壱分町

奈良県生駒市の町名
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壱分町(いちぶちょう)は、奈良県生駒市の町名。郵便番号は630-0222。

壱分町
壱分町の位置(奈良県内)
壱分町
壱分町
壱分町の位置
北緯34度40分23秒 東経135度42分44秒 / 北緯34.67306度 東経135.71222度 / 34.67306; 135.71222
日本の旗 日本
都道府県 奈良県
市町村 生駒市
面積
 • 合計2.29 km2
人口
2020年(令和2年)10月1日現在)[2]
 • 合計7,487人
 • 密度3,300人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
630-0222[3]
市外局番0743(奈良MA[4]
ナンバープレート奈良

地理

生駒市南部に位置し、北に東生駒さつき台東菜畑中菜畑西菜畑町、西に菜畑町小倉寺町、南に有里町小瀬町、東に奈良市と隣接する。また周囲を取り囲む形で翠光台とも接している。

河川

歴史

室町時代には平群郡生馬荘に属する地名として「一分」が見える[5]江戸時代の村名は壱分村だが、「一分村」「一部村」とも書いた[5]。江戸時代初めは幕府領元和元年(1615年)からは郡山藩領となる[5]

明治22年(1889年)に南生駒村の大字となり、昭和元年(1926年)には信貴生駒電鉄が壱分を通った[6]。壱分の東部では、昭和38年(1963年)に生駒高校が開設され、水道の便にあやかりその周辺に住宅が増えた[7]。また東生駒からの延長となる形で、近鉄不動産によってさつき台住宅地が造成された[7]。壱分西部では、往馬大社の神域の一部が解放されるとその地に南風台が開発され、その西南には晴光台が開発された[7]

地名の由来

以下の由来が考えられる。

  • くまかし(いちいがし)が生えた里として「櫟生」(いちふ)と呼ばれたという説[8]
  • 日本書紀』に有間皇子が「市経」(いちぶ[9])に居を構えたとあり、その市経をこの地とする説[10][注釈 1]
  • 平安時代の下級官吏「一分官」が住んでいたことによるという説[10]
  • 中世末期、興福寺一乗院領の生馬庄が一分と二分に分かれており、この地が一分に属していたことによるという説[10]

沿革

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁世帯数人口
壱分町3,040世帯7,487人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年)4,911人[13]
2000年(平成12年)6,244人[14]
2005年(平成17年)6,832人[15]
2010年(平成22年)7,196人[16]
2015年(平成27年)7,707人[17]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年)1,571世帯[13]
2000年(平成12年)2,059世帯[14]
2005年(平成17年)2,307世帯[15]
2010年(平成22年)2,504世帯[16]
2015年(平成27年)2,743世帯[17]

事業所

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[18]

町丁事業所数従業員数
壱分町105事業所908人

交通

鉄道

バス

道路

施設

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 生駒市誌編纂委員会 編『生駒市誌(通史・地誌編)V』生駒市役所、1985年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店、1990年。ISBN 4-04-001290-9