ターキッシュ エアラインズ

トルコの国営航空会社であり、同国のフラッグキャリア

ターキッシュ エアラインズトルコ語: Türk Hava YollarıTHY英語: Turkish Airlines)は、トルコの国営航空会社。トルコのフラッグ・キャリアである。2014年2月、トルコ航空(トルコこうくう)より日本語社名を変更した[1]。略称及びICAOコードトルコ語での頭文字からTHYとなっている。

ターキッシュ エアラインズ(トルコ航空)
Turkish Airlines
Türk Hava Yolları
IATA
TK
ICAO
THY
コールサイン
TURKISH
法人番号3700150005428 ウィキデータを編集
設立1933年
ハブ空港イスタンブール空港
サビハ・ギョクチェン国際空港
エセンボーア国際空港
マイレージサービスMiles & Smiles
会員ラウンジLounge Istanbul
航空連合スターアライアンス
保有機材数304機
就航地280都市(2013年2月 現在)
スローガンWiden Your World
本拠地トルコの旗 トルコ イスタンブール
外部リンクwww.turkishairlines.com
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ターキッシュ エアラインズ航空の本部

歴史

1933年にトルコ国防省の国家航空事業運営部として設立され、小型旅客機5機(合計席数28席)で首都アンカラエスキシェヒールの間の200kmを結ぶ1路線で運航を開始した。その後、公共事業省移管を経て1938年に運輸省国家航空業務局となり、1947年にはアンカラ - イスタンブール - アテネを結ぶ初の国際路線を就航、1956年3月1日に国営の特別会社となり、トルコ航空株式会社として発足した。

1985年にはニューヨークバンコクシンガポールアメリカ極東まで航空路線を延ばし、世界116都市に及ぶ国際航空ネットワークに発展した。1989年からは、日本との間に定期路線を就航。就航当初は、日本航空(JAL)とのコードシェア便として、成田国際空港及び関西国際空港イスタンブール・アタテュルク国際空港を結んでいた[注 1]

1990年代には新型機材の導入を推し進めるなどして規模を拡大していたが、2000年代に入り、同時多発テロ、そしてイラク戦争が勃発し、同社の業績は急速に悪化した。これに伴い従業員の解雇やネットワークの縮小を強いられた。

2004年より民営化に向けた準備が進められた結果、同社の株式の50.9%は民間所有、残りが政府所有となっている[2]2006年12月9日には、イスタンブール市内にて開催されたスターアライアンス社長会にてトルコ航空のスターアライアンス加盟が承認され、2008年4月1日に正式加盟した。これと同時に、日本路線のコードシェア相手をJALから全日本空輸(ANA)に変更することが発表された[3]

現在は、経営基盤の安定化が一段落したこともあり、新型機材の導入や機内サービスの拡充、新規CIの導入を行うなどして、拡大路線をとるに至っている。2014年現在、就航国は105カ国に及び、これは世界最多である。

また、主にヨーロッパ圏内における知名度の向上を図るため、ヨーロッパのフットボールクラブであるマンチェスター・ユナイテッドの公式スポンサーとなっている(FCバルセロナのスポンサーをしていたこともあった)。またバスケットボールのユーロリーグの冠スポンサーのほか、2013年シーズンより、Jリーグのフットボールクラブである大宮アルディージャのオフィシャルスポンサーを、同年5月にはドイツのフットボールクラブ・ボルシア・ドルトムントとプレミアム・パートナーシップ契約を締結している[4]

2014年から、湘南ベルマーレとオフィシャルクラブパートナー契約を締結。同年2月から、日本での商号を「ターキッシュ エアラインズ」に変更[1]。また同年9月、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の冠スポンサーとなった。2015年には映画『海難1890』の特別協賛として参加している。

2023年12月14日現在、イスタンブールと東京/羽田、東京/成田間の2路線は毎日1便ずつ、大阪/関西間は週4便就航している。

2023年7月末時点で、一部便を除いてロシア上空は避けての運行が行われている。

就航都市

ターキッシュ エアラインズの就航地の地図

トルコ国内

アフリカ

アジア

コーカサス

ヨーロッパ

北アメリカ

南アメリカ

保有機材

リスト

ターキッシュエアラインズ 保有機材(2023年12月現在)[5][6]
機材保有数発注数座席数備考
CY
エアバスA319-1006--132132
エアバスA320-20012--159159
4180180アナドルジェット英語版による運航
エアバスA320neo9--186186アナドルジェットによる運航
エアバスA321-20065-20158178
16164180
-194194
7-220220アナドルジェットによる運航
エアバスA321neo4118720162182
16174190
148203211アナドルジェットによる運航
-240240
エアバスA330-20011118232250うち1機は復刻塗装機「串本号」
24255279
エアバスA330-30036-28261289
40265305
エアバスA350-900167128288316
32297329
エアバスA350-1000-15不明
ボーイング737-80040-16135151
45-186186アナドルジェットによる運航
189189
ボーイング737-900ER15-16135151
16153169
ボーイング737 MAX 8202516135151
108168176アナドルジェットによる運航
-189189
ボーイング737 MAX 95-16153169
ボーイング777-300ER30149300349
328372400ケニア航空からのリース機材
27524531IndiGoへリース中
ボーイング787-9221130270300
ターキッシュエアラインズ・カーゴ
エアバスA330-200F10-貨物
エアバスA350F-5貨物
ボーイング777F8-貨物
431316

過去の保有機材

ギャラリー

備考

ボーイング777-300ER[7]は自社発注した5機目(機体番号:TC-JJE)の新造機より新塗装で納入され、それ以降はボーイング737-800を含めた新造機ならびにリース導入分を含め全て新塗装で納入されている。最初に導入した旧塗装4機のB777-300ERは、2機ずつジェットエアウェイズタイ国際航空へそれぞれ移籍した。

世界でも珍しく、エアバスA330において選択できる全てのエンジンメーカー(GE、プラット・アンド・ホイットニー、ロールスロイス)のエンジンを装備した機材を保有している。

同社が発注したA350-900に関して、一部アエロフロート・ロシア航空発注分の機体を導入することが決まっている[8][9]。これは、ロシアが2022年よりウクライナ侵攻を開始した事による経済制裁のために引渡しができない機体を同社が受領することになったためである。なお、コンフィグなどに関してはアエロフロート仕様のままでの納入が決まっているほか、機体塗装がアエロフロートのまま、タイトルのみターキッシュエアラインズとなった機体が納入されている。

同社はエアバスA380ボーイング747-8インターコンチネンタルの超大型機を導入する計画があるが[10]、A380・B747-8ICともに製造中止となるため導入は不可能になると予想される。

同社が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)はF2で、航空機の形式名は737-8F2, 777-3F2ER などとなる。

サービス

長距離国際線のエコノミークラスの機内食の例。この例では、トルコ料理キョフテが使用されている。
アタテュルク国際空港のターキッシュ エアラインズラウンジ
  • 東京(成田)⇔イスタンブールでは、ビジネスクラスとエコノミークラスの2クラスで、大阪⇔イスタンブールでもビジネスとエコノミーの2クラスで運航されている。
  • ボーイング777-300ERで運航している路線では機内Wi-Fi接続が可能である。
  • 予約の内容によってはリコンファームする必要があるので、注意が必要である[疑問点][注 2][11][リンク切れ]
  • 機内食に力を入れており、オーストリアケータリング会社Do & Coドイツ語版社が監修を行っている。ビジネスクラスでは同社の本物のシェフが機内食の盛り付けや配膳を行う[12]
  • アタテュルク国際空港での国際線同士の乗り継ぎが、乗り継ぎ時間の関係でその日のうちに行えない場合(最短接続時間のフライト乗り継ぎがビジネスクラスで7時間以上、エコノミークラスで10時間以上)、無料でトランジットホテルに宿泊できるサービスを行っている。また、2011年にはアタテュルク国際空港のラウンジを改修し、3,000平方メートルにライブラリー、子供用の遊戯室、シャワー、ビリヤード場などを備えた大規模なラウンジとなっている[13]
  • サービスには比較的高い評価を得ており、スカイトラックスの「World Airlines Awards」では2011年から2015年まで5年連続で「The Best Airline in Europe[注 3]」に選ばれている[14][15][16]。また、2013年のスカイトラックス「World Airline Awards」でも第9位にランクインし[17]、2014年には順位を上げて第5位、2015年には第4位となった[18][19]ほか、同2014年のスカイトラックス番付では上述の機内食やラウンジのサービス向上策が功を奏して、「ビジネスクラス機内食部門」で1位[20]、「エコノミークラス機内食部門」で2位[21]、ビジネスクラスラウンジでの食事部門で1位[22]の評価を得た。

受賞歴

ターキッシュ エアラインズの関わった事件

日本人を運んだトルコ航空所属のDC-10「イズミル」号 (機体記号TC-JAY)

イラン・イラク戦争中の1985年3月12日イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まった。テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発した。

宣言後、イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出が計られた。しかし、当時日本では自衛隊の海外での活動は禁止されていた。また過去にテヘランに寄港していた日本航空は当時既にテヘランへの寄港を停止していたため、日本政府は現地との調整に手間取り、日本航空チャーター機の派遣も会社、労働組合ともに反対であったこと、前記期日までの脱出が困難であることを理由に実現しなかった。そのため、在イラン日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していた。

イランの日本大使館野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された[24]。2機のトルコ航空機が215人の在留邦人(第一便198人、第二便17人)を乗せてメヘラーバード国際空港を出発し、イラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。なお、この時の航空機の第一機長オルハン・スヨルジュと妻ヘルガは、和歌山県串本町樫野のトルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑への献花のため2011年3月27日に来日している。

このエピソードはのちにインターネット上の電子掲示板メールマガジンを通じて親日国トルコのイメージを広めることに貢献し、テレビでも2004年NHKプロジェクトX」など、様々な番組で取り上げられた。また、2015年には日本・トルコ合作映画『海難1890』にてエルトゥールル号の出来事とともに題材となり、ターキッシュ エアラインズ(トルコ航空)も「特別協賛」の形で携わっている。

  • 実際は「伊藤忠」のイスタンブール支店関係者、在テヘラン日本大使館からのトルコ政府への救援要請に対し、トルコ側が了承し、トルコ航空機の派遣を決定した。なお、この事件に関するシンポジウムが2007年10月28日、東京都三鷹市の中近東文化センターにて、当該機の機長オルハン・スヨルジュ、元キャビン・アテンダント、野村元駐イラン日本大使、森永堯元伊藤忠商事イスタンブール支店長ら当時の関係者出席の上、行われている。

この救出の後、1999年にトルコ大地震が発生したが、その際この救出された邦人の一部が義捐金を募りトルコに贈った。また、湾岸戦争勃発1か月前の1990年12月に、当時国会議員だったアントニオ猪木が自らイラクに赴いて平和を訴えるイベントを行い、サッダーム・フセイン政権によってイラクからの出国を差し止められ事実上の人質として抑留されていた在留日本人の解放を果たしたとき、チャーター便を出してこれを助けたのも当時のトルコ航空であった。

事故

他航空会社パイロット

ターキッシュ エアラインズでは、これからも事業を拡大する予定であるため、パイロットが今まで以上に必要になる[要出典]。このことから、同社では世界の他の航空会社を(倒産などの理由で)解雇されたパイロットなどを積極的に採用している。2010年に日本航空グループが会社更生法の適用を申請し、実質的に破綻して700人近いパイロットが整理解雇された際も、ターキッシュは積極的にそれらのパイロットを採用した。

参考文献

  • 中西克吉、谷川一巳 本文執筆『エアラインGUIDE BOOK : 日本発着国際線&国内線 : 全86社掲載』イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2013年、147,148頁。全国書誌番号:22253791 ISBN 978-4-86320-731-8
  • チャーリィ古庄 執筆・写真「ターキッシュエアラインズ」『エアライン年鑑 = AIRLINE ALMANAC』 2015-2016巻、イカロス出版〈イカロスMOOK. AIRLINE〉、2015年、195頁。全国書誌番号:22543403 ISBN 978-4-86320-980-0

脚注

出典

関連項目

外部リンク