ニック・ヴァン・エクセル

ニッキー・マックスウェル・ヴァン・エクセルNickey Maxwell Van Exel, 1971年11月27日- )はウィスコンシン州ケノーシャ郡ケノーシャ出身の元バスケットボール選手。左利きのポイントガードとしてNBAで活躍した。

ニック・ヴァン・エクセル
Nick Van Exel
サンアントニオ・スパーズでのバン・エクセル (2006年)
基本情報
愛称"Nick the Quick"
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1971-11-27) 1971年11月27日(52歳)
出身地ウィスコンシン州ケノーシャ
身長185cm (6 ft 1 in)
体重77kg (170 lb)
キャリア情報
出身シンシナティ大学
ドラフト1993年 37位
ポジションPG
シュート
背番号歴9,31,37,19
選手経歴
1993-1998
1998-2001
2001-2003
2003-2004
2004-2005
2005-2006
ロサンゼルス・レイカーズ
デンバー・ナゲッツ
ダラス・マーベリックス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
サンアントニオ・スパーズ
指導者経歴
2010-2012
2013-2014
2014-2015
2015-2016
2016-2019
2021-2023
アトランタ・ホークス(選手育成)
ミルウォーキー・バックス(AC)
テキサス・レジェンズ (Dリーグ) (AC)
テキサス・レジェンズ (Dリーグ)
メンフィス・グリズリーズ (AC)
アトランタ・ホークス (AC)
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

大学時代

シンシナティ大学時代には3年次にNCAA男子バスケットボールトーナメントでベスト4、4年次にベスト8に進出させた。AP通信が選ぶオールアメリカのサードチームに選ばれ、ウッデン賞の候補にも名前が残った。2シーズンしかプレイしなかったが大学の歴代3ポイントシュート成功(147)、3ポイントシュート試投(411)、3ポイントシュート成功率(35.8%)の記録を残した。

NBA

選手時代

NBAのロサンゼルス・レイカーズデンバー・ナゲッツダラス・マーベリックスゴールデンステート・ウォリアーズポートランド・トレイルブレイザーズサンアントニオ・スパーズで通算13年間プレイした。

1993年のNBAドラフトで2巡目全体37位でロサンゼルス・レイカーズに指名されて入団した。彼が入団したシーズンはレイカーズは再建状態にあり18シーズンぶりにプレーオフ進出を逃したが、翌年のドラフトでレイカーズから1巡目で指名されたエディー・ジョーンズと共にチームの中心選手となって再びチームをプレーオフの常連とした。1994-1995年の彼らの活躍によってレイカーズのヘッドコーチのデル・ハリスはコーチ・オブ・ザ・イヤーに輝いた。このシーズン、183本のスリーポイントを成功させレイカーズの1シーズンにおけるスリーポイント最多成功数を刻んだ(2024年にディアンジェロ・ラッセルに破られるまで、約30年間、最多記録を保持していた)。)[1]

レイカーズ時代1試合あたり、14.9得点、7.3アシストをマークし、アシスト部門ではNBAのベスト10に2度入っている。1996年にはドラフトでデレック・フィッシャーコービー・ブライアント、FAでシャキール・オニールがチームメートに加わり第3シードとなったレイカーズは第2シードのシアトル・スーパーソニックスを破ってカンファレンス・ファイナルまで進出した。

1998年6月24日、5シーズン先発ポイントガードとして活躍したレイカーズからトニー・バティー、その年ドラフトで指名されたティロン・ルーとの交換でデンバー・ナゲッツに移籍した。

移籍した当時、ナゲッツはドアマットチームだったがここでバン・エクセルはキャリアハイを記録、4シーズンほどの在籍期間で1試合あたり17.9得点、8.3アシストを記録した。

2002年2月21日、レイフ・ラフレンツエイブリー・ジョンソン、タリク・アブドゥル=ワヒドと共にダラス・マーベリックスジュワン・ハワード、ドネル・ハーヴェイ、ティム・ハーダウェイ2002年のNBAドラフト1巡目指名権とトレードされ移籍した。

マーベリックスに移ってからの彼の役割は以前より小さくなったが、シックスマンとして3ポイントシュートなどで得点源となり2002-03年シーズン1試合あたり15.5得点、プレーオフに入ると20得点近くをマークしている。

2003年8月18日、エバン・エシュマイヤー、 エイブリー・ジョンソンポパイ・ジョーンズアントワン・リゴドーと共にゴールデンステート・ウォリアーズアントワン・ジェイミソン、クリス・ミルズ、ダニー・フォートソン、イジー・ウェルシュとのトレードで移籍した。移籍後のシーズンはキャリア最低の39試合出場、1試合あたり12.6得点、5.3アシストに留まった。

2004年の7月20日、ポートランド・トレイルブレイザーズデイル・デイヴィスダン・ディッカウとのトレードで移籍した。ブレイザーズではわずか53試合に出場し平均11得点であった。

2005年8月3日、ブレイザーズから解雇され8月29日にサン・アントニオ・スパーズと契約した。怪我のため彼は65試合にのみ出場、1試合あたり15分出場、5.5得点と自己ワーストの記録となりこれがNBAで最後のシーズンとなった。ダラス・マーベリックスとの7戦に及ぶプレーオフシリーズが終了した2日後の2006年5月24日現役引退が報道された。

コーチ時代

2010年よりアトランタ・ホークスで選手育成担当のコーチを2012年まで務め、2013-2014シーズンはミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチを務めた。2014年よりダラス・マーベリックス傘下のテキサス・レジェンズのアシスタントコーチとして入閣。翌2015年からは、それまでヘッドコーチを務めていたエドアルド・ナヘラが、マーベリックスのスカウトに転出したのに伴いヘッドコーチに昇格。2016年からはメンフィス・グリズリーズのアシスタントコーチを務める。

NBA個人成績

略称説明
  GP出場試合数  GS 先発出場試合数 MPG 平均出場時間
 FG% フィールドゴール成功率 3P% スリーポイント成功率 FT% フリースロー成功率
 RPG 平均リバウンド APG 平均アシスト SPG 平均スティール
 BPG 平均ブロック PPG 平均得点 太字 キャリアハイ
 リーグリーダー

レギュラーシーズン

シーズンチームGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1993–94LAL818033.3.394.338.7812.95.81.0.113.6
1994–95808036.8.420.358.7832.88.31.2.116.9
1995–96747434.0.417.357.7992.46.9.9.114.9
1996–97797937.2.402.378.8252.98.5.9.115.3
1997–98644632.1.419.389.7913.06.91.0.113.8
1998–99DEN50*50*36.0.398.308.8112.37.4.8.116.5
1999–00797937.3.390.332.8173.99.0.9.116.1
2000–01717028.7.414.377.8193.48.5.9.317.7
2001–02454438.6.408.337.7823.88.1.7.221.4
DAL27228.0.411.347.8443.14.2.5.113.2
2002–0373127.8.412.378.7642.84.3.6.112.5
2003–04GSW392932.2.390.307.7072.75.3.5.112.6
2004–05POR533430.5.381.389.7843.04.3.8.011.1
2005–06SAS65215.2.397.357.6831.41.9.2.05.5
Career88067032.9.405.357.7942.96.6.8.114.4
All-Star1020.0.357.1671.0003.02.0.0.013.0
  • 1998-99シーズンは50試合で打ち切り

プレーオフ

シーズンチームGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1995LAL101046.4.414.318.7633.87.32.1.320.0
19964434.3.296.313.7694.06.8.5.011.8
19979939.2.378.273.8243.46.41.1.014.4
199813028.2.331.314.7252.54.2.6.111.6
2002DAL8133.0.366.206.6673.03.91.0.011.1
200320333.6.460.393.7033.44.1.6.019.5
2006SAS12011.1.219.3001.0001.01.4.3.22.2
Career762731.4.394.324.7532.94.5.8.113.6

ハイライト

  • バン・エクセルはボストン・ガーデンで得点した最後のレイカーズの選手となった。その試合で彼はブザービーターとなる3ポイントシュートを成功させチームを勝利に導いた。
  • 13シーズン中8回アシスト数でベスト15に入っている。
  • オール・ルーキー・セカンドチーム(1993-94年)
  • 1995年のプレーオフ、ウェスタンカンファレンスセミファイナル、スパーズとの第5戦で2本の貴重な3ポイントシュートを成功させた。1本目はオーバータイムに突入させ、2本目はゲームの勝利を決定づけた[2]
  • 1998年のNBAオールスターゲームにチームメート3人と共に出場している。
  • 2006年のプレーオフ、対スパーズ戦でベンチスタートながら1試合あたり18.9得点を記録している。
  • レイカーズ歴代4位[3]の3ポイントシュート成功 750

人物

  • レイカーズ時代のニックネームは「Nick the Quick」。
  • フリースローの際にわざとフリースローラインから1フィート(約30cm)ほど離れている。通算のフリースロー成功率は79.6%だった。
  • 1996年にレフェリーを記録員のテーブルへと突き飛ばし退場となったことがあった。この振る舞いは当時レイカーズに現役復帰していたマジック・ジョンソンにより批判された。しかしその数試合後、ジョンソンもレフェリーを小突いて退場している。
  • ティーンエイジャーの時に交通事故のため右に傷痕がある。
  • シンシナティ大学では31番、レイカーズでは9番、ウォリアーズでは37番、ブレイザーズでは19番、ナゲッツ、マーベリックス、スパーズでは31番をつけている。ウォリアーズ時代とブレイザーズ時代、鎖骨を骨折している。
  • レイカーズ時代のHCだったデル・ハリスとは折り合いが悪く、ハリスとしばしば口論を繰り広げる場面が映し出された。因みにハリスとはマーベリックスでも共にしているが、この時はヴァン・エクセル自身も選手として成長していたのか、ハリスと対立することもなく、シックスマンの役割をこなしている。
  • レイカーズ時代、同じロサンゼルスに本拠地を置くロサンゼルス・クリッパーズ戦で、クリッパーズの選手やファンを小馬鹿にするジェスチャーをした為に、リーグから出場停止処分を受けたこともある。
  • 1998年のNBAドラフト開催日、ヴァン・エクセルはデンバー・ナゲッツが1巡目で指名したティロン・ルーとのトレードでナゲッツに放出されたが、これにも深い理由がある。同年のカンファレンスファイナルでユタ・ジャズと対戦したレイカーズだったが、4戦全敗で1991年以来のNBAファイナル進出はならず、その時ヴァン・エクセルは、観客の "ディーフェーンス!!" の声援に合わせ、レイカーズの選手や関係者がシーズンオフにバカンスに出掛けるメキシコカンクンに因んで "カ~ンク~ン!!!" のコールを連呼していたと言われている。勿論ながらチームメイトから不満の声が挙がり、敗退後にシャキール・オニールがフロント陣に「ヤツ (ヴァン・エクセル) を放出しろ!!!」と激しく要求したとされており、それがドラフト開催日のトレードに繋がったとされている。
  • 2005年夏、ヴァン・エクセルはサンアントニオ・スパーズと契約した際、ダラス・マーベリックス時代のチームメイトで、同年夏にアムネスティ条項を行使されてマーベリックスから放出されていたマイケル・フィンリーも呼び寄せ、悲願のNBAチャンピオンを目指したが、2005-2006シーズンのプレーオフは、セミファイナルで、そのマーベリックスに敗退し、ヴァン・エクセルは数日後に引退を表明。皮肉な事にフィンリーは翌年にスパーズでNBAチャンピオンを経験した。

脚注

関連項目

外部リンク