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父の日 (ちちのひ)は、父 に感謝を表す日 。アメリカ合衆国 のドッド夫人が「母の日 」にならって、父親に感謝するために白いバラを贈ったのが始まり。
世界の主な父の日 アメリカ合衆国(6月第3日曜日) 父の日昼食 1909年 にアメリカ合衆国ワシントン州 スポケーン のソノラ・スマート・ドッド[1] (Sonora Smart Dodd )が、男 手一つで自分を育ててくれた父を讃えて、キリスト教会 の牧師 にお願いして父の誕生月である6月に礼拝 をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争 が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年 6月19日にスポケーンで行われた[2] 。当時既に母の日 が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年 、第28代アメリカ合衆国大統領 ウッドロー・ウィルソン は、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる[2] 。
1966年 、同国第36代大統領リンドン・ジョンソン は、父の日を称賛する大統領告示を発し、毎年6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年 になり、アメリカでは正式に国の記念日[3] に制定される[2] 。
母の日の花がカーネーション なのに対し、父の日の花はバラ 。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓 前に白いバラを供えたからとされている。 [要出典 ] 1910年の最初の祝典の際には、YMCA の青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる[2] 。
台湾(8月8日) 台湾 の父の日(父親節 )は毎年8月8日 である。これは、「パパ」(表記は爸爸 )と中国語 での「八八」の発音が似ていることに由来している。
ブラジル(8月第2日曜日) ブラジル では、母の日の3ヶ月後の毎年8月第2日曜日が「父の日」(Dia dos Pais )である。ただし、国の休日 ではない。1950年代に Sylvio Bhering が、聖ヨアキム を彰して提唱した。[4]
ロシア 10月第3日曜日 ロシア連邦大統領 ウラジーミル・プーチン は2021年10月4日、同年より10月第3日曜日を「父の日」とする大統領令 に署名した。少子化 による人口減少が問題になっており、男性の子育て参加を促す狙いがある[5] 。
2月23日 ロシアでは、毎年2月23日 が「祖国防衛の日」(День защитника Отечества )とされ、軍人 ・退役軍人 に感謝する他に、父親・夫・男性に感謝する日となっている。これと対となる母親・妻・女性の日は、毎年3月8日 の国際女性デー である。
元はソ連 の祝日 で、1918年 2月23日に赤軍 が初の対独戦闘 に勝利したことを記念し「赤軍の日」(День Красной Армии )として制定され、1949年 に「ソビエト陸海軍の日」(День Советской Армии и Военно-Морского флота )と改名された[6] 。ソビエト連邦の崩壊 後の2002年 に、現在の名称でロシアの祝日となった[7] 。
イラン(アリーの誕生日) イラン では、アリー・イブン・アビー・ターリブ の誕生日であるヒジュラ暦 第7月(ラジャブ)13日が、父の日になる[8] 。
聖ヨセフの日(カトリック圏) ゼッポレ イタリア やスペイン などカトリック 系の国では、毎年3月19日聖ヨセフの日 が父の日になる。イタリアでは、父親に感謝の気持ちを伝え、伝統菓子のゼッポレ を買ってきて食べる習慣がある。
昇天日(ドイツ) ドイツ では、国の休日である昇天日(復活祭 の39日後の木曜日 で、早ければ毎年4月30日 、遅ければ毎年6月2日 )が、「父の日」(Vatertag ) でもある。「男の日」(Männertag ) や「紳士の日」(Herrentag )とも呼ばれる。
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