SKスラヴィア・プラハ

チェコ共和国のサッカークラブ

SKスラヴィア・プラハチェコ語: Sportovní klub Slavia Praha)は、チェコプラハを本拠地とするサッカークラブ。1892年に設立され、同じくプラハをホームタウンとするACスパルタ・プラハとの対戦はプラハダービーとして知られており、勢力を二分している。

SKスラヴィア・プラハ
原語表記Sportovní klub Slavia Praha
愛称Červenobílí(赤と白)
Sešívaní(縫物)
Věčná Slavia(永遠のスラヴィア)
クラブカラー
創設年1892年
所属リーグチェコ1部リーグ
所属ディビジョン1部
ホームタウンプラハ
ホームスタジアムシノー・ティップ・アレナ
収容人数20,232
代表者チェコの旗 ヤロスラフ・トフルディーク
監督チェコの旗 インドジフ・トルピショフスキー
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

1892年11月2日、プラハのヴィノフラディ地区に住む医学生らによって、学生間でのスポーツ活動を増やすために設立された。設立当初は、主にサイクリングが主体のスポーツクラブだったが、1896年にサッカー部門を設立した[1]。その年の3月25日、ACスパルタ「と初めての試合を行い、5-0で大勝した[1]。4日後には、ACスパルタ・プラハとも試合を行い、0-0でのスコアレスドローだったが、ここから両者のライバル意識が始まった[2][3]。1905年、スコットランドからジェイク・マッデンを監督に招聘し、当時最先端のサッカーを披露していたスコットランド流の戦術がスラヴィア・プラハにも持ち込まれた。

1901年のメンバー

マッデンは、後に25年間も続くクラブ黄金期の基盤を形成し、国内試合169試合で134勝を、国際試合では429試合304勝を記録した。1930年、マッデンはスラヴィア・プラハの監督を退き、18年後の1948年に82歳で死去した。

1934 FIFAワールドカップでは、スラヴィア・プラハは8人の選手をチェコスロバキア代表に送り込んだ。クラブ2度目の黄金期は、ヨーゼフ・ビカンの獲得から始まった。ビカンが中心となったスラヴィア・プラハは、戦争により満足に戦力を揃えられないながらも、1940年から国内リーグ4連覇を果たした。しかし、1950年代に突入すると、徐々にクラブの成績は後退し始め、1960年まで実に2度の2部リーグ降格を味わった。

チョスロバキア分離後の1996年、48年ぶりに14回目となるリーグ優勝を果たした[4]。この1995-96シーズン、スラヴィア・プラハは国際舞台でも成功を収め、UEFAカップではベスト4に進出。クラブ所属選手が4人選出されていたチェコ代表UEFA EURO '96で準優勝を果たした[5][6]

1996-97シーズンから2005-06シーズンまでに合計5回、UEFAチャンピオンズリーグ予選出場権を得ていたが、いずれも予選敗退に終わり、本大会出場はできなかった。しかし、2007-08シーズンのCL予選3回戦では、2戦合計3-1でアヤックス・アムステルダムに勝利を収め、クラブ史上初となる本大会出場を決めた。本戦のグループステージではアーセナルFCFCステアウア・ブカレストそしてセビージャFCと同組になった。スラヴィア・プラハはこのグループを1勝3分2負の成績で終え、グループ3位となったことで、UEFAカップベスト32へ回った。また、2006年にはエデン・スタディウムの大規模な改修を行い、観客席を21,000人まで拡大した[7]

2007-08シーズンと2008-09シーズン、クラブは再びチェコ1部リーグ優勝を果たし、CL予選出場権を手にするも、前者の予選ではACFフィオレンティーナに、後者ではモルドバFCシェリフ・ティラスポリに敗れた。翌2009-10シーズンは大きく力を落とし、リーグ戦7位に終わった。

2010年の秋、クラブが1億1200万チェコ・コルナもの負債を抱えていることが明るみに出た[8]。これにより、選手の多くが冬の移籍市場でクラブを離れ、その中の1人、ペトル・トラップは、実に3ヶ月もの間給料が未払いだったことを公表した[9]。2011年11月5日のチェコ・カップ準決勝SKシグマ・オロモウツ戦では、クラブの首脳陣に抗議するために、試合中にサポーターの一部がピッチに雪崩れ込んだ[10]

2015年9月にはCEFC中国エネルギーがクラブを買収、2018年11月には中国中信集団公司とシノボ・グループがクラブのオーナーに就任した。

クラブ名の変遷

  • 1892年 - SK ACOSプラハ (Sportovní klub Akadamický cyklistický odbor Slavia Praha)
  • 1893年 - SKスラヴィア・プラハ (Sportovní klub Slavia Praha)
  • 1948年 – ソコル・スラヴィア・プラハ (Sokol Slavia Praha)
  • 1949年 – ZSJディナモ・スラヴィア・プラハ (Základní sportovní jednota Dynamo Slavia Praha)
  • 1953年 – DSOディナモ・プラハ (Dobrovolná sportovní organizace Dynamo Praha)
  • 1954年 – TJディナモ・プラハ (Tělovýchovná jednota Dynamo Praha)
  • 1965年 – SKスラヴィア・プラハ (Sportovní klub Slavia Praha)
  • 1973年 – TJスラヴィア・プラハ (Tělovýchovná jednota Slavia Praha)
  • 1977年 – TJスラヴィアIPSプラハ (Tělovýchovná jednota Slavia Inženýrské průmyslové stavby Praha)
  • 1978年 – SKスラヴィアIPSプラハ (Sportovní klub Slavia Inženýrské průmyslové stavby Praha)
  • 1991年 – SKスラヴィア・プラハ (Sportovní klub Slavia Praha - fotbal, a.s.)

クラブのシンボル

SKスラヴィア・プラハのクラブ旗

クラブカラーは設立当初から変わらない赤と白。クラブ旗のズレた星は、新たな希望と絶えない向上心を表す[1]。クラブ名に含まれる"スラヴィア"は、ラテン語スラヴ人の住む地を意味する[11]

クラブ・カルチャー

クラブ最大のライバルは同じプラハに拠点を置くACスパルタ・プラハであり、両者の対戦はプラハ・ダービーと呼ばれる。また、ボヘミアンズ1905との間にもライバル意識が存在し、ボヘミアンズのスタジアムは、スラヴィア・プラハのホームスタジアムから数kmしか離れていない[12]

チェコサッカー界からスラヴィア・プラハはユダヤ人がクラブ設立に関わっと見られている。しかし、クラブの文献にそういった書き込みは見られず、これは真っ赤な嘘である。しかし、ACスパルタ・プラハサポーターは、プラハ・ダービーでスラヴィア・プラハを侮蔑の意味も込めて"vy židi!" ("ユダ!")と呼んでいる[13]

タイトル

エデン・スタディオン

国内タイトル

  • チェコ1部リーグ : 20回(チェコ・スロバキアリーグ時代も含む)
    • 1925, 1928–29, 1929–30, 1930–31, 1932–33, 1933–34, 1934–35, 1936–37, 1939–40, 1940–41, 1941–42, 1942–43, 1946–47, 1995–96, 2007–08, 2008–09, 2016–17, 2018-19, 2019-20, 2020-21
  • カップ : 11回(チェコ・スロバキアカップ時代も含む)
    • 1941, 1942, 1945, 1974, 1996–97, 1998–99, 2001–02, 2017–18, 2018-19, 2020-21, 2022-23

国際タイトル

過去の成績

シーズンディビジョンカップ
リーグ順位
1993-941.リガ3016775528392位準決勝敗退
1994-951.リガ3019745220642位4回戦敗退
1995-961.リガ3023166828701位準々決勝敗退
1996-971.リガ3018755924612位優勝
1997-98ガンブリヌス・リガ3017854222592位準決勝敗退
1998-99ガンブリヌス・リガ30151055131553位優勝
1999-00ガンブリヌス・リガ3021545325682位準々決勝敗退
2000-01ガンブリヌス・リガ30141064632522位準決勝敗退
2001-02ガンブリヌス・リガ30121174534475位優勝
2002-03ガンブリヌス・リガ30181026519642位準々決勝敗退
2003-04ガンブリヌス・リガ3015784324524位3回戦敗退
2004-05ガンブリヌス・リガ3015873925532位準々決勝敗退
2005-06ガンブリヌス・リガ3015965634543位準々決勝敗退
2006-07ガンブリヌス・リガ3017764423582位2回戦敗退
2007-08ガンブリヌス・リガ3017944524601位3回戦敗退
2008-09ガンブリヌス・リガ3018845725621位準決勝敗退
2009-10ガンブリヌス・リガ30118113735417位準決勝敗退
2010-11ガンブリヌス・リガ3091384136409位準決勝敗退
2011-12ガンブリヌス・リガ308101228343412位3回戦敗退
2012-13ガンブリヌス・リガ30119104132427位3回戦敗退
2013-14ガンブリヌス・リガ30861624513013位準々決勝敗退
2014-15シノト・リガ30971440453411位3回戦敗退
2015-16シノト・リガ30141064826525位3回戦敗退
2016-17eポイステニ.czリガ3020916522691位準々決勝敗退
2017-18HETリガ3017855019592位優勝
2018-19フォルトゥナ・リガ3523347223721位優勝
2019-20フォルトゥナ・リガ3526726812851位4回戦敗退
2020-21フォルトゥナ・リガ3426808520861位優勝
2021-22フォルトゥナ・リガ3524657926782位準々決勝敗退
2022-23フォルトゥナ・リガ優勝

欧州の成績

現所属メンバー

2023年7月25日現在[14]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK オンドジェイ・コラーシュ
2DF シェリフ・シニャン
3MF トマーシュ・ホレシュ
4DF アイハム・ウス
5DF イゴー・オグブ
6MF コンラッド・ワレム
8MF ルカーシュ・マソプスト
9FW ムハメド・ティジャニ
10MF クリストス・ザフェイリス
11FW スタニスラフ・テツル
13FW モイミール・ヒティル
14FW ミック・ファン・ブーレン
15FW ヴァーツラフ・ユレチカ
17MF ルカーシュ・プロヴォド
18DF ヤン・ボジル (主将)
No.Pos. 選手名
19MF オスカー・ドーリー
20MF ダヴィド・ペフ
21MF ダヴィド・ドゥデラ
23MF ペトル・シェフチーク
24GK ヤン・シロトニーク
25MF ヤクブ・フロマダ
26FW イヴァン・シュランツ
27DF トマーシュ・ヴルチェク
28GK アレシュ・マンドウス
29DF ミハル・トミッチ
30DF タラス・カチャラバ
31GK ヤン・ステイスカル
32MF オンドジェイ・リングル
34MF ペトル・フロネク
35MF マチェイ・ユラーセク

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

外部リンク