レギュラーメンバー

レギュラーメンバー(欧字名:Regular Member1997年6月16日 - 2017年7月11日)は、日本競走馬種牡馬[1]

レギュラーメンバー
第1回ジャパンCダートパドック
(2000年11月25日)
欧字表記Regular Member[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色黒鹿毛[1]
生誕1997年6月16日[1]
死没2017年7月11日(20歳没)
コマンダーインチーフ[1]
シスターソノ[1]
母の父ナスルエルアラブ[1]
生国日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者高瀬牧場[1]
馬主(有)ノースヒルズマネジメント[1]
調教師山本正司栗東[1]
競走成績
生涯成績24戦6勝[1]
獲得賞金5740万6000円(中央競馬
2億5800万円(地方競馬
0円(日本国外)
[1]
勝ち鞍
GIダービーグランプリ2000年
GI川崎記念2001年
GIJBCクラシック2001年
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2000年ダービーグランプリGI)、2001年川崎記念GI)、JBCクラシックGI)優勝馬である。主戦騎手は現調教師松永幹夫

祖母にロジータ、叔父にイブキガバメントカネツフルーヴ(同い年)らがいる。

競走馬時代

競走馬としてのデビューは3歳を迎えた2000年2月5日の京都競馬場での新馬戦ダート1800メートル)で、単勝2.7倍の1番人気に支持されると、後の主戦騎手となる松永幹夫鞍上のもと、2着以下に大差を付けて初勝利を飾った。その勢いで同月26日に行われた重賞アーリントンカップに挑戦するが、5番人気の支持を受けながらも最下位に沈み、また続く自己条件のゆきやなぎ賞(500万下)でも9着に終わった。

しかし、再びデビュー戦以来のダート戦となった沈丁花賞(500万下)では断然の1番人気支持に応えて快勝し、続く端午ステークスでもやはり1番人気支持のもとで連勝を飾った。以後、レギュラーメンバーはダート路線を進んでいくことになるが、翌戦の昇竜ステークスでは5着、初のダート重賞戦となった名古屋優駿ではアグネスデジタルミツアキサイレンスらを抑えての1番人気に支持されるが6着に敗れている。

その後休養を挟み、秋の初戦に迎えたユニコーンステークス[2]でも再びアグネスデジタルと対戦し、5着に敗れている。続くエニフステークスでも2着に敗れたが、11月3日に迎えたダービーグランプリではマイネルブライアンマイネルコンバットウインマーベラス、ミツアキサイレンスらを相手にしながら逃げる戦術をとり、最終的には2着に大差をつけてゴールする圧勝でGI競走初勝利を挙げた。

続くジャパンカップダートではウイングアローの10着と大敗、年末の東京大賞典ではファストフレンドに1馬身半差の2着に敗れるが、翌年初戦に迎えた川崎記念ではそのファストフレンドを半馬身抑えて優勝、GI2勝目を挙げた。3月、レギュラーメンバーはトゥザヴィクトリーとともにドバイワールドカップに日本代表として参戦した。本番ではそのトゥザヴィクトリーが勝ち馬キャプテンスティーヴからハナ差の2着に喰い込んで話題になった一方で、レギュラーメンバーは12頭立ての9着と見せ場なく終わった。

帰国後の初戦は7月のマリーンステークスで3着、続くブリーダーズゴールドカップも3着であったが、10月31日に迎えた第1回のJBCクラシックでは3歳時以来の1番人気に推され、ノボトゥルーやハギノハイグレイドなどを相手にしながらも、最後にはマキバスナイパーの追撃をクビ差逃げ切って優勝を果たした。しかし翌戦のジャパンカップダートではクロフネの圧勝から遠く14着と惨敗を喫し、以後休養に入った。

休養は長引き、レギュラーメンバーが再び競走に復帰したのは約1年2ヶ月後の2003年1月であった。しかし復帰戦の平安ステークスでは7着、続くフェブラリーステークスではブービー15着、その後も2桁着順が続くなど不振を極めた。そして大沼ステークスで8着に敗れたのを最後に、6月26日付けで競走馬登録を抹消され、引退することとなった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[3]に基づく。

競走日競馬場競走名距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順タイム
(上り3F)
着差騎手斤量
[kg]
1着馬(2着馬)馬体重
[kg]
2000.02.05京都4歳新馬ダ1800m(良)855002.70(1人)01着R1:54.3(37.6)-2.90松永幹夫55(ラジョーネ)526
0000.02.26阪神アーリントンCGIII芝1600m(良)12710014.10(5人)12着R1:37.4(36.4)-1.70松永幹夫55エイシンプレストン526
0000.03.11阪神ゆきやなぎ賞500万下芝2000m(良)1433006.40(3人)09着R2:02.9(37.7)-1.30松永幹夫55タニノソルクバーノ522
0000.03.26中京沈丁花賞500万下ダ1700m(良)1647001.90(1人)01着R1:47.7(39.6)-1.10吉田豊55(タウンズマン)524
0000.04.30京都端午SOPダ1800m(良)1446001.90(1人)01着R1:51.8(37.4)-0.50松永幹夫55(メイデンマサムネ)526
0000.05.21中京昇竜SOPダ1700m(良)16816001.90(1人)05着R1:46.9(39.3)-1.80福永祐一55マイマスターピース520
0000.06.14名古屋名古屋優駿GIIIダ1900m(重)125600 - 00(1人)06着R2:02.1-2.30松永幹夫55アグネスデジタル522
0000.09.30中山ユニコーンSGIIIダ1800m(良)16612010.60(5人)05着R1:51.8(38.5)-1.10松永幹夫56アグネスデジタル522
0000.10.14京都エニフSOPダ1800m(良)1122002.30(1人)02着R1:49.9(36.9)-0.50松永幹夫54エイキューガッツ524
0000.11.03盛岡ダービーグランプリGIダ2000m(稍)14814005.50(4人)01着R2:05.0-2.10松永幹夫56ミツアキサイレンス523
0000.11.25東京ジャパンCダートGIダ2100m(良)15713023.10(8人)10着R2:09.7(41.0)-2.50松永幹夫55ウイングアロー522
0000.12.29大井東京大賞典GIダ2000m(良)164800 - 00(2人)02着R2:05.2(38.5)-0.30松永幹夫55ファストフレンド521
2001.01.26川崎川崎記念GIダ2100m(不)11810002.50(2人)01着R2:12.9(38.5)-0.30松永幹夫55(ファストフレンド)520
0000.03.24ナド・アルシバドバイワールドCGIダ2000m(良)10-1000 - 00(-人)09着R2:02.8--0松永幹夫55Captain Steve計不
0000.07.28函館マリーンSOPダ1700m(良)1144004.70(2人)03着R1:44.8(38.5)-0.80松永幹夫59エンゲルグレーセ522
0000.08.16旭川ブリーダーズGCGIIダ2300m(良)103300 - 00(2人)03着R2:30.3-0.80松永幹夫58ウイングアロー516
0000.10.31大井JBCクラシックGIダ2000m(稍)1534002.20(1人)01着R2:05.2(37.5)-0.00松永幹夫57マキバスナイパー527
0000.11.24東京ジャパンCダートGIダ2100m(良)16815027.40(6人)14着R2:11.1(39.1)-5.20松永幹夫57クロフネ526
2003.01.26京都平安SGIIIダ1800m(重)15714036.10(7人)07着R1:51.1(38.5)-1.40松永幹夫59スマートボーイ542
0000.02.23中山フェブラリーSGIダ1800m(稍)16611023.00(9人)15着R1:55.4(41.5)-4.50松永幹夫57ゴールドアリュール526
0000.03.30中山マーチSGIIIダ1800m(良)1623022.7(11人)16着R1:57.3(43.7)-5.30横山典弘59.5スマートボーイ530
0000.04.19阪神マイラーズCGII芝1600m(良)1311248.0(13人)11着R1:34.3(38.4)-2.40石橋守58ローエングリン532
0000.06.12札幌北海道スプリントCGIIIダ1000m(良)112200 - 00(3人)06着R1:01.4-2.70松永幹夫59サウスヴィグラス532
0000.06.22函館大沼SOPダ1700m(良)844007.20(3人)08着R1:50.4(44.4)-6.40松永幹夫59ブリリアントロード522

種牡馬時代

引退翌年の2004年春から優駿スタリオンステーションで種牡馬となり、49頭に種付けを行った。後の2008年12月16日に青森県の山内牧場に移動した。

2005年に誕生したファーストクロップのうち、32頭が血統登録された。2007年7月16日に福山競馬場でバクシンスターが勝利し、これが産駒の地方競馬中央競馬通じての初勝利となった。また、10月24日には名古屋競馬場で行われたゴールドウイング賞を産駒のイーストミーが制し、初年度産駒にして地方・中央通じての重賞初勝利を挙げている。

腰を痛めたことが原因で、2012年限りで種牡馬を引退した[4]。その後は功労馬繋養展示事業の助成を受けて、2017年7月に死亡するまで青森県の山内牧場で余生を過ごした[5]

主な産駒

エピソード

ダービーグランプリでの勝利は、鞍上の松永幹夫にとって初のダートのGI級競走勝利、牡馬でのGI級競走勝利となった。

血統表

レギュラーメンバー血統(血統表の出典)[§ 1]
父系リファール系
[§ 2]

*コマンダーインチーフ
Commander in Chief
1990 鹿毛
父の父
*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave
1983 鹿毛
LyphardNorthern Dancer
Goofed
Navajo PrincessDrone
Olmec
父の母
Slightly Dangerous
1979 鹿毛
RobertoHail to Reason
Bramalea
Where You LeadRaise a Native
Noblesse

シスターソノ
1991 黒鹿毛
*ナスルエルアラブ
Nasr El Arab
1985 鹿毛
Al NasrLyphard
Caretta
Coral DanceGreen Dancer
Carvina
母の母
ロジータ
1986 鹿毛
*ミルジョージMill Reef
Miss Charisma
メロウマダング*マダング
スピードキヨフジ
母系(F-No.)スピードキヨフジ系(FN:4-m)[§ 3]
5代内の近親交配Lyphard 3×4[§ 4]
出典


脚注

外部リンク

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