赤の広場での軍事パレード

赤の広場での軍事パレード(あかのひろばでのぐんじパレード、ロシア語: Военные парады на Красной площади)は、ロシアの首都モスクワの中心部赤の広場で開催される観兵式の総称である。

赤の広場での軍事パレード
現地名 Военные парады на Красной площади
英語名Military parades on Red Square
場所ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モスクワ赤の広場
ロシアの旗 ロシアモスクワ赤の広場
種別軍事パレードデモンストレーション
テーマ革命記念パレード

対独戦勝記念パレード

メーデー記念パレード

ソビエト連邦時代に開催されたほとんどの観兵式は十月革命を記念するものであり、毎年11月7日に行われた。1968年までは革命記念日の他、5月1日メーデーにも軍事パレードが行われていた。ソビエト連邦崩壊後独ソ戦の勝利を記念する閲兵式が1995年以降毎年開かれるようになっている[注釈 1]

この記事では赤の広場で行われるパレードについて解説しているが、ほかの都市では使用車両や演奏される曲、形態が異なる。

パレードの主な形

時代によってパレードの形は変化するが、基本的にはスパスカヤ塔からオープンカー(1952年以前は馬)に搭乗した国防相級の人物が登場し、広場に集合している兵士に挨拶をした後、レーニン廟(97年以降は広場中央雛壇)に登り、国防相(1941年はソ連共産党書記長、1990年はソ連大統領、1995年以降はロシア連邦大統領)が演説をした後、国歌が演奏され、兵士の行進が始まる。兵士の行進が終わった後、車両部門の行進が始まり、戦車などが広場を走行する。車両行進が終わると同時に観閲飛行が始まり、戦闘機などが赤の広場上空を飛行する。観閲飛行の最後には戦闘機でロシア国旗を表す三色のスモークが赤の広場上空に焚かれ、観閲飛行は終了する。それと同時に軍楽隊による3分程度のパフォーマンスが行われ、軍楽隊の解散を以て軍事パレードは終了する。ソ連時代は軍事パレード終了後、労働者によるデモンストレーションが行われたが、ソ連崩壊後のロシアでは大統領らが赤の広場近くの無名戦士の墓に花を供え、国歌演奏の後、第154独立警備プレオブラジェンスキー連隊による行進が行われる。

受閲部隊指揮官、観閲官の挨拶・報告

挨拶・報告等の例(1982年)

ルシェフ受閲部隊指揮官『Парад смирно!! Для встречи слево, на кра-УЛ!!』
ルシェフ受閲部隊指揮官『受閲部隊、気を付け!!頭を左に向け銃を捧げよ!!』

(観閲官がスパスカヤ塔から登場、受閲部隊指揮官と観閲官が合流)

ルシェフ受閲部隊指揮官
『Товарищ маршал советского союза,
Войска Московского гарнизона для парада в ознаменование 65-я годовщины
Великой октябрьской социалистической революции.
построены. Командующий парадом , генерал-армии Лушев』
ルシェフ受閲部隊指揮官
『同志ソ連邦元帥閣下、
モスクワ駐屯部隊は偉大なる10月社会主義革命65周年記念式典の為
整列したことを報告する。ルシェフ受閲部隊指揮官ー陸軍上級大将』

(巡閲開始)

観閲官『Здравствуйте товарищи!!』
観閲官『同志達!!』

兵士『Здравствуйте товарищ маршалы и генералы!!』
兵士『同志元帥閣下上級大将閣下!!』

観閲官『65-я годовщины Великой октябрьской социалистической революции!!』
観閲官『大10月社会主義革命65周年御目出度う!!』

兵士『ура!!Ура!!Ура!!』
兵士『万歳!!万歳!!万歳!!』

(観閲官が霊廟に登壇)

指揮官『Вольно』
指揮官『休め、全員傾聴』

(ファンファーレ演奏)

(観閲官と指揮官による巡閲終了、観閲官による演説)

観閲官『Да здравствует героический Советский народ его доблестные вооруженные силы.
Слава Коммунистической парти советского союза, вдохновитель и организатор у всех наших побед ура!』
観閲官『英雄的な全ソビエト国民とその勇敢な軍隊に万歳。
私達が掴んだ全ての勝利の鼓舞者であり立役者であるソビエト連邦共産党に万歳!』

兵士『ура!!Ура!!Ура!!』
兵士『万歳!!万歳!!万歳!!』

(国歌演奏演奏終了後、総員傾聴解除のファンファーレが演奏される)

指揮官『Парад Смирно!! К торжественному маршу,』
指揮官『受閲部隊、気を付け!!行進の準備をせよ!!』

(列線兵、指定された位置へガチョウ行進で移動)

指揮官『Побатальонно, на одного линейного дистанции, первый батальон прямо, остальные напра - ВО! На пле - чо! Равнение направо! Шагом марш!』
指揮官『第一大隊以外の各大隊は列線兵一人分の間隔を取り右を向け!!銃を担え!!右を見て、行進開始!!』

(行進開始)

ソ連成立以前(ロシア革命)

ソ連成立以前のパレードは主にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(RSFSR)モスクワで行われた。最初のパレードは1918年5月1日に行われた。

ソ連成立後 - 第二次世界大戦前

第二次世界大戦以前のパレードは当時のソ連体制、大粛清などが影響し幹部の入れ替わりが激しかった。映像も少なく、儀礼的とはいえ形式も確立していなかったためパレードごとに様々な特色が出ている。

第二次世界大戦中

第二次世界大戦中は1941年の大10月革命24周年記念パレードのみ開催された。このパレード当時、モスクワにはドイツ軍が迫っており、パレードに参加した兵士はそのまま前線に送られた。

1941年大10月社会主義革命24周年記念パレード

1941年大10月社会主義革命24周年記念パレード
日付場所最高指導者
1941年11月7日ソビエト連邦ヨシフ・スターリン

1941年11月7日に開催された大10月社会主義革命24周年記念パレードは独ソ戦(ソ連では大祖国戦争)中に開催された唯一のパレードである。「モスクワ駐留軍作戦」という名で極秘に計画され、モスクワ攻略戦(1941年9月30日-1942年4月20日)の最中、前線がモスクワからわずか数十キロのところにあるときに開催された。このパレードは、赤軍の兵士や司令官の高い精神を示し、ソ連全土から何千人もの若者が前線で志願兵として入隊するきっかけとなり、歴史的に重要な意義のあるものとなった。

11月7日当時の天気予報は、モスクワ西部の気象観測所がすべてドイツ軍に占拠されていたため判明できなかったが、パレードの前夜ヴィトルド・ヴィトキエヴィッチ率いるティミリャゼフ・アカデミーの予報士たちは、低い雲と雪があれば爆撃を防げるという予報を出した。猛吹雪にもかかわらず、モスクワの防空網は25分間のパレードを守るために完全な警戒態勢に入った。市内には35の医療拠点と10台の救急車が稼動していた。建物、道路、ガス、電気網の火災や倒壊に備え、赤の広場付近に5人の復旧班、10人半の消防士、その他の特殊装備を動員した。パレードの前夜、チェーカー将校、衛兵、技術スタッフがレーニン廟を点検し閉鎖した。

独ソ戦以降消灯されたクレムリンの赤い星はスターリンの命令で再び点灯された。

ソ連崩壊後の2002年以降、10月革命24周年パレードを称える「名誉パレード」が開催されるようになった。なお新型コロナウイルス感染症 の流行により2020年以降は開催を見合わせている。

第二次世界大戦後

1945年モスクワ戦勝記念パレード
革命記念パレード(1977年11月7日)

第二次世界大戦終了後、特にその直後に開催されたモスクワ対独戦勝記念パレードはソ連崩壊後においても重要視される国家行事の一つとして挙げられる。

ヨシフ・スターリン死後、現代まで受け継がれるパレードの原型が完成された。

革命記念パレード(1977年11月7日)
革命記念パレード(1983年11月7日)

1957年〜

1957年の革命40周年記念パレードから1966年の革命記念パレードまで、スターリン時代の影響で、派手な装飾が広場に施された。冷戦ピークということもあり、当時最新鋭のミサイル戦車などが走行した。

1967年〜

1967年の革命50周年記念パレードから1976年まで、装飾に数字版(グム左側に10月革命が起きた年である1917、グム右側にパレード開催年)が導入され、レーニンの肖像画が新調された。1967年には10月革命50周年を記念して赤の広場に隣接するマネージュ広場 が『大10月革命50周年記念広場』に改名され、ソ連初のカラー放送が開始されるなど、全体的に見ても大規模に祝われたパレードであった。

1977年〜

レーニンの肖像画が新調された。

1987年〜

レーニンの肖像画及び1967年以降に使用された数字版が新調され、ソビエト連邦構成共和国の国旗が飾られなくなった。

1995年〜

1991年ソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦が誕生したが、急速な資本主義化や第一次チェチェン紛争など数多くの問題を抱えることとなり、1995年までパレードは開催されなかった。1995年に開催された対独戦勝50周年記念パレードは、ソ連のシンボルとも言える鎌と槌が描かれた旗の登場や、ボリス・エリツィン大統領ら政府幹部によるレーニン廟上への登壇など、新生ロシアが目標としていた共産主義の克服をアピールできずロシア内外から批判の声が上がった。97年からは霊廟前に特設ステージが設けられるようになった。

2000年〜

1999年12月にエリツィンが大統領を辞任し、ウラジーミル・プーチンが大統領になると、パレードの内容は大きく変更された。2001年には国歌がソ連国歌と同じメロディーに回帰し、05年にはグム百貨店正面に電光掲示板が設置されるなど、ソ連時代を尊重しながらも近代ロシアを確立したいプーチン政権の思惑がパレードに映し出された。2003年2004年2006年2007年には、国歌がアカペラで披露され、新生ロシアがアピールされた。04年からは総員傾聴解除のファンファーレが従来のものから変更となった。2008年、プーチンは任期満了に伴って大統領を退任し、首相に就任。後継大統領となったメドヴェージェフの下で、ソ連崩壊以降行われてこなかった軍事車両の行進が復活した。ただし、これはプーチンの強い意向によるものとされる。戦勝記念パレードは国威発揚の場となり、2014年のクリミア併合に際しては、強いロシアの実現が国内外にアピールされた。

2010年〜

2010年に開催された対独戦勝65周年記念パレード以降、聖旗ロシア国旗を掲げる兵士が行進する際の曲がプレオブラジェンスキー近衛連隊行進曲(Марш лейб-гвардии Преображенского полка)から、独ソ戦直後に作曲された聖なる戦いСвященная война)に変更され、兵士の行進隊形がソ連時代と同じものになるなど、ソ連時代をより慮るパレード形式となった。2012年にプーチンが大統領に復帰し、2014年にクリミア併合が行われると、パレードも徐々に規模を拡大し、2015年のパレードでは中国ベラルーシインドカザフスタンなどの兵士が赤の広場を行進した。2019年に開催された戦勝74周年記念パレードでは、観閲官と司令官が使用する車がジルЗИЛ-41041 АМГ(GAZ製)から、ロシア国営の自動車会社であるアウルス社の新車、アウルス・セナートАурус Сенат)に変更された。

2020年〜

2020年のパレードは、新型コロナの世界的流行により、5月9日から6月24日に延期された。1945年以降、戦勝記念パレードが5月9日以外に実施されたのは、史上初めてのことである。スパスカヤ塔下からの観閲官登場から司令官挨拶までの曲が祝典巡閲行進曲『祝勝行進曲』(Торжественно-триумфальный марш)から、祝典巡閲行進曲『赤軍25周年』(Юбилейный встречный марш «25 лет РККА»)に変更されるなど、ソ連色が濃くなっている。

戦後のパレード
開催年日開催国最高指導者内容
1945年6月24日ソビエト連邦ヨシフ・スターリン対独戦勝記念パレード
1946年5月1日メーデー
1946年11月7日10月革命29周年記念
1947年5月1日メーデー
1947年11月7日10月革命30周年記念
1948年5月1日メーデー
1948年11月7日10月革命31周年記念
1949年5月1日メーデー
1949年11月7日10月革命32周年記念
1950年5月1日メーデー
1950年11月7日10月革命33周年記念
1951年5月1日メーデー
1951年11月7日10月革命34周年記念
1952年5月1日メーデー
1952年11月7日10月革命35周年記念
1953年3月9日ゲオルギー・マレンコフヨシフ・スターリンの国葬
1953年5月1日メーデー
1953年11月7日ニキータ・フルシチョフ10月革命36周年記念
1954年5月1日メーデー
1954年11月7日10月革命37周年記念
1955年5月1日メーデー
1955年11月7日10月革命38周年記念
1956年5月1日メーデー
1956年11月7日10月革命39周年記念
1957年5月1日メーデー
1957年11月7日10月革命40周年記念
1958年5月1日メーデー
1958年11月7日10月革命41周年記念
1959年5月1日メーデー
1959年11月7日10月革命42周年記念
1960年5月1日メーデー
1960年11月7日10月革命43周年記念
1961年5月1日メーデー
1961年11月7日10月革命44周年記念
1962年5月1日メーデー
1962年11月7日10月革命45周年記念
1963年5月1日メーデー
1963年11月7日10月革命46周年記念
1964年5月1日メーデー
1964年11月7日レオニード・ブレジネフ10月革命47周年記念
1965年5月9日対独戦勝20周年記念
1965年11月7日10月革命48周年記念
1966年5月1日メーデー
1966年11月7日10月革命49周年記念
1967年5月1日メーデー
1967年11月7日10月革命50周年記念
1968年5月1日メーデー
1968年11月7日10月革命51周年記念
1969年11月7日10月革命52周年記念
1970年11月7日10月革命53周年記念
1971年11月7日10月革命54周年記念
1972年11月7日10月革命55周年記念
1973年11月7日10月革命56周年記念
1974年11月7日10月革命57周年記念
1975年11月7日10月革命58周年記念
1976年11月7日10月革命59周年記念
1977年11月7日10月革命60周年記念
1978年11月7日10月革命61周年記念
1979年11月7日10月革命62周年記念
1980年11月7日10月革命63周年記念
1981年11月7日10月革命64周年記念
1982年11月7日10月革命65周年記念
1982年11月15日ユーリ・アンドロポフレオニード・ブレジネフの国葬
1983年11月7日10月革命66周年記念
1984年2月14日コンスタンティン・チェルネンコユーリ・アンドロポフの国葬
1984年11月7日10月革命67周年記念
1985年3月13日ミハイル・ゴルバチョフK・チェルネンコの国葬
1985年5月9日対独戦勝40周年記念
1985年11月7日10月革命68周年記念
1986年11月7日10月革命69周年記念
1987年11月7日10月革命70周年記念
1988年11月7日10月革命71周年記念
1989年11月7日10月革命72周年記念
1990年5月9日対独戦勝45周年記念
1990年11月7日10月革命73周年記念
1995年5月9日ロシア連邦ボリス・エリツィン対独戦勝50周年記念
1996年5月9日対独戦勝51周年記念
1997年5月9日対独戦勝52周年記念
1998年5月9日対独戦勝53周年記念
1999年5月9日対独戦勝54周年記念
2000年5月9日ウラジーミル・プーチン対独戦勝55周年記念
2001年5月9日対独戦勝56周年記念
2002年5月9日対独戦勝57周年記念
2003年5月9日対独戦勝58周年記念
2004年5月9日対独戦勝59周年記念
2005年5月9日対独戦勝60周年記念
2006年5月9日対独戦勝61周年記念
2007年5月9日対独戦勝62周年記念
2008年5月9日ドミートリー・メドヴェージェフ対独戦勝63周年記念
2009年5月9日対独戦勝64周年記念
2010年5月9日対独戦勝65周年記念
2011年5月9日対独戦勝66周年記念
2012年5月9日ウラジーミル・プーチン対独戦勝67周年記念
2013年5月9日対独戦勝68周年記念
2014年5月9日対独戦勝69周年記念
2015年5月9日対独戦勝70周年記念
2016年5月9日対独戦勝71周年記念
2017年5月9日対独戦勝72周年記念
2018年5月9日対独戦勝73周年記念
2019年5月9日対独戦勝74周年記念
2020年6月24日対独戦勝75周年記念
2021年5月9日対独戦勝76周年記念
2022年5月9日対独戦勝77周年記念
2023年5月9日対独戦勝78周年記念

ソ連崩壊後の主なパレード

1991年にソ連が崩壊しロシア連邦が成立すると、それに伴う混乱により、暫くの間パレードは開催されなかった。しかし、戦勝50周年の節目である1995年に戦勝記念パレードが開催されて以降、毎年実施されるようになった。

1995年対独戦勝記念パレード

このパレードは、ソ連崩壊後初の軍事パレードであり、1990年に開催された革命73周年記念パレード以来のパレードとなったが、車両行進が実施されないなど、ソ連時代と比べ小規模なものとなった。午前9時55分、ボリス・エリツィン大統領らロシア政府幹部がレーニン廟上に登壇。スパスカヤ塔の鐘が午前10時を知らせると同時にパレードが開始された。

このパレードではレーニン廟正面の「ЛЕНИН」の石碑が隠され、ロシア国民からの批判を招いた。

対独戦勝50周年記念パレード(1995年)

巡閲終了後、巡閲官が霊廟に登壇する際にはソ連時代の戦勝記念パレードと同様に「栄光あれ」が演奏された。グム百貨店前には勝利勲章の装飾が施された。


2005年対独戦勝記念パレード

ウラジーミル・プーチン政権下で行われた2005年のパレードでは、初めてレーニン廟全体が隠された。戦勝60年の節目に際し、数多くの外国要人が出席した。勝利の旗の入場の後、スパスカヤ塔下からセルゲイ・イワノフ国防相が広場に入場し、広場にいる兵士を激励した。このパレードでは、グム百貨店前に初めて電光掲示板が設置された。

赤の広場を行進する車両
パレードを観覧するプーチン大統領とJ.W.ブッシュ大統領
招待状が送られた外国要人
名前役職(2005年当時)出欠
ミハイ1世ルーマニア国王出席
ジョージ・W・ブッシュアメリカ大統領
トニー・ブレアイギリス首相急用の為欠席
ジョン・プレスコットイギリス副首相首相代理として出席
ゲアハルト・シュレーダードイツ首相出席
ジャック・シラクフランス大統領
小泉純一郎日本国内閣総理大臣
胡錦濤中国共産党総書記
中国国家主席
盧武鉉韓国大統領
マンモハン・シンインド首相
シルヴィオ・ベルルスコーニイタリア首相
スヴェトザル・マロヴィッチセルビアモンテネグロ大統領
ヴァイラ・ヴィーチェ=フレイベルガラトビア大統領
イルハム・アリエフアゼルバイジャン大統領
ロベルト・コチャリャンアルメニア大統領
イスラム・カリモフ大統領ウズベキスタン大統領
ヌルスルタン・ナザルバエフカザフスタン大統領
ヴィクトル・ユシチェンコウクライナ大統領
エモマリ・ラフモンタジキスタン大統領
クルマンベク・バキエフキルギス大統領
ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ欧州共同体委員会委員長
コフィー・アナン国際連合事務総長

2015年対独戦勝記念パレード

2015年の戦勝70周年記念パレードは、クリミア併合以降はじめて迎える節目の年のパレードであった。2005年のパレードより規模を拡大し、ソ連式の行進隊形に変更された。パレードへの招待状は68カ国の首脳、国連、ユネスコ、欧州評議会、欧州連合の首脳に送られた。

パレード当日の赤の広場(2015年5月9日)
聖旗とロシア国旗を掲げ行進するロシア兵
兵士を激励するショイグ国防相
パレードを行進するインド軍
赤の広場を行進するカザフスタン共和国軍
無名戦士の墓で集合写真を撮る要人
招待状が送られた外国要人
名前役職(2015年当時)出欠
イルハム・アリエフアゼルバイジャン大統領出席
セルジ・サルキシャンアルメニア大統領
ヌルスルタン・ナザルバエフカザフスタン大統領
アルマズベク・アタンバエフキルギス大統領
エモマリ・ラフモンタジキスタン大統領
グルバングル・ベルディムハメドフトルクメニスタン大統領
習近平中国共産党総書記
中国国家主席
プラナブ・ムカルジーインド大統領
ジェイコブ・ズマ南アフリカ大統領
アッシーシエジプト大統領
金永南北朝鮮最高人民会議常任委員会委員長
ラウル・カストロキューバ共産党第一書記
キューバ国家評議会議長
トミスラヴ・ニコリッチセルビア大統領
ジョルゲ・イヴァノフ北マケドニア大統領
ムラデン・イヴァニッチボスニア・ヘルツェゴビナ大統領府議長
ニコス・アナスタシアディスキプロス大統領
チュオン・タン・サンベトナム国家主席
ツァヒアギーン・エルベグドルジモンゴル大統領
ニコラス・マドゥロベネズエラ大統領
ロバート・ムガベジンバブエ大統領
マフムード・アッバースパレスチナ大統領
ラウリ・ハジムバアブハジア大統領
レオニード・チビロフ南オセチア大統領
ミロラド・ドディクスルプスカ大統領
潘基文国際連合事務総長
イリナ・ボコヴァユネスコ事務総長
バラク・オバマアメリカ大統領欠席
デーヴィッド・キャメロンイギリス首相
アンゲラ・メルケルドイツ首相
安倍晋三日本国内閣総理大臣
フランソワ・オランドフランス大統領
マッテオ・レンツィイタリア首相
ジルマ・ルセフブラジル大統領
ピーター・コスグローブオーストラリア総督
レジェップ・エルドアントルコ大統領
ルーベン・リブリンイスラエル大統領
ベンヤミン・ネタニヤフイスラエル首相
ハインツ・フィッシャーオーストリア大統領
マリアーノ・ラホイ・ブレイスペイン首相
マルク・ルッテオランダ首相
アレクシス・ツィプラスギリシャ首相
ラース・ロッケ・ラスムセンデンマーク首相
エルナ・ソルベルグノルウェー首相
ステファン・ロベーンスウェーデン首相
サウリ・ニーニストフィンランド大統領
オラフル・ラグナル・グリムソンアイスランド大統領
朴槿恵大韓民国大統領
金正恩朝鮮労働党第一書記
ボルト・パホルスロベニア大統領
コリンダ・グラバル=キタロヴィッチクロアチア大統領
フィリップ・ヴヤノヴィッチモンテネグロ大統領
ブロニスワフ・コモロフスキポーランド大統領
エヴァ・コパチポーランド首相
ミロシュ・ゼマンチェコ大統領
アンドレイ・キスカスロバキア大統領
ロベルト・フィツォスロバキア首相
クラウス・ヨハニスルーマニア大統領
ロセン・プレヴネリエフブルガリア大統領
アーデル・ヤーノシュハンガリー大統領
ブヤル・ニシャニアルバニア大統領
ペトロ・ポロシェンコウクライナ大統領
アレクサンドル・ルカシェンコベラルーシ大統領
イスラム・カリモフウズベキスタン大統領
ニコラエ・ティモフティモルドバ大統領
トーマス・イルヴェスエストニア大統領
アンドリス・ベールジンシュラトビア大統領
ダリア・グリバウスカイテリトアニア大統領
ギオルギ・マルグヴェラシヴィリグルジア大統領
ドナルド・トゥスク欧州理事会議長
ジャン=クロード・ユンケル欧州委員会委員長
マルティン・シュルツ欧州議会議長
トルビョーン・ヤクラント欧州評議会事務局長

2022年対独戦勝パレード

演説するプーチン大統領

2022年のパレードウクライナ侵攻(ロシアでは特別軍事作戦)以降で初めて開催されたパレードとなった。2021年のパレードと比べ小規模となったが、ほぼ例年通りの進行で開催された。ペスコフ大統領報道官は4月に開催を発表し、首脳級要人は招待しないと発表したが、中東やアフリカ諸国の特使などが出席した。

プーチン大統領はこの日に、ウクライナに対する正式な宣戦布告を行うという予測があったが、行われなかった。

敬礼する兵士

ショイグ国防相の巡閲後に演説したプーチン大統領は、西側諸国NATOを名指しで非難し、NATOと西側諸国はロシアを弱体化させる為にウクライナを利用していると述べた。プーチン大統領は、現在のウクライナ政府とナチス・ドイツ政府との類似点を描いたロシア軍を称賛し、現在の軍隊は「祖国とその将来のために、そして誰も第二次世界大戦の教訓を忘れないように戦っている」と兵士と国民を鼓舞した。

脚注

注釈

出典

🔥 Top keywords: メインページ宮崎麗果特別:検索豊後水道松本忠久土居志央梨若葉竜也能登半島地震 (2024年)田中雄士長谷部誠井上道義The GazettE若林志穂服部百音黒木啓司REITA虎に翼平井理央出口夏希サーブ (盲導犬)三鷹事件セウォル号沈没事故白眞勲三淵嘉子高橋克也 (オウム真理教)ME:Iルーシー・ブラックマン事件佐藤ありさ杉咲花蜜谷浩弥水野真紀亀井亜紀子 (政治家)熊本地震 (2016年)水原一平井川意高中川安奈 (アナウンサー)内藤剛志いなば食品YOSHIKI