大韓民国ウォン

韓国の通貨

(だいかんみんこくウォン、: 대한민국 원)は、大韓民国通貨単位。通称、(かんこくウォン)。

大韓民国ウォン
대한민국 원(韓国語)
ISO 4217
コード
KRW
中央銀行韓国銀行
 ウェブサイトwww.bok.or.kr
使用
国・地域
大韓民国の旗大韓民国
インフレ率0.4%
 情報源大韓民国統計庁[1]、2019年
 指数CPI
補助単位
 1/100チョン( / jeon)
事実上現金単位としては使われていない。
通貨記号
複数形この通貨の言語に形態学的な複数形区別はない。
硬貨
 広く流通₩10
₩50
₩100
₩500
 流通は稀₩1
₩5
紙幣
 広く流通₩1,000
₩5,000
₩10,000
₩50,000
 流通は稀10チョン
50チョン
₩2,000(記念紙幣)
紙幣製造韓国造幣公社朝鮮語版
 ウェブサイトwww.komsco.com
ウォン
各種表記
ハングル
漢字1953年の貨幣改革以前の表記)
発音ウォン
ローマ字Won(英語2000年式
Wŏn(MR式
テンプレートを表示

韓国中央銀行である韓国銀行が発行する。製造は韓国造幣公社が行っている。

北朝鮮ウォンと共通の事柄(名称、分断前の歴史など)についてはウォンも参照。

両替

2002年サッカーワールドカップを機に規制緩和され、それまで韓国系銀行に限られていた日本国内での両替が、郵便局や一部の銀行、両替所等でも可能となった。日本では、多くの外国硬貨と同様に硬貨が両替不可能(一部業者を除く)である。また、日本で両替を行うと、韓国で両替を行うよりも顧客にかなり不利な為替レートになるのが通例である。

漢字表記

「ウォン」() は「(円)」の韓国語読みだが、公式には漢字表記をしない。一方、中国「」も韓国語読みでは「ウォン」となるが、漢字圏の人を相手にする人たちの間で、まれに韓国ウォンを「元」と漢字表記することもある。

一方、中国語圏では韓国ウォンを、繁体字では「韓圓」または「韓元」、簡体字では「韩元」または「韩币」と表記する。

韓国では、日本円ハングルで「」(エン)と表記する。また、中華人民共和国は「위안」(ウィアン、[yuan]→[wian])と表記する。

歴史

大韓民国の歴史を通じて1つのウォンが使われていたわけではなく、旧ウォン→ファン→新ウォンと、2回のデノミネーションが行なわれている。

  • 1945年 旧ウォン(圓)を導入
  • 1953年2月15日 旧ウォンに替えてファンを導入、100ウォン→1ファン(환; 圜
  • 1962年6月10日 ファンに替えて新ウォンを導入、10ファン→1ウォン(漢字表記なし)

旧ウォン

大韓民国ウォンの固定相場
日付旧ウォン/USD[注釈 1]円/USD(参考)
1945年08月0015(15)
1947年07月15日50(50)
1948年10月01日450(270)
1949年06月14日
(政府間取引以外)
900(360)
1950年05月01日1800(360)
1950年11月01日2500(360)
1951年04月01日6000(360)

第二次世界大戦が終わった1945年朝鮮銀行は解体し、朝鮮半島にあった日本の資産は、米ソ軍政府に接収され、後に南の韓国銀行と北の朝鮮中央銀行に引き渡された。

アメリカ軍に接収された南側の朝鮮銀行は、1950年韓国銀行が設立されるまでの間、日本統治下に引き続いて最初の南朝鮮のウォン(圓、won)を発行した。ウォンの下には補助単位としてチョン[注釈 2]、jeon)が置かれ、1ウォンは100チョンだった。

1945年8月時点では1ウォン=1円に固定されていたが、1945年10月に15ウォン=1米ドルとなり、以後は戦後のインフレーションの進行とともに切り下げが進んだ。朝鮮戦争中の1951年4月1日には、ついに1ドル=6,000ウォンとなった[2]

この時期、当初朝鮮銀行は大蔵省印刷局製造のウォン紙幣のみの発行を継続し、硬貨は日本統治下で通用していた一銭硬貨が使われていた。1946年発行の朝鮮書籍印刷株式会社の印刷による10ウォンおよび100ウォン紙幣は、日本統治時代の朝鮮銀行券と類似したデザインであったが、日本を象徴する桐紋に代わりムクゲの花に上部の紋章が変更された。

1949年発行の5ウォンおよび10ウォン紙幣は、寿老人の肖像に代わり独立門の図案となった。このとき同時に5、10、50チョンなどの小額紙幣も発行された。1950年には大韓民国の中央銀行として韓国銀行が発足したが、直後に勃発した朝鮮戦争でソウルを占領した北朝鮮軍は、予備として保管してあった1000ウォン紙幣や100ウォン紙幣を使用し、大量に流出させた。韓国は新たに日本の印刷庁で製造された韓国銀行券1000ウォン、100ウォン紙幣を発行し、記号により正規に発行されたものと確認できる朝鮮銀行券と交換した(第1次緊急通貨措置)。51年10月、韓国造幣公社が設立され、紙幣の国内製造が再開された。

韓国銀行券 [3]
画像幅(mm)日時印刷
発行終了
100158 × 78光化門1950年7月22日1953年
2月17日
印刷庁
500145 × 61李承晩タプコル公園1952年10月10日韓国造幣公社
1000171 × 781950年7月22日印刷庁
145 × 61タプゴル公園1952年10月10日韓国造幣公社

ファン

大韓民国ファンの固定相場
日付ファン/USD
1953年02月15日60
1953年12月15日180
1955年08月15日500
1960年02月23日650
1961年01月01日1000
1961年02月02日1250

朝鮮戦争による荒廃で価値が下落した旧大韓民国ウォンは、1953年2月15日に新通貨ファン(圜、hwan)が導入されたことで役割を終えた。100旧ウォンは1ファンと交換され、1ドル=60ファンとなった(第2次緊急通貨措置)。いまだ低額紙幣が流通していた朝鮮銀行券(10圓、5圓、1圓、50銭、20銭、10銭、5銭の7種類)および日本で発行された1銭硬貨といった、日本時代の残滓といえる通貨の流通は停止され、韓国銀行が発行した圜紙幣だけが唯一の法定通貨となった。合衆国政府印刷局が印刷した1ファン、5ファン、10ファン、100ファン、1000ファン各紙幣が流通し、1959年からはファン硬貨も発行された。1959年以降、韓国の紙幣や硬貨における漢字表記はなくなり英字とハングルのみとなっている。

ファンの下にも補助単位チョン(錢、jeon)が置かれ、1ファンは100チョンだった。ただし、チョンの硬貨・紙幣は発行されず、チョンが現金単位として使われることはなかった。

しかしファンも、李承晩大統領が独裁権力を振るう第一共和国時代の政治と経済の混乱でインフレーションが起こり米ドルに対する価値が下がっていった。1960年には大統領選挙での不正をきっかけに四月革命が起こり第一共和国が倒され、第二共和国へ移行した。政治や経済は不安定さを増し、1960年の秋以降、失業率や物価の上昇でインフレーションが急速に進み、1961年1月1日には1ドル=1000ファンに、2月2日には1ドル=1250ファンへと価値が急落した。

ファン硬貨 [4]
画像硬貨日時
幅(mm)重量(g)材質鋳造開始流通終了
1019.12.46 95%
亜鉛 5%
ムクゲ, 額, 銀行名額, 国名, 鋳造年1959年 (檀紀4292年)1959年10月20日1975年3月22日
5022.863.69 70%
亜鉛 18%
ニッケル 12%
亀甲船, 額, 銀行名額, 国名, 鋳造年1959年 (檀紀4292年)1959年10月20日1975年3月22日
10026.06.74白銅
亜鉛 75%
ニッケル 25%
李承晩, 額, 銀行名1959年10月30日1962年6月10日
米国印刷ファン紙幣 [2][リンク切れ] (朝鮮語)
票面額面サイズデザイン日時
表面裏面表面裏面発行終了
1111 × 54 mmピンク韓国銀行」の名前と漢字ハングルで額面韓国銀行の行章1953年2月17日1962年6月10日
5
10156 × 66 mm韓国銀行」の名前と漢字ハングルで額面、亀甲船韓国銀行の行章
100
1000
国内印刷ファン紙幣 [3][リンク切れ] (朝鮮語)
票面額面サイズデザイン日時
表面裏面表面裏面発行終了
10156 × 66 mm南大門巨済近郊・海金剛海岸の風景1953年3月17日1962年6月10日
1953年12月15日
50149 × 66 mm独立門李舜臣立像と亀甲船1958年8月15日
100156 × 66 mm李承晩独立門1953年12月18日
1954年2月1日
Value1957年3月26日
母と子独立門1962年5月16日
500156 × 73 mm李承晩額面1956年3月26日
1958年8月15日
世宗大王韓国銀行本館1961年4月19日
1000166 × 73 mm李承晩韓国銀行行章1957年3月26日
165 × 73 mm世宗大王トーチ1960年8月15日

新ウォン

大韓民国ウォンの固定相場
日付KRW/USD
1962年06月10日125
1964年05月03日255
1972年08月03日400
1974年12月07日480
1980年01月12日580

1961年5月16日に起こった5・16軍事クーデターで第二共和国は倒され、朴正煕少将が権力を握る国家再建最高会議(軍事政権)が誕生した。この政権は経済再建と経済開発を優先し、翌1962年には第一次五か年計画と通貨改革を実行に移した。1962年6月9日に新たな大韓民国ウォンが登場、1ウォンは10ファンと交換され1ドル=125ウォンに固定された(第3次緊急通貨措置)。補助単位はチョン(英語表記は「jeon」に改められた)であり1ウォンは100チョンとなったが、今日チョンが実際に現金単位として使われることはない(1962年 - 1980年発行の10チョン紙幣と50チョン紙幣は現在も法的には有効であるが、1ウォン・5ウォン硬貨でさえ事実上流通していない現在では、これらの紙幣が現実に使われることは事実上皆無となっている)。この通貨改革によりようやくインフレーションは緩やかになった。

1970年代前半は、石油ショックの影響もあり、1972年1974年にウォンが切り下げられた。1980年1月12日には1ドル=580ウォンとなったが、同年2月27日には変動相場制への移行が始まった。アジア通貨危機の最中の1997年12月24日国際通貨基金(IMF)との合意により、完全変動相場制へと移ったが[5]、その後ウォンの米ドルに対する価値は、僅かな間に半分に落ち込んでいる。

現在韓国では、現金を用いない電子決済が現金決済より圧倒的に多いキャッシュレス社会の国となっている。ただし、屋台など現金しか使えない場所もまだ残っている。

流通貨幣

紙幣

2006年から2007年にかけて新デザインによる新紙幣が導入された。偽造防止のための新技術が盛り込まれ、サイズが小さくなった。長年似通っていた図柄を現代風に改め、紙幣の色彩が鮮やかになり、額面の文字と数字が大きな字で明るくはっきり見えるようになった。新シリーズは額面によって様々な偽造防止技術が導入されている[6]。50,000ウォン紙幣は22種、10,000ウォン紙幣は21種、5,000ウォン紙幣は17種、1,000ウォン紙幣は19種の偽造防止技術が入っている。

偽造防止技術の例は下記の通り。

  • ホログラム:表面の金属ホイル部分の変色立体画像。
  • 透かし:人物像の透かしが白色部分に入っている。
  • 隆起印刷:文字と人物像の印刷部分が隆起している。
  • セキュリティ・スレッド:「한국은행[注釈 3] Bank of Korea(BOK)」と額面表記のスレッドが表面に織り込まれている。
  • 光学的変化インク:裏面の額面表記が変色インクになっている。
  • ユーリオン:偽造防止認識パターン。

記番号については次の形式となっている。

  • 1983年-2005年のシリーズの旧紙幣では、ハングルとアラビア数字から成る記番号を用いており、その記号としてはハングルの子音のうちの10種類「ㄱㄴㄷㄹㅁㅂㅅㅇㅈㅊ」にそれぞれ母音の「ㅏ」を組み合わせた「가나다라마바사아자차」の10文字を使い、ハングルは3文字、数字部分は8桁であった。ただし1000ウォン紙幣のみありうる全ての組み合わせを使い果たしたため、その後は記号のハングルの母音を「ㅓ」に変えた「거너더러머버서어저처」を使っている。
  • 2006年からのシリーズでは、 アルファベットとアラビア数字から成る記番号を用いており、その記号としては「ABCDEFHJKL」の10文字を使い、アルファベットは3文字、数字部分は8桁で、「AA00000001A」のような形式となっている。

この他、2006年からのシリーズでは、漢字で「韓国銀行総裁」に相当する「한국은행총재」という四角形の印章が表面に印刷されている。1983年-2005年のシリーズの旧紙幣では、漢字で「総裁之印」に相当する「총재의인」という赤色の印章が表面に印刷されているが、日本円の紙幣と異なり「発券局長」に相当する印章はない。

韓国銀行による損傷時の交換については、残存面積が元の3/4以上なら全額交換、元の2/5以上3/4未満なら半額交換、元の2/5未満は失効となる[7]。全額交換の基準が3/4以上である点が日本円の紙幣と異なる点である(日本円の紙幣の場合は2/3以上)。

以下の5つの表に掲げる紙幣は、1962年の「新ウォン」化後のもので、1次から5次までのシリーズがあり、現在の通常の現金取引における最小単位である10ウォンよりも小額である5ウォン・1ウォン・50チョン・10チョンも含めて全て法的に有効であるが、現在主に流通しているのは現在発行中の5次シリーズの紙幣である。

1次シリーズ紙幣(1962年発行)
画像額面サイズデザイン年月日
表面裏面表面裏面発行開始発行中止
194 × 50 mmピンク彩紋、韓国銀行の行章彩紋、額面1962年6月10日1970年5月20日
51969年5月1日
10108 × 54 mm1962年9月1日
50156 × 66 mm叢石亭烽火、額面1970年5月20日
100独立門1969年2月14日
500灰色崇礼門1967年2月3日
2次シリーズ紙幣(1962年発行)
画像額面サイズデザイン年月日
表面裏面表面裏面発行開始発行中止
0.1(10チョン)90 × 50 mm彩紋・額面1962年12月1日1980年12月1日
0.5(50チョン)茶色
10140 × 63 mm慶州瞻星台亀甲船1962年9月21日1973年10月30日
50149 × 64 mm緑、橙、青タプコル公園烽火ムクゲ1969年5月21日
100156 × 66 mm独立門慶会楼1962年11月1日
世宗大王ソウル韓国銀行本館1965年8月14日1980年12月1日
500165 × 73 mm茶色崇礼門亀甲船1966年8月16日1975年5月10日
5,000167 × 77 mm茶色栗谷李珥ソウル韓国銀行本館1972年7月1日1980年12月1日
10,000171 × 81 mm茶色世宗大王, ムクゲ景福宮勤政殿1973年6月12日1981年11月10日
3次シリーズ紙幣(1973年発行)
画像額面サイズデザイン年月日
表面裏面表面裏面発行開始発行中止
500159 × 69 mmピンク李舜臣亀甲船顕忠祠1973年9月1日1993年5月12日
1,000163 × 73 mm退渓李滉ムクゲ陶山書院1975年8月14日
5,000167 × 77 mm栗谷李珥烏竹軒、ムクゲ1977年6月1日
10,000171 × 81 mm世宗大王自撃漏慶会楼、ムクゲ1979年6月15日
4次シリーズ紙幣(1983年発行)
画像額面サイズデザイン発行日発行中止変更点
表面裏面表面裏面
1,000151 × 76 mm退渓李滉の肖像と投壺の壺陶山書院1983年6月11日2016年6月1日
5,000156 × 76 mmオレンジ栗谷李珥の肖像烏竹軒1983年6月11日
2002年6月12日偏光インク使用・点字透かし追加
セキュリティスレッド追加・著作権表示
10,000161 × 76 mm薄緑世宗大王の肖像と報漏閣自撃漏慶会楼1983年10月8日
1994年1月20日モアレ画像の透かしに変更・セキュリティスレッド追加
2000年6月19日モアレ画像の透かしを取り止め
偏光インク使用・点字透かし追加・著作権表示
5次シリーズ紙幣(2006年-現在発行) [リンク切れ][4] (朝鮮語)
画像額面サイズデザイン発行日
表面裏面表面裏面透かし
1,000朝鮮語版136 × 68 mm退渓李滉の肖像・成均館の『渓上静居図』肖像の裏面と額面2007年1月22日
5,000朝鮮語版142 × 68 mm赤・黄栗谷李珥の肖像・烏竹軒と申師任堂の『草虫図』2006年1月2日
10,000朝鮮語版148 × 68 mm世宗大王の肖像・竜飛御天歌日月五峰図天象列次分野之図と天球儀天体望遠鏡2007年1月22日
50,000朝鮮語版154 × 68 mm橙・黄申師任堂の肖像・申師任堂の『墨葡萄図』と『草蟲図繍屏』の茄子の絵魚夢龍の『月梅図』と李霆の『風竹図』2009年6月23日

50,000ウォン紙幣の発行

長らく最高額紙幣が10,000ウォン(2009年当時の為替レートで約800・8USドル程度の価値)であったため、決済時に不便をもたらしていた。このため国民の間では、自己宛手票(チャギアプスピョ)略して手票(スピョ・日本語で小切手)やクレジットカードの使用頻度が高い。デノミネーション[注釈 4] や高額紙幣発行論がしばしば取りざたされていたが、「インフレーション圧力になる」との批判が根強く、具体化に至っていなかった。

しかしながら、自己宛手票流通に掛かるコストや、偽造小切手問題から、2006年初頭より、韓国政府は100,000ウォン札を発行する方針で具体的な検討に入り、2007年5月2日韓国銀行2009年上半期を目処に100,000ウォンと50,000ウォン紙幣を発行する事を正式発表し、50,000ウォン紙幣は、予定通り2009年6月23日に発行された。

100,000ウォン紙幣の発行断念

しかし、100,000ウォン紙幣の図案に関して論争が起き(裏面の朝鮮半島の古地図・大東輿地図に、本来描かれていなかった独島(竹島)を記載するか否かの問題もあったが、表面の肖像に予定されていた独立指導者の金九に関して、南北統一政府を主張して李承晩らと確執を繰り広げたことから『最高額面の紙幣にふさわしい人物かどうか』が、保守派から提起され激論となったことが大きい[8])、2009年1月22日、韓国銀行は100,000ウォン紙幣発行推進計画を中止すると発表した。

ただ、50,000ウォン紙幣も日本円で5,500円弱程度の価値(発行当時)でしかなく、今後再び100,000ウォン紙幣の発行論議が再燃する可能性があるが、高額な買い物に対しては、所得控除制度がある「クレジットカード決済」が当たり前であり、高額紙幣が新規発行される目処が立たない状況が続いている。

2,000ウォン記念紙幣の発行

2018年平昌オリンピックを記念して、2017年11月17日に韓国ウォンで史上初の記念紙幣となる2,000ウォン紙幣が発行された。次のような仕様となっている。

発行枚数は230万枚で、通貨としては法的に有効であるが、額面以上で販売された。

硬貨

以下の3つの表に掲げる硬貨は、1962年の「新ウォン」化後のもので、全て法的に有効であるが、現在主に流通しているのはこのうち最も下の「現在使用」の表に掲げるものである。

2006年までは黄銅の10ウォン硬貨が発行されていたが、素材価値が高くなり額面に見合わなくなったため現在の銅メッキアルミニウムの硬貨に改められた。

1ウォン硬貨、5ウォン硬貨は、現在では事実上市中に流通していないが、現在でも法的には有効であり、ミントセットのために細々と製造されている。現金を伴わない取引では1ウォン単位で決済が行われるが、現金取引で10ウォン未満の端数が発生した場合、切り上げ、もしくは切り捨てられる。また、キャッシュレス決済が普及した現在では、10ウォン硬貨、50ウォン硬貨の流通停止も検討されている。

1966 - 1982年発行
画像額面規格発行年月日
直径量目材質鋳造開始流通発行中止
117.2 mm1.7 g黄銅
60%
40% 亜鉛
ムクゲ算用数字で額面
ハングルで「韓国銀行」の表示
鋳造年
1966年1966年8月16日1980年12月1日
0.729 g100% アルミニウム1968年1968年8月26日1983年1月14日
520.4 mm3.09 g丹銅
88%
12% 亜鉛
亀甲船1966年1966年8月16日1980年12月1日
2.95 g黄銅
65%
35% 亜鉛
1970年1970年7月16日1983年1月14日
1022.86 mm4.22 g丹銅
88%
12% 亜鉛
多宝塔1966年1966年8月16日1980年12月1日
4.06 g黄銅
65%
35% 亜鉛
1970年1970年7月16日1983年1月14日
5021.6 mm4.16 g70%
18% 亜鉛
12% ニッケル
稲穂1972年1972年12月1日1983年1月14日
10024 mm5.42 g白銅
75%
25% ニッケル
李舜臣1970年1970年11月30日1983年1月14日
1982-2006年発行 [5][リンク切れ][9]
画像規格発行年月日
幅(mm)重量(g)材質側面鋳造開始流通
1朝鮮語版17.2 mm0.729 gアルミニウム無地ムクゲハングルで額面算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年1983年1983年1月15日
5朝鮮語版20.4 mm2.95 g黄銅(銅65%・亜鉛35%)無地亀甲船・ハングルで額面算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年1983年1983年1月15日
1022.86 mm4.06 g多宝塔・ハングルで額面
現在使用
画像規格発行年月日
幅(mm)重量(g)材質側面鋳造開始流通
10朝鮮語版18 mm1.22 gアルミニウムメッキ(アルミニウム52%・銅48%)無地多宝塔・ハングルで額面算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年2006年2006年12月18日
50朝鮮語版21.6 mm4.16 g洋白(銅70%・亜鉛18%・ニッケル12%)ギザ稲穂・ハングルで額面算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年1983年1983年1月15日
100朝鮮語版24 mm5.42 g白銅(銅75%・ニッケル25%)李舜臣・ハングルで額面
500朝鮮語版26.5 mm7.7 gツル・ハングルで額面1982年1982年6月12日

為替レート

公式にはペッグ制は採用していない。90年代後半以降、ドルや円に対して大きく変動してきている。

IMFによる韓国救済の克服以降、1円 ≒ 10ウォン程度で安定して推移していた。2005年頃から急激なウォン高が始まり、2007年時点では約7.5ウォン近辺、その後の円高ドル安傾向もあって8ウォン台で推移していた。

しかし2008年には1円 = 10ウォンの大台を突破した。同年9月末には世界金融危機の影響から、韓国通貨危機が発生、12ウォンを越えて大幅なウォン安が起き、10月7日にはついに13ウォンを突破。その後は乱高下を繰り返しながら通貨危機当時の1円 = 14.85ウォン水準に日に日に近付いていたが、10月27日には売値・買値ともに15ウォンを突破し、さらに12月5日には一時的ながら16ウォンにまで達し、2009年2月20日には再び16ウォン台に突入、対円での史上最安値を更新した。その後は日韓通貨スワップの導入により、通貨危機前の水準に戻しつつある。

JPY/100KRW(100ウォンが何円か。数字が大きいほどウォン高)
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
2004年09.0309.3109.1109.3809.4409.4109.5609.509.6409.4509.8409.96
2005年10.0910.4310.5410.5610.7610.7410.9410.7410.8811.0911.5411.71
2006年12.1211.9912.0512.1111.8512.0512.0212.1912.4612.4412.4912.78
2007年12.9212.6112.5212.8413.113.312.9312.3612.5512.7111.8912.09
2008年11.2711.1610.08         

日本銀行の時系列データにある「外国為替市場 / text」を元にした。現在のリンク先はこちら

USD/KRW(1ドルが何ウォンか。数字が大きいほどウォン安)
JPY/KRW(1円が何ウォンか。数字が大きいほどウォン安)

ニューヨーク連邦準備銀行Foreign Exchange Rates Historical Search より。

現在のKRWの為替レート

Google Finance:AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円USD
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OANDA:AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円USD

日本における変造500ウォン硬貨問題

500ウォン硬貨は日本の500円白銅貨(初代500円硬貨)と比べて、重量が少し重いことを除き、材質・形状が極めて類似していた。なおかつ、1999年当時、500ウォン硬貨は日本円でおよそ50円程度の価値であった。

このため、1999年頃から、ドリルでくぼみをつけて五百円硬貨と重量を合わせる加工が施された変造500ウォン硬貨が、大量に韓国から日本に運び込まれ、日本全国の自動販売機両替機で不正使用された。摘発された主な事件には、次のようなものがある。

1999年6月に、不法滞在中国人の男3人と日本人の男1人が、日本各地の自動販売機で変造500ウォン硬貨を使用していた容疑で、富山県で逮捕された。男らが用いていた自動車から、変造500ウォン硬貨約2000枚が発見され、押収された(平成12年警察白書 による)。

当初は、自動販売機の識別機能強化による対応が試みられたが、まさにいたちごっこの状態となり、自動販売機での500円硬貨の受入れを中止する動きが広まった。結局2000年に日本の造幣局は抜本的な対策のため、材質を変更した上で偽造防止対策を施した500円ニッケル黄銅貨(2代目500円硬貨)を発行した。また、自動販売機の多くで500円ニッケル黄銅貨のみ対応の自動販売機に切り替わった。その結果、日本国内の自動販売機荒らしの発生件数は、2000年の6706件から2001年には1061件まで減少した(平成14年警察白書 による)。

脚注

注釈

出典

関連項目