マティア・パシーニ

イタリアのオートバイレーサー (1985 - )

マッティア・パシーニ(Mattia Pasini、1985年8月13日 - )は、イタリアリミニ出身のオートバイレーサー。

マッティア・パシーニ
生年月日 (1985-08-13) 1985年8月13日(38歳)
イタリアの旗 イタリアリミニ
ゼッケン75
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2012年
マニファクチャラーART
チャンピオン0
2012年 順位22位 (13 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
14000013
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2010年2020年
マニファクチャラーMotobi, スッター, FTR, スピードアップ, フォワード KLX, カレックス
チャンピオン0
2020年 順位NC (0 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
1292482529
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間2008年2009年
マニファクチャラーアプリリア
チャンピオン0
2009年 順位5th (128 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
322900260
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間2004年2007年
マニファクチャラーアプリリア
チャンピオン0
2007年 順位5th (174 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
64817114603
2010年 ダッチTT

経歴

125ccクラスデビュー

9歳でレースを始める。イタリア国内選手権、ヨーロッパ選手権で良好な成績を収め、2004年ロードレース世界選手権125ccクラスに、ルーチョ・チェッキネロ率いるチーム・LCRからロベルト・ロカテリのチームメイトとして参戦を開始した。デビューシーズンはランキング15位に入り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。第14戦マレーシアGPで予選3番手、決勝7位に入ったのがベストリザルトだった。

2005年シーズンはイタリアのサッカー選手フランチェスコ・トッティがスポンサーになった Totti Top Sport チームに移籍した。多くのレースで先頭集団に入る活躍を見せ、第3戦中国GPではGP初優勝を果たす。第6戦カタルニアGPで2勝目を挙げ、この年のシリーズランキングは4位となった。

2006年にはホルヘ・マルチネス率いるアスパー・チームから参戦し、前年と同じくシーズン2勝(第6戦イタリアGP第10戦ドイツGP)を挙げ、シリーズ4位に入った。

2007年はポラリス・ワールド・チームからの参戦となった。アプリリアの新型マシン、RSA125を駆ることになったが、このマシンは速いものの信頼性に大きな問題を抱え、トップを独走しながらもマシントラブルでリタイヤ、というレース展開を何度も繰り返すことになった。第7戦カタルニアGP、エンジンストールが原因で転倒し、シーズン5回目となるリタイヤを喫した時、激怒したパシーニはマシンを何度も踏みつけた[1]。この行動がチームクルーを奮起させたかどうかは定かではないが、マシンは信頼性を得て第8戦イギリスGP第9戦ダッチTTとパシーニは連勝。その後も好調を維持してシーズン4勝を挙げたが、序盤戦で失ったポイントは大きく、シリーズランキングは5位に終わった。

250ccクラス

2008年は250ccクラスにステップアップ(チームは昨年と同じくポラリス・ワールド)し、開幕戦カタールGPではいきなり優勝という快挙を果たした。序盤5戦で4回表彰台に立つ活躍を見せたが、その後は好調を維持できず、転倒リタイヤが多く完走しても5位以下でのフィニッシュしかできなかった。シリーズランキングは8位に終わったが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得することができた。

2009年はチーム・トスに移籍し、イムレ・トス(チームオーナーの息子)のチームメイトを務めることになった。ウェットレースとなった第5戦イタリアGPではチャンピオンのマルコ・シモンチェリとのバトルを制し、約1年ぶりとなる優勝を果たした。8月にはMotoGPクラスのミカ・カリオの代役候補[2]としてプラマック・レーシングドゥカティ・デスモセディチのテスト走行をおこなったが、結局パシーニは250ccクラスのタイトル獲得の可能性を優先し、代役参戦は実現しなかった[3]

第14戦ポルトガルGPを前に、チーム・トスはアプリリアにマシン代金を支払えない状況になり、走行を差し止められてしまった。だがパシーニはトーマス・ルティが所属するエミー・カフェラテチームのボス、ダニエル・エップの援助を得て、新しいチーム「グローバルゲスト」から残りシーズンに参戦できることになった[4]。しかしこのシーズンを通してパシーニは走りに安定性を欠き、5度表彰台に立った一方、8度ものリタイヤを喫してしまった。シリーズランキングは5位に終わった。

Moto2クラス

2010年、パシーニは1年ぶりにロードレース世界選手権に復帰したJiRチームから、250ccクラス後継のMoto2クラスに参戦を開始した[5]が、第6戦終了後にチームから契約を解除されてしまった[6]。その後はレギュラーシートを見つけることができず、第12戦サンマリノGPにはイタルトランスSTRチームから、第13戦アラゴンGPにはキーファー・レーシングからとスポット参戦をおこなった[7]が、芳しい成績を残すことはできなかった。

2011年シーズンは、元アプリリアのレース部門責任者であるジャンピエロ・サッキが立ち上げた新チーム「イオダレーシング」からMoto2クラスにレギュラー参戦復帰できることとなった[8]

ロードレース世界選手権 戦績

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズンクラスバイク1234567891011121314151617順位ポイント
2004年125ccアプリリアRSA
13
SPA
Ret
FRA
12
ITA
8
CAT
11
NED
11
BRA
10
GER
20
GBR
Ret
CZE
14
POR
17
JPN
Ret
QAT
9
MAL
7
AUS
18
VAL
11
15位54
2005年125ccアプリリアSPA
4
POR
8
CHN
1
FRAITA
4
CAT
1
NED
3
GBR
Ret
GER
Ret
CZE
Ret
JPN
5
MAL
3
QAT
9
AUS
4
TUR
2
VAL
3
4位183
2006年125ccアプリリアSPA
3
QAT
4
TUR
17
CHN
2
FRA
Ret
ITA
1
CAT
4
NED
7
GBR
3
GER
1
CZE
6
MAL
7
AUS
3
JPN
4
POR
Ret
VAL
9
4位192
2007年125ccアプリリアQAT
Ret
SPA
Ret
TUR
Ret
CHN
10
FRA
Ret
ITA
6
CAT
Ret
GBR
1
NED
1
GER
Ret
CZE
2
SMR
1
POR
8
JPN
1
AUS
7
MAL
8
VAL
4
5位174
2008年250ccアプリリアQAT
1
SPA
2
POR
Ret
CHN
3
FRA
3
ITA
5
CAT
6
GBR
Ret
NED
Ret
GER
6
CZE
7
SMR
Ret
IND
C
JPN
8
AUS
Ret
MAL
Ret
VAL
9
8位132
2009年250ccアプリリアQAT
Ret
JPN
3
SPA
6
FRA
Ret
ITA
1
CAT
4
NED
Ret
GER
Ret
GBR
3
CZE
2
IND
Ret
SMR
2
POR
8
AUS
Ret
MAL
Ret
VAL
Ret
5位128
2010年Moto2モトビQAT
6
SPA
Ret
FRA
Ret
ITA
Ret
GBR
Ret
NED
14
CATGERCZEIND28位12
スッターSMR
Ret
ARA
Ret
JPNMALAUSPORVAL

脚注

外部リンク