千厩町立南小梨小学校

岩手県千厩町にあった小学校

千厩町立南小梨小学校(せんまやちょうりつ みなみこなししょうがっこう)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立小学校。略称は南小(みなみしょう)。

千厩町立南小梨小学校
元校舎の外観(2023年4月)
地図北緯38度53分4.2秒 東経141度23分3.2秒 / 北緯38.884500度 東経141.384222度 / 38.884500; 141.384222 東経141度23分3.2秒 / 北緯38.884500度 東経141.384222度 / 38.884500; 141.384222
過去の名称北小梨小学校南小梨分校
大登学校南小梨分校
南小梨小学校
南小梨尋常小学校
小梨村立小梨尋常高等小学校南小梨分教場
小梨村立南小梨尋常小学校
南小梨国民学校
小梨村立南小梨小学校
国公私立の別公立学校
設置者小梨村(1873年 - 1956年)
千厩町(1956年 - 1987年)
設立年月日1873年5月
閉校年月日1987年3月31日
共学・別学男女共学
本校大登学校(1880年独立)
1873年 - 1880年
小梨村立小梨尋常高等小学校(1929年独立)
1908年 - 1929年
学期3学期制
校地面積8,847 m2[1]
校舎面積872 m2[1]
所在地029-09[2]
岩手県東磐井郡千厩町小梨字落合177[2]
(現:岩手県一関市千厩町小梨字落合177)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

のちに宿泊交流施設「みなみ交流センター」として生まれ変わった[3]

概要

学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により1987年をもって閉校した小学校である[4][5]。校名に「南小梨」を冠していたのは、この地区一帯が1875年まで南小梨村だったことに由来する[6]。かつての南小梨村域は、千厩町が発足(1956年)するまでは小梨村南小梨という大字を名乗っていた。字名としては消滅したものの、現在は「南小梨地区[注 1]」と呼ばれており、同地区の全域を学区としていた[6]

開校時から1929年にかけては小梨尋常高等小学校(のちの一関市立小梨小学校)の分教場として置かれていたが、一関市立清田小学校の前身にあたる清田分教場と同時に独立を果たした[7]

校名は8回変更しており、1回移転している。1886年に現在地へ移転するまでは、小梨字西ノ前93番地にある御嶽神社に置いていた[8]

校歌は1970年に制定され、作詞は小山嘉明、作曲は小山誠之が担当した[9]。作曲を手掛けた小山誠之は小梨小学校の校歌も作曲している[10]

児童数は、記録が残る中では1955年度をピークに減少の一途をたどっていた[注 2]。また、奥玉小学校上分校が閉校(1979年)してからは町内の小中学校では最も少ない在籍数となった[11][12]。児童数の低迷を受けて1978年度からは複式学級を設置し、閉校時まで解消することは無かった[13]

校舎・体育館などの施設や校庭は、後述する宿泊交流施設や農村公園などに転用されている。

上部中央に学校が、下部中央にはプールがある(1977年10月)。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

沿革

1873年5月に開校した北小梨小学校南小梨分校が起源となる[4]。南小梨地区では開校以前から小梨字西ノ前の御嶽神社(蔵王神社)の社務所にて、神主による塾風の教育が代々行われていたことから隣接する神主の民家に開校した。1886年、200メートル北東の現在地に木造平屋建て校舎を落成し、移転した[8]。この地にはかつて南小梨城がそびえており、2つの街道が交差する村の中心地であった[14]

塾風の教育が行われていた御嶽神社(2023年8月)

1923年には2代目の校舎(木造平屋建て)を落成し、1929年には本校からの独立を果たして校名を南小梨尋常小学校に改称した。その後は勅令や法の施行による校名改称を経て1955年に3代目となる校舎を落成した[8]

年表

  • 1873年明治6年)5月 - 北小梨小学校南小梨分校として開校[8]
  • 1877年(明治10年)頃 - 「大登学校南小梨分校」に改称[15]
  • 1880年(明治13年)4月 - 「南小梨小学校」として本校から独立[16]
  • 1886年(明治19年)
    • 4月 - 「南小梨尋常小学校」に改称[16]
    • 現在地に校舎を落成し、移転[8]
  • 1908年(明治41年)4月 - 小梨尋常高等小学校の分教場に移行し、「小梨村立小梨尋常高等小学校南小梨分教場」に改称[17]
  • 1911年(明治44年) - 教員住宅を落成[8]
  • 1923年大正12年)
    • 校舎の解体に伴い、常楽寺(小梨字落合)を仮校舎とする[18]
    • 新校舎を落成[8]
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 青年訓練所令施行に伴い、小梨村青年訓練所の支所を併設[19]
  • 1929年昭和4年)
    • 3月31日 - 分教場廃止に伴い、一旦閉校[7]
    • 4月1日 - 「小梨村立南小梨尋常小学校」として本校から独立[18]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「南小梨国民学校」に改称[8][20]
  • 1943年(昭和18年)4月 - 作業場を仮校舎に転換(2教室分)[8]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行に伴い、「小梨村立南小梨小学校」に改称[8]
  • 1950年(昭和25年)4月 - 校舎の東側を増築(2教室増設)[8]
  • 1952年(昭和27年)5月 - 校庭を拡張(1,739 m2[8]
  • 1955年(昭和30年)4月 - 校舎を増築し、木造2階建てとなる[8]
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併に伴い、「千厩町立南小梨小学校」に改称[8]
  • 1957年(昭和32年)12月 - 強風により教員住宅の屋根が破損[21]
  • 1958年(昭和33年)6月 - 季節保育所を併設(以後毎年)[21]
  • 1959年(昭和34年)11月 - 屋内体育館を落成[8]
  • 1960年(昭和35年)10月 - 牛乳給食を開始[8]
  • 1963年(昭和38年)
    • 6月 - 給食用かまどを設置[22]
    • 7月 - ミルク給食を開始[22]
  • 1964年(昭和39年)6月 - 校内放送設備を整備[8]
  • 1965年(昭和40年)
    • 千厩町教育委員会が「第一次教育基本計画」を策定し、統廃合の検討開始[23]
    • 12月 - 南小梨教育振興推進協議会が発足[8]
  • 1967年(昭和42年)3月 - 学校安全優良校として県より表彰[8]
  • 1970年(昭和45年)3月2日 - 校歌を制定(作詞:小山嘉明、作曲:小山誠之)[24][9]
  • 1974年(昭和49年)7月 - 青空子ども会を結成[22]
  • 1975年(昭和50年)
    • 5月 - 千厩町学校給食センターの落成に伴い、完全給食を開始[3][8]
    • 10月 - 黄金山での全校野外炊さん活動を開始(以後毎年実施)[22]
  • 1977年(昭和52年)7月 - 屋外プールを約200m離れた地(千厩こがね館付近)に落成[8]
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月 - 校庭拡張に伴い、教員住宅を解体[8]
    • 12月 - 千厩町議会にて小梨小学校への統合が可決[25]
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月22日 - 閉校式を挙行[8]
    • 3月31日 - 千厩町立小梨小学校への統合に伴い、閉校[25][26]
    • 4月 - 小梨小学校へのスクールバスを運行開始[7]
閉校記念碑(2023年8月)

閉校後

  • 1991年平成3年)- 校舎をはじめとした各施設を改修[27]
  • 1992年(平成4年)4月 - 千厩町営の宿泊交流施設「みなみ交流センタ-」を開設[3]
  • 1993年(平成5年)3月 - 学区民による閉校記念碑を設置。
  • 2005年(平成17年)9月20日 - 市町村合併に伴い、所在地が一関市千厩町小梨となり一関市営に移管[28]
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 本校のプールであった一関市営の南小梨プール(旧:町民プール)が廃止[注 3][29]
  • 2018年(平成30年)3月31日 - 統合先の小梨小学校が閉校[26]

千厩みなみ交流センター

千厩みなみ交流センター
正面玄関(2023年4月)
情報
旧名称みなみ交流センター
千厩町みなみ交流センター
用途宿泊交流施設
旧用途公立小学校
管理運営一関市、小梨自治振興協議会
延床面積1,047.62 m² [27]
階数2階
開館開所1992年4月
所在地029-0802
岩手県一関市千厩町小梨字落合177
座標北緯38度53分4.2秒 東経141度23分3.2秒 / 北緯38.884500度 東経141.384222度 / 38.884500; 141.384222 (千厩みなみ交流センター)
テンプレートを表示

千厩町が宣言した「生涯学習のまち」を担う豊かな学習と交流の拠点として、老朽化した校舎や体育館を宿泊可能な交流施設にすべく、浴室[注 4]の設置や各教室を寝室や調理室などに転換する大規模改装(改修)を施し、1992年4月に「みなみ交流センター」として開設した[30][3][5]

2017年4月より指定管理者制度を導入しており、小梨自治振興協議会が維持管理を務めている[31]

開設後は一般利用に限らず、小梨地区と世田谷区太子堂地区との児童交流「PALPAL交流」や部活動の合宿、地元民の活動拠点としても利用されており、東日本大震災の際には数か月にわたってボランティア活動の拠点として使われた[5][32][33]。また、同センター前に広がる校庭は千厩南小梨農村公園[34]として整備され、一般利用のほか地元主催のイベントなどで利用されている[35]

学校目標

教育目標

  • 進んで学習にはげむ子ども
  • 豊かな心で助け合う子ども
  • 健康でたくましい子ども

学校経営の基本方針

  • 学校教育目標を児童個々に具現化するため、信頼と協調を基盤とし学校経営全般にわたって創意工夫し、生き生きとした実践を計画的・組織的に展開することによって教育目標の達成を図る。

出典[1]

学校活動

主な学校行事を掲載[1]

1学期

  • 4月 - 入学式、始業式、家庭訪問
  • 5月 - 修学旅行(6年生)、遠足、種まき祭、運動会
  • 6月 - 青少年劇場
  • 7月 - 終業式(夏休み)

2学期

  • 8月 - 始業式、水泳大会
  • 9月 - 陸上競技大会
  • 10月 - 遠足、学芸会
  • 11月 - 収穫祭
  • 12月 - 終業式(冬休み)

3学期

  • 1月 - 始業式
  • 2月 - 未就学児一日入学
  • 3月 - 修了式、卒業式、卒業生を送る会(春休み)

付属施設

主な施設を掲載。

  • 屋内体育館(275 m2) - 校舎と渡り廊下で接続。
  • 校庭(3,497 m2) - 現:千厩南小梨農村公園。
  • 屋外プール - 農事組合法人こがねファームの事務所建設に伴い、2010年代に解体[36]

出典[1][37]

校門(2023年4月)
元校庭の千厩南小梨農村公園(2023年4月)

児童・学級数

1901年度以降の児童数と学級数の推移。1949年度から1951年度、1962年度以降は毎年度掲載。

年度児童数増減学級数増減出典備考
1901(明治34)年度62不明[38]
1910(明治43)年度不明1[39]
1918(大正7)年度10[40]
1922(大正11)年度10[41]
1936(昭和11)年度1508843[42]
1947(昭和22)年度159962[43]
1949(昭和24)年度156-360[44]
1950(昭和25)年度1711560[45]
1951(昭和26)年度不明60[46]
1955(昭和30)年度178760[45]
1958(昭和33)年度164-1460[47]
1960(昭和35)年度152-1260[45]
1962(昭和37)年度130-345-1[48]複式学級設置
1963(昭和38)年度130050[49]
1964(昭和39)年度130061[50]
1965(昭和40)年度130060[51]
1966(昭和41)年度133360[52]
1967(昭和42)年度129-460[53]
1968(昭和43)年度128-160[54]
1969(昭和44)年度126-260[55]
1970(昭和45)年度121-560[56]
1971(昭和46)年度111-1060[57]
1972(昭和47)年度106-5不明[58]
1973(昭和48)年度97-960[59]
1974(昭和49)年度103660[60]
1975(昭和50)年度97-660[61]
1976(昭和51)年度88-960[62]
1977(昭和52)年度87-160[63]
1978(昭和53)年度73-145-1[64]複式学級設置
1979(昭和54)年度74150[65]
1980(昭和55)年度67-750[66]
1981(昭和56)年度64-361[67]
1982(昭和57)年度62-260[68]
1983(昭和58)年度58-45-1[69]複式学級設置
1984(昭和59)年度53-550[70]
1985(昭和60)年度52-14-1[2]
1986(昭和61)年度45-740[71]閉校

学区

  • 東磐井郡千厩町小梨
    • 行政区 - 千厩7区・8区の全域
      • 字浦ノ沢、字落合、字中ノ沢、字不動、字新地、字天神、字西ノ前
      • 字又ケ沢(一部)
      • 字松倉(一部)

出典[72]

進学先の中学校

アクセス

岩手県指定有形文化財 村上家住宅のそばに位置している。

鉄道

デマンドタクシー

  • 「みなみ交流センター前」バス停(南小梨線)から徒歩で約1分

2022年4月1日より路線廃止に伴い、一関市営バスからデマンド型タクシーに転換された[73]

自動車

  • 国道456号のT字路交差点(藤沢町砂子田字百目木)から市道経由で約4分
  • 国道284号(千厩バイパス)前田交差点から市道経由で約8分

周辺

  • 村上家住宅(岩手県指定有形文化財)
  • 常楽寺
  • 千厩こがね館

著名な出身者

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 千厩町立南小梨小学校閉校行事記念誌編集委員会 編『南小梨小学校記念誌「わが母校」』千厩町立南小梨小学校閉校行事実行委員会、1987年3月22日。 
  • 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第4巻 近代編』千厩町、2000年7月31日。 
  • 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第5巻 現代編』千厩町、2005年9月12日。 

関連項目

外部リンク

公式サイト