イニャキ・ウィリアムズ

ガーナのサッカー選手

イニャキ・ウィリアムズ・アーサーIñaki Williams Arthuer, 1994年6月15日 - )は、スペインバスク州ビルバオ出身のサッカー選手ラ・リーガアスレティック・ビルバオ所属。元スペイン代表、現ガーナ代表。ポジションはフォワード

イニャキ・ウィリアムズ
アスレティック・ビルバオでのウィリアムズ (2018年)
名前
本名イニャキ・ウィリアムズ・アーサー
Iñaki Williams Arthuer
ラテン文字Iñaki Williams
基本情報
国籍ガーナの旗 ガーナ
スペインの旗 スペイン
リベリアの旗 リベリア
生年月日 (1994-06-15) 1994年6月15日(29歳)
出身地スペインの旗 スペインビルバオ
身長186cm
選手情報
在籍チームスペインの旗 アスレティック・ビルバオ
ポジションFW
背番号9
利き足右足
ユース
スペインの旗 ナタシオン・パンプローナ
2008-2012スペインの旗 CDパンプローナスペイン語版
2012-2013スペインの旗 アスレティック・ビルバオ
クラブ1
クラブ出場(得点)
2013-2014スペインの旗 バスコニア 18 (7)
2014-2015スペインの旗 ビルバオ・アスレティック 32 (21)
2014-スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 334 (72)
代表歴2
2015-2017 スペイン U-2117 (3)
2016スペインの旗 スペイン1 (0)
2018-2020バスク州の旗 バスク2 (0)
2022-ガーナの旗 ガーナ17 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年3月29日現在。
2. 2024年3月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

両親がアフリカ生まれの黒人であり、所属選手をクラブが規定するバスク人に限定しているアスレティック・ビルバオにおいて、トップチームの公式戦で得点を挙げた初の黒人選手である。

クラブ経歴

イニャキ・ウィリアムズの父親はガーナ人、母親はリベリア人である[1]。母親は1989年に勃発した第一次リベリア内戦の戦禍から逃れるために難民としてガーナに向かい、そこでイニャキの父親と出会う[1]。ふたりはスペインへの移民を決断し、北部のバスク州に落ち着いた[1]

1994年6月15日、イニャキ・ウィリアムズはスペイン・バスク州ビスカヤ県の県都ビルバオに生まれた。ナバーラ州パンプローナCDパンプローナスペイン語版でプレーし、16歳だった2012年にアスレティック・ビルバオの下部組織であるレサマに加入した。弟のニコ・ウィリアムズも同時にレサマに加入している[1]。イニャキは加入年の2012年にアスレティック・ビルバオのファームチームであるテルセーラ・ディビシオンCDバスコニアでシニアデビューしている。

2013年6月25日、ウィリアムズは2017年までの新契約を交わし[2]、リザーブチームであるセグンダ・ディビシオンBビルバオ・アスレティックに昇格した。8月に負った膝の負傷[3] から10月に復帰し[4]、このシーズンには14試合に出場して8ゴールを記録した。

アリツ・アドゥリスのケガが理由で[5]エルネスト・バルベルデ監督によってトップチームに引き上げられる。2014年12月6日、ホームでのコルドバCF戦に先発し、20歳にしてラ・リーガデビューした[6]。その後はラ・リーガで3試合に途中出場している。2015年2月19日にはUEFAヨーロッパリーグラウンドオブ32のトリノFC戦1stレグに先発し、トップチームで初めてネットを揺らして2-2での引き分けに貢献した[7]。ウィリアムズは創設から117年を経たアスレティック・ビルバオで得点を挙げた初の黒人選手である[8]。2011年にはディフェンダーのホナス・ラマーリョが、アスレティック・ビルバオで初めて黒人選手として公式戦に出場している[8]

アドゥリスの長期離脱が増えた2018年以降はセンターフォワードとして起用される事が増加したものの、決定力不足で一時はスランプ状態に陥った。しかし、2019年1月13日に行われたセビージャFC戦で約2年ぶりとなるホームでの得点を決めると、徐々に得点数を伸ばしていき自身初のリーグ2桁得点を記録。黒豹とも評されるスピードとフィジカルを武器に、チームのエースとして躍動した。

2019年8月12日、クラブとの契約を2028年まで延長。契約解除金は1億3500万ユーロに設定された。11月24日に行われたCAオサスナ戦でリーグ戦133試合連続出場を果たし、クラブ記録を樹立。

2020-21シーズン、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、決勝のFCバルセロナ戦では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した[9]。2021年10月1日、ラ・リーガ史上最多となるリーグ戦203試合連続出場を達成し、その後も記録更新を続けている[10]

2022年4月17日、ウィリアムズはセルタ戦で先発し、クラブのリーグ戦を欠場してから6年が経過し、自身のスペイン最上位リーグでの連続試合記録を224に伸ばしました。[11] 彼の6年間の記録は、同じ相手に対する試合のメンバーから外された2023年1月29日に251で終了しました。結果は1-0で敗戦でした。[12][13]

2024年1月、2023年アフリカネイションズカップでの国際試合に参加した後、ウィリアムズはグループステージでガーナが早期敗退が確定した直後にアビジャンからビルバオに戻る旅を即座に行いました。 彼はアスレティックのコパ・デル・レイの準々決勝、バルセロナ戦の後半途中から途中出場し、延長戦で得点してチームを4-2の勝利に導きました。[14] これにより、大会での5回目の連続セミファイナル進出となりました。[15]

代表経歴

2015年3月20日には初めて代表招集を受け、アルベルト・セラーデスが率いるスペインU-21代表の、ノルウェーU-21ベラルーシU-21との親善試合のメンバーに名を連ねた[16]。3月26日にカルタヘナで行われたノルウェーU-21戦では、ゴールを挙げたムニル・エル・ハダディとの交代で後半開始から出場した[17]

UEFA EURO 2016に出場する23人には選ばれなかったが、トレーニングキャンプや親善試合のための11人のひとりに選ばれた[18]。同時期にはガーナ代表からも切望されていた[19]。EURO前の5月29日に行われたボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合で、マルコ・アセンシオとの交代で投入されてA代表デビューした[20]ペドロ・ロドリゲスによる3点目は、ウィリアムズのシュートをキーパーのアスミル・ベゴヴィッチが弾いたところにペドロが詰めて生まれた得点だった。スペイン代表でのキャリアはその一試合のみであり、2022年7月5日自身のTwitterでガーナ代表に変更したことを発表した。同年9月に行われる親善試合のメンバーに選出された。[21]

2022年9月23日のブラジル戦でカマルディーン・スレマナとの交代で出場し、ガーナ代表デビューを果たした[22]

個人成績

クラブ

クラブシーズン国内リーグ国内カップ欧州カップ通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
バスコニア2013–14187----187
通算187----187
ビルバオ・アスレティック2013–14148----148
2014–151813----1813
通算3221----3221
アスレティック・ビルバオ2014–151914121253
2015–1625853723713
2016–173853281498
2017–18387101335210
2018–19381332--4115
2019–20386----174
通算1964016830722153
通算2466816830727180

代表

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2016年)


スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
201610
通算10
  • 国際Aマッチ 17試合 1得点(2022年 - )


ガーナ代表国際Aマッチ
出場得点
202260
202371
202440
通算171

タイトル

クラブ

アスレティック・ビルバオ

脚注

外部リンク