初期仏教

釈迦の生前から根本分裂の時期までの仏教、原始仏教

初期仏教(しょきぶっきょう、: Early Buddhism)とは、根本分裂による部派仏教成立以前、釈迦が生きていた時代を含む初期の形態をいう[1]

原始仏教根本仏教[2]とも呼ばれるが、「原始」「根本」という言葉にはさまざまな価値的な判断の意味が含まれるため、ここでは中立的な時間的に先であることを示す「初期仏教」という用語も使用される。しかし、必ずしも時代区分ではなくオリジナルという意味で「原始仏教」という用語を用いる学者も多い。Stanislaw SchayerとJ. W. de Jongは初期仏教を原始、根本と見る見方に福音主義の影響を見ている[3]

前史

紀元前13世紀以前には、インド・ヨーロッパ諸語のひとつである古インド・アーリア語(サンスクリット語)の話者であるリグ・ヴェーダの伝承を有する人々がインド亜大陸に入り、ドラヴィダ人との同化が始まるブラーフマナ時代(紀元前900年 - 紀元前500年)には、現在のアフガニスタンバルフから多神教のヴェーダの宗教ザラスシュトラの興した一神教・ゾロアスター教の原型でもある)を奉ずる民族が十王戦争においてインドに侵攻し、ガンジス川流域への移住した人々によって先住民族であるドラヴィダ人を支配する封建社会体制が形作られ、司祭階級バラモン(ブラフミン)を頂点とするカースト制を持つバラモン教がインドで形作られていった。紀元前5世紀になると、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成した。

しかし、ヴェーダの宗教的権威に従わない人々(ヴァルダマーナ<マハーヴィーラ>、マッカリ・ゴーサーラガウタマ・シッダールタ<釈迦>)も同時期に登場し、サマナ(沙門)運動が起こり、ジャイナ教(より正確にはジナ教またはジャイナ)・アージーヴィカ教仏教といった反ヴェーダの立場をとる宗教を開いた。このように、当時のインド四大宗教はほぼ同時期にそろって誕生したのである。

歴史

紀元前500年の十六大国の領域。釈迦はマガダ国(Magadha)王子であった。

釈迦に始まる初期仏教

仏教は、約2500年前(紀元前6世紀頃)に釈迦がインド北部ガンジス川中流域のブッダガヤ悟りを開き、サールナート初転法輪(初説法)を行ったことに起源が求められている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典では、このとき五比丘(5人の修行仲間)に説かれた教えが、中道八正道四諦三転十二行相であったとされている。

釈迦と五比丘、すなわちコンダンニャワッパバッディヤマハーナーマンアッサジの6人が阿羅漢となり創設された初期仏教教団は、シュラーヴァスティージェータヴァーナー寺院を教団本部とし、インド各地で布教活動を行った。これら釈迦の生涯において重要な各地を八大聖地と呼ぶ。

最初期に説かれた教え

初期仏教の教えとされるものについては、最初期のものと、それより少し時代が下がったものとが、混在している。最初期のものではない経文については、整理され、体系化された経文として後世に伝わっていった。そうした中にあって、実際にゴータマ・ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)が説いた教えは、体系化された経文よりは、かなり素朴なものとなっている。それは、時に応じ、相手の置かれている状況に応じた、相手の心を読んだような説話であったとされる[4]。それらは、仏の説法とも、衆生ごとの心の問題に応じた説法(機根対応の説法)ともいわれるものである[5]

衆生ごとの心の問題に応じた説法(機根対応の説法)

ゴータマは、面対する相手の心に応じて対話をした。それには、いろいろなケースがあった。学問のある知識階級に対しては、哲学的な用語を用いて語ったときがあった。知識階級ではあっても、理屈ばかりの者(実践の欠けているもの)には、その者が実践せざるを得ないように、矛盾した回答をしているときもある。また、その人にとって、論理的な説明がかえって害をなすと思われる場合には、黙して返事をしない、という神秘的な対応をする場合もある。また、知識のない者や、チューラパンタカの場合のように知能の低い弟子には、単純な句を唱えながらの掃除の修行を命じることもあった。ゴータマはこうした指導方法をとったとされる[6]

スッタニパータ』の例としては次のものがあげられる。№1084~№1087においてゴータマは、ある者に対しては「心の解脱を求めよ」、と説いている。しかし、№1088~№1091において、ある者に対して、「心の解脱というものはない」と説いている[7]

並立していたさまざまな集団

中核となった集団

ゴータマらは、毎年雨季には一カ所にとどまって、定住生活(雨安居)を行い、それ以外の時期はつねに伝道のために各地を遊行して回ったとされている[8]。遊行をするゴータマに付き従っていたのは、少人数の従者であった。そうした従者として、経典に記されているのは、アーナンダくらいであったとされている。[9]。ゴータマは、「過去の世にも、さとりを開いた者には、その人に侍り使える最上の従者(賢者)がいた」と、いうことを語った。彼は、布教の補佐をしていたアーナンダのことを、「賢者」と認可していた。ゴータマを中心としたこの集団は、遍歴をしながら、「天」より指導された、「慈悲の教え」を実践していた集団であった[10]

ゴータマの教えをうけていたさまざまな集団について

ゴータマには、「人は同類の人と交わり一体となる」という考えがあった[11]。ゴータマは、新たに入門してきた人たちを、比丘となる前に属していた集団や、比丘尼の集団、修行の段階ごとの集団、などの特性にしたがってそれぞれのグループとし、その集団ごとに、まとまった生活や修行をさせていたようである。

あるときゴータマはギッジャクータ山にいて、弟子の集団を見ていたという。ゴータマからあまり遠くないところで、サーリプッタ(大いなる智慧を持っている比丘の集団)、モッガラーナ(大いなる神変を持っている比丘の集団)、カッサパ(林野に住み、厳しい修行生活を説く比丘の集団)、アヌルッダ(神秘的な天眼を持っている比丘の集団)、プンナ(説法者とされる比丘の集団)、ウパーリ(戒の保持者とされる比丘の集団)、アーナンダ(教えを多く聴く者、とよばれる比丘の集団)、デーヴァダッタ(ゴータマの信条とは異なる戒律方針の比丘の集団)等など、の集団を見たとされています。かれらは、それぞれが多くの比丘たちとともに修行をしていた、とされる[12]

サーリプッタの例でいうと、彼は、モンガッラーナと、それまで属していたとされるある団体の弟子たち、250人とともに、ゴータマの弟子となったとされる[13]。そのため、ゴータマは、その集団を一個の団体として扱いました。彼は、基本的にはその集団の人たちの状況に合わせて、心の問題に応じた説法を行っていた、と見ることができる。また、ゴータマは尼僧の集団をはじめてつくったとされている。これは、当時のヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、東アジアを通じて、尼僧の教団なるものは存在せず、世界の思想史において驚くべき事実である、とされている[14]。尼僧の集団については、集団をけん引する指導者がはっきりせず、アーナンダが説法をしていた記述がある。修行に未熟な比丘尼が多かったようである[15]。それぞれの集団の指導方法は、それぞれの集団の指導者にゆだねられていたようである。尼僧の集団についての例を挙げると、カッサパは解脱の状態や神秘的な能力とに関して、「ゴータマと等しい」とゴータマから認められた開悟者とされたが、衆生への説法においては問題があった。カッサパは、林野に住み、厳しい修行生活を説く仏教を専門としていた。しかし、「衆生の救済という慈悲の教え」、という面では、アーナンダに及ばないところがあった。彼の話を聞いた幾人かの尼僧は、ブッダの下での修行をやめて、俗世に戻ってしまったことが記されている [16]

デーヴァダッタの属していた集団は、悪人の集団と表記されているが、伝説にあるような悪行をなしたわけではないとされる。デーヴァダッタの悪行の伝説が創作されたのは、彼の死後であるとされる。ゴータマ自身としては、厳格な修行者としてのデーヴァダッタも受け入れ、その心境に応じた説法をなしていったようである[17]

初期仏教からの展開

釈迦死後の教団運営

釈迦がクシーナガラで死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ; Early Sangha)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「三蔵の結集」(さんぞうのけちじゅう)と呼ばれ、十大弟子の一人、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。

仏教経典ができるまでの数世紀間の教えの伝わりかた

多数ある経典の中で最も古いとされている『スッタニパータ』の中には[18]、ゴータマが語ったとされる初期の言葉が伝えられている。この経典には、最古層の仏教思想とともに、最初期の仏教教団の状況についても、伝えられているとされている。[19]。また、「ダンマパダ」も、「スッタニパータ」とともに、現存経典のうちの最古の経典といわれる[20]。大蔵経の中では、『パーリ語三蔵』が最も古くまとめられたとされ、その中で最も古いのは、『サンユッタ・ニカーヤ』における第一集であるとされている[21]

仏典作成の発端となった何回かの結集において、はじめのころは、各弟子が記憶していた教えを直ちに文字として記録することがなかった。弟子たちの記憶にもとづいて弟子から弟子へ口伝されたのである。そのため、初期のものとされる経典は、記憶しやすいように短い詩の形式にまとめられるものが多かった。この記憶による伝承は数世紀間続いたとされ、その間には、弟子たちの思想も混入したと考えられている。伝承されてきた教えがはじめて文字として保存されるようになったのは、前一世紀頃だといわれている[22]。ゴータマが死亡したのは前383年と考えられている[23]ので、ゴーダマの死から200年以上は、文字としての経典は成立していなかったことになる。

根本分裂

釈迦の死から約100年後のアショーカ王(前3世紀)のころ、仏教教団(プレ部派仏教英語版)は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂した。これを根本分裂と呼び、それ以前を初期仏教、以後を部派仏教と呼びならわす。

大乗仏教

さらに釈迦の死後約500年経った西暦紀元前後になると、「大乗仏教[24]と自ら宣言をする集団が現れる。大乗仏教は論敵とした説一切有部などの上座部を「専門的な煩瑣な哲学論議に陥ち入り、自己の解脱を中心にしている小乗仏教」[25]として批判した。

インドにおける仏教への弾圧

国際交流の時代

西域の亀茲国(トカラ語B方言が話されていた)で3世紀頃から仏典の翻訳が盛んになったことは、キジル石窟敦煌文献から知ることができる。亀茲の仏僧鳩摩羅什サンスクリット語から漢訳した訳経を「旧訳」(くやく)と呼ぶ。

老荘思想との関係

仏教における禅宗は、仏教伝統を受けつぎながらも、荘子を頂点とする中国思想と深く交流することによって、はじめて成立したものであるとする見解がある。それによると、禅宗における悟りと関連した概念(「不立文字」「見性仏性」等)と、荘子における無為自然との合一という概念とには、相通じるものがあるとされている[26]。また、荘子において、「至人は、物との調和を保ち、その心が無限の広さを感得することをもって善しとする」という概念があり、こうした思想は、後代になって、解脱を目的とする禅宗の成立に大きな影響を与えたとされる[27]

教義

善きことをなすことについて

ゴータマがさとりを開いたときのことです。ゴータマが最初の説法をしたときよりも、さらに後におこったとされる鹿の園での出来事です。そのとき、ゴータマは、悪魔の誘惑を受けたとされています。この伝説は、たとえ悟った人であっても、悪魔の誘惑は依然として存在していることを示しています。そして、それらの誘惑を断固として斥けつづけてゆくことのうちに、真のさとりがあるとされている[28]

初期の教えにおいて、悟りの道を歩んでゆく人の道筋には、世間を覆っている無明というもの[29]から抜け出るまでは、「身体的な自己」を調整して制御してゆくことが、その始まりにあるとされた。「本来、実体的な我というものはない」という高次の観点を体得していない場合、人間は、「身体的な自己は実体的なものである」と考えやすいためです。そして煩悩の汚れを滅ぼしつづけることにより肉体的自己という窟のうちに留まっているたましい(霊)を解脱するという観点から、「真人の我」となることを目的としてゆくということが、悟りへの道であると説かれていた。「真人の我」を探求してゆくことが初期の修行者の目的であったとされている[30]。真の悟りとはさとりの道を歩むことであることのもう一つの大きな特徴について、ゴータマは述べている。それは、衆生にあっては、「三つの束縛」というものが悟りの道に参入することを阻んでいる、ということの認識の重要性についてである。「三つの束縛」とは、(1)肉体的な自身を実在とみなす見解 (2)教えに対しての疑い (3)外面的な戒律をまもることや、外面的な誓い、という三つのことがらを指している。これらのことがらが障害となっている、とゴータマはしている。そして、これらのことについて学ぶだけで、自他を含めたすべての修行者が、「聖者の流れ」に踏み入ることになる、とされていた。当時、死んだ500人以上の在家信者たちについて、ゴータマは、次のように述べている。「彼らは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、聖者の流れに踏み入ることのできた人たちなのである」と。また、そうした人は、死んだあと「悪いところ{地獄など)」に堕することのないきまりがある。やがて必ず、彼らは、さとりを達成するはずである、と、ゴータマは語ったとされている[31]

また、涅槃についても、「無余涅槃(余すところなく無に帰する涅槃)」をしりぞけ、たましいの最上の境地としての「有余涅槃(慈心の余地の残る涅槃)」にとどまって、活動してゆくことが目的であるとしていたとされる。小乗仏教の伝統説では「余すところなく無に帰する無余涅槃」に入ることが修行の目的であったが、ゴータマはそうした涅槃に入るという見解は偏見であるとして排斥した[注 1]


ゴータマは、自身の目的について、次のように述べている。「たましい(霊)の最上の清浄の境地」のうちにあって、多くの人々の幸福のために、世間の人を憐れむために、清浄な行いを存続してゆくことが目的である[32]

ゴータマは、修行に関係している者全体が、清らかな行いをとおして八つの正しい道を修めることになるであろうとした。そして、自分自身も善き友となるように、善きことをなすのに務め励むならば、八つの正しい道を盛んならしめることになることを教示した[33]

双考経においてゴータマは、在家の当時、苦行の修行をする以前に、菩薩としての修行を始めていたことが語られている。出家してから、苦行しかしていないと思われがちであるが、ゴータマの意識の中では、菩薩として修行をしていたとされている。ゴータマは、菩薩としての修行中に、人間の中に常に湧き上がってくる思念について、善なる思いと悪なる思いのあるという観点から、対策を講じたとされている[34]。ゴータマは出家する前にすでに初禅の境地を体得していたとされている[35]。これは、初禅の段階にて、止観によって、善なる思いと悪なる思いを弁別し、正見のありかたを育んだということとされている。

菩薩としての修行を、「悟りの道を歩み始めた」と言い換えるならば、八聖道を盛んならしめる前提として、人間の中に常に湧き上がってくる思念について、善なる思いと悪なる思いのあるという観点から、対策を講じるステップが必要であるということである。

「有余涅槃(慈心の余地の残る涅槃)」だけでも人のたましい(霊)は清らかとなるけれども、その上に立って人類を救済してゆくことが、修行の目的であるとゴータマは考えて、実践していた。また、アーナンダは、ゴータマ・ブッダの臨終のときに、「無余の涅槃にお入りください」といった。しかしこれは、ブッダに対する罪であったとされている。このことは、真の修行完成者にとっては、自己消滅することではなく、肉体が自然の中に還元された後も、指導的な霊として世界の協和に務めてゆくことが目的であることを示している。

「清らかな行い」と「さとりの道」

初期仏教においては、「仏は、人々を救済することができない」とされていた[36]。それぞれの人は、他者によって救われるのではなく、各人が「清らかな行い」により、「さとりの道」を歩み続けることが大切であると説いていた。ゴータマは、人類全体が清らかな行いにつとめはげみ、「さとりの道を歩み続ける真理」(苦集滅道)が広がってゆくことを、彼の布教遍歴の目的としていた。そして、「善友を作ること」とは、道を求めるものにとっても、指導者にとっても、そうした生き方のすべてであるとした[37][注 2]

ゴータマは、仏教という特定の立場を設けることをしなかった。ゴータマは、他の宗教の実践者を否定せず、いかなる宗教をも容認する立場を取っていたとされている。ゴータマ・ブッダの教えの特徴としては協和の精神があげられている[38]。社会的には共同体を和の精神をもって運営してゆくことをはじめとして、生き物を殺さないという観点からは、他民族との平和というものが念頭にあったことが考えられる。人間の守るべき理法は永遠のものであり、それは「諸仏の教え」としてすでに往時から実践的に体得されてきたとされている。特定の宗教を立てず、いかなる宗教をも容認するということは、いかなる宗教も、「理法における神の性質」の働きかけの面を尊ぶことを有している、とする考えにつながっている。

「私(ゴータマ)を善き友とすることによって、生老病死という性質を持っている人は生老病死から解脱するであろう。また、私を善き友とすることによって、悲しみや嘆きや苦しみや悶え、という性質を持っている人々は、悲しみや嘆きや苦しみや悶え、という性質から解脱できるであろう」[39]、と語ったとされている。そのことは、晩年にいたるまで国々を遍歴し、衆生と対話を重ねていたゴータマにとって、自他ともに善き友になってゆく世の中になることが、実践的な仏の教えの目的となっていたことを示している。

「さとりの道」に到達することができた、というだけの人であっても、「さとりの道」に到達することができたというだけで、何転生かののちには必ず悟りに到達すると、ゴータマは説いていた。そうしたことから、修行完成者の立場から見た場合、「清らかな行いの全体」というものは、今世の努力のみにとどまらないものであった。修行者は、この先何転生にもわたって、「さとりの道を歩み続ける」ものであるとされた。人類全体でみると、光に向かう人間全体が何転生にもわたって清浄行に努めていると見ることが出来る。

ゴータマが伝道のために遍歴をし始めたのは、梵天という天の存在によって、遍歴を勧められたことに端を発します。ゴータマは弟子たちにも、遍歴を勧めている。「わたしは、天界の絆、人間の絆、すべてのきずなから解放されている。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸せのために、世間の人々をあわれむために、神々および人間の利益のために、幸せのために、あなたがたは、遍歴をなせ。」と修行僧たちに説話をした[40][注 3]

最初期の仏教は、教義を信じるという意味での「信仰」なるものは説かなかった。教えを聞いて心が澄むという意味での「信」を説いていたとされる[41]。そのため、仏を信じたから救われる、という見方はしていない[注 4]

「さとりの道」以前の「悟り」について

ゴータマは、自然の中にて行っていた禅定中に、ブッダとなったとされている。そのときの悟りとしては、以下のようである。「わたしは、このダルマをさとった。わたしは、このダルマを尊ぶこととする。わたしは、このダルマを敬うこととする。わたしは、このダルマに頼って暮らすことにした」と。この場合の悟りとは、諸仏よりも上位に位置する最高原理(ダルマ)について悟ったということになる[42]。「悟り」に最も近いサンスクリットの原意は、「目覚めたるもの」という名詞であるとされるが、その反対語としては、「目覚めていない状態のもの」という語が考えられる。一般に、目覚めていない状態とは、肉体の目は開いていても、眠っているために、心の働きが外界の動きに反応しない状況であると考えられる。何ものかに覚醒することとなったゴータマの悟りは、それまでは見えていなかった諸仏よりも上位に位置する最高原理の働きを、眼前の風景の中や己自身のうちに感得することができるようになった、ということができる。

「理法としてのダルマ」、ないしは「頼れる存在としてのダルマ」について、人が悟ったことを大悟であるとするならば、理法を尊重し、敬意を払い、これに頼って暮らすことは、日常的に「さとりの道を歩む」ことであるとみることができる[43][44][注 5][注 6]

ゴータマは悟った後に、何をする気力もなくなったとされている。「世界の主」とされる存在は、ゴータマのその微妙な心の動きを感じ取りました。そして、「世界の主」は、ゴータマのその心の動きに呼応するかのように、瞬間的に、出現したとされる。このときは、「世界の主」は、衆生に法を説くように指導しただけで、その姿をどこかに移動させた。

この出来事は、六神通により開いていた「清浄で超越的な天眼[45]」による指導的な霊的存在との遭遇であると見ることができる。ゴータマの回想によると、ゴータマは、大梵天として、7回の転生の経験があるとされている。大梵天として生まれるとは、世界の指導者として活動すると言い換えることができる。大梵天とは、成立した世界に後から生まれる「この世の指導霊の中心的存在」といったところである。「世界の主」という語は、西洋的には訳しにくい語であるとされていて、「この現実世界の主」という意味を持っている[46]当時の人々は、「梵天」について、多神教的な「世界を創造した主神」と考えて尊崇していたとされる。また、多神教では、「この現実世界の主宰神」とする見方もある[47]。世界の主がこの世の創造神ではないとした場合、世界の主は、万古不滅の法・諸仏の悟りに住した存在であると言い換えることができる。

世界の協和

慈悲の教え

苦行の7年間「慈心を育んでいた」という詩句が残されているので、「慈悲の教えを実践すること」は、当初より、ゴータマの修行の中心的位置を占めていた、とする見解がある[48]。また、ゴータマが、「亡くなる前に到達していた境地」は、「慈悲の境地」である。「慈悲の境地」とは、具体的には、①遍歴すること(タクハツユウギョウ)、②苦しんでいる他人の心を心眼で読み取ること(タシンツウ)、③苦しみの原因をつかんで、それを超える道を歩むこと(クシュウメツドウ)、④相手のその時の置かれている状況に応じた説法をし続けてゆくことを指している。

カッサパは、悟りの理論と六神通(超能力)とに関してゴータマと等しいとゴータマから認められているとされたという [49]。あるとき、カッサパは、自らの悟りの内容について、アーナンダに対して説明をしている。そこには、空間の無限性や意識の無限性を超越した境地や、宇宙期、他心通、心の解脱と智慧による解脱とを達成したことが記されている。カッサパはバラモン教の修行を長く行ったのちに、ゴータマの教えに入門した。彼は、ゴータマと出会ってから八日目に開悟したとされる[50]。彼は、仏教教団が定住生活に移行した後も、林野に住み、厳しい修行生活(頭陀行)を送っていたとされる。バラモンの修行経験は長かったようであるが、慈悲の体現については、無関心だったようである。そのことは、ゴータマが最終的にそこに住したと思われる「慈悲の境地」には至っていなかったと見ることができる。六神通により「清浄で超越的な天眼[51]」を有する者であっても、「天の存在による啓示」という出来事がなければ、バラモン教としての枠組みを超えて、「慈悲の心」に到達することができないことを示している。


ゴータマの弟子の中では、ゴータマを「大仙人」ととらえる弟子と、「慈悲深い仏」と捉える弟子とがいたようである。「世界を指導している霊的存在と等しい」とする見解もあった[52]。ゴータマは慈悲心ありとしている仏弟子には、スニータ長老[53]、 アディムッタ長老[54] 、アングリマーラ長老[55]、プッサ長老[56]、アーナンダ長老[57]、アンギーラサ長老[58]等、ごくわずかの人しか数えることができない。慈悲深い存在としてのゴータマは、諸仏の一人であると考えることができる。

歴史的人物としてのゴータマは、臨終に際しても仏教というものを説かなかったとされている。彼が明示したのは、八正道の実践をする人を「道の人」と呼んだことである。その道はいかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道であるとしていた。そして、そうした実践は、これまでのインド社会に現れた「覚者たち」の歩んできた道であった、としている[59]

諸仏はダルマを頼る

ゴータマが、はじめて「この世の主」と遭遇してから、5週間ほどした時のことである。説法に関して、ゴータマは、次のような否定的な思いが、心に浮かんできたとされています。それは、「指導者の長として、人々に、道を説くということは、やり切れないことである」ということです。そのとき、まだ自分は完全な悟りを開いてはいないと、ゴータマ自身は考えていたようである。そして、このときも「世界の主」は、瞬間的に心を読み取って、出現したとされる。ここでゴータマは、自分以上の悟りの境地を持った存在がいるという認識を示した。それは、「自分以上に、戒律(八聖道と止観)・禅定・智慧・解脱の体系を完全に実施している境地を持った存在」がいることについてです。また、「自分以上に、われは解脱したと確かめる自覚(智慧と直感)の体系を完全に実施している境地を持った存在」がいること、についての認識である[60]。ただ、この場合のゴータマが、「諸仏」と考えられている存在は、バラモン教等の「大仙人」や、「過去七仏」とされる存在についてであった。これとは異なり、同じ語句を使ってはいるが、「世界の主」の唱えたとされる詩句に出てくる「諸仏」とは異なっていると言うことができる[61][注 7]

ゴータマは、自分以上に理法を悟った「ブッダたち」の存在について語った。そのことは、ブッタたちの悟りにも段階があることを示している。そこでゴータマは、より高次の悟りの境地を追及するよりは、むしろ、この「ダルマ」に頼って暮らし、この「ダルマ」を尊び、この「ダルマ」を敬い暮らすことにしたとされている。これは、八正道で言うと、正しい生き方(正命)であるといえる。全体として見ると、「ブッタたち」よりも上位に「ダルマ」が位置している。そして、慈悲心を捨てない「諸仏」はダルマに頼って生きてきた、ということが示されている[62]。そういうふうに見ると、諸仏の悟りの段階と、最高原理を頼って生きる心の段階とには、大きな関連があると見ることができる。「諸仏がダルマを頼って生きる」とは、「ダルマ」における神的側面として、ダルマが、万物を守り育てる意志というものが前提とされている。


過去に諸仏となった存在は、世の人々を憐れみたもう方々であるとされている[63]。このことは、過去に諸仏となった存在には、人々を憐れむという想念があることを示している。また、「世界の主」とされる存在は、言及した、慈悲の想念から脱しない「諸仏の存在」のきまりについても。「世界の主」は、その詩句の中で、ダルマに頼って生きるという心の境地は、「過去に諸仏となった存在」にとって不可欠な条件であることを教示している。彼は、「真理であるダルマ」に頼ることは、「過去・現在・未来の仏」にとって、彼らが、正しい教えを重んずることになる、とした[64]。それ故に、「諸仏の存在にとってのきまり」とは、「仏の教え」を憶念して、「正しい教え」を尊重するのである、と、彼は教示した。

「諸仏の存在」とは、この世においてためになることを達成しようとする偉大な境地を望む存在のことを指している。この個所で「世界の主」が語った「仏の教え」とは、「諸仏の教え」を指していると考えられる。「諸仏の教え」とは、「すべて悪しきことをなさず、善きことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏の教えである(ダンマパダ183)」ということである[注 8][注 9]

「諸仏の存在」においては、この世においてためになることを達成しようとする「偉大な境地の段階」があるということである。そのことは、有余涅槃(慈心を無くさない涅槃)に止まる諸仏においては、偉大な境地に向かう悟りの段階があるということを示している。

この世に住む者を害し、支配する「わな」

人は、世の中のいかなる物事について「執着」すると、それによって、「マーラ(悪魔)」につきまとわれてしまうとされている[65]

「マーラ(悪魔)」は、「修行者」の地位名誉などが上がり、それによって「修行者」の世間的な利益が実現するように、策略している、とされています。「マーラ(悪魔)」は、「修行者」の五つの欲望を対象とした煩悩を増大させるようにたくらんでいるものである、とされている。「マーラ(悪魔)」の目的とするのは、「修行者」を支配することによって、自分の支配欲等を満たすことであるとされている。ゴータマが悟る直前に「マーラ(悪魔)」の誘惑や、攻撃を受けたとされています。「マーラ(悪魔)」にとって、ゴータマが悟って、教えを説いてしまうことは、支障のあることだったからです。そうなってしまうと、「マーラ(悪魔)」にとっては、人間をだまして支配することがやりずらくなってしまうからだと説かれている[66]。この世に住んで、自らの修行を全うしようとする者には、かならず、こうした「マーラ(悪魔)」の支配のわなが付きまとっている、ということをゴータマは説いている。

双考経」では、「初禅」において、ゴータマの、内側から悪い道に行こうとする「心の傾向」が、「止観」されたと、説かれている。人間のその悪い道は、外側にも存在し、それは、邪悪な見方、邪悪な思い、邪悪な言葉、邪悪な業務、邪悪な生活、邪悪な励み、邪悪な思念、邪悪な精神統一(定)であると、ゴータマによって、説かれている[66]。人間の内側には、悪への誘いのささやきに満ちており、人間の外側には、悪の支配のわなが多数ある、といえる。また、「第一禅」の境地の体得には、いわばその前提として、「マーラ(悪魔)」のわなについての考察が不可欠であったと言うことができる。

悟った後も、わなは無くなることはないので、悟る前の人間は、世間の中で暮らしていると、自然に、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四つの落ち行くところにいきつくとされていた。また、それよりはましな人間界と天界の二つの境界は、なんとかして得ることができる、とされていた[67]

初期の世界観について

ゴータマは、弟子の直面する問題に合わせて、その都度、関連のある事柄を語っていた。そして、実践を重んじ、単なる理論体系を述べることは避けていた。そのため、初期の経典の中には、世界観について体系的に述べたものはない。

「頼れる存在としてのダルマ」について

人間にとってダルマは、理想の境地に導くものである。人間にとってダルマは、現にありありと見られるものである。人間にとってダルマは、実際に確かめられるものである。諸々の智者にとってダルマは、各人が「みずからでしか証できない事柄」である、とされる[68]

原始仏典によると、「仏」とは、ある場合には、「仏の現実的な体や形」ではなく、それを超えた存在を意味していることもありました。それは、人や霊体ではなく、「絶対者(法身にあたるもの)」が意味されていることもありました。その語源は、「主」を意味するものである、とされている[69]

初期の経典では、「頼れる存在としてのダルマ」と関連して、直感的に認知できる「神の存在」についても、その存在が説かれている[70]。ゴータマは、「智者によって一方的に神はいると感得される」と説いている。「智者によって」とは、「第四段階の禅定ののちの第三の明知を有する者」等によって、直感的に理解される事柄であるということができる。

悟りの内容の最後の方に、「第三番目の明瞭な知」が生じた後、無明と闇黒が滅び、「光明」が生じた、と説かれている[71]。ここに言われている「光明」とされるものが、「神の意識(神の存在)」と同じものであるとする見解がある[72][注 10]

仏弟子のことばに、「理法(ダルマ)は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす」(テーラガーター 303)の句がある。ここでは、理法(ダルマ)が、ほとんど「頼れる神存在」と見なされている。後代の仏教において、アッサムやスリランカなどの地域で、「ダルマ」が「人格神のような存在」と見なされるに至った源泉に、この詩句がある、とされている[73]。これは、ダンミカ長老における、実践からくる信念とされている。ダンミカ長老の告白以外に、「頼れるダルマ」について言及している弟子については、見当たらない。しかしそうした中にあっても、ゴータマが、「最後の旅」で語ったとされる、「自らをたよりとし、法をよりどころとする」という言葉は、「頼れるダルマ」という言葉に通じるものがあるといえる。

また、ゴータマは、自らを、「姓は太陽の末裔」であり、「種族は釈迦」であると、ある人に名乗っていた。ゴータマが、自己紹介をする場面で、自分の姓を名乗るということは、ゴータマが自らにつけていた姓がこれであったいうことができる[注 11]。また、これは、ゴータマには、「太陽信仰」があったことを示している、とする見解がある[74]。ここでの、「太陽崇拝」には、以下の三つがあるといえる。①信者が、「頼れるダルマ」の発する光を、太陽のごときものとして崇拝する。②諸仏の発する光明を、太陽のごときものとして崇拝する。③万物をはぐくむ光を放ち続ける物質世界の太陽を、拝む。これら三つのことがらは、慈悲を与えるという面から見ると、同系統のものであるといえる。そのため、「最高原理」の多面性には、「太陽神」としての表象もあるとみることができる[注 12]

ブッダについて

初期仏教には、「三宝に帰依する」という観念の成立する以前の初期の段階がある。そこでは、「眼ある方(すべてを観通せる目を持つ方)」、もしくは言葉を変えて、「尊い師匠」に帰依する、という入門の方法が行われました[75]

ゴータマが、「ブッダたち」という語を使うときは、「過去七仏」について語っていました。そして、ゴータマは、彼らは、「涅槃・消滅の内にその存在を消している」と、考えていたとされている。

真人たち

漢訳の用語である「阿羅漢」は、もとは「真人たち(真実の自己となった人たち)」という語を、中国の人が、訳したものである。しかし、インドにおける、最初期の人たちは、「ブッダ」と「真人たち(真実の自己となった人たち)」とを、同じ意味の言葉として、用いていた。初期仏教におけけるこの二つが、別のものとして使われるようになったのは、中国語に翻訳されてからである[76]

「等正覚者」とは、「正しくさとった人」のことを漢訳したものであるとされる。初期には、「阿羅漢」と「等正覚者」とは、区別されていなかった[77]

賢者について

ゴータマは、「賢者」というものについて、それは、古来より、「諸仏としてのさとり」を開いた者に侍り使える「最上の従者」のことであるとしていた。ゴータマは、過去の世にも、アーナンダと同じように、「さとりを開いた者」に侍り使える「最上の従者」がいたことが語られている[注 13]。そして、この賢者には、以下の四つの不思議な特徴があると、ゴータマは、語った。①「それぞれの衆生」が、「修行完成者」に教えを乞うべき時と機とを、彼は察知することができた。②衆生は、賢者に出会っただけで、心が喜ばしくなる。③衆生は、賢者の説法を聞いただけで、心が喜ばしくなる。④衆生は、賢者が沈黙していても、飽きることがない。衆生は、そのような時も、賢者を見ているだけで飽きることがない[78]

教えを受ける人について

教えを受ける人

在家の信者と、出家した僧侶を問わず、彼らは一括りで「教えを受ける人(仏弟子)」、と呼ばれる。彼らすべては、「ゴータマの教えを聞く人」として同一の立場の者と捉えられていました。「(ゴータマから)教えを受ける人(教えを聞く人)」というインドの言葉は、後代の「声聞」の意味に該当していた[79]

縁覚(師なくして独自に悟りを開いた人)

初期には、「縁覚」という用いられ方はしなかった。また、ゴータマの弟子の中で、悟りを開いた人を、「孤独でする修行」を経た人であったので、「独りで覚った人」と呼んでいた。「独りで悟った」というのは、最初期の理想であった。そのため、後代の「独覚(独自に悟りを開いた人)」とは必ずしも一致しないとされている[80]。後代になって、「縁覚」を、師なくして「独自に悟りを開いた人」のことを指すようになった。一人で道に到達し、悟りを得る「縁覚」と、仲間と修行して道に到達し、悟りを得る「縁覚」とがあるとされる[81]。後代においては、階位としての「縁覚」は「菩薩」の下、「声聞」とされる。

初期には「如来」と「声聞(ゴータマの教えを聞いて実行する人)」とを区別してはいなかった[82]

菩薩について

「ブッダ」、「縁覚(独りでさとりを開いた人)」、「声聞(教えを聞いて実行する人)」が列挙されているのに「菩薩」が挙げられていない経文がある[83]。そのことから、初期には、悟りの段階ということは明確になっていなかったと考えられる。初期の経文では、「世界の主」、「諸仏たち」の下に「賢者」がいて、その下に「独りでさとった人」と、「教えを受ける人」の階位が漠然と考えられていたと見ることができる。 

在家信者に対して、「さとりを達成する」「さとりを究める」と説いている経文がある[84]。これは、こうした在家信者に関しては、一旦梵天の世界に入り、何転生かの後に、さとりを達成する、という意味である。また、同じ個所で、「余すところなく無に帰する無余涅槃」を求める出家者に対しては「ニルバーナ」に入り、この世に戻ってくることはない、としている。このことは、「教えを聞く人」となって、「菩薩の悟り」を目指す何転生かの「さとりの道を歩む人」と、「想受滅」から「余すところなく無に帰する無余涅槃」を目指す「今生のみの大悟の道を歩む人」とを区別していたことを示している[注 14]

菩薩については、在家の当時、初禅の境地に達したゴータマのことを菩薩と言うくらいである[85]。初期においては、在家において、「諸仏の教え」に即した初禅の境地に達するまでになった人のことを、菩薩と考えたと見ることができる[注 15][注 16] 。また、「法の鏡の法門」では、「三つの束縛」を脱することが聖者の流れに入る第一条件であるとされる[86][注 17]。 

「世界の主」と「諸仏たち」について

初期の経典において、梵天界という語には、三種類の用いられ方がされている。梵天界には、①この世の命が終わった死んだ人の住む世界、②解脱を経験した修行者の住む世界、③世界の主と呼ばれる存在が住む世界、の三種である。このうち、③の「世界の主」とされる存在が住む世界は、「大梵天」の住む世界である、と見ることができる。一般には、「世界の主」は、「この世の創造神」であるとされている。しかし、「世界の主」は、浄らかで超人的な天眼を開いた者にとっては、「大梵天」と呼ばれる存在である場合もある。ゴータマの回想によると、ゴータマは、「大梵天」として、7回の転生の経験があるとされている。「大梵天」とは、「この世の創造神」ではなく、「すでに成立した世界」に後から生まれる「この世の指導霊の中心的存在」といったところである。

ゴータマの場合は、悟った後も、折に触れ、世界の主とされる霊的存在の指導を受けていた。「世界の主」という語は、西洋的には訳しにくい語であるとされていて、「この現実世界の主」という意味を持っている。[87]。世界の主は、ゴータマのことを「隊商の主」と語ったとされている。この場合の「主」が、同じ使われ方をしているようであるので、世界の主とは、瞬間瞬間に、この世を全体として目的に導いている中心的存在とみることができる。

初期の経典の中で、「世界の主」は、自分を含めない「慈悲深い存在としての諸仏」について、言及している。「世界の主」は、自分を「諸仏の中の一人である」とは言わなかった。しかし、その、指導的な霊によって、ゴータマは、人々に法を説ように、説得された、という事態になった。あまねく人々に対して教えを説くというのは、当時のインドとしては、いまだかってないことであったとされる[88]。そのため、法を説く気のなかったゴータマに衆生済度の気持ちが起こったことは、人類の歴史にとって大変大きな出来事であったとみることができる。

ここ以外に、「諸仏」という語が出てくるのは、「諸仏の教え」について語られた時以外にはない。ゴータマにとって、「ブッタ」と、複数形の「もろもろのほとけ」とは、慈悲という観点から見ると、それぞれ異なった存在であるということができる。

「世界の主」は、ゴータマという覚者の、いちいちの心の動きを手に取るように把握していた。「世界の主」は、見えない次元から、瞬時に、ゴータマの眼前に出現するところなどは、「諸仏」の能力を持っているとすることができる。

ゴータマも、瞬時に、別の場所に出現することがあった。そのことを見ると、ゴータマの出現の仕方と世界の主の出現の仕方は同じ場合があったといえる[89]。そのことから、 「世界の主」は、ゴータマと同じ能力を持っていたとみることができる。

あるとき、「世界の主」は、地獄に落ちた仏弟子のことをいち早く察知しました。「世界の主」は、その魂の落ち行く場所と期間について、ゴータマに示しました。この点では、「世界の主」の「諸仏」としての能力は、かなり上位にあると見ることができる。

「世界の主」は、ゴータマの生き方を「諸仏の生き方」に転換しました。そして、「世界の主」は、ゴータマのその後の何十年かの生き方について、適切な教示をしました。そうした点を見ると、「世界の主」は、諸仏の指導者と同じ役割を果たしていたと考えられる。[注 18]

一万の神々は、すべてみな大梵天を主導者としている[90]、とされている[注 19]

万古不滅のダルマについて

「諸仏の教え」が最初に説かれた時期については、はっきりとはしていない。最初の時期は、ゴータマの回想にある「7回の宇宙期」の記憶と関連すると考えることができる。諸仏の教えは、「7回の宇宙期」のいずれかの時期に始めて説かれた、と考えた場合、それは、いずれかの「古代の文明」の中に出現した「覚者」の説いた教えであるといえる。そして、それは、「万古不滅の理法」である、という見方ができる。

「世界の主」とされる存在は、「有余涅槃(慈悲の心を捨てない涅槃)」に留まる「諸仏の存在」のきまりについても言及した。「世界の主」は、その詩句の中で、「ダルマに頼って生きる」という心の境地は、「諸仏とされる存在」にとって不可欠な条件であることを、教示している。「頼れる存在であるダルマ」に頼ることは、過去・現在・未来の仏にとって、正しい教えを重んずることであると、「世界の主」は、ゴータマに語った[91]。「世界の主」は、この世において、ためになることを達成しようとする偉大な境地を望む人は、仏の教えを憶念して、正しい教えを尊重する、と説いた。そして、それが「諸仏にとってのきまり」である、とされている。

この個所で世界の主が語った「仏の教え」とは、「諸仏の教え」を指していると考えられる[注 20]。また、「世界の主」は、「諸仏」とは、「万古不滅の法を悟ったブッダたち(賢者たち)」としています。そしてその中でも特に、「人々に対する慈悲心のある悟達者」を、「世界の主」は、「仏の教えを憶念する諸仏」と呼んでいた、と見ることができる。

十方世界(宇宙)について

初期には三千大千世界という概念は存在しなかったとされる。地獄や天界が単一のものと考えられていたように、東西南北とその間及び上下を合わせた十方世界一つとされていたと見ることができる[93]

古い詩句では、「三十三天」のことを、「三十人の神々」としている。古い詩句では、「三十三神」以外の神観は持っていなかったとされる[94]

外的な地獄界と内的な地獄界

世の中の何ものにも執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る[65]、愛執と嫌悪と貪欲とは悪魔より来るわなである、とされている[95][96]。 邪魔[97]、恐怖[98]、などもあるとされる。

人間は、生存領域として、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの境涯を持っているとされる[99]。これは、この世に生存しているときに心内で輪廻転生する領域であるということができる[注 21] [注 22]

撒餌経によると、マーラのわなは、外界と内界の両方にあるといえる。「想念」には、外界にあまねく存在する「想念」と、内界に存在する様々な「想念」があるとしている。内界の想念にしかけられた悪魔のわなは、その人の心から出てくる悪しき想念とは、見分けのつかないことが多い。また、「悪魔」のことを「夜叉」と言うときがある。初期には、悪魔は特別な存在ではなく、死んだ人と、悪魔とを同一視している場合もある[100]。最初期の教えでは、地獄はこの世にみられるものであった。それは、この世の「よこしまな生活」や、そのもととなる「妄執」をさしている[101]。そうであるならば、地獄の六道輪廻もまた、この世の人間の心内の六道輪廻ということになる。そのため、地獄はどこか遠くに見られるものではなく、この世を起点とした、自らの内的世界の通じる妄執の世界と考えられていた。

  • 兜率天(天界)での迷妄

「三十三天」の観念では、「兜率天」が「梵天界」の上にあるとされている。しかし、「兜率天」にいる霊でも、恐怖心から、いきなり「地獄」に堕ちる時があるとされている[102]。そのことから、「兜率天」の心境は、天に行ったり、地獄に行ったりと、不安定なものであるといえる。

また、煩悩と関係が深いと思われる無明というものに関して、世間的な煩悩の増大からは解脱していると思われる梵天の世界においても、無明にとらわれる梵天がある[103]。そのため、無明は必ずしも肉体の次元やマーラのわな等にのみ関わるものではないといえる。また、無明と六道輪廻とが関係しているとするならば、内的世界においても、六道輪廻の現象が起こっているといえる。

梵天界は、修行が進み、この世に還ることが無くなった人が行くときがあるとされる場合がある。この場合の梵天は、恐怖心を超えている境地に住していると考えられるので、六道輪廻のうちにある兜率天の上位に位置している。

  • 人間の世界での迷妄、執着の巣窟

執着の巣窟に導かれる人もいる[104]とされる。彼は、窟(身体)のうちにとどまり、執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している[105]。生存の快楽や世間の不正などにより、世の中にありながら、欲望を捨て去ることは、容易ではない[106]とされている。

  • 修羅での迷妄

修羅の心で代表的なものは、争いに突入するときの心であるといえる。鋸喩経 という経文があります。ゴータマ・ブッダは、この経において、出家したものは、在家的な欲望や、在家的な思いを捨てるべきである、ということを説いた。その喩として、ゴータマは、修行者に、盗賊に手足を切り落とされた時であっても、心を乱すことなく、怒りのこころを抱かないように実践せよ、と説いたとされている。ブッダの教えを学ぶ者は、のこぎりによって、手足を切り落とされた時であっても、内にも外にも争いの世界に堕することが無いようにせよ、としている[107]

外的なものとしては、阿修羅は神々の敵であり、ときどき神々と戦闘を交えるという神話がある[108]

  • 畜生での迷妄
  • 餓鬼での迷妄
  • 地獄での迷妄

古い詩句では、天も地獄も単数で表されている[109]。そのため、地獄の世界の中に、「地獄界」・「餓鬼界」・「畜生界」・「修羅界」など、その者の心のありさまが通じるそれぞれの世界があるとされる。「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。悪いところ・苦しいところ(地獄)に堕することもない。・・・わたしは必ずさとりを究める者である[110]」、とされている。

地獄・餓鬼・畜生・修羅の、それらの落ちゆくところに生まれたものたちが、もろもろの地獄において、出家することはできないとされた[67]。地獄に落ちた修行者たちには、苦痛の衝撃が絶え間なく続くので、長い年月の間、彼らは、悟りの道に帰ることができない状況に追い込まれている、とされる[111][注 23][112]

その他

初期の悟りにおける仏教の位置づけ

初期の悟りについて

初期に作成された経典において、ゴータマ・シッダッタの悟りの内容が異なった伝わり方をしていて、はっきりと定まっていないのは、ゴータマ自身が自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じ異なった説き方をしたためであるとされている[113]。歴史的人物としてのゴータマは、臨終に際しても仏教というものを説かなかったとされている。彼が明示したのは、八正道の実践をする人を「道の人」と呼び、その道はいかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道であり、それはこれまでのインド社会に現れたブッダたちの歩んできた道であったということとされている[59]。ブッダたちの歩んできた道とは、過去七仏とされる者の道のことではなく、ウパニシャッドの哲学等における悟達の境地に到達した古仙人たちの歩んできた道であると考えられる。原始仏典の古い詩句では、古来言い伝えられた七人の仙人という観念を受け、ブッダのことを第七の仙人としていた。過去七仏の観念があらわれ、第七人目の仏がゴータマであるとするようになったのは、後代になってからとされる[114]

初期においては、ゴータマが説法することを「梵輪をまわす」と呼んでいた。これは古ウパニシャッドからきており、宇宙の真理を悟った人が説法をするという意味があるとされる[注 24]。それらのことを考えると、ゴータマの意識の中では、宇宙の真理を悟ったという自覚があったようであるけれども、悟りの内容を定式化して説く機縁にあった弟子がほとんどいなかったために、それを説く機会がなかったと見ることもできる。

ウパニシャッドでは、「解脱」とは宇宙原理たるブラフマンと自己との合一を意味していた[115]。しかし、初期仏教では人間の理法を体得して、安心立命の境地に至ることが悟りであるとされている[注 25]。そして、大乗仏教に至ると、宇宙の真理(法)と一体になることを悟りとする宗派が生まれてきた[116]

ウパニシャドでは、ブラフマンとは宇宙の最高原理とみなされており、この最高原理が人格的に表象されたものがブラフマーであり、創造神とされていた。ブラフマンは大宇宙的概念であり、アートマンは小宇宙的概念とする見方もある。善い行いをした人が死後天上界に行くとした場合や、自島明におけるなんらかの主体性などの教説を見ても、自然の中には還元しきれない何ものかを仮定しているともいえる[117]。梵天勧請の経文には、最高原理の人格的な表象として、この世の主ブラフマー神というものが出てくるので、ゴータマの悟達の境地と宇宙の最高原理を悟るということには、何らかの関係があると見ることができる。また、人格的な表象としての梵天による勧請の一段は、後世の追加とする見解もある[118]。ここにあげられているやや古い詩句は、心の中での出来事を現わしたものとされ、散文の説明は明らかに後世のものであるとされている[119][120]

同じブラフマー神が関係していると思われるウパニシャッドの哲学の梵我一如の悟達とゴータマの悟達とを比べた場合、大きく異なる点は、梵我一如におけるアートマンの存在が存在しないということである。しかし、この点についても、初期の仏教には不確かな部分があり、「アートマン」は存在しないとは説いていないとされている。これは、アートマンを実体視しているウパニシャッドの哲学に対して仏教の側が反対しただけの教説にすぎない、というのがその理由となっている。ゴータマの悟りの内容に関しては、アートマンが存在するかどうかについての返答をゴータマが与えなかったものであるとされている[注 26]ので、ゴータマにおいては、通過点としての(インド古来の)梵我一如の境地をも悟ったがゆえに、(実体的なアートマンは無いとする無我・非我の立場に立って)説法することを「梵輪をまわす」と表現したと見ることも可能である。

天眼による空無辺について

ゴータマが悟ったとき、眼前の自然の姿の中に、万古不滅の理法が感得されたとされている。そのことは、同じ景色を見ても、人によって宇宙の姿の受け止め方が違っていることを意味している。ゴータマは、超人的な天眼が開き、不動の心が確立したときに、過去の出来事の記憶を思い起こす智慧に心を向けることができたとされている。撒餌経では、空無辺処の境地として、あまねく外界の想念を超え、内界の想念をなくし、さまざまな想念を思うことがない、という境地のことが語られている。それは、空間は無限であるということを体感する境地であるといえる。想念には、外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあるとされている。その想念の動きを超えたり、止めたりするところに、空間(物質的な宇宙)の無限を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている。そのとき、過去の生涯を思い起こす智に心を向けると、過去の転生から、宇宙期の記憶に至るまでが回想されるとされている[注 27][注 28][注 29][注 30]

初期の経典には、人間の肉体は汚いものであると説かれている。しかし、悟りのときに完全に開くとされている超人的な天眼については、浄いものであるとされている。浄らかで超人的な天眼は、人間の意識(心)に関係したものであると見ることができる

天眼による識無辺について

超人的な天眼が開き、不動の心が確立したときに、意識は無限であることを体感する識無辺処の境地に到達するとされている。意識の無限とは、過去現在未来にわたるすべての衆生の総和としての無限と思われる。その意識が、肉体に制約された個の意識から、すべての衆生の意識という無限大にまで拡大するという点では、空無辺との類似性が見られるといえる。

超人的な天眼が開き、さらに心境が深まったときには、過去現在未来にわたるすべての覚者の意識が覚知できるようになる、とされている[121]。サーリープッタの場合は、識無辺の悟りは、過去現在未来にわたるすべての覚者の意識にまでは至らなかったが、ゴータマの場合は、過去現在未来にわたる宇宙における、すべての覚者の意識が覚知されていた。

三界説について

最初の時期には五下分結についての解釈は一定しておらず、死後に四悪道のいずれかにおもむかせる五つの束縛という解釈もされていた。三界説はダンマパダやスッタニパータの中にも出ていないが、五下分結、五上分結の観念はおそらく成立していたと考えられている。三界説が成立したのは、かなり遅れてのことであるとされている[122]

この世の衆生済度につとめることは、同時に、悪魔の手のとどく世界に留まりつづける、ということでもあった[123][124]。解脱していると思われる修行僧が、悪口を言ったために地獄に落ちた、という話がある。そのことは、八正道を生きる人間の生き方に関して言うと、悟ることは、正しい生き方にとってあまり持続性のあるものではない、ということにつながっている[125]

霊的能力を伴う悟りを開いた後で、悪魔の誘惑に負けて、地獄で修行の修正をするようになった悟達者であっても、ゴータマは、その人が立ち直れるように、善友として指導してゆく、ということである。

二十年以上、ブッダの遊行の秘書をしていたとされるアーナンダが、霊的能力を伴う悟りを開いていなかったことは、重要なことであるとされている。悟りの道を歩むことには、六神通などの霊的能力は、重要ではなかったということを示している。それとは逆に、あまり目立たない形であるが、アーナンダは、困っている人の現状を見抜いて善処する、といったような能力にはたけていると、ゴータマに認められていた。

最高原理としてのダルマ

サンユッタ・ニカーヤIIにおいて「わたしは、わたしが悟ったこの理法を尊び、敬い、たよって暮らしたらどうだろう」という経文は、ダルマがブッダよりも上位に位置する最高原理とみなされており、ゴータマの悟りは、本来ダルマに準拠するものであるとされている[126]

「ダルマ」という語は、多様な用いられ方をするようになったが、初期においては、ゴータマの悟った宇宙の真理としての万古不易の法を指していた[127]

ニルバーナを「ブラフマンの道」と呼んでいる場合

「正しくさとった人は、ブラフマンの道においてふるまい、心のやすらぎを楽しんでいる」(テーラガーター 689)の句において、ブラフマンの道とされているのは、解脱に至る道のことであるとされている。それは元は、『ウパニシャド』の哲学において、「ブラフマン世界に至る道」を意味していた[128]

ダルマを人格視している場合

後代の仏教(アッサムやスリランカ)で、ダルマが人格神のように見なされるに至った源泉として、「理法(ダンマ)は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす」(テーラガーター 303)の句があるとされる。ここでは、理法(ダンマ)がほとんど人格視されているとされる[128]

無我の捉え方

ゴータマは、「なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、真人となった修行僧は、『わたしが語る』と言ってもいい」と語ったとされる。これは、悟りに達した者は、我(アートマン)は存在すると主張し、議論しても真理からははずれていないとする見解を示したものである[129]。これによると、無我ということで修行してきた者は、煩悩の汚れを滅ぼしたのちには、真人の我を頼りとして歩むということになる。

非我の概念が有する霊魂的側面

当時のインド社会において、通俗的な一般的観念として、解脱とは霊魂が体から脱出して、束縛のない状態におもむくことであるとする見解があり、それはウパニシャッドからヴェーダーンタ学派に至るまで一貫して存していたとされる。あるとき、どうしたら身体から霊魂が解脱することができるでしょうか、と問われたゴータマは、解脱についてのその見解を受け入れ、怒りや怨恨を断ち、悪い欲求と貪りとを断ち切って、妄執を根こそぎ抉り出せば、身体から霊魂が解脱することができると答えたとされる。この場合のゴータマの見解では、霊魂と身体から人間存在はできており、解脱には身体から霊魂が脱け出るという面もあったことが記されている[130]

肉体に執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している人のことを、「窟のうちにとどまっている」と表現している[131]が、これは、霊魂またはアートマンが身体の中に入ってとどまっている様を現わしているとされている。この考えはウパニシャドからきており、『アーパスタンバ法典』(第22章4)では、アートマンのことを「窟のうちにとどまる者」と呼んでいる[132]

迷妄にもとづいて起こる煩悩は何ら存在しなくなり、あらゆることがらについて智見があり、最後の身体をたもち、めでたい無上の悟りを得ること・・・これだけでも人のたましい(霊)は清らかとなるとされた[133][注 31][注 32]

初期仏教における真人となった我とは

ゴータマの説法を「梵輪をまわす」と言うときは、宇宙の真理を悟った人が説法をするという意味があり、「梵」という語と「ブラフマン」という語は深い関りがあるとされる[134]。ヒンドゥーにおいて世界創造神とされていたブラフマンというのは、当時最高の神と考えられていた。そして、梵天勧請の経文では、その神様がゴータマに説法を始めたとされる。ブラフマンとは、絶対原理であり、宇宙の根本原理のことであるけれども、一般の民衆にはなかなか理解しにくいから、それを人格神(世界の主である梵天)と考えたとする見解もある[135]。また、ブラフマンは大宇宙的概念であり、アートマンは小宇宙的概念とする見方もある[117]ので、後代になって、アートマンの小宇宙的概念が否定されるようになると、真理(ブラフマン)における大宇宙的概念も不明確なものとなったようである[注 33]

「仏」は本来「佛」と書くけれども、「弗」という字には否定の意味があり、人間でありながら、人間にあらざる者になるという意味があるとされる。水の例でいうと、水は沸点に達すると、水蒸気になるが、水蒸気というのはもとは水だけれど、水にあらざるものになる、というところが、人と仏との関係に似ているとされている[136][注 34]

ゴータマが実践していたのは、「つとめはげむ道」といって、自己を制することにつとめはげんだこととされている。ただ、それによってさとりを得たとかそういうことは書いてなく、自己を制することのうちにさとりがあるとしていたとされる[137]。人が佛となった転換点は、古来から言われている梵我一如の境地として、問われた時には意識にのぼる程度の通過点にすぎないとみなされていたようだ。自己を調御し、悪魔を寄せ付けず、清浄な行いを久しくし続けるということが、さとり「つとめはげむ道」(さとりの道)であるとされた。

初期の悟りの内容

あるバラモンに語ったとされる経文には、四種の禅定を完成して、明知が生まれたことが記されている。第四禅を成就したままにて生じた第一の明知においては、この宇宙が生成と消滅の幾多の宇宙期の過去を有しているものであることまでを知ることに至った[注 35]。その第一の明知によって、無明が滅び、暗黒は消滅して、光明が生じたとされている。第四禅を成就したままにて生じた第二の明知においては、超人的な天眼を用いることが出来るようになり、この世界に生存するすべての衆生が死にまた生まれる様を見ることが出来るようになり、それぞれの生存者の業(内面的な部分)についても明らかに知ることが出来るようになったとされる。そしてさらに諸々の汚れを滅する智に心を向けたとされるが、その内容については説かれていないとされる。[138][注 36]。そして、第四禅を成就したままにて生じた第三の明知においては、「解脱した(悟った)」という智が起こったとされているが、これは単なる自覚ではなく、第三の明知とされているので、自己を含めての諸々の生存者における悟りの現実を知る智慧と解釈できる。

また、過去現在未来にわたる阿羅漢(等正覚者と同じ)については、心に関して、心でもって知ることが出来るとされているので[139][注 37]、やがて弟子に悟達者が出てくるようになった頃には、「この世界に生存するすべての衆生」という枠組みを超えて、過去現在未来にわたるこの世界に生存するすべての阿羅漢の心のありさまを知ることができたと見ることもできる。

自覚としての悟りのいろいろ

サーリプッタが解脱をしたときに、ゴータマが「再びこの存在に戻ることはないと開悟したことを明言したのか」と問うたとき、「内に専心して、外の諸行に向かうときに道が出起して、阿羅漢位に達した」と語ったとされる。他に、「内に専心して、内に向かうと道が出起」、「外に専心して外に向かうと道が出起」「外に専心して、内に向かうと道が出起」という四通りがあるとされる[140]。「この存在」という自己意識から解脱するとき、道(宇宙の真理)が出起すると見ることができる。

聖者ごとに解脱の内容がいろいろであり、聖者ごとに解脱の内容はいろいろで、複数あったとされる[141]。ゴーダマが到達したさとりの境地は深遠で、弟子には到達しがたいという反省から、滅後弟子たちの時代になると、さとりの深浅に応じて四向四果の段階が考えられた[142]

在家信者においても師の話を聞いただけで悟ったという経文は多数あり、その中のある女性は、ある遊園に行った帰りに、ゴータマと出会い、「大いなる仙人のことばを聞いて、真実に通達し、まさにその場で、汚れのない真理の教え、不死の境地を体得しました。」と語ったとされる [143]

涅槃について

小乗仏教の伝統説では無余涅槃に入ることが修行の目的であったが、ゴータマは無余涅槃に入るという見解は偏見であるとして排斥した。しかし、無我的な無余涅槃をしりぞけてはいたが、対機説法を行っていたグループの中には、無我的な無余涅槃を目的とする者も多くいた。修行者の実践的な目的を述べたこの言葉は、無余涅槃に入ることを目的として、解脱をすることができた者であっても、それは、真の悟りではなく、偏見のうちにとどまった活動にすぎないということを意味している。

悟りと解脱について

暫時の解脱とは、世間的な禅定という意味を持つとされる。それを得た時に、一時的に諸々の煩悩から解放されているので、このように言う [144]。 解脱には、一時的な煩悩からの解放という面がある。

『スッタニパータ』の例としては、1084~1087において、ある者には解脱を求めよと説いている。この部分の解釈によれば、解脱には修行の目的となる場合がある、ということができる。

また、ある者には1088~1091において、解脱というものはないと説いている。この部分の解釈によれば、解脱には修行の目的とはならないという面がある、ということができる[145]

ゴータマが無余涅槃(肉体の死)に入るときに、第一禅から第四禅を2回繰り返したところを見ると、悟った後の毎日の心の状態を浄化するために、第一禅から第四禅の解脱の段階が用いられたとみることができる。そのため、第一禅から第四禅までの解脱は、個別的な修行者のさとりの段階を表すと同時に、より高度な解脱に心を変化させるための調心の作用を持つ禅定ということができる。このように、初期の経典においては、解脱というものに関しては、さまざまな用いられ方がなされている。

解脱を求める心の段階について

撒餌経(中部経典第25経)では、第一禅から第四禅にいたり、そののち、まだいくつかの解脱の実現があり、九段階目で想受滅の境地にいたるとされている。他の経文において悟りについて述べた部分では、おおよそ、第四段階の禅定ののちに第三の明知に目覚め、悟りに至るとされている。しかし、この経では、第三の明知についてまでは言及されておらず、第四段階の禅定ののちに、さらに四つの解脱の段階を経たのちに想受滅に至る、というところで終わっている[注 38]

解脱の各段階においてゴータマは、いずれの段階も、マーラを盲目にし、マーラの眼を根絶し、悪魔が見えないところに行った修行僧の住するところであるとしている[注 39]

第一禅(初禅)

ゴータマは、菩薩としての修行中に、人間の中に常に湧き上がってくる思念について、善なる思いと悪なる思いのあるという観点から、対策を講じたとされている[34]。ゴータマは出家する前にすでに初禅の境地を体得していたとされている[35]。これは、初禅の段階にて、止観によって、善なる思いと悪なる思いを弁別し、正見のありかたを育んだと、見ることができる。禅定によって心を統一した状態で、全体的で粗大な考察方法と、内面的で微細な考察方法を用いた止観を成就したことが記されている。初禅の心境としては、欲望から遠離しており、善悪を見極め、不善のことがらを離れた、喜ばしい心境に到達したとされる[146]

第二禅

禅定によって心を統一した状態で、全体的で粗大な考察方法と、内面的で微細な考察方法を用いた止観という心の働きをとどめる。善悪についての考察を離れるので、内心が静安となってゆく[注 40]

第三禅

禅定によって心を統一した状態で、喜びと憂いの心の作用を捨てる。バラモン教の聖者が、「平静であり、念あり、安楽にとどまっている」とする心境に到達する。

第四禅禅定によって心を統一した状態で、苦楽の心の作用を捨てる。平静と念によって清められている、という心境に達する。

第五段階 空無辺処の境地 あまねく外界の想念を超え、内界の想念をなくし、さまざまな想念を思うことがないゆえに、空間は無限であるという境地を実現して住む。外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあり、その想念の動きを超えたり、止めたりするところに、空間(物質的な宇宙)の無限を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている[注 41]。 ウパニシャッドの哲人の場合は、教えを受けるのにふさわしいと思える相手にのみ、こうした教えを説いたとされる[147][注 42]


第六段階 識無辺処の境地 あまねく空無辺処を超えて、意識は無限である識無辺処の境地を実現して住む。物質的な宇宙の無限を体感する境地を越えて、意識の無限(過去現在未来にわたるすべての衆生の総和としての無限と思われる)を体感できる境地に到達するとされている[注 43]

第七段階 無所有処の境地 あまねく識無辺処を超えて、無所有処を実現して住む[注 44]

第八段階 非想非非想の境地 あまねく無所有処を超えて、非想非非想処の境地を実現して住む[注 45]。 

最後の段階 最後に想受滅という境地に至るとされているが、これは無余の涅槃に近い境地である。想受滅の境地というのは、執着を渡り超えた境地であるとされる。修行者は、あまねく非想非非想処を超えて、想受滅の境地を実現して住む。智慧によって見、かれの煩悩は滅尽している、とされている[148]。そこには、衆生も如来も慈悲も無いようであるから、マーラの眼を根絶し、悪魔が見ないところの究極であるといえる[注 46]

死を願う心の段階

想受滅の境地に到達したゴータマは、しばらくして死を願う心の段階に進んだとされる[149][注 47]

ゴータマは、無余涅槃を求めることは、偏見であるとして、排斥をしていたが、無余涅槃を求めるグループの対しては、これを受け入れて、対機説法を為していた。

ゴータマ自身の回想として、七回の宇宙期の間、わたしはこの世に戻ってこなかった、世界が成立しつつあるとき、極光浄天に生まれ、世界が破壊しつつあるときは、空虚なる梵天の世界に生まれた。それから、7度大梵天として生まれ、三十六度神々の王であった、とされている[150]。無余涅槃で考えられるニルバーナの世界は、世界が破壊しつつあるときの涅槃と考えられるので、想受滅の解脱の行きつく先は、空虚なる梵天の世界と同質の世界とみることができる[注 48]

無余涅槃を求める出家者に対して、「ニルバーナ」に入り、この世に戻ってくることはない、としている経文がある。無余涅槃を目指す修行者の転生の仕方は特殊で、死んだ後にあの世に行くことなく、ひとりでにこの世に生まれ変わる、とされている[86]

ゴータマの求めた道のすべてであると位置づけられている「清らかな行い(清浄行)」には、安らぎ(消滅的心境)に帰する清らかな行いと、生存の根源を残しての安らぎ(他の存在を救い続ける平静的心境)に帰する清らかな行いとがあるとされている。ここには、有余涅槃の萌芽があるとされている。[151]

年表

仏教宗派の伝来に関するタイムライン(紀元前450年 – 1300年)

 紀元前450年[152]紀元前250年100年500年700年800年1200年[153]

 

インド

初期
仏教

 

 

 

部派仏教大乗仏教密教

 

 

 

 

 

スリランカ ·
東南アジア

 上座部仏教

 

 
 

 

 

アリ―派英語版

 

チベット

 

ニンマ派

 

カダム派英語版
カギュ派

 

タクポ・カギュ派英語版
サキャ派
 チョナン派

 

中央アジア英語版

 

ヘレニズム仏教英語版

 

シルクロード仏教

 

 

東アジア英語版

 

部派仏教
大乗仏教
(シルクロードを通じ
中国へ、またインドからの 海路
ベトナムへ)

唐密

南都六宗

真言宗

中国の禅宗英語版

 

ベトナムの禅宗英語版朝鮮の禅宗英語版
 日本の禅
天台宗/浄土教

 

天台宗

 

 

日蓮宗

 

浄土宗/浄土真宗

 

  説明:   = 上座部仏教   = 大乗仏教   = 密教を兼学する大乗仏教

脚注

注釈

出典

出典

  • Buswell, Jr., Robert E. (ed.) (2003). Encyclopedia of Buddhism (MacMillan). ISBN 0-028-65718-7.

関連項目

外部リンク

  • 初期仏教における聖典成立と修行体系
  • 初期仏教教団の研究 −サンガの分裂と部派の成立−
  • 安藤淑子、「原始仏教におけるkāmaの考察」『佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇』 46号 2018年 p.1-18, NAID 120006455767, 佛教大学大学院
  • 佐々木閑「仏教哲学の世界観」 - 仏教学者の動画集で、初期仏教の教えについて、仏教史や阿含経に立ち返りながら解説している。
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