ヴォージュ県

フランスの県

ヴォージュ県 (ヴォージュけん、Vosges) は、フランス北東部、グラン・テスト地域圏の県。名称は県面積の大部分を占めるヴォージュ山脈に由来する。

ヴォージュ県
Vosges
Vosges章
ヴォージュ県章
位置
Vosgesの位置
概要
県番号88
地域圏グラン・テスト
県庁所在地エピナル
郡庁所在地ヌフシャトー
サン=ディエ=デ=ヴォージュ
3
小郡31
コミューン515
県議会議長フランソワ・ヴァンソン
共和党
統計
人口
国内60位
  (2010年)
379,724人
人口密度65人/km2
面積¹5,874 km2
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
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歴史

1790年より以前の州で色分けされたヴォージュ県の図 :
  3司教領
  ザルム=ザルム公領

百年戦争時のジャンヌ・ダルクは、この地域の小さなコミューンであるドンレミ=ラ=ピュセルの出身である。

かつてのロレーヌ州の南部、いくつかのシャンパーニュのコミューン、フランシュ=コンテのコミューンを合わせて、1790年3月4日にヴォージュ県として新設された。神聖ローマ帝国に属するザルム=ザルム公領フランス語版ドイツ語版がロレーヌ内に飛び地となって残っていた。1792年にはフランス革命軍がザルム=ザルム公領を包囲したため、食料の供給が断たれた。1793年3月2日の国民公会によって、公領の併合が批准された。1795年、アルザスに属していたシールメック一帯がバ=ラン県からヴォージュ県に移った。

1871年、普仏戦争後のフランクフルト講和条約によって、ヴォージュ県の18のコミューン、シールメック小郡とサール小郡の半分(人口は合わせて約21000人、面積19415ha)がドイツ帝国に併合された。1919年のヴェルサイユ条約により、奪われた領土はフランスに返還されたが、バ=ラン県に属することになった。

地理

ビュサン峠

ヴォージュ県はムーズ県ムルト=エ=モゼル県バ=ラン県オー=ラン県テリトワール・ド・ベルフォール県オート=ソーヌ県オート=マルヌ県と接している。県は4つの河川の流域にまたがっている。ライン川モーゼル川、ヴォロニュ川、ムルト川である。

県域はヴォージュ山脈の一部である。県西部は丘陵地で森林に覆われている。東部は花崗岩質や砂岩質がちで、標高が高くなり、針葉樹林で覆われている。県の植林率は47%で、ギュイヤンヌ・フランセーズランド県ヴァール県に次いで国内第4位である[1]

人口統計

人口の増減
1962年1968年1975年1982年1990年1999年2006年2007年2009年2010年2013年
380 676388 201397 957395 769386 258380 952379 975383 304380 192379 724392 240
Nombre retenu à partir de 1968 : 人口の2倍カウントなし

主なコミューン

以下に人口5000人以上のコミューンの人口の変遷を記す。

コミューン人口
2007
変遷
2007/1999
コミューン人口
2007
変遷
2007/1999
エピナル33,528[B 1]   -6,3 %ヌフシャトー7,056[B 2]   -6,3 %
サン=ディエ=デ=ヴォージュ21,881[B 3]   -3,1 %ラン=レタプ6,710[B 4]==  -0,5 %
ジェラールメ8,738[B 5]==  -1 %ミルクール5,956[B 6]   -6,7 %
ゴルベ8,220[B 7]   3,7 %ランベルヴィレール5,669[B 8]   -5,7 %
ルミルモン8,104[B 9]   -5,1 %ヴィッテル5,586[B 10]   -9,5 %
タン=レ=ヴォージュ8,041[B 11]   3,1 %
Source : Insee[2]

関係者

出身者

居住者・ゆかりの人物

ギャラリー

脚注

出典

  • INSEEに掲載された2007年1月1日時点の人口