

1891年にリーグ優勝を達成するとその後も安定した強さを誇るが、タイトルにはなかなか届かず1906年のFAカップ優勝が2度目のタイトルとなった。1914年に2度目のリーグ優勝を果たし、チームが上向いてきたところで第一次世界大戦によるリーグ休止に見舞われる。

リーグ再開後は中位に留まったが、1925年にディキシー・ディーンが加入すると黄金期に突入。1928年と32年にリーグ優勝・33年にFAカップ制覇と多くのタイトルを獲得したが、1939年のリーグ優勝後に今度は第二次世界大戦の影響でリーグ休止に見舞われた。

大戦後・2度の黄金期

1946年にリーグが再開すると一時低迷し1950年に2部降格の憂き目に合うも、1953年に1部に復帰すると、以降はトップリーグに所属し続けることになる。そして1961年にハリー・カタリック英語版が監督に就任すると、1970年までにイングランドのクラブとして初めて5年連続で欧州大会への出場権を獲得(1963-67)し、2度のリーグ優勝と1度のFAカップ制覇を果たすなど、クラブは2度目の黄金期を迎えた。

3度目の黄金期は1981年に監督の座についたハワード・ケンドールの下で迎えた。1984年にFAカップを制して久々にタイトルを獲得すると、翌85年には15年ぶりのリーグ優勝を果たすだけでなくUEFAカップウィナーズカップでも優勝して欧州タイトルも獲得、FAカップも準優勝と、三冠まであと一歩のところまで迫った。86年は3つの国内タイトル全てでリヴァプールに優勝を許しての準優勝に終わるが、87年にはリーグタイトルを奪還するなど欧州随一の強さを誇った。しかし、86年以降はヘイゼルの悲劇による出場停止措置のため、欧州の大会に出場することはできなかった。

プレミアリーグ創設後

1992年にプレミアリーグが創設されると、クラブは創設初年度に参加する22クラブのうちの1つに選ばれた。しかし、初年度は13位、以降も2桁順位が定位置になり、カップ戦も1995年にFAカップを制した以外は準決勝にすら進めなくなるなど中堅の位置に甘んじてしまった。

モイーズ政権

2002-03シーズン、開幕前にデイヴィッド・モイーズが監督に就任。この年はウェイン・ルーニーのデビュー・新人王獲得などもあって調子良く進み、終盤まで欧州カップ戦の出場権を争い、1996年の6位に次ぐ高順位となる7位と躍進。モイーズはリーグ年間最優秀監督に選ばれ、長期政権を築き上げることになる。

2003-04シーズンは、サンダーランドからケヴィン・キルバーンジェームズ・マクファデンマザーウェルナイジェル・マーティンリーズ・ユナイテッドから獲得し、フランシス・ジェファーズアーセナルからレンタル移籍で加えた。しかし、ダンカン・ファーガソンや昨シーズンブレイクしたルーニーがモイーズと対立するなど内紛が発生してチームがまとまらず、成績も低迷。結局クラブ史上最低の勝点39で17位でシーズンを終え、降格を免れただけで終わってしまったシーズンとなった。

2004-05シーズン、モイーズは監督に留任し、3年目の指揮を執る。ティム・ケーヒルマーカス・ベントを獲得。冬にはクラブ記録となる移籍金でジェームズ・ビーティーを獲得し、ミケル・アルテタをレンタルで獲得した。その一方で、トマシュ・ラジンスキトビアス・リンデロート、デイヴィッド・アンスワースといった功労者のほか、昨シーズンモイーズと対立したルーニーもクラブを去り、中心選手であったトーマス・グラヴェセンも冬に放出。昨シーズンの惨状や、そこから大幅な戦力ダウンとなったことなどから下馬評は低かったが、チームは予想に反して快進撃を見せ、リーグ創設後最高順位となる4位でシーズンを終え、翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。監督モイーズは2度目のリーグ年間最優秀監督に選ばれた。

2005-06シーズンは、ヌーノ・ヴァレンテアンディ・ファン・デル・メイデサイモン・デイヴィスフィリップ・ネヴィルを獲得、マッテオ・フェラーリをレンタル、ミケル・アルテタのレンタルを延長するなど大型補強を行ったが、チャンピオンズリーグは予備予選で敗れ、UEFAカップは一回戦で敗れるなど、欧州では結果を残すことができなかった。リーグでも10月には最下位に沈むなどの低迷をしたが、その後は持ち直し11位でシーズンを終えた。

2006-07シーズンには、再びクラブ記録となる移籍金860万ポンドでアンディ・ジョンソンジョリオン・レスコットウルヴァーハンプトンから獲得し、ティム・ハワードをレンタルで加えた。シーズン当初は低迷したがFAカップ3回戦でブラックバーンに1-4で敗れたのを契機にチームが改善されて持ち直し、6位でシーズンを終え、UEFAカップの出場権を獲得した。レスコットはクラブの年間最優秀選手に選ばれるなど、新戦力が尽くチームにフィットしたシーズンでもあった。

モイーズ体制6年目の2007-08シーズン、ヤクブを1125万ポンド、スティーヴン・ピーナールをレンタルの後に205万ポンド、フィル・ジャギエルカを400万ポンド、レイトン・ベインズを活躍に応じて最大で600万ポンドとなる移籍金で獲得。昨シーズンから継続して安定したパフォーマンスを披露し、5位でフィニッシュ。リーグ創設後初めて、2年連続1桁順位でのフィニッシュとなった。またリーグカップで準決勝に進出し、13年ぶりに国内カップ戦でベスト4に残った。UEFAカップはラウンド16でフィオレンティーナの前に屈したが、来季以降も希望の持てる結果を出したシーズンとなった。

2008-09シーズンはまず、アシスタントコーチにスティーヴ・ラウンドを招聘、ラルス・ヤコブセンセグンド・カスティージョルイ・サハを獲得。さらに移籍期間の最終日にカルロ・ナッシュがフリーで加入し、クラブ記録となる1500万ポンドの移籍金でマルアン・フェライニを獲得した。また、冬の移籍期間の最終日にブラジル代表ジョーをレンタルで獲得した。この年も安定したパフォーマンスを披露し、昨年同様5位で終了、新たに始まるヨーロッパリーグの出場権を獲得した。この年が最後となるUEFAカップでは1回戦敗退となったが、FAカップで1995年以来となる決勝進出。決勝ではチェルシーに1-2で敗れ、準優勝に終わった。シーズン途中に監督のモイーズと契約を5年延長した。

2009-10シーズンは移籍市場での動きが少なく、昨シーズンからの継続路線を明確にした。リーグ戦は昨シーズンより1試合勝利が少なく、1試合引き分けが多いだけとほぼ変わらない成績を残したが、順位は8位に落としてしまい欧州大会への出場権を得られなかった。ELはラウンド32でスポルディングCPに2戦合計2-4で敗戦。カップ戦はともに4回戦で姿を消した。

2010-11シーズン、リーグ戦は負け数がモイーズ体制で2番目に少ない10と粘り強く戦ったが、引き分けが多く勝ち数もモイーズ体制で2番目に少ない13となってしまい勝点を伸ばせず7位に終わってしまった。カップ戦も準々決勝にすら残れず、2年連続で欧州大会に出場できなくなった。

2011-12シーズン、モイーズ体制は10年目を迎え、リーグ指揮400試合・リーグ150勝といった大台に乗るもののリーグの強豪「ビッグ6」になかなか割って入ることができず7位に終わった。

2012-13シーズンもリーグでは「ビッグ6」の牙城を崩すには至らず、6位で終了した。シーズン終了後、モイーズはアレックス・ファーガソンの後任としてマンチェスター・ユナイテッドを指揮することを希望し、監督を辞任。こうして、11年続いたモイーズ体制に終止符を打つこととなった。後任にはウィガン・アスレティックFCを率いていたロベルト・マルティネスが就任した。

2010年代

2013-14シーズン。序盤はここ最近と同様に中位に甘んじていたが、冬にレンタルで加入したロメル・ルカクが後半戦だけで15ゴールと大暴れ。これに引っ張られて成績を伸ばし、リーグ創設後クラブ史上最多となる21勝を挙げ、勝ち点もクラブ記録の72に伸ばし、5位に食い込んで5年ぶりとなるEL出場権を獲得した。

2014-15シーズンは完全移籍に切り替わったルカクがエースとしての地位を確立するも、一転して成績が伸び悩み、12勝11分15敗の勝点47の11位に終わってしまった。勝ち点が50を下回るのは11年ぶり、2桁順位は9年ぶり、得失点差もマイナス(48得点50失点)で、これも9年ぶりとなる。ELはラウンド16でディナモ・キエフの前に敗れ、カップ戦は17年ぶりに4回戦にも進めないという体たらくで、収穫の少ないシーズンとなった。

マルティネス体制3年目となる2015-16シーズンも11勝14分13敗で勝ち点は昨年から伸ばせず47、順位も上がらず再び11位。カップ戦は2つとも準決勝まで進んだが、決勝には進めず。シーズン終了後にマルティネスは退任した。

2016-17シーズンは新監督にロナルド・クーマンが就任。失点を昨シーズンの55から44に減らし、得点もエースのルカクが24得点で得点ランキング2位につけるなど、クラブ史上2番目に多い62を記録。昨シーズンから全体的に復調し7位につけて、出場権が与えられる順位が下がったこともありEL出場の資格を得た。

2017-18シーズンは、エースであるロメル・ルカクマンチェスター・ユナイテッドに移籍したことを受け大型補強を敢行。13年ぶりにウェイン・ルーニーが復帰し、他にもデイヴィ・クラーセンマイケル・キーンジョーダン・ピックフォードサンドロ・ラミレスらを獲得した。しかしアシュリー・ウィリアムズや移籍してきたキーン、左サイドバックの不足から、本職でないポジションでプレーさせられたクコ・マルティナをはじめとするディフェンス陣やシグルズソン、シュネデルランの不調、プレミアリーグ初挑戦となるサンドロやクラーセンがイングランドのサッカーに順応出来なかったことに加え得点力不足に悩んだ。結果リーグ戦及びUEFAヨーロッパリーグでは成績が振るわず、プレミアリーグ第9節終了後、ロナルド・クーマン監督を解任、デイヴィッド・アンスワース暫定監督を経て、残留請負人と名高いサム・アラダイス監督を招聘した。冬の移籍期間でベジクタシュからジェンク・トスンを、アーセナルからセオ・ウォルコットを獲得し、彼らの活躍もあって最終的に8位でリーグ戦を終えたが、あくまで “残留” を目標とするアラダイス監督は、強豪チーム相手に勝ちにいかず、引き分けを狙う守備的な戦術に徹したり、若手起用に消極的だった。それが故に、ファンのみならず選手からも不満の念を抱かれてしまい(アデモラ・ルックマンRBライプツィヒにレンタル移籍した等)、シーズン終了後に解任された。また補強選手の多くが活躍できなかったこともあり、フットボールディレクターのスティーブ・ウォルシュも共に解任された。

2018-19シーズンは前シーズンからの立て直しを図り、マルコ・シウバ新監督を筆頭に、フットボールディレクターにPSVで様々な有力選手を発掘してきたマルセル・ブランズを据え、短期的ではなく長期的な視野でチーム力を上げることを目標に若手選手を中心にチームの補強ポイントを的確に補強していった。このような方針からワトフォードからリシャルリソンバルセロナからリュカ・ディニュジェリー・ミナ、レンタルでアンドレ・ゴメスシャフタール・ドネツクからベルナルジチェルシーからレンタルでクル・ズマを獲得。第6節まではたった1勝とシウバ監督の戦術が中々浸透しなかったものの、徐々に監督の哲学が浸透していくとチームの調子も上向いていった。最終的には昨年と同じ8位だったが、補強した選手のほぼ全員が好パフォーマンスを見せ、先発に定着。また既存選手も好調で、結果的にリシャルリソンはブラジル代表に初選出され、キーンはイングランド代表、ズマとディニュがフランス代表に復帰するなど選手が大きく成長を見せた1年となった。

2019-20シーズンの夏の移籍市場ではアレックス・イウォビファビアン・デルフジブリル・シディベを獲得。一方で12年在籍した主将のフィル・ジャギエルカイドリッサ・ゲイェ、クル・ズマといった主力が退団した。前年とは打って変わって開幕から不調を極め、リーグ15節のマージーサイド・ダービーで2-5で惨敗して降格圏に転落したところでマルコ・シウバは解任となった。新監督にACミランやレアル・マドリードで数多くのタイトルを獲得してきたカルロ・アンチェロッティが招聘された。アンチェロッティはドミニク・キャルヴァート=ルーウィントム・デイビスといった若手の抜擢・台頭でチームを立て直したものの、遅れを取り戻すには至らずここ15年では最悪となる12位に終わった。

2020年代

2020-21シーズンの夏の移籍市場では、レアル・マドリードからハメス・ロドリゲスSSCナポリからアランがアンチェロッティを追いかけて加入した。降格したワトフォードノリッジ・シティからそれぞれアブドゥライェ・ドゥクレベン・ゴッドフリーを獲得し、さらにローマからロビン・オルセンをレンタルで獲得した。優勝した1969-70シーズン以来となる開幕4連勝を達成。ドミニク・キャルバート=ルーウィンが開幕5戦連続得点を記録しエースの地位を確立し、10月の間は首位を守るなど序盤は絶好調だったが、次第に調子を落とし、8位で前半戦を折り返す。後半戦も25年ぶりに敵地でのマージーサイド・ダービーに勝利するなどしたが、順位を上げることはなく、最終節で首位マンチェスター・シティFCに0-5で敗れて10位に転落しシーズンを終えた。

2021-22シーズン、アンチェロッティがレアル・マドリードの監督に復帰したことで、ラファエル・ベニテスが監督に就任した。リヴァプールを率いた経験もありこの就任劇には一部で反発が起きた。夏の移籍市場ではベニテスの愛弟子ともいえるサロモン・ロンドンをフリーで獲得。ボーンマスからアスミル・ベゴヴィッチクリスタル・パレスからアンドロス・タウンゼントバイエル・レバークーゼンからデマレイ・グレイを獲得した。レアル時代にベニテスと確執が生じたハメスに関してはベニテスは一切チャンスを与えず、アル・ラーヤンに放出された。リーグ戦では開幕6試合で4勝1分1敗と例年通りの好スタートを切るもその後の13試合で1勝と例年通り失速し2022年1月16日にベニテスは解任された。後任にはダービー・カウンティで監督を務めているアカデミー出身のウェイン・ルーニーなどの名が挙がる中、1月31日にフランク・ランパードが就任した。冬の移籍市場ではアストン・ヴィラに移籍したリュカ・ディニュとのトレードの形でアンワル・エル・ガジ、所属クラブで燻るデレ・アリドニー・ファン・デ・ベークレンジャーズからネイサン・パターソンディナモ・キエフからヴィタリー・ミコレンコを獲得した。その後もチームは好転せず第30節終了時点で降格圏に沈んでしまい、15-16シーズンのアストン・ヴィラ以来のプレミア創設以来初降格の可能性が浮上した。残留の為絶対に勝ちたい5月20日に行われた第33節クリスタル・パレス戦では前半に2点取られるも後半にマイケル・キーンとリシャルリソン・が試合を振り出しに戻し、キャルバート=ルーウィンが逆転弾を決め劇的勝利で残留を決めた。

エピソード

  • クラブ創設時はアンフィールドが本拠地であったが、1892年に賃料が値上げされたため、グディソン・パークへ移転した。現在アンフィールドを本拠地とするリヴァプールFCとのマージーサイド・ダービーは白熱したものになっている。両チームの本拠スタジアムは直線距離にして500メートル程しか離れていない。2021年2月23日に新スタジアムの建設計画がリヴァプールの市議会で、1か月後の3月26日にはイギリス政府によりそれぞれ承認されることになった。新スタジアムはリヴァプールの北西部ブラムリー・ムーア・ドックに建設され、収容人数は5万2888人で2025-26シーズンの開場を予定している[2]
  • イギリス人映画監督のケン・ローチは、サッカーを扱った作品を2本撮っているが、そのうちの1本は労働者階級のエヴァートンのサポーターを描いたテレビ映画「ザ・ゴールデン・ビジョン」である。
  • リヴァプール出身のビートルズのメンバーがエヴァートンファンであるか、リヴァプールファンであるかは謎とされ、(そもそもフットボールに関心があったのか、という点まで含めて)長年論争の的となってきた[3]。ただ、少なくともポール・マッカートニーは自身がエヴァートンのファンであることを言明している[4]。また、ビートルズ解散後に発表された青盤赤盤は、それぞれエヴァートンとリヴァプールのチームカラーをモチーフとしている[5]
  • 日本企業のNECが85-95シーズンの10年間にわたり胸スポンサーを結んでいた。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の戦績

シーズンディビジョンFAカップリーグカップ欧州カップ / その他最多得点者
リーグ順位選手得点数
1992-93プレミアリーグ421581953555313位3回戦敗退4回戦敗退トニー・コッティ12
1993-94プレミアリーグ421282242634417位3回戦敗退4回戦敗退トニー・コッティ16
1994-95プレミアリーグ4211171444515015位優勝2回戦敗退ポール・リドー14
1995-96プレミアリーグ381710116444616位4回戦敗退2回戦敗退アンドレイ・カンチェルスキス16
1996-97プレミアリーグ3810121644574215位4回戦敗退2回戦敗退ダンカン・ファーガソン10
1997-98プレミアリーグ389131641564017位3回戦敗退3回戦敗退ダンカン・ファーガソン11
1998-99プレミアリーグ3811101742474314位準々決勝敗退4回戦敗退ケビン・キャンベル9
1999-00プレミアリーグ3812141259495013位準々決勝敗退2回戦敗退ケビン・キャンベル12
2000-01プレミアリーグ381191845594216位4回戦敗退2回戦敗退ケビン・キャンベル9
2001-02プレミアリーグ3811101745574315位準々決勝敗退2回戦敗退ダンカン・ファーガソン
トマシュ・ラジンスキ
6
2002-03プレミアリーグ38178134849597位3回戦敗退4回戦敗退トマシュ・ラジンスキ11
2003-04プレミアリーグ389121745573917位4回戦敗退4回戦敗退ウェイン・ルーニー9
2004-05プレミアリーグ38187134546614位5回戦敗退4回戦敗退ティム・ケーヒル11
2005-06プレミアリーグ381481634495011位4回戦敗退3回戦敗退UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦敗退ジェームズ・ビーティー10
UEFAカップ1回戦敗退
2006-07プレミアリーグ381513105236586位3回戦敗退4回戦敗退アンディ・ジョンソン11
2007-08プレミアリーグ38198115533655位3回戦敗退準決勝敗退UEFAカップベスト16ヤクブ・アイェグベニ15
2008-09プレミアリーグ38171295537635位準優勝3回戦敗退ティム・ケーヒル
マルアン・フェライニ
8
2009-10プレミアリーグ38161396049618位4回戦敗退4回戦敗退UEFAヨーロッパリーグラウンド32ルイ・サハ13
2010-11プレミアリーグ381315105145547位5回戦敗退3回戦敗退ティム・ケーヒル9
2011-12プレミアリーグ381511125040567位準決勝敗退4回戦敗退ニキツァ・イェラヴィッチ9
2012-13プレミアリーグ38161575540636位準々決勝敗退3回戦敗退マルアン・フェライニ11
2013-14プレミアリーグ3821986139725位準々決勝敗退3回戦敗退ロメル・ルカク15
2014-15プレミアリーグ3812111548504711位3回戦敗退3回戦敗退UEFAヨーロッパリーグラウンド16ロメル・ルカク10
2015-16プレミアリーグ3811141359554711位準決勝敗退準決勝敗退ロメル・ルカク18
2016-17プレミアリーグ381710116244617位3回戦敗退3回戦敗退ロメル・ルカク25
2017-18プレミアリーグ381310154458498位3回戦敗退4回戦敗退UEFAヨーロッパリーグGS敗退ウェイン・ルーニー10
2018-19プレミアリーグ38159145446548位4回戦敗退3回戦敗退ギルフィ・シグルズソン
リシャルリソン
13
2019-20プレミアリーグ3813101544564912位3回戦敗退準々決勝敗退カルバート=ルーウィン
リシャルリソン
13
2020-21プレミアリーグ381781347485910位準々決勝敗退準々決勝敗退カルバート=ルーウィン16
2021-22プレミアリーグ381162143663916位準々決勝敗退3回戦敗退リシャルリソン10
2022-23プレミアリーグ388121834573617位3回戦敗退3回戦敗退ドワイト・マクニール7
2023-24プレミアリーグ384回戦敗退準々決勝敗退

記録

2017年12月7日現在

欧州での記録

大会勝率
UEFAチャンピオンズリーグ 102531410+4020.00
UEFAヨーロッパリーグ 52278178764+23051.92
UEFAカップウィナーズカップ 171142259+16064.71
総通算7940172212684+42050.63
大会勝率
インターシティーズ・フェアーズカップ 127232215+7058.33
総通算127232215+7058.33

欧州の成績

現所属メンバー

プレミアリーグ2023-2024 基本フォーメーション (4-4-1-1)
2023年11月11日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK ジョーダン・ピックフォード
2DF ネイサン・パターソン
5DF マイケル・キーン ( )
6DF ジェームス・ターコウスキー ( )
7FW ドワイト・マクニール
8MF アマドゥ・オナナ ( )
9FW ドミニク・キャルバート=ルーウィン
10FW アルノー・ダンジュマ ( )
11FW ジャック・ハリソン
12GK ジョアン・ヴィルジニア
14FW ベト ( )
16MF アブドゥライェ・ドゥクレ ( )
No.Pos. 選手名
18DF アシュリー・ヤング ( )
19DF ヴィタリー・ミコレンコ
20MF デレ・アリ ( )
21MF アンドレ・ゴメス
22DF ベン・ゴッドフリー ( )
23DF シェイマス・コールマン ( )
27MF イドリッサ・ゲイェ
28FW ユセフ・シェルミティ ( )
31GK アンディ・ロナーガン
32DF ジャラッド・ブランスウェイト
37MF ジェームズ・ガーナー
43GK ビリー・クレリン英語版
61FW ルイス・ドビン英語版
62MF タイラー・オニャンゴ英語版 ( )


※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権を示す。

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
10FW アルノー・ダンジュマ (ビジャレアルCF)
No.Pos. 選手名
30FW ジャック・ハリソン (リーズ・ユナイテッドFC)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF メイソン・ホルゲート (シェフィールド・ユナイテッドFC)
No.Pos. 選手名
--FW ニール・モペイ (ブレントフォードFC)

歴代監督

クラブ就任退任記録
勝率
ビリー・ビンガム 1973年5月28日1977年1月11日172645553037.21
スティーブ・バーテンショー* 1977年1月10日1977年1月30日4022000.00
ゴードン・リー 1977年1月30日1981年5月31日234927270039.32
ハワード・ケンドール 1981年5月31日1987年6月18日3381837877054.14
コリン・ハーベイ 1987年6月19日1990年10月30日170725246042.35
ジミー・ガブリエル* 1993年11月3日1993年11月3日1100100.00
ハワード・ケンドール 1990年11月10日1993年12月4日162634059038.89
ジミー・ガブリエル* 1993年12月8日1994年1月3日7016000.00
マイク・ウォーカー 1994年1月8日1994年11月8日3561118017.14
ジョー・ロイル 1994年11月10日1997年3月27日123483936039.02
デーブ・ワトソン 1997年4月5日1997年5月11日7133014.29
ハワード・ケンドール 1997年6月27日1998年7月1日42111318026.19
ウォルター・スミス 1998年7月1日2002年3月13日173565067032.37
デイヴィッド・モイーズ 2002年3月15日2013年6月5日516217139160042.05
ロベルト・マルティネス 2013年8月17日2016年5月12日140603941042.86
デビッド・アンスワース* 2016年5月15日2016年5月15日1100100.00
ロナルド・クーマン 2016年6月14日2017年10月23日58241420041.38
デビッド・アンスワース* 2017年10月24日2017年11月30日8215025.00
サム・アラダイス 2017年11月30日2018年5月16日261079038.46
マルコ・シウバ 2018年5月31日2019年12月5日60241224040.00
ダンカン・ファーガソン* 2019年12月5日2019年12月21日4130025.00
カルロ・アンチェロッティ 2019年12月21日2021年6月1日67311422046.27
ラファエル・ベニテス 2021年6月30日2022年1月16日227510031.82
ダンカン・ファーガソン* 2022年1月16日2022年1月31日1001000.00
フランク・ランパード 2022年1月31日2023年1月23日4312823027.91
ショーン・ダイチ 2023年1月30日0000!

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

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