ソフィア市 София 州旗 州章
位置 ブルガリアにおけるソフィアの位置 位置 ソフィア市 (バルカン半島)
バルカン半島の地図を表示 座標 : 北緯42度42分0秒 東経23度20分0秒 / 北緯42.70000度 東経23.33333度 / 42.70000; 23.33333 行政 国 ブルガリア 州 ソフィア市 市長 ヨルダンカ・ファンダコヴァ (GERB )地理 面積 州域 1,349 km2 都市圏 3,424.2 km2 標高 550 m 人口 人口 (2011年、2012年現在) 州域 1,291,591人 人口密度 1,030人/km2 市街地 1,204,685人 市街地人口密度 2,448人/km2 都市圏 1,378,000人 備考 City and Municipal - 2011 Census[1] Metropolitan - 2012 Estimate[2] その他 等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2 )夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3 ) ナンバープレート C、CA 公式ウェブサイト : http://www.sofia.bg/
ソフィア (ブルガリア語 : София 発音 [ˈsɔfijɐ] ( 音声ファイル ) ラテン文字表記:Sofiya 、英語 : Sofia )は、ブルガリア の首都 。ヴィトシャ山 のふもとに位置し、ブルガリアの政治・経済・文化・教育の中心地である。2008年 の人口は1,346,665人[3] である。北緯42度42分、東経23度20分。
ヨーロッパ 最古の都市の一つであり、セルディカ (Serdica)、スレデツ (Sredets)、トリアディツァ (Triaditsa) と呼ばれた。その歴史は7千年以上に及ぶとされる[4] [5] 。先史時代 の(prehistoric)集落跡が現在のソフィアの中心や王宮 の付近、オベリャ (Обеля )、スラティナ (Слатина ) などで見つかっている。トラキア人 が最も重要視していた、鉱泉 の周囲に町を築いた紀元前7世紀にさかのぼる城壁は良いコンディションで保存されている。鉱泉は現在も湧水がある。時代の変遷とともに幾つかの異なる名前で呼ばれてきたソフィアの数千年にわたる歴史の痕跡は、今日でもその一部を見ることができる。
地理 上空からみたソフィア ソフィアの歩みは、町がバルカン半島 の中心に位置していることと大きく関連している。ソフィアはブルガリアの西部にあり、ヴィトシャ山 のふもと、ソフィア渓谷(英語版 ) の中にあり、周囲の全方位を山に取り囲まれている。渓谷はブルガリア全土でも最大級のものであり、面積1186平方キロメートル、平均標高は550メートルである。3つの山道が町を通っており、古代にはアドリア海 、中央ヨーロッパ 、黒海 、エーゲ海 を結ぶ重要な交易路であった。
ヴラダヤ川(英語版 ) 、ペルロフスカ川(Перловска река / Perlovska Reka ) などの細い河川が町を通過している。イスクル川 はソフィア近郊を流れている。町は多くの湧水 、熱水泉 で知られている。近くにはダムによる人造湖が20世紀 に建造された。
ソフィアは、ブルガリア第2の都市プロヴディフ から北西に130キロメートル[6] であり、ブルガス から340キロメートル[6] 、ヴァルナ から380キロメートル[6] である。ソフィアは近隣の3箇国からそれぞれ200キロメートル以内にあり、セルビア との国境の町カロティナ から55キロメートル、北マケドニア共和国 との国境の町ギュエシェヴォ から113キロメートル、ギリシャ との国境の町クラタ からは183キロメートルである。
気候 ソフィアの気候はケッペンの気候区分 では亜寒帯湿潤気候 または湿潤大陸性気候 (Dfa) と温暖湿潤気候 (Cfa) が接しており、年間の平均気温は11.4℃である。寒い日には特に1月は気温が-15℃以下かさらに低下することもある。霧の発生は特に季節の始まりに見られる。年間平均のソフィアの降雪量は90cmで、降雪日は60日である。夏は日が良く照り、やや暑い。夏のソフィア市街は標高が高いため、他のブルガリアの地域よりもやや涼しい。しかし、ソフィアでも高温に達したり特に7月や8月には35℃ を超える熱波にさらされることもある。春や秋はソフィアでは短く、天気も不安定で変わり易い。
年間平均降水量は587mmで、晩春や初夏の雷雨 にピークに達する。
ソフィアの気候 月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 最高気温記録 °C (°F ) 19 (66) 23 (73) 27.5 (81.5) 31 (88) 34.1 (93.4) 38 (100) 41 (106) 39.4 (102.9) 36.1 (97) 33.9 (93) 25.5 (77.9) 23 (73) 41 (106) 平均最高気温 °C (°F ) 3.6 (38.5) 6.5 (43.7) 11.5 (52.7) 16.7 (62.1) 21.4 (70.5) 25.3 (77.5) 27.9 (82.2) 28.4 (83.1) 23.3 (73.9) 17.6 (63.7) 10.7 (51.3) 4.6 (40.3) 16.46 (61.62) 日平均気温 °C (°F ) −0.5 (31.1) 1.6 (34.9) 5.8 (42.4) 10.8 (51.4) 15.5 (59.9) 19.3 (66.7) 21.5 (70.7) 21.5 (70.7) 16.8 (62.2) 11.4 (52.5) 5.9 (42.6) 0.8 (33.4) 10.87 (51.54) 平均最低気温 °C (°F ) −3.8 (25.2) −2.3 (27.9) 1.1 (34) 5.4 (41.7) 9.9 (49.8) 13.4 (56.1) 15.3 (59.5) 15.3 (59.5) 11.1 (52) 6.7 (44.1) 2.2 (36) −2.3 (27.9) 6 (42.81) 最低気温記録 °C (°F ) −31.2 (−24.2) −25 (−13) −19 (−2) −6 (21) −2.2 (28) 1.4 (34.5) 2 (36) 3.5 (38.3) −2 (28) −6 (21) −15.3 (4.5) −21.1 (−6) −31.2 (−24.2) 降水量 mm (inch)35.9 (1.413) 35.5 (1.398) 45.3 (1.783) 52.3 (2.059) 73.1 (2.878) 81.6 (3.213) 64.7 (2.547) 53.1 (2.091) 52.3 (2.059) 53.9 (2.122) 38.1 (1.5) 39.9 (1.571) 625.7 (24.634) 降雪量 cm (inch)24.5 (9.65) 20.6 (8.11) 14.8 (5.83) 3.1 (1.22) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 1.5 (0.59) 10.4 (4.09) 20.7 (8.15) 95.6 (37.64) 平均降水日数 10.2 9.5 10.9 10.7 13.8 10.9 7.7 7.3 8.7 9.6 7.1 10.3 116.7 平均降雪日数 7.5 6.5 5.2 1.3 0 0 0 0 0 0.7 2.7 6.4 30.3 平均月間日照時間 87.9 117.2 169 195.1 236 268.1 311.9 307.3 225.1 166.8 107.7 69.1 2,261.2 出典:Stringmeteo.com,[7] [8] [9] [10] Climatebase.ru (precipitation days and extremes),[11] [12] NOAA ,[13] freemeteo.bg[14] [15] [16] [17] and Weather Atlas[18]
歴史 古代 聖ゲオルギ聖堂(英語版 ) はバルカン半島 で最古のキリスト教 聖堂であり、4世紀にさかのぼるソフィアはローマ帝国時代からキリスト教の一大拠点であった ソフィアはかつてはトラキア人 の集落であり、セルディカ (Serdica ) またはサルディカ (Sardica ) と呼ばれていた。おそらくこの呼称はトラキア人の部族セルディ (Serdi) に由来するものと考えられる。紀元前500年ごろ、別の部族オドリュシ (Odrysi ) がこの地域に居住していた。彼らは独自の王国(オドリュサイ王国 )を持った部族として知られる。紀元前4世紀 の短い間、町はピリッポス2世 とその息子アレクサンドロス大王 によって支配された。
紀元前29年 、セルディカは古代ローマ によって征服された。町は地域の中核とされ、トラヤヌス 帝(98年-117年)の時代にウルピア・セルディカ (Ulpia Serdica ) と改称された。
セルディカについて言及した最古の文献は紀元前100年頃のクラウディオス・プトレマイオス によるものであると見られる。
セルディカは拡大し、やぐら、防壁、公衆浴場、役所、礼拝所、公共のバシリカ 、アンフィテアトルム 、裁判所、会同、劇場などが建造された。ディオクレティアヌス がダキア をダキア・リペンシス(Dacia Ripensis、ドナウ川沿い)とダキア・メディテラネア(英語版 ) に分割した際、セルディカはダキア・メディテラネアの首都とされた。町はその後1世紀半にわたって拡大を続け、政治・経済の中心地となった。町はキリスト教を公式の宗教として受け入れた最初の町の一つとなった(ガレリウス 帝による)。そのため、コンスタンティヌス1世 がセルディカを「我がローマ」と呼んだことはとても自然なことであろう。
セルディカはそれほど大きくはなかったものの、その都市設計の計画と建築は壮麗であり、多くの娯楽と活発で社会的な生活があった。東ローマ帝国 のユスティニアヌス1世 の時代には繁栄を謳歌した。この時のセルディカは巨大な城壁に囲まれており、その一部は現在も見られる。
町は447年 にフン族 によって破壊されたものの、ユスティニアヌスによって復興され、一時期トリアディツァ (Triaditsa ) と呼ばれた。
中世 ボヤナ教会 は第二次ブルガリア帝国 の時代の最も重要な建築物の一つ13世紀にボヤナ教会を増築したカロヤンの妻デシスラヴァのフレスコ画 ソフィアは、809年 のクルム ・ハーンの時代に、長期にわたるセルディカ攻城戦(英語版 ) の後に初めて第一次ブルガリア帝国 の一部となった[19] 。その後、町はスラヴ語 でスレデツ (Средец / Sredets ) と呼ばれるようになった。町は重要な要塞と政治の拠点となった。ヨハネス1世ツィミスケス の時代の971年 にブルガリア北東部が陥落すると、ブルガリアの大主教ダミアン (Damyan) はソフィアをその主教座とした。幾度にも及んだ攻城戦が失敗に終わると、町は1018年 に東ローマ帝国 の手に落ちたが、イヴァン・アセン1世 の時代に再度第二次ブルガリア帝国 によって再征服された。12世紀 から14世紀 にかけて、ソフィアは交易と工芸の拠点となった。
オスマン帝国 ソフィア近郊を進軍するオスマン帝国軍(18世紀 ) ヴワディスワフ3世 による1443年 のソフィアへの進軍が終わってからは、町のキリスト教徒の指導者らは抹殺され、オスマン帝国のルメリア 州の州都となり、その後4世紀以上にわたってオスマン帝国の支配が続いた。町にはトルコ人 が住むようになった。16世紀 にソフィアの都市設計と外観はオスマン様式となり、多くのモスク 、泉、ハマム が設けられた。この間、町の人口は7千人から、17世紀 中期には5万5千人に膨れ上がった。
町はブルガリア人の反乱者 (haiduk ) によって1599年 に数週間にわたって包囲された。1610年 、カトリック教会 はルメリアのカトリック教徒のためのソフィア管区を設置し、1715年 にカトリック教徒の大半が流出するまで維持された[20] 。16世紀 には126世帯のユダヤ人 の世帯があり、967年 からソフィアにはシナゴーグ がある。
オスマン帝国時代の終焉 19世紀 のソフィアソフィアは露土戦争 のさなかの1878年 1月4日にロシア帝国 によって征服され、1879年 には新たに誕生した自治公国であるブルガリア公国 の首都となった。ソフィアはマリン・ドリノフ(英語版 ) によって首都候補として提案され、1879年 4月3日に認められた。解放されたときの人口は11,649人であった[21] 。
町が一般的にソフィア(古代ギリシア語で知恵を意味する)と呼ばれるようになったのは、1376年 に聖ソフィア聖堂が立てられた後と考えられている。しかしながら、資料によって19世紀 末まで、町はソフィア、スレデツの両方の呼称で呼ばれていた。ブルガリア=オスマン戦争(英語版 ) によって1382年 にソフィアはオスマン帝国 に包囲され、長期間にわたる攻城戦の末に町はオスマン帝国に制圧された。1878年 にソフィアがオスマン帝国の支配から解放された後、ブルガリア人の革命委員会からは古い呼称であるスレデツを維持したいという強い願望が出されていたが、ロシア人の支配者は呼称をソフィアと決定した。
解放後の数十年の間で、主にブルガリアの他の地域からの大規模な人口流入により、町の人口は一挙に膨れ上がった。公国は1908年 にブルガリア王国 となった。1925年 4月16日にブルガリア共産党 によって聖ネデリャ教会襲撃事件 が引き起こされ、170人が死亡、500人が負傷した。政府は即日、戒厳令 を布いた[22] 。
第二次世界大戦 が始まった後の1941年 3月1日 、ブルガリアは日独伊三国同盟 に加盟。当日からドイツ機械化部隊の一群がソフィアに進駐、ブルガリア在住のドイツ人らはハーケンクロイツ の旗を掲げて歓迎した[23] 。戦況が枢軸国側に不利な状況になると、ソフィアは連合国による爆撃(英語版 ) を受けた。後に町はソビエト連邦 に征服された。アメリカ合衆国 、イギリス 、フランス の支援の下でのソ連による征服に続いて、ドイツ と同盟を結んでいたブルガリアの政府は共産主義 者に取って代わられた。プラハ 、ワルシャワ 、ブカレスト などと同様に、ソフィアは社会主義国家であるブルガリア人民共和国 の首都となった。ブルガリアはこの戦争で領土を失うことは無かったが、多くの人命が失われ、また、ブルガリア国外のブルガリア人との結びつきは大きく損なわれた。この間、ソフィアの人口は急速に拡大し、工業発展が重視され、多くの新しい工場や製作所が町とその周囲に建造された。これによって郊外に多くの新しい町が生まれ、交通 ネットワークが拡大した。
行政区分 ソフィアは28個あるブルガリアの州 の内の一つである(ソフィア州 とは異なる、独立した州である。ソフィア州はソフィアを取り囲むように広がっているが、ソフィアはソフィア州には含まれない)。ソフィア市街地の他に、州としてのソフィアの領域には3つの町と34の村がある。州としてのソフィアは、24の基礎自治体(ラヨン )に分けられている。それぞれの基礎自治体には選挙によって選ばれた区長と、区議会がある。州の首班は州知事である。州議会の議員は4年ごとに選挙によって選出される。
ソフィアの基礎自治体 :
ソフィアの基礎自治体 番号 名称 ブルガリア語表記 失業率(%、2004年) 人口 区分 1 バンキャ Банкя 10.4 9,186 町 2 ヴィトシャ Витоша 3.5 42,953 郊外 3 ヴルブニツァ Връбница 4.6 47,417 都市 4 ヴズラジダネ Възраждане 5.3 47,794 都市 5 イズグレフ Изгрев 3.1 33,611 都市 6 イリンデン Илинден 4.5 37,256 都市 7 イスクル Искър 3.9 69,896 都市 8 クラスナ・ポリャナ Красна поляна 9.2 65,442 都市 9 クラスノ・セロ Красно село 3.7 72,302 都市 10 クレミコフツィ Кремиковци 5.8 23,599 郊外 11 ロゼネツ Лозенец 3.3 45,630 都市 12 リュリン Люлин 5.4 120,897 都市 13 ムラドスト Младост 4.2 110,852 都市 14 ネレジダ Надежда 3.8 77,000 都市 15 ノヴィ・イスクル Нови Искър 4.5 26,544 町 16 オフチャ・クペル Овча Купел 3.8 47,380 都市 17 オボリシテ Оборище 2.8 36,000 都市 18 パンチャレヴォ Панчарево 5.3 24,342 郊外 19 ポドゥヤネ Подуяне 4.5 85,996 都市 20 セルディカ Сердика 3.6 52,918 都市 21 スラティナ Слатина 4.1 65,772 都市 22 ストゥデンスキ・グラト Студентски град 2.9 50,368 都市 23 スレデツ Средец 4.0 41,000 都市 24 トリアディツァ Триадица 3.7 65,000 都市 合計 4.5 1,299,155 [24] [25]
人口動態 年 人口 増加率 1887 20856 1892 30928 +48.3% 1900 46593 +50.6% 1920 154025 +230% 1946 530168 +244% 2001 1177577 +122% 2006 1253680 +12% 2008 1394214 +12%
現代的なアパート群 1999年 のデータによると[26] 、ソフィア全域の人口は1,246,651人であり[3] 、人口密度は917.8人/平方キロメートルとなっている。
女性1000人に対して男性は1114人である。人口1000人あたりの年間出生率は7.9であり、民主化以降は低下を続けている。年間死亡率は12.2であり、上昇傾向にある。そのため人口は年間4.3%の自然減となる。しかし、ブルガリアの他の地域から首都への移住によって、ソフィアの人口は増加している。1000人あたり5.7人が結婚し、乳幼児死亡率 は乳児出生数1000人あたり11人であり、1980年の18.9よりも減少している。
2001年 の国勢調査によると、ソフィアの人口のうち96%はブルガリア人 であり、その他の少数民族としては、18000人(1.5%)が自らをロマ と自認し[27] 、6000人がトルコ人 、3000人がロシア人 、1700人がアルメニア人 、1200人がギリシャ人 であるとしている[28] 。
失業率 はブルガリアの他の地域よりも明確に少なく、労働力人口のうち2.45%が1999年 の時点で失業者であり、減少傾向にある。ブルガリア全土での失業率は2007年 7月1日 の時点で7.25%であり、これも減少傾向にある[29] 。失業者にしめる高学歴者の割合は27%であり、ブルガリア全体での割合7%よりも明確に高く、首都の傾向を表している。
ソフィアが1879年 に首都に指定されたとき、ソフィアはブルガリア全土ではプロヴディフ 、ルセ 、ヴァルナ 、シュメン についで5番目の人口規模であった。1892年までプロヴディフがブルガリアで最大の人口を持っていたが、それ以降ソフィアがこれを上回った。
文化 音楽とナイトライフ ソフィアには多様なナイトライフの場があり、多種多様なナイトクラブ 、ライブハウス、パブ、メハナ(mehana )、レストラン などがある。街では世界的に有名なスターたちのコンサートも開かれ、エルトン・ジョン 、デペッシュ・モード 、アイアン・メイデン 、レイ・チャールズ 、Seal 、メタリカ 、キッス 、マリリン・マンソン 、エロス・ラマゾッティ 、DJ Tiesto 、Korn 、ジューダス・プリースト 、ロビン・ギブ 、カイリー・ミノーグ 、リアーナ 、ジーマ・ビラーン らがソフィアでコンサートを開いた。
文化 ソフィアには多くの博物館があり、特に国立歴史博物館(en )、ブルガリア自然史博物館(en )、地球人類博物館(Museum of Earth and Men )、民族博物館、軍事史博物館(en )、国立工芸博物館、、国立考古学博物館(en )などがある。それに加えて、ソフィア・シティ・アート・ギャラリー、ブルガリア国立アート・ギャラリー(en )、ブルガリア国立外国アート・ギャラリー(en )などのアート・ギャラリーもある。
ランドマーク ソフィアには聖キリル・メトディイ国立図書館(en 、ブルガリア最大の蔵書を持つ)、ソフィア国家図書館、英国協会、ロシア文化協会、ポーランド文化協会、ハンガリー協会、チェコおよびスロバキア文化協会、イタリア文化協会、フランス文化協会、ゲーテ協会、セルバンテス協会などがある。
子ども連れの家族はかつてソフィアランド で遊ぶことができた。ソフィアランドはソフィア動物公園(en 、1888年開園)に隣接した遊園地であったが、2006年 に閉鎖した。
ソフィアでは映画産業 が活性化しており、国際的な映画プロダクションが拠点を置いている。ヴィトシャ通り(булевард „Витоша / bulevard Vitosha 、en )はヴィトシカ(Витошка / Vitoshka )とも呼ばれ、2005年のクッシュマン・アンド・ウェイクフィールド の調査によれば世界で22番目の商業的に高級な通りにランクされ[30] [31] [32] 、多くのブティックや宝飾店が並び、国際的なファッションデザイナーの展示がある。
観光のみどころ ソフィアの観光のみどころには、次のようなものがある:
聖堂 聖堂 説明 画像 聖ゲオルギ聖堂 聖ゲオルギ聖堂はローマ時代後期の紀元4世紀のキリスト教聖堂であり、シェラトン・ソフィア・ホテルの建物に囲まれて建っている。聖堂は赤いレンガで作られ、ソフィアで現存する最古の建物とされている。聖堂のドーム中央にある中世のフレスコ画は12世紀-14世紀のものである。 聖ソフィア聖堂 初期ビザンティン様式の聖堂である聖ソフィア聖堂は6世紀に、古代ローマの劇場の上に立てられた。第二次ブルガリア帝国の時代、聖堂は町の中心の大聖堂として使われていたが、オスマン帝国に征服されるとモスク にされた。 アレクサンドル・ネフスキー大聖堂 黄金色のドームを持ったアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、20世紀初期に立てられたものであり、 露土戦争 によってブルガリアを解放した20万人のロシア帝国 の兵士を称えて建設された。バルカン半島 で最大の正教会 の聖堂であり、世界でも第2の規模を持つ。黄金色のドームを持つ大聖堂は高さ45メートル、鐘楼は高さ50.52メートルに上る。 聖ネデリャ教会 聖ネデリャ聖堂は歴史上、破壊と再建を繰り返し経験してきた。ここでは1925年に聖ネデリャ教会襲撃事件 が発生し、死者150名を出したといわれている。事件の後、聖堂は再建され、現在の姿となった。聖ネデリャ聖堂はブルガリア正教会 のソフィアの主教座聖堂である。 聖ペトカ教会 小さな聖ペトカ聖堂は14世紀に立てられたもので、当時の美しいフレスコ画を残している。身廊一つを持ったこの聖堂は、11世紀のブルガリアの聖人聖ペトカ(Петка Българска 、Petka Bulgarska)に捧げられたものである。 奇蹟者聖ニコライ聖堂(ロシア教会) ソフィアのロシア教会として知られるロシア正教会の奇蹟者聖ニコライ教会は、1914年 にロシア皇帝で後に聖人に列せられたニコライ2世 に捧げられたものである。建設には建築家のアレクサンドル・スミルノフが携わった。スミルノフはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂 の建設にも携わった人物である。
博物館とギャラリー 博物館 説明 画像 ブルガリア国立歴史博物館 国立歴史博物館は、東ヨーロッパで最大の博物館の一つであり、65万点を越える品を収蔵している。古代トラキア人の宝物や、古い武具や武器類、中世の教会の石碑などが収められている。 国立考古学博物館 国立考古学博物館は、1474年に立てられたオスマン帝国時代の最大にして最古のモスク を使用している。博物館にはバルカン半島各地から見つかった多くの考古学的遺品が収蔵され、トラキア人の黄金の宝物などが納められている。博物館はブルガリアで最古の類であり、1905年に設置された。 ブルガリア国立外国アート・ギャラリー 国立外国アート・ギャラリーは19世紀 の建物を使用している。ギャラリーには西洋美術 、アジア美術(仏教美術、日本美術、インド美術など)、アフリカ美術 や、現代美術、エングレービング などのセクションがある。
その他の場所
屋外のランドマーク
ヴィトシャ山 ヴィトシャ山 は、ソフィアの象徴の一つであり、ソフィアから自動車で容易に到達でき、年中開放されている。冬季にはスキーやスノーボードが盛んであり、夏季にはハイキングが人気である。ボリス公園 は、ソフィアの主要な最古の公園であり、1884年 より建設が始まった。その他
経済 DZI 本社ソフィアはブルガリアの有力な経済的拠点であり、多くのブルガリアの大企業や国際的企業が本社を置いている。ソフィアはまたブルガリアの金融センター であり、ブルガリア国立銀行 やブルガリア証券取引所、金融監督委員会や、ブルガリア国内で業務をする多くの市中銀行 の本社が置かれている。建設、貿易、輸送もまた地元経済の重要な一角をなしている。
IBM 、ヒューレット・パッカード 、ソニー 、セガ などIT企業のアウトソーシング 先が集中しており、「東ヨーロッパのシリコンバレー 」とも呼ばれている。政府でも外国企業向けにテナント料の安いビルを用意するなどのサポートを行っている[33] 。
ブルガリアの経済発展を受けて、ソフィアの不動産市場は急上昇している。2007年 でのアパート価格は2003年 の3倍にも達している。建設産業は新しい住宅やオフィスビルディング、ホテル、ビジネス・パーク、ショッピング・モールや物流施設の建設によって発展し、失業率は2.5%であり、ブルガリア全国平均の6.25%と比べて低く抑えられている。
輸送とインフラ インフラストラクチャーの発展と戦略的位置によって、ソフィアは国際的な鉄道 、自動車 の交通網の中心となっている。3つの汎ヨーロッパ運輸回廊、4、8、および10がソフィアを通過している。海運 を除く主要な交通機関が整備されている。ソフィアには8つの鉄道駅があり[34] 、その中で最大のものはソフィア中央駅 である。そのすぐ隣にはソフィア中央バスステーション があり、これはブルガリアで最大で最も現代的なバス・ターミナルである[35] 。その他のソフィア各地のバス・ステーションからも都市間・国際交通が可能である。ソフィア空港 は新しく第2ターミナルが建設され、2006年 に完成した[36] 。2007年 には270万人の旅客が利用した[37] 。
公共交通機関 はバス(総延長153.6キロメートルのネットワーク[34] )およびトロリーバス(総延長97キロメートルのネットワーク[34] )を中心に整備されており、市内各地を巡回している[38] 。ソフィア地下鉄 は1998年 に開業したばかりであり、2路線が開通している[39] 。既存の路線の延伸や3号線が計画中・建設中であり、地下鉄網の充実が図られている。[39] 。ソフィア地下鉄の計画の骨子には3本の路線、47の駅が含まれている[39] 。私有のバンによる巡回輸送も有力かしてきており、公営の交通機関よりも早く、タクシーよりも安い。2005年 の時点で、このような運営形態のバンは368台あり、都心部と郊外に48路線を持っている[34] 。また、およそ6,000台の営業許可を受けたタクシー が運行しており、更におよそ2,000台が違法営業していると見られている[40] 。タクシーは他のヨーロッパ諸国に比べて安価であり、町の有力な交通手段となっている。
1990年代 の自動車保有比率の上昇によって、ソフィアで登録を受けた自動車の台数は1百万台を超えている。ソフィアは道路の舗装と修復が十分ではなく、ほとんどの通りは貧弱な状態にある[41] 。交通量 の増大と大気汚染 は町ではより深刻な問題となっている。地下鉄システムの整備によってこれらの問題が解決することが期待されている。
ソフィアには独特の、大規模なコジェネレーション ・システムが稼動している。ソフィア全域に相当する900,000の世帯と5,900の会社が一元的に熱供給を受けており、ガスおよび石油火力による発電(3000メガワット)の廃熱を利用している。
建築物 歴史的建造物 聖ソフィア聖堂は6世紀 半ばの東ローマ帝国 皇帝ユスティニアヌス1世 の統治下で作られ、町の名前の由来となった。 多くの古代ローマやビザンティンの建築物が町とその周囲に残されている。最も特筆すべきものとして、10世紀 のボヤナ教会 (UNESCOの世界遺産 に登録されている)や、ソフィアで現存する最古の建築物と考えられている聖ゲオルギ聖堂、初期ビザンティン時代の建築である聖ソフィア聖堂などがある。
中世の興味深い建築物として聖ペトカ教会 がある。これは街の最も中心に位置しており、周囲を取り巻くツム・デパート、旧共産党本部、シェラトン・ホテルという3つのスターリン様式 の建築群と好対照を成している。
ブルガリア解放後と共産主義時代 1878年 のブルガリア解放と、ブルガリア自治公国 成立後にその首都となったソフィアでは、アレクサンダル 公がオーストリア=ハンガリー帝国 の建築家らを招き、新しい首都の建築デザインを形作った[42] 。このときブルガリアに招かれた建築家には、フリードリヒ・グリュナンガー(Friedrich Grünanger )、アドルフ・ヴァーツラフ・コラージュ(Adolf Václav Kolář)、ヴィクトル・ルンペルマイヤー(Viktor Rumpelmayer )らがいる。これらの建築家によって、ブルガリアに新しく誕生した政府が必要とする重要な公共施設の大半や、有力者らの家屋が設計された[42] 。後に、外国で教育を受けた多くのブルガリア人の建築家がソフィアの建築に貢献した。
ソフィア中心部の建築は、新バロック様式、新ロココ様式、新ルネッサンス様式、新古典主義建築 などが入り混じり、後にはウィーン分離派 の影響も重要な役割を果たした。
ソフィア中心にこの時代に立てられた重要な建築物には、王宮(現在は国立アート・ギャラリーとなっている)、国立民俗博物館(1882年)、イヴァン・ヴァゾフ国立劇場(1907年)、旧国立印刷局(現在は国立外国アート・ギャラリーとなっている)、ブルガリア議会(1886年)、ブルガリア科学アカデミー(1893年)などがある。
第二次世界大戦 の後、ブルガリアに共産主義政府が樹立される1944年以降は、建築の様式は大幅に入れ替わった。スターリン様式 の公共の建築物が街の中心に現れるようになり、郊外の多くは共産主義時代の高層建築(панелки / panelki )とブルータリズム建築 (Brutalist architecture )が占めるようになった。
1989年に共産主義体制が崩壊すると、ソフィアはビジネス街と郊外の大規模な建築を見るようになった。現代的で摩天楼のような、ガラスで表面を覆われたオフィス・ビルディングや、高級住宅街も建設された。
教育 ソフィア市内における一般的な学校の校舎 ソフィア大学 ソフィアには16の大学 がある。1888年創設のソフィア大学 はブルガリアで最も権威のある大学とみなされている[43] 。同大学では毎年14000人の新入生を受け入れている。その他の重要な大学には国立芸術アカデミー 、ソフィア技術大学 、国家・国際経済大学 、ソフィア医科大学 、クルステョ・サラフォフ国立演劇映画芸術アカデミー 、建築・土木工学・測地学大学 、林学大学 、新ブルガリア大学 がある。
更に、国家の機関としてブルガリア科学アカデミー 、聖キリル・メトディイ国立図書館 がソフィアに置かれている。ソフィア・アメリカン・カレッジ は1860年に創設され、アメリカ合衆国 の国外では最古のアメリカの教育機関と見られている[44] 。同学校ではブルガリアで特に優秀な学生らに教育を施している[45] 。
スポーツ レフスキ・ソフィア とチェルシー F.C. による試合。UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07 で、ヴァシル・レフスキ国立競技場 にて。ソフィアはブルガリアの首都であることから、スポーツ活動の拠点ともなっており、ソフィアを拠点とする数多くのスポーツ・クラブがある。その中には、ブルガリア1部リーグのサッカー・クラブであるPFC CSKAソフィア およびレフスキ・ソフィア 、ロコモティフ・ソフィア 、スラヴィア・ソフィア や、かつて有力なクラブであったアカデミク・ソフィア(Akademik )、スパルタク・ソフィア(Spartak Sofia )、セプテムヴリ・ソフィア などがある[46] 。ブルガリアのスポーツにおけるソフィアの優位性は、ソフィアに拠点を置いているチームによるものであり、その中には既に解散したチームA.S. 23 [47] による貢献もある。1923年 にリーグが創設されて以来、このチームは解散までの間に何度もチャンピオンの座に輝いた。
サッカー がソフィアを含むブルガリア全土で最も人気のあるスポーツであるが、バスケットボール やバレーボール もまたソフィアでは伝統あるスポーツである。最も良く知られたチームにはPBCルコイル・アカデミク(Lukoil Academic )があり、ユーロリーグ において2度チャンピオンとなった。
バレーボールはメジャーのクラブこそないものの、ブルガリアは常にバレーボルでは世界でトップ・クラスにある。ブルガリア・バレーボール連盟(Bulgarian Volleyball Federation )は世界で2番目に古く、また同連盟によるソフィアでのエクシビジョン・トーナメントによって、1957年 にIOC はバレーボールをオリンピック競技種目 とした[48] 。
テニスもまた、ソフィアでは人気のあるスポーツである。テニス・コート 施設[49] には、かつてWTA トップ10にランキングされたマグダレナ・マレーバ の設立したものもある[50] 。
ラグビー はあまりブルガリアでは盛んではないものの、ソフィアには複数のラグビー・クラブがある。
その他には、特に個人競技が盛んであり、ボクシング 、レスリング 、アーチェリー なども国立スポーツ・アカデミーや各所のスポーツ・クラブで練習することができる。これは、共産主義時代には、全てのスポーツ・クラブを統制し、全てのスポーツができるように整備されたことによる。
ソフィアは1992年 と1994年 の冬季オリンピック の開催地として立候補したが、それぞれ2位、3位に終わり、落選している。ソフィアはまた2014年 の冬季オリンピックの開催地への立候補を申請したものの、候補地となることはできなかった。ソフィアはEurobasket 1957 、1961 Summer Universiade および1977 Summer Universiade 、1983 Winter Universiade 、1989 Winter Universiade を開催した。
開催地 ソフィアは多くのスポーツ開催地を擁し、43000人収容のヴァシル・レフスキ国立競技場 (Vasil Levski National Stadium )はブルガリア最大の屋外競技場である。また、レフスキ・ソフィア のゲオルギ・アスパルホフ競技場(Georgi Asparuhov Stadium )、CSKAソフィア のブルガルスカ・アルミヤ競技場(Balgarska Armiya Stadium )、スラヴィア・ソフィアのオフチャ・クペル競技場(Ovcha Kupel Stadium )、コロモティフ競技場(Lokomotiv Stadium )などがあり、数多くの音楽コンサートなども開かれる。
このほかの重要なスポーツ施設としては、3000人収容のウニヴェルシアデ・ホールがあり、バスケットボールなどの屋内イベントが開催される。また、2つのスケート場があり、冬季スポーツ宮殿(収容4000人)、スラヴィア冬季競技上(収容2000人)は、ともに2つのリンクを持っている[51] 。
また、5,000人収容可能のボリソヴァ・グラディナ(Borisova gradina )は自転車競技場 である。この競技場は改修が行われている[52] 。
レクリエーション ほとんどのサッカー競技場はテニス・コート、アストロターフ(astroturf )人工芝のピッチやその他のスポーツ施設を併設し、またそれ以外の市内各所にも同様のスポーツ施設がある。
その他にも、サッカー・クラブに属していない多目的のスポーツ施設は市内各所にあり、国立スポーツ・アカデミーやブルガリア科学アカデミー(Bulgarian Academy of Sciences )などが保有している。
市内には15の水泳施設があり、その多くは屋外型である[53] 。それらのほぼ全てが競技の開催ができるように設計されており、それぞれ数百の観客席を持つ。
また、2つのゴルフ・コースがソフィアの東に隣接しており、共にエリン・ペリンにある。また、イフティマン には乗馬クラブもある。
ソフィアの市民が幅広く利用できる主な行楽としては、町の周辺に広がる自然豊かな公園があり、その多くは森林である。市中心にはボリソヴァ・グラディナ公園があるほか、町の南や西、北にも大きな公園があり、またそのほかにも小さな公園が多くある。その中で特筆すべきものには市公園(City Garden )がある。ヴィトシャ自然公園(Vitosha Nature Park )はバルカン半島 で最古の国立公園 である[54] 。ヴィトシャ自然公園はソフィアの南に位置するヴィトシャ山 (Витоша / Vitosha )の大部分を覆い、その広さはおよそ270 平方キロメートルに及ぶ[55] 。多くのソフィア市民が週末に山にハイキングに出かける。ヴィトシャ山にはバンガローや複数のスキー場があり、街から近い山地の利点が十分に活用されている。
マス・メディア ブルガリアで最大規模の通信、テレビ、ラジオ、ケーブル・テレビ、新聞、雑誌、ウェブ・ポータルの会社がソフィアに拠点を置いている。ソフィアに本社を構えるテレビ局としては、ブルガリア国立放送(Bulgarian National Television 、BNT Channel 1 、TV Bulgaria のチャンネルを保有)やBTV(bTV )、ノヴァ・テレヴィジヤ(Nova Television )などがある。発行部数の多い新聞には、24チャサ(24 chasa )、トルト(Trud )、セガ(Sega )などがある。
著名人 Category:ソフィア出身の人物 も参照ソフィアで生まれた著名人
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出典 関連項目 外部リンク 初期加盟国 第一次拡張 (1973) 第二次拡張 (1981) 第三次拡張 (1986) 第四次拡張 (1995) 第五次拡張 (2004) 第六次拡張 (2007) 第七次拡張 (2013)