大宮競輪場

大宮競輪場(おおみやけいりんじょう)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある競輪場。施設所有および主催は埼玉県。競技実施はJKA東日本地区本部関東支部。実況は坂巻勇気をはじめとして西山栄一や藤崎俊明など東京電設工業の所属アナウンサーが交代で担当している。以前は坂巻や綿貫弘(定年に伴い勇退)が専属で担当していた。

大宮競輪場
(大宮双輪場)
地図
基本情報
所在地埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4大宮公園
座標北緯35度55分8.9秒 東経139度38分1.8秒 / 北緯35.919139度 東経139.633833度 / 35.919139; 139.633833 東経139度38分1.8秒 / 北緯35.919139度 東経139.633833度 / 35.919139; 139.633833
電話投票25#
開設1949年(昭和24年)1月14日
民間委託日本トーター
施行者埼玉県
走路500m
重勝式投票Kドリームス
公式サイト大宮けいりん
実況
担当坂巻勇気
西山栄一
藤崎俊明など
記念競輪
名称東日本発祥 倉茂記念杯
開催月1月
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概要

1979年頃の大宮公園国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)。中央の森のバンク円形になっているのが大宮競輪場兼陸上競技場である

正式名称は大宮公園陸上競技場兼双輪場で、埼玉県営大宮公園内に所在している。双輪場としての開設は1939年4月だが、これは1940年に開催予定(中止)だった東京オリンピックの自転車競技(トラック競技)の会場として使用する事を想定されたために建設(しかし会場は芝浦埋立地に建設された)されたもので、競輪場としては1949年1月14日に開設された。

毎年の1月開設記念GIII) として、日本自転車振興会理事を務め「競輪の生みの親」と呼ばれた倉茂貞助の功績を称え『倉茂記念杯』が行われている。なお特別競輪(現在のGI相当)は1955年8月の全国都道府県選抜競輪(現在は廃止)以降、開催されていない。また同様にGIIの開催実績もないほか、多くの競輪場が実施しているナイター競走ミッドナイト競輪はいずれも開催実績が(他場借り上げも含めて)ない(モーニング競輪は実施)。

枠番連勝複式及び車番連勝単式制の導入は1999年4月5日から[1]キャリーオーバー発生時に最大12億円の配当金が得られる可能性がある重勝式投票方式Kドリームス」を2010年8月25日より発売開始した。ただし本場や競輪場外車券売場では購入できず、会員制のネット販売に限定される。

競輪トラックの内側には、日本陸上競技連盟第2種公認(現在は公認抹消)の400mトラックを持つ陸上競技場が併設され、競輪や自転車競技会の開催されない日には一般開放している。かつては、埼玉県営大宮公園サッカー場(現さいたま市大宮公園サッカー場)が完成するまでサッカー会場として使用されており、1956年には第36回天皇杯全日本サッカー選手権大会が開催されている。

2015年には、ずれやまズレ子の「フトモモDEサンバ」が大宮・西武園けいりん応援ソングとなった[2]

2019年に最終案が公表された大宮公園の再整備プラン「大宮公園グランドデザイン」によれば、当競輪場を始めとする大宮公園に所在する運動施設は将来的には撤去され、その跡地には「レクリエーションスポーツの広場」を整備する方針が示された。このため、運動施設の移転先として大宮第二公園に多機能スタジアムを整備する方針も併せて示されている。

2021年4月より、バンクの愛称を『大宮BigBank』(おおみやビッグバンク。略称は『大宮BB』)とする。バンク周長500mと大きいバンクであること、東日本の競輪発祥の地でもありビッグバンともかけている[3]

実況は東京電設工業で、2011年度までは綿貫弘が担当していたが勇退し、2012年度から2022年度までは綿貫が後継に指名した坂巻勇気が担当し、綿貫は不定期担当となっていた。2023年度からは坂巻に加えて、川崎競輪場で実況を担当している西山栄一や、松戸競輪場で実況を担当している藤崎俊明など同社所属のアナウンサーが交代で実況を担当している。

バンク特徴

関東地方では宇都宮と同じく1周500mバンク(改築前の千葉も1周500mバンクだった)。年配のファンからは「大宮競馬場」と形容される程に直走路が長く、追込選手に有利とされている。対して、先行選手は総じて不利とされる。

なお、形容される「大宮競馬場」は戦前に実在した競馬場である。場所は現在のステラタウンの位置である。

周辺施設

アクセス

場外車券売場

ホームバンクとする主な選手

歴代記念競輪優勝者

優勝者登録地
2003年佐々木則幸高知
2004年太田真一埼玉
2005年後閑信一群馬
2006年山口富生岐阜
2007年手島慶介群馬
2008年平原康多埼玉
2009年矢口啓一郎群馬
2010年平原康多埼玉
2011年
2012年村上義弘京都
2013年平原康多埼玉
2014年神山拓弥栃木
2015年平原康多埼玉
2016年深谷知広[4]愛知
2017年平原康多埼玉
2018年菅田壱道宮城
2019年神山拓弥栃木
2020年平原康多埼玉
2021年[注 1]
2022年
2023年深谷知広静岡
2024年清水裕友山口
2025年
※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。

エピソード

  • マスコットキャラは「昇竜くん」。がモデル。
同じ埼玉県にある西武園競輪場のマスコットキャラのさい☆ボーグと「埼玉ライン」を組んでいる。
  • 東日本地区では初めて(全国では小倉競輪場大阪住之江競輪場につぐ3場目)開設された競輪場である。このことから記念競輪では昔から東日本発祥○○周年記念の文字をメインとして冠していたが、現在は倉茂記念杯が創設されたことからサブタイトルとなっている。
  • 1951年2月14日、第4レースが終わった午後1時頃、降雪が激しくなった。選手側からの申し入れもあり、主催者側は走路不良を理由に中止を決定。来場者約1000人に対し、入場券の再発行と大宮駅までの無料バスを案内したが、来場者側は入場料の払い戻しと交通費300円の支給を求めて騒乱状態となった。主催者から連絡を受けた大宮市署(現大宮警察署)、浦和市署(現浦和警察署)員200名が来場者の退去を促し始めたが、来場者側は椅子の破壊や放火、警察署員への暴行に及ぶなどで抵抗。最終的に28人が逮捕された[5]

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 埼玉県庁 - 県営競技事務所が施設所有および経営を担当している。

外部リンク

先代
西宮球技場
兵庫県
天皇杯全日本サッカー選手権大会
決勝戦会場

36
次代
国泰寺高校
広島県