ジョー・コリンズ

メジャーリーグベースボールの一塁手

ジョー・コリンズ (Joe Collins) として知られた ジョセフ・エドワード・コリンズ(Joseph Edward Collins、出生名:Joseph Edward Kollonige、1922年12月3日 - 1989年8月30日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州スクラントン出身のMLBの元プロ野球選手。左投げ左打ち。

ジョー・コリンズ
Joe Collins
ベースボールカードに描かれたジョー・コリンズ
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ペンシルベニア州スクラントン
生年月日1922年12月3日
没年月日 (1989-08-30) 1989年8月30日(66歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション一塁手
プロ入り1948年
初出場1948年9月25日
最終出場1957年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴

経歴

ヤンキース時代

1948年9月25日ニューヨーク・ヤンキースの一員としてメジャー・デビューした。ヤンキース一筋で、MLBに10シーズン在籍し、ワールドシリーズに7度出場した。

6フィート、185ポンドの体格で、左投げ左打ちであったため、内野のほとんどのポジションには不向きとされ、レギュラー・シーズンでは715試合で一塁手を務めた。また、通算114試合では外野手を務めたが、コリンズは最も多く出場した1954年のシーズンでも出場機会は130試合にとどまっていた[1]

コリンズは、右投げ右打ちのビル・スコーロン英語版プラトーン・システムを組むこともよくあった[2]

コリンズは、レギュラー・シーズン通算86本の本塁打を放ったが、より重要だったのは、強力なヤンキーズの一員として、ワールドシリーズで放った4本であった。コリンズは、ジョー・ディマジオミッキー・マントルとチームメイトだった。

MLB最後の出場試合は、1957年9月29日だった。コリンズのMLBのキャリアは、ヤンキース一筋であった。1958年のシーズン当初に、コリンズはフィラデルフィア・フィリーズとのトレードに出されたが、これを拒んで引退を選んだため、トレードは破談となった。

引退後

コリンズは、1989年ニュージャージー州ユニオン郡ユニオン・タウンシップ英語版で死去し、同地ではコリンズを讃えて小さな公園に彼の名が付けられた。この公園は、ライブラリー・アベニュー (Liberty Avenue) 近くにあり、コリンズを記念するプラークも設けられている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1948NYY5550110022000--0--010.200.200.400.600
1949716102100014000--6--020.100.438.100.538
195010823920547488388628503--31--0344.234.335.420.754
1951125298262527585912048972--34--0236.286.368.458.826
1952122489428691201681820659425--55--14711.280.364.481.845
1953127450387721041121717044264--59--0366.269.365.439.805
195413039834367932021215346224051--0375.271.365.446.812
1955105330278406591131154502334422327.234.339.414.753
19561003012623859537914331133421335.225.313.347.661
1957791741491730102371021012420184.201.310.248.559
MLB:10年90827002329404596792486981329272122*7338*6426348.256.350.421.771
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す

背番号

  • 42(1948年)
  • 41(1949年 - 1952年)
  • 15(1953年 - 1957年)

脚注

関連項目

外部リンク