弘田三枝子

日本の歌手 (1947-2020)

弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子、1947年2月5日 - 2020年7月21日[1])は、日本のポップス、歌謡歌手[2]。愛称はMICO(ミコ)[2]、(パンチの)ミコちゃん[3][4]

弘田 三枝子
1966年
基本情報
出生名竹永 三枝子
生誕1947年2月5日
出身地日本の旗 日本東京都世田谷区池尻
死没 (2020-07-21) 2020年7月21日(73歳没)
ジャンルポップスジャズ歌謡曲R&B
職業歌手
活動期間1961年 - 2020年
レーベル東芝音楽工業
日本コロムビア
キングレコード
公式サイト弘田三枝子オフィシャルブログ「ミコブロ」

歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された[5]。後のミュージシャン(都はるみ大瀧詠一山下達郎竹内まりや桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた[6]

経歴

世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り[7]、幼稚園の頃FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。母の協力のもと、7歳の頃から自らの意思でティーブ・釜萢の「日本ジャズ学校」に週1回バスで通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、8歳から進駐軍のキャンプで歌っていたともいい[4]駒沢学園女子中学校の1年生の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌っていた[7]。曲を提供されて自分の世界にもっていくために、家での練習(本人曰く「小稽古」)の際、歌詞を理解してメロディーを体に入れてから(本人曰く「儀式」)、自ら考案した記号を譜面に記載したうえで、自ら歌唱したテープを確認し歌をものにしたうえで収録に臨んだという。この儀式は、レコードデビューからラストシングル収録まで続けられたという。

ダイナマイト娘

1961年東芝音楽工業から、草野浩二担当のもと、「和製ブレンダ・リー」のキャッチフレーズをうたい「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビュー[2][8](草野の兄である漣健児訳詞)。当時14歳。翌1962年には各社競作で出された「ヴァケーション」(コニー・フランシスのカバー)[9]が20万枚のヒットを記録する。他に青山ミチ伊東ゆかり金井克子らも同曲をカバーした。青山版は3万枚の小ヒットだった。同年NHK紅白歌合戦に初出場。1973年森昌子に破られるまで紅組最年少出場記録保持者であった。1964年1月に11年ぶり2度目の来日を果たしていたエラ・フィッツジェラルドの楽屋を訪ねた際、エラから直々に「養女にしたい」とまで言われている[10]

1964年10月に日本コロムビアへ移籍[2]。新幹線で移動中、グレンミラー楽団を引き連れ来日していた当時のニューポート・ジャズ・フェスティバルを主催していたジョージ・ウエインと出会い、「小さな日本のジャズシンガー」と紹介された弘田に興味を持ったウエインは、後日東京のスタジオを借り、自らの伴奏で何曲か歌唱・録音させた。その結果、1965年7月に、東洋人歌手として初めてアメリカ合衆国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に招待され、ビリー・テイラー・トリオのゲスト・ヴォーカリストとして出演した[2][11]。3日目の夜、降雨による中断の後、ビリー・テイラー・トリオにトニー・スコットが加わったカルテットをバックに「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス (Just One of Those Things)」、「ミスティ (Misty)」、「ムーン・リバー (Moon River)」、「マック・ザ・ナイフ (Mack the Knife)」と、「三階節」のジャズ編曲版を歌い、トリを務めた[11]。その足でニューヨークに渡り、譜面の中から、ボビー・ヘブに先んじた「サニー(Sunny)」等のオリジナルジャズを、自ら選んで録音し、ビリー・テイラー・トリオ演奏のもと(トニー・スコットはプロデューサーに徹した)アルバム「ニューヨークのミコ」を制作した。

2か月ほど渡米・渡欧。その成果として1968年5月30日にはリズム・アンド・ブルースのコンサートをサンケイホールにて開き、ライブアルバムを制作し[12][13]、日本におけるリズム・アンド・ブルースの先駆けとなった。

カムバック

弘田は、60年代前半あたりまでは好調を保っていたが筒美京平らが曲を提供したにもかかわらず、それ以後のGSブームなどには完全に乗り遅れてしまった。60年代初頭のアメリカン・ポップスやオールディーズを歌う歌手という古いイメージを払拭し、カムバックを果たしたのが川口真作曲の「人形の家」である。弘田は1969年10月20日、「人形の家」でオリコンチャート首位となり[4]第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した[14]。他方、1966年に雑誌スイングジャーナルの人気投票「ジャズ・ヴォーカル女性歌手」部門でトップに立ち(1970年まで5年連続。それまでのトップはマーサ三宅。)、小規模なジャズライブを中心に活動していた弘田が、カムバックという形で再度表立った活動を始めたことに対して、コアなジャズファンから、ジャズイベントの楽屋などで「弘田三枝子は堕落した」と言われたという。

海外での活躍としては、1973年、第11回チリ・ポピュラー音楽フェスティバルで5位に輝き、同年、第13回ブルガリア音楽祭(en:Golden Orpheus)にゲストとして招待され、50分ほどのワンマン・ショーを披露した。

ダイエット本出版

カムバックに際し、弘田はダイエットによる大幅な減量をしていたが[3]、この経験も踏まえ1970年に『ミコのカロリーBOOK』を出版した[15]。この本はベストセラーとなり「芸能人のダイエット本の先駆け」[16]、「タレントダイエット本の元祖」と評され、150万部を超えたともいわれる[17]。同年のベストドレッサー賞を受賞した。この後、イヴ・サン=ローランとタイアップしていき、ファッションリーダーとしても活躍していくこととなった。

後の2019年11月28日にNHKで放送された「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」の「ストレスの原因?単位のお名前」の回において、「カロリー」という言葉を日本に普及させた人物として紹介された[18]

渡米

その後、渡米し1977年にはニューヨークでアルバム『Mieko In New York』[19]を自主制作、さらに当地で結婚、娘を出産して母となったが、1979年9月に帰国して歌手活動を再開し、1980年には自ら作曲したシングル「ミスターシャドー」を東芝EMIから発売した[20][21]

1983年にはキングレコードへ移籍し、アルバム『TOUCH OF BREEZE』やシングル「愛のNOKORIGA」などを発表する[22][23]

平成以降

2006年にレコードデビュー45周年を迎え、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売[24]。「Everything」「接吻」「SWEET MEMORIES」「いとしのエリー」 「」など、はじめて日本の楽曲をカバーした。ジャマイカでツインズ=スライ&ロビーと初めてのレゲエを吹き込む。

2015年10月21日、レコードデビュー55周年記念として32年ぶりの新曲「悲しい恋をしてきたの」を発売。ボーナス・トラックに「人形の家」のピアノバージョンを収録した。

2020年7月20日、千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されるも、翌21日午後10時31分、心不全のため73歳で死去[25]。葬儀は親族のみで密葬として行い、6日後の27日に訃報が発表された[1]。同年はレコードデビュー60周年にあたり、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していたが、新型コロナウイルス感染拡大で「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていたという[26]。同年6月15日に公開されたYouTubeでの日本歌手協会リレー歌謡祭第46弾での電話での自身の曲紹介(「人形の家」)が公の場での最後の肉声となった[27]。同年1月2日に「日本歌手協会新春12時間歌謡祭【第4部】」[28]内で放送され、2019年11月12日に開催された第46回日本歌手協会歌謡祭夜の部での「夢みるシャンソン人形」が最後のテレビ出演に[29]、同年12月8日名古屋市星神社で催された御本殿竣功奉告祭が最後のライブになった。

2020年11月20日第62回日本レコード大賞特別功労賞受賞[30]

評価

小説家小林信彦は、「戦後の17年は無駄ではなかった」「大天才」と、弘田に賛辞を贈った。

1991年発行の評論本『日本のポピュラー史を語る』(村田久夫・小島智著)によれば、「西洋のリズム・メロディラインと日本語の言語としての伝達能力の問題を克服する手段として、英語っぽい日本語を考え出した」と評価されている[31]

ポップスやジャズなどジャンルの垣根を超えた歌声を評価された反面[32]、歌唱スタイルの変化に対して好意的ではない見解を示す向きもあった[33]

1970年代後半以降はヒット曲が出なかったことなどから、活動後期は小規模のライブがメインでメディア露出が減っていた。そのため、訃報時にテレビ局の若手制作者がその存在をよく知らず、話題として取り上げない判断をしたワイドショーもあった[34]。取り上げたスポーツ紙等も、スキャンダルを前面に押し出す内容がほとんどを占めた。追悼メッセージを寄せた人物もほぼ60歳代以上に限られた。

  • 山下達郎は、「戦後最高の力量をもつシンガーのひとりの方でございますのに、こんなご時世もあってでしょうかね、メディアにはほとんどのぼりません。ホントに残念なことであります」と追悼するメディアが少ないことを残念がり、『悲しきハート』については、オリジナル歌手のスーザン・シンガーよりも「はるかにすぐれたバージョン。16歳とは思えない素晴らしい歌唱力」と絶賛している[35]
  • 桑田佳祐「存在自体がポップ。ビート感満載のポップスで笑顔・ダンスをテレビ画面いっぱいに表現していた。チャーミングでみんなの憧れでとにかくナンバーワンだった。(一連のカバー曲は)明るい未来へ向かうアンセムのようだった」[36]
  • 中尾ミエ「同時期にデビューした戦友。すごいパワーで、この人にはかなわないと思った。『人形の家』からはパンチがなくなった」[33]
  • 菊地史彦「もし弘田三枝子がいなければ、戦後ポップスはひどくつまらなかっただろう」[37]

このような弘田に対する訃報時のマスメディアの対応に対し、何のリスペクトもない、と業を煮やした都築響一は、自身の番組「SUPERDOMMUNE 『都築響一のスナック芸術丸』」にて、2020年8月13日に7時間にもわたる追悼特番を組んだ[38]

ディスコグラフィ

シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
東芝レコード
11961年
11月
A面子供ぢゃないの漣健児J.Schroeder岩井直溥JP-5089
B面悲しき片想い
21962年
2月
A面すてきな16才N.SedakaJP-5100
B面夢のスウィート・ホームP.Anka
31962年
4月
A面カモン・ダンスみナみカズみJ.Madara
D.White
JP-5108
B面恋のエアメイル漣健児G.Pitney
A.Schroeder
41962年
6月
A面かっこいいツイストJ.Mengozzi林一JP-5119
B面一度だけのあやまちみナみカズみJ.Schroeder
51962年
7月
A面寝不足なの永六輔中村八大JP-5125
B面ブルージン・ブルース
61962年
9月
A面かっこいい彼氏漣健児H.Hunter
P.Spector
大沢保郎JP-5148
B面シェーナ・シェーナJ.Sauter
J.Brandon
岩井直溥
71962年
10月
A面リトル・ミス・ロンリーJ.Schroeder大沢保郎JP-5161
B面ヴァケーションH.Temkin
81962年
11月
A面ミコのジングル・ベルホセしばさきJ.PierpontJP-5160
B面ブルー・クリスマス三田恭次B.Hayes
91963年
1月
A面ゆるして ゆるして漣健児E.Miller
D.Williams
R.Yount
JP-5184
B面涙がいっぱいN.Paramor
101963年
2月
A面想い出の冬休みH.Hunter
M.Barkan
JP-5199
B面マック・ザ・ナイフB.BrechtK.Weill前田憲男
111963年
3月
A面明日をみつめて青島幸男桜井千里森岡賢一郎JP-1548
B面そっと一人に小林郁夫
121963年
5月
A面渚のデイト漣健児B.Davis
T.Murray
大沢保郎JP-5216
B面星影で愛して
131963年
7月
A面悲しきハートみナみカズみJ.SchroederJP-5236
B面月影のレナート漣健児A.Cortez
141963年
9月
A面涙のゴスペルJ.Steward
R.Mosely
JP-5248
B面悲しみがいっぱいみナみカズみJ.Schroeder
151963年
12月
A面私のベイビー漣健児P.Spector
E.Greenwich
J.Barry
JP-5264
B面ティーンエイジ・クレオパトラB.Ross
161964年
3月
A面ダンケシェーン加茂亮二B.Kaempfert前田憲男TR-1050
B面涙のためいき漣健児A.Zanetis
171964年
5月
A面若い街角岩谷時子原六朗大沢保郎TR-1071
B面気ンなるあいつ前田武彦三保敬太郎
181964年
6月
A面恋と涙の17才漣健児J.Medora
D.White
大沢保郎TR-1080
B面いつでもあなたをみナみカズみP.Anka
191964年
8月
A面ひとつぶの真珠安井かずみ宮川泰TR-1110
B面きっとね岩谷時子服部良一
201964年
10月
A面恋のレッスン漣健児B.Darin鈴木邦彦TP-1004
B面涙の二十四時間A.Alexander
日本コロムビア
211964年
12月20日
A面はじめての恋人漣健児I.Raymonde大西修SAS-432
B面砂に消えた涙P.Soffici山屋清
221965年
2月5日
A面ナポリは恋人あらかはひろしR.RascelSAS-434
B面レッツ・ゴー・ベイビー漣健児D.Delbridge大西修
231965年
4月10日
A面可愛いマリア安井かずみP.D.Angelis
J.Sawyer
山屋清JPS-1
B面君に涙とほゝえみをG.Marchetti
R.Satti
241965年
5月25日
A面太陽の海三浦康照P.SofficiJPS-7
B面夕陽のなぎさB.Johnston
251965年
8月10日
A面夜の太陽E.Leoni大西修JPS-11
B面夢みるシャンソン人形岩谷時子S.Gainsbourg
261965年
8月20日
A面恋のクンビア三浦康照和田香苗河村利夫JPS-12
B面愛の言葉を原信夫大西修
271965年
10月10日[39]
A面三枝伸山屋清JPS-21
B面ほゝえみを忘れないで和田香苗河村利夫
281965年
10月
A面ホワイト・クリスマスIrving Berlin山屋清JPS-22
B面ジングル・ベル高田三九三J.Pierpont
291965年
11月25日
A面バイ・バイ・ブロンディ峯陽F.BerlippJPS-27
B面別離漣健児N.Ferrer
301966年
2月10日
A面スーベニールスD.HeardJPS-30
B面そよ風にのってG.Magenta
311966年
3月20日
A面愛のゴーゴー呉正泰中島安敏JPS-38
B面砂の上のひめごとなかにし礼
321966年
5月20日
A面瞳の中の私星加ルミ子高井達雄森岡賢一郎JPS-42
B面悲しみは空の彼方に漣健児
331966年
6月20日
A面夜明けの海滝口暉子和田香苗河村利夫JPS-45
B面夢みる乙女加藤和枝原信夫大西修
341966年
10月10日
A面恋はノン・ストップ滝口暉子鈴木邦彦森岡賢一郎SAS-791
B面帰ってね、きっと青柳都子
351967年
3月5日[39]
A面世界の国からこんにちは島田陽子中村八大河村利夫SAS-869
B面若さが燃えてる白鳥朝詠山屋清
361967年
4月1日
A面黒いブーツと皮ジャンパー橋本淳いずみたくSAS-879
B面帰らぬ少年兵二条冬詩夫T.Phillips
C.Lovett
河村利夫
371967年
6月1日
A面南国の愛の星くるみ広彰くるみ敏弘SAS-907
B面どうすりゃいいの鈴木よしお越部信義
381967年
7月10日
A面渚のうわさ橋本淳筒美京平P-1
B面風とオトコのコ
391967年
11月1日
A面枯葉のうわさP-3
B面悲しみの足音
401968年
3月15日
A面涙のドライヴP-10
B面さざ波のバラード
411968年
7月1日
A面渚の天使P-24
B面恋のエンジェル・ベイビー林春生
421968年
9月15日
A面可愛い嘘橋本淳P-37
B面砂に埋めた手紙林春生
431968年
12月1日
A面虹に瞳を二条冬詩夫B.Lane河村利夫P-46
B面グロッカ・モーラの様子はいかが
441969年
7月1日
A面人形の家なかにし礼川口真P-65
B面あなたがいなくても
451969年
12月10日
A面私が死んだらP-79
B面鏡の中の天使
461970年
4月25日
A面燃える手筒美京平P-89
B面鍵を捨てたの
471970年
8月25日
A面ロダンの肖像川口真P-97
B面恋愛専科
481970年
12月15日
A面できごと我谷和夫佐藤健服部克久P-108
B面ささやき片桐和子和田昭治
491971年
3月10日
A面バラの革命島村葉二いずみたく渋谷毅P-114
B面失われた月光岩谷時子
501971年
11月10日
A面裏庭の出来事山上路夫村井邦彦P-150
B面恋人時代
511972年
4月1日
A面美しかった場所村井邦彦馬飼野俊一P-169
B面恋はフィーリング
521972年
9月25日
A面都会の女橋本淳三原綱木高田弘P-182
B面誘惑三原綱木
531972年
12月10日
A面バラキのテーマ吉岡オサムR.Ortolani山屋清P-205
B面ダニエルとマリアのテーマN.Piovani
541973年
4月10日
A面花の咲く朝千家和也馬飼野康二P-217
B面危険な関係
551974年
4月1日
A面蝶の雨なかにし礼P-339
B面ひとりぼっちの海
561975年
2月25日
A面女の癖安井かずみ川口真P-392
B面別れた男
571975年
10月1日
A面胸さわぎ千家和也川口真高田弘P-429
B面あなたの口紅川口真
581976年
5月1日
A面絵空事藤公之介川口真萩田光雄P-455
B面後悔
591977年
1月1日
A面川の向こうに中里綴川口真PK-39
B面他人事みたいに
601977年
7月1日
A面マイ・メモリィ弘田三枝子鈴木宏昌PK-68
B面「ドーベルマン刑事」のテーマ
東芝EMI
611980年
9月5日
A面ミスター・シャドーおかどいくこ高木エリカ若草恵ETP-17010
B面ボディー・トーク萩田光雄
キングレコード
621983年
3月21日
A面愛のNOKORIGA茅野遊大野雄二大野雄二
大谷和夫
K07S-389
B面IN THE MOOD高木エリカ
631983年
9月21日
A面O-KAY[注釈 1]MICO川口真K07S-478
B面も・いちど中村安佐子MICO
641984年
2月21日
A面Without YouP.Ham / T.Evans鈴木宏昌K07S-527
B面愛のブルー・トレイン中村安佐子M.Giuliani中村暢之
日本コロムビア
652006年
11月1日
01恋のクンビア21[注釈 2]三浦康照和田香苗DJ GOMICOCA-15939
02(English ver.)タケナカテイイチ
662015年
10月21日
01悲しい恋をしてきたの森雪之丞合田道人北島直樹COCA-17059
02ひいふうみいよう合田道人鳴海周平
03人形の家(ピアノ・バージョン)なかにし礼川口真北島直樹

コラボレーション

  • ピチカート・ファイヴ
    • 『pizzicato five in the bag』RECORD TWO収録曲『Darlin' Of Discotheque』(2000年1月29日)作詞・作曲:小西康陽。原曲はピチカート・ファイヴが1999年4月21日に発売したマキシシングル『Darlin' of Discothèque英語版』の表題曲。
    • 『REMIXES 2000』収録曲『パーフェクト・ワールド(A night at Organ b. MIX)』(2000年3月18日)作詞・作曲:小西康陽。原曲はピチカート・ファイヴが1999年10月21日に発売したシングル。アップテンポな原曲を須永辰緒がジャズにアレンジ。

アルバム

オリジナル・アルバム

  • ヒット・キット・パレード(1962年2月/JP0-1150)モノラル
  • ヒット・キット・パレード 第2集(1962年7月/JP0-1197)モノラル
  • スタンダードを唄う(1963年3月/JP0-1288(モノラル)・JSP-3086(ステレオ)):『第15回NHK紅白歌合戦』出演曲「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」含
  • ヒット・キット・パレード 第3集(1963年4月/JP0-1285)モノラル
  • 日本民謡を唄う(1963年11月/TR-5001(モノラル)・TP-5001(ステレオ))
  • ヒット・アルバム(1963年11月/JLP-3005)モノラル
  • ヒット・キット・ミコ 第1集(1965年3月20日/JPS-5029)
  • ヒット・キット・ミコ 第2集(1965年10月20日/JPS-5067)
  • ニューヨークのミコ(1966年1月20日/JPS-5072)
  • ミコ・ミュージカルを唄う(1967年4月5日/JPS-5110)
  • ポップス・デラックス・シリーズ(1968年2月10日/JDX-10)
  • 弘田三枝子70~ポピュラー・ビッグ・ヒッツ(1970年2月10日/JPS-5203)
  • ミコより愛をこめて(1971年7月25日/JDX-52)
  • 弘田三枝子の世界(1972年6月25日/JDX-76)
  • 愛の歌~弘田三枝子オリジナル・アルバム(1972年12月10日/JDX-92)
  • JAZZ TIME~弘田三枝子ベスト・ジャズ・アルバム(1973年7月25日/NCB-7022)
  • The Nearness Of You(1974年6月25日/JDX-7028)
  • Good Old Days Forever(1974年9月25日/JDX-7036)
  • イエスタデイ・ワンス・モア(1974年10月1日/4PX-9010)4chステレオ
  • 愛のめぐり逢い(1975年5月25日/4PX-9024)4chステレオ
  • 私の好きな唄~帰り来ぬ青春(1975年9月25日/JDX-7064)
  • My Funny Valentine(1976年5月10日/SP-7008)
  • IN MY FEELING(1977年3月25日/SP-7009)
  • Step Across(1978年/25AH-555)
  • MIEKO HIROTA 76/45(1980年/DOR-0086)
  • TOUCH OF BREEZE(1983年3月21日/K28A-385(LP)・K35X-4(CD))
  • 華麗度 ~ MICO is Kaleidoscope(1998年6月25日/MSI-10121(CD))
  • 東京27時(1999年5月21日/COCP-50087(CD)・SCL-5019(LP))小西康陽Fantastic Plastic Machineなど参加したミニアルバム。
  • 弘田三枝子・これくしょん マイ・メモリィ~ミコより愛をこめて(2001年8月1日/COCP-31461/6(CD))歌手生活40周年記念企画盤
  • 弘田三枝子 MICO TODAY(2005年10月25日・2013年5月25日廉価版/MSIL-190/1(CD))新録音盤
  • 弘田三枝子 グレイテスト・ヒッツ Go Go MICO(2015年12月16日/COCP-39369-70(CD))デビュー55周年記念
  • Isn't It Romantic?(2018年12月19日/DLC-19(CD))doLuck Jazzよりジャズアルバム
  • ゴールデン☆ベスト 弘田三枝子(2019年2月20日/COCP-40706(CD))ラスト・アルバムとなった
  • 弘田三枝子 なかにし礼をうたう〜人形の家〜(2021年2月24日/COCP-41387(CD))なかにし礼・弘田三枝子 追悼企画。未発表曲「裁かれる女」収録
  • 弘田三枝子・プレミアム(2022年2月23日/COZP-1872-8(CD6枚+特典DVD))特典DVDにNHK紅白歌合戦の現存フィルム

ライヴ・アルバム

  • 弘田三枝子リサイタル(1964年8月/TR-7004)モノラル
  • ミコ・イン・コンサート(1966年9月10日/JPS-5093)
1966年3月17日・都市センターホールにて収録。
  • ミコR&Bを歌う(1968年9月1日/JPS-5155)
1968年5月30日・サンケイホールにて収録。
  • ミコR&Bを歌う 第2集(1969年11月25日/JPS-5192)
1969年7月16日・京都会館第1ホールにて収録。
  • MIKO LIVE(1972年6月10日/QB-9018・復刻版2013年12月18日(タワーレコード限定)/TWCP-68)4chステレオ
1971年12月・クラブ“リヴィエラ"にて収録。
  • MIKO LIVE at RIVERA~ミコ・ライブ'73(1973年4月25日/JDX-99)
1972年12月22日・クラブ“リヴィエラ"にて収録。
  • Recital At The Festival "The Golden Orpheus '73" (Live From Bulgaria)
1973年ブルガリア音楽祭にゲスト出演した模様を収録(ブルガリア国内でのみ発売)。
  • MIEKO IN PERSON~弘田三枝子リサイタル(1976年7月25日/PP-7007~8)
1976年5月11日・中野サンプラザにて収録。

サントラ

テレビ

  • レオのうた(1965年12月10日、ジャングル大帝
  • アイウエオ マンボ(1966年6月20日、ジャングル大帝)
  • ドロップスの歌(1966年10月20日、みんなのうた

CM

映画

  • マイメモリィ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事
  • ドーベルマン刑事のテーマ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事)ソウルミュージックをベースにしつつも、タイトルのイメージを崩さないようにするため、詞をできる限り少なくし、スキャットでまとめたという

ナレーション

  • X+Y presents Midnight Ebisu [Analog] (2005年11月3日/THLP364)「春風のうわさ」「渚のうわさ」収録。都築響一プロデュースのナレーションレコード。

タイアップ曲

楽曲タイアップ
1963年明日をみつめて松竹映画「魚河岸の旋風娘」主題歌
1964年若い街角日本テレビ系テレビドラマ「横丁正義隊」主題歌
気ンなるあいつフジテレビ系テレビドラマ「気ンなるあいつ」主題歌
1969年虹に瞳を映画「フィニアンの虹」主題歌
グロッカ・モーラの様子はいかが映画「フィニアンの虹」挿入歌
1977年川の向こうにTBS系テレビドラマ「私は忘れたい」主題歌
マイ・メモリィ東映映画「ドーベルマン刑事」挿入歌
「ドーベルマン刑事」のテーマ
1984年Without You三菱自動車「ランサー・フィオーレ」CMソング

出演

テレビ番組

音楽・バラエティ番組

テレビドラマ

みんなのうた

▲はラジオのみの再放送、△はNHK衛星第2テレビ(現:BSプレミアム)の『なつかしのみんなのうた』での再放送。

放送期間放送曲合唱再放送
1962年(昭和37年)10月-11月デビークロケットの歌(なし)(なし)
1963年(昭和38年)4月-5月赤い河の谷間[41]東京放送児童合唱団
1963年(昭和38年)6月-7月バナナをたべるときのうた(なし)2021年(令和3年)8月▲
1963年(昭和38年)10月-11月ドロップスの歌(なし)
1963年(昭和38年)12月-1964年(昭和39年)1月お江戸日本橋
1965年(昭和40年)4月-5月A・A・B・C〜ア・ア・ビ・チ〜ボーカル・ショップ2006年(平成18年)8月22日△
2006年(平成18年)12月7日△
2007年(平成19年)1月2日△
2007年(平成19年)4月29日△
2007年(平成19年)11月25日△
1965年(昭和40年)10月-11月すてきな夢を[42]東京放送児童合唱団(なし)
1966年(昭和41年)2月-3月学校へ行く道[43](なし)2022年(令和4年)3月▲
1966年(昭和41年)6月-7月オバケなんてないさ2016年(平成29年)8月-9月▲
2021年(令和3年)7月▲
1966年(昭和41年)8月-9月ちびっこカウボーイ[44]ひばり児童合唱団2006年(平成18年)8月23日△
2006年(平成18年)12月12日△
2007年(平成19年)1月2日△
1966年(昭和41年)10月-11月ママとゴーゴー杉並児童合唱団2015年(平成27年)12月 - 2016年(平成28年)1月▲
1966年(昭和41年)12月-1967年(昭和42年)1月ジロマジトンド・ジロトンド[45](なし)
1967年(昭和42年)10月-11月怪獣がやってくるみすず児童合唱団1968年(昭和43年)4月-5月
2006年(平成18年)8月29日△
2006年(平成18年)12月21日△
2007年(平成19年)1月2日△
2021年(令和3年)11月[46]
1968年(昭和43年)2月-3月アマリリスシンギングエンジェルス2006年(平成18年)8月31日△
2006年(平成18年)12月25日△
2007年(平成19年)1月3日△
2024年(令和6年)4月-5月▲
1973年(昭和48年)4月-5月ちゃっきり節ザ・シャデラックス1975年(昭和50年)4月-5月

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回曲目出演順対戦相手紅組司会確認済みの

現存フィルム

備考
1962年(昭和37年)/第13回ヴァケーション03/25飯田久彦森光子紅組最年少出場

(当時)

1963年(昭和38年)/第14回悲しきハート01/25田辺靖雄江利チエミモノクロキネコトップバッター
1964年(昭和39年)/第15回アレキサンダーズ・

ラグタイム・バンド

16/25植木等江利チエミ
1965年(昭和40年)/第16回恋のクンビア14/25ジャニーズ林美智子カラー、

モノクロキネコ

1967年(昭和42年)/第18回渚のうわさ17/23バーブ佐竹九重佑三子モノクロ

(状態が悪い)

1969年(昭和44年)/第20回人形の家13/23橋幸夫伊東ゆかりモノクロ後半トップバッター ※
1970年(昭和45年)/第21回ロダンの肖像08/24美川憲一美空ひばりカラーキネコ、

モノクロ

1971年(昭和46年)/第22回バラの革命22/25布施明水前寺清子カラー

    ※ポピュラーヒットメドレーにて、「ラブ・ミー・トゥナイト」、「西暦2525年」をザ・ピーナッツ、伊東ゆかりらと歌唱

映画

  • 魚河岸の旋風娘(1963年3月3日)若林三重子役 : 松竹入社第一回作品。主題歌「明日をみつめて」「そっと一人に」と、「おてもやん」「ソーラン節」を歌唱。
  • 独立美人隊(1963年4月28日)西本道子役 : 「ブルージン・ブルース」を歌唱。
  • 女弥次㐂多 タッチ旅行(1963年7月13日)堀江和子役 :岩本多代渥美清共演。「タッチ旅行の歌」「ギャンブル節」を歌唱。この作品を最後に再び歌手活動へ復帰。
  • 栄光の黒豹(1969年12月17日)歌手役 : 「人形の家」を歌唱。
  • 華やかな女豹(1969年12月31日)森下まゆみ役 : 「鏡の中の天使」を歌唱。 
  • 開運旅行(1971年3月3日)歌手役 : 「できごと」を歌唱。

著書

  • ミコのカロリーBook、集団形星、1970年
  • マインド・ビューティ痩身法 : より美しくへの挑戦、講談社、1986年

弘田三枝子を題材とした楽曲

サザンオールスターズ

演じた人物

受賞

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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