国鉄キ1形貨車

国鉄キ1形貨車(こくてつキ1がたかしゃ)は、かつて鉄道省及び1949年(昭和24年)6月1日以降は日本国有鉄道(国鉄)に在籍した事業用貨車(木製単線ラッセル式雪かき車)である。

国鉄キ1形貨車
ユキ27
ユキ27
基本情報
車種雪かき車
運用者鉄道省
日本国有鉄道
製造所札幌工場、苗穂工場、大宮工場金沢工場*
製造年1928年(昭和3年)**
製造数86両
消滅1958年(昭和33年)
常備駅糸魚川駅米子駅、他
主要諸元
車体色
軌間1,067 mm
全長10,649 mm
全幅3,880*** mm
自重18.9 t - 22.4 t
換算両数2.0
台車中心間距離6,477 mm
最高速度65 km/h
備考*ユキ15形製造メーカー
**称号規程改正年
***翼を全開時
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概要

キ1形1928年(昭和3年)の車両称号規程改正により、ユキ15形改番したものである。

日本初の雪かき車として、1911年(明治44年)1月にアメリカ合衆国のラッセル・アンド・スノープラウ社より1両(ユキ15 → キ1)が輸入された、木製の単線ラッセル式除雪車である。車体と鋤本体は木製であるが、鋤の先端部に鋼板が張られている。形状は、雪をいったん平鋤で跳ね上げ、その上部の楔形の鋤で左右にかき分ける延鋤形である。

予算の都合上必要数すべてを輸入することはできないので、鉄道院では本車を徹底的に調査し、約2年後の1912年(大正元年)11月から1927年(昭和2年)12月24日にかけて、量産車85両(ユキ16, ユキ25 - ユキ59, ユキ80 - ユキ94, ユキ460 - ユキ493 → キ2 - キ86)を札幌工場、苗穂工場、大宮工場金沢工場で製造した。1944年(昭和19年)には胆振縦貫鉄道からの買収編入車1両(キ28の再買収)があったが、旧番号に復帰せず続番(キ87)が与えられたため、最終番号はキ87である。

木製であるがゆえに消耗も早く、鋼製のキ100形(1928年(昭和3年)製作開始)が登場した後は徐々にその活躍の場を狭め、1958年(昭和33年)度に形式消滅した。

製造実績

製造年製造所番号(ユキ15形)番号(キ1形)廃車年月日廃車後
1911ラッセル・アンド・
スノープラウ
ユキ15キ11941年(昭和16年)9月18日天塩鉄道へ譲渡
1912札幌工場ユキ16キ21934年(昭和9年)3月31日解体
ユキ50キ28三菱鉱業大夕張鉄道へ譲渡
ユキ51キ291933年(昭和8年)9月28日解体
ユキ52キ301954年(昭和29年)2月25日雄別炭鉱礦鉄道へ譲渡
ユキ53キ31解体
ユキ54キ32寿都鉄道へ譲渡
ユキ55キ331956年(昭和31年)6月1日解体
1913大宮工場ユキ56キ34解体
ユキ57キ35解体
ユキ58キ36新潟交通へ譲渡
ユキ59キ37山形交通尾花沢線へ譲渡
1914札幌工場ユキ49キ271953年(昭和28年)10月31日解体
1915大宮工場ユキ41キ19羽後交通へ譲渡
ユキ42キ201957年(昭和32年)3月1日解体
ユキ43キ211934年(昭和9年)2月9日解体
ユキ44キ22解体
ユキ45キ231943年(昭和18年)2月1日解体
ユキ46キ24解体
1915苗穂工場ユキ47キ25定山渓鉄道へ譲渡
ユキ48キ261952年(昭和27年)10月11日解体
1917-1918苗穂工場ユキ33キ111941年(昭和16年)11月24日羽幌炭礦鉄道へ譲渡
ユキ34キ12三井芦別鉄道へ譲渡
ユキ35キ131954年(昭和29年)2月2日解体
1917-1918大宮工場ユキ36キ14解体
ユキ37キ151943年(昭和18年)3月27日解体
ユキ38キ16解体
ユキ39キ17解体
ユキ40キ181957年(昭和32年)3月1日解体
1918-1919金沢工場ユキ25キ3解体
ユキ26キ4弘南鉄道へ譲渡
ユキ27キ5解体
ユキ28キ6解体
1918-1919苗穂工場ユキ29キ7解体
ユキ30キ81952年(昭和27年)12月2日解体
ユキ31キ9北海道拓殖鉄道へ譲渡
ユキ32キ10解体
1918-1919大宮工場ユキ80キ38解体
ユキ81キ39解体
ユキ82キ401957年(昭和32年)10月20日解体
ユキ83キ41解体
ユキ84キ42解体
ユキ85キ43解体
ユキ86キ441935年(昭和10年)12月20日解体
ユキ87キ45解体
ユキ88キ461935年(昭和10年)6月24日解体
ユキ89キ471939年(昭和14年)6月28日解体
1920苗穂工場ユキ90キ481935年(昭和10年)12月20日解体
ユキ91キ491934年(昭和9年)3月31日解体
ユキ92キ501956年(昭和31年)6月1日解体
1921大宮工場ユキ93キ511935年(昭和10年)6月24日解体
ユキ94キ52解体
1921大宮工場ユキ460キ531954年(昭和29年)7月17日解体
ユキ461キ54解体
ユキ462キ551953年(昭和28年)11月14日解体
1921苗穂工場ユキ463キ561956年(昭和31年)6月1日解体
ユキ464キ571955年(昭和30年)8月1日解体
ユキ465キ581957年(昭和32年)7月1日解体
ユキ466キ591934年(昭和9年)10月22日解体
ユキ467キ601955年(昭和30年)1月1日解体
ユキ468キ611952年(昭和27年)10月7日解体
ユキ469キ621954年(昭和29年)9月24日解体
1922-1923苗穂工場ユキ470キ631953年(昭和28年)10月31日解体
ユキ471キ641953年(昭和28年)7月14日解体
ユキ472キ651957年(昭和32年)7月1日解体
1923-1924大宮工場ユキ473キ66解体
ユキ474キ67定山渓鉄道へ譲渡
ユキ475キ681955年(昭和30年)12月10日解体
ユキ476キ691958年(昭和33年)3月20日解体
ユキ477キ70解体
ユキ478キ711955年(昭和30年)6月1日解体
ユキ479キ721954年(昭和29年)7月1日解体
ユキ480キ731955年(昭和30年)8月1日解体
ユキ481キ74解体
ユキ482キ751952年(昭和27年)10月11日解体
1924大宮工場ユキ483キ761954年(昭和29年)2月19日解体
ユキ484キ771955年(昭和30年)8月1日解体
1924苗穂工場ユキ485キ781955年(昭和30年)8月1日解体
1925大宮工場ユキ486キ791958年(昭和33年)9月15日解体
ユキ487キ801952年(昭和27年)12月2日解体
1925苗穂工場ユキ488キ811954年(昭和29年)11月1日解体
ユキ489キ821957年(昭和32年)2月1日北海道拓殖鉄道へ譲渡
1926大宮工場ユキ490キ831958年(昭和33年)1月10日解体
ユキ491キ841957年(昭和32年)10月20日解体
1927苗穂工場ユキ492キ851958年(昭和33年)3月20日解体
ユキ493キ861953年(昭和28年)10月8日解体
  • 1920年度に本州で31両、北海道で19両。その後札幌鉄道局管内36両、仙台、名古屋、神戸鉄道局管内に50両使用されていた。

譲渡

1936年(昭和11年)より1958年(昭和33年)にかけ、多くの車両が地方鉄道会社に譲渡された。これは鉄道省及び国鉄が戦争中の酷使により疲弊しきった旧型のキ1形を廃車にして、新型のキ100形を増備している最中だったという背景がある。当時国鉄工場以外での雪かき車の製作実績は無く、ようやく戦後に飯野産業がキ100形を製作し始めた所であった。また私鉄において戦前は人力による除雪が基本であった。沿線農家の農閑期にあたり余剰労働力の確保が容易であったし、必要に応じて国鉄から借り入れていた。しかし戦後になるとインフレにより人件費が高騰し、除雪費が問題となっていた。

1936年(昭和11年)7月、1両(キ28)が大夕張炭礦専用鉄道に譲渡され、キ28となった。1940年(昭和15年)2月22日胆振縦貫鉄道に再譲渡され、キ1となった。1944年(昭和19年)7月1日、戦時買収により鉄道省に復帰、キ87となった[1]苗穂駅千歳駅等を常備駅とし、1953年(昭和28年)10月8日に苗穂工場において廃車になった。

1942年(昭和17年)1月15日、1両(キ1)が天塩鉄道(後の天塩炭礦鉄道)に譲渡され、キ1となった。1967年(昭和42年)、路線廃止により廃車。

1942年(昭和17年)11月27日、1両(キ11)が羽幌炭礦鉄道に譲渡され、キ11となった。1966年(昭和41年)、老朽化により廃車。

1951年(昭和26年)9月10日、1両(キ32)が寿都鉄道に譲渡され、キ32となった。1968年(昭和43年)、路線廃止により廃車。

1951年(昭和26年)9月14日、1両(キ37)が山形交通に譲渡され、尾花沢線のユキ1となった。1958年(昭和33年)、老朽化により廃車。

1951年(昭和26年)、1両(キ36)が新潟交通に譲渡され、キ1となった。1968年(昭和43年)、老朽化により廃車。

1951年(昭和26年)、1両(キ19)が羽後交通に譲渡され、横荘線のユキ1となった。1957年(昭和32年)5月27日に横手機関庫の火災により焼損したが、焼け残った部品を再用して復旧。同時に鋼体化された。1971年(昭和46年)7月21日、路線廃止により廃車。

1952年(昭和27年)5月17日、1両(キ12)が三井芦別鉄道に譲渡され、キ1となった。1955年(昭和30年)1月、自社工場で鋼体化されキ100(キ100形)に改番。1964年(昭和39年)、羽幌炭礦鉄道に譲渡された。

1952年(昭和27年)9月26日、1両(キ25)が定山渓鉄道に譲渡され、ユキ2となった。1969年(昭和44年)、路線廃止により廃車。

1952年(昭和27年)、1両(キ4)が弘南鉄道に譲渡され、弘南線のキ4となった。1968年(昭和43年)、老朽化により廃車。

1953年(昭和28年)6月23日、1両(キ9)が北海道拓殖鉄道に譲渡され、キ1(キ1形)となった。1958年(昭和33年)7月、老朽化により廃車。

1953年(昭和28年)9月19日、1両(キ67)が定山渓鉄道に譲渡され、ユキ1となった。1968年(昭和43年)、老朽化により廃車。

1954年(昭和29年)2月25日、1両(キ30)が雄別炭礦鉄道に譲渡され、キ1となった。のち鋼体化され、1970年(昭和45年)、路線廃止により廃車。

1958年(昭和33年)5月19日、1両(キ82)が北海道拓殖鉄道に譲渡され、キ2(キ1形)となった。のち鋼体化され、1964年(昭和39年)、老朽化により廃車。

参考文献

  • 鉄道公報
  • 小熊米雄「ラッセル雪カキ車の歴史と保存」『鉄道ピクトリアル』No.447 1985年5月号
  • 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、鉄道史資料保存会ISBN 4-88540-076-7
  • 奥山道紀・赤城英昭「RM LIBRARY 47 三菱鉱業大夕張鉄道」2003年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5002-5
  • 若林宣「RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線―オラほの横荘っこ―」2004年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5060-2
  • 澤内一晃「私鉄雪掻車ものがたり」『J train』No.31 2008年
  • 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
  • 岩成政和「ファンから見た排雪列車と除雪用機関車」、『鉄道ピクトリアル』No. 814、2009年2月
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