ズデニェク・グリゲラ

チェコのサッカー選手

ズデニェク・グリゲラZdeněk GRYGERA, 1980年5月14日 - )は、チェコスロバキア(現チェコズリーン州クロミェジージュ郡 (Okres Kroměříž) プジーレピ (Přílepy) 出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)。チェコ代表でもプレーした。

ズデニェク・グリゲラ
名前
ラテン文字Zdeněk Grygera
基本情報
国籍 チェコ
生年月日 (1980-05-14) 1980年5月14日(44歳)
出身地チェコスロバキアの旗 プジーレピ
身長184cm
体重75kg
選手情報
ポジションDF
利き足右足
ユース
1987-1990チェコスロバキアの旗 TJホレショフ
1990-1997チェコの旗 FKスヴィト・ズリーン
クラブ1
クラブ出場(得点)
1997-1998チェコの旗 スヴィト・ズリーン 20 (1)
1998-2000チェコの旗 ドルノヴィツェ 54 (3)
2000-2003チェコの旗 スパルタ・プラハ 65 (2)
2003-2007オランダの旗 アヤックス 78 (8)
2007-2011イタリアの旗 ユヴェントス 87 (3)
2011-2012イングランドの旗 フラム 5 (0)
代表歴
1997-1998 チェコ U-179 (1)
1997-1999 チェコ U-1811 (0)
2000-2002 チェコ U-2114 (1)
2001-2009チェコの旗 チェコ65 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴

チェコ時代

TJホレショフおよびFCテスコマ・ズリーンの下部組織出身で、1997年にテスコマ・ズリーンのトップチームに昇格、20試合に出場し1得点を挙げた。1998年にFKドルノヴィツェに移籍し、2シーズンで54試合に出場して3得点を挙げた。ドルノヴィツェでのプレーとUEFA U-21欧州選手権2000でのパフォーマンスにより知名度が上がり、他クラブの関係者が注目するようになった。このときグリゲラに注目したクラブのひとつであるACスパルタ・プラハに2000年に移籍した。

移籍初年度の2000-01シーズンは15試合に出場し、ガンブリヌス・リガ優勝を経験した。またUEFAチャンピオンズリーグ 2000-01でも5試合に出場した。2002-03シーズンにも2度目のリーグ優勝を経験した。シーズン終了後、オランダエールディヴィジ所属のアヤックス・アムステルダムに4年契約で移籍した。同オフにASローマへと移籍したクリスティアン・キヴと入れ替わるかたちとなり、移籍金は350万ユーロであった[1]

アヤックス

アヤックス移籍初年度の2003-04シーズンは、膝の負傷により20試合の出場に終わったものの、エールディヴィジ優勝を経験した。アヤックスには2007年までの4シーズン在籍し、その間、リーグ優勝1回、オランダ・カップおよびオランダ・スーパーカップ優勝を2回ずつ経験した。2007年、移籍金なしで[1]イタリアレガ・カルチョ所属のユヴェントスFCと5年契約を交わし、移籍した[2][3]

ユヴェントス

2007年9月23日、セリエA2007-08シーズン第4節ASローマ戦で、ユヴェントスの選手として公式戦に初出場した。翌2008年3月9日開催の第27節ジェノアCFC戦にて、ユヴェントスにおける初得点を挙げた。シーズン当初はチームへの適合に手間取る時期もあったが、24試合に出場しシーズンを終えた。2008-09シーズンは8月13日のUEFAチャンピオンズリーグの3次予選ラウンド第1戦FCアルトメディア・ペトルジャルカ戦が初出場となったが、この試合では前半16分で交代している[4]

2008年9月13日のリーグ戦第12節ジェノアCFC戦でユヴェントスでの2得点目を、翌2009年4月18日開催の第32節インテルナツィオナーレ・ミラノ戦で3得点目を挙げた。この得点は後半終了間際の91分、セバスティアン・ジョヴィンコが左サイド側から蹴ったコーナーキックをインテルのゴールキーパージュリオ・セザルの背後でヘディングで合わせたものであった[5]

フラム

2011年8月30日、契約期間を1年残してユヴェントスを退団し[6]イングランドプレミアリーグ所属のフラムFCと1年契約を結んだ[7]が、同年11月、トッテナム・ホットスパーFC戦の最中に前十字靭帯を断裂した[8]

2012年12月6日、靭帯断裂後、以前のコンディションに戻すことは難しいと判断し、現役引退を公表した[9]

代表経歴

2009年に行われたモロッコとの試合にて。後列右から2人目がグリゲラ。

2001年8月、韓国との国際親善試合でフル代表にデビュー。2003年2月に行われたフランスとの国際親善試合で代表初得点を挙げた。UEFA EURO 2008予選スロバキア戦で代表における2得点目を挙げた。FIFAワールドカップへは1回 (2006年) 、UEFA欧州選手権へは2004年2008年の2度出場歴がある。欧州選手権では、その2大会とも右サイドバックのレギュラーとしてプレーし、特にEURO 2004ではベスト4進出に貢献した。

プレースタイル

最終ラインならセンターバック、両サイドバックを難なくこなせる選手。筋骨隆々の屈強なディフェンダーではなく、鋭い読みによるインターセプトや駆け引きによって相手のFWと対峙する。また、サイドバックでのプレーとしては守備的ではなく攻撃的に振る舞い、積極的な攻め上がりを見せる。

個人成績

代表

出場大会

2000年 - UEFA U-21欧州選手権2000(準優勝)
2002年 - UEFA U-21欧州選手権2002(優勝)
2004年 - UEFA EURO 2004(ベスト4)
2006年 - 2006 FIFAワールドカップ(グループステージ敗退)
2008年 - UEFA EURO 2008(グループステージ敗退)

試合数

  • 国際Aマッチ 65試合2得点(2001年 - 2009年)


チェコ代表国際Aマッチ
出場得点
200150
200260
200371
2004110
200590
2006100
200731
200880
200960
通算652

タイトル

クラブ

ACスパルタ・プラハ
アヤックス・アムステルダム

代表

U-21チェコ代表

関連項目

脚注

外部リンク