船村徹

日本の作曲家・歌手(1932ー2017)

船村 徹(ふなむら とおる、1932年昭和7年〉6月12日 - 2017年平成29年〉2月16日[1])は、日本作曲家歌手日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。位階従三位

船村 徹
文化勲章受章に際して
公表された肖像写真船村徹
基本情報
出生名福田 博郎(ふくだ ひろお)
生誕 (1932-06-12) 1932年6月12日
出身地日本の旗 日本 栃木県塩谷郡塩谷町
死没 (2017-02-16) 2017年2月16日(84歳没)
学歴東洋音楽学校卒業
ジャンル演歌歌謡曲
職業作曲家歌手
活動期間1955年 - 2017年
レーベルキングレコード1955年 - 1956年
コロムビアレコード(1956年 - 1978年
共同作業者高野公男
船村徹記念館

経歴

栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。栃木県立今市中学校旧制中学校)、東洋音楽学校ピアノ科卒業。

獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたこと[2]などもあり音楽の道を志す。

東洋音楽学校在学時はまだ駐留米軍が数多くいた時代であり、船村は米軍キャンプ専門のバンドでそのリーダーを務めたこともあったという。音楽学校在学時に、作詞家高野公男と組み作曲活動を開始した。ただ、高野とともに、生活は困窮を極め、バンド・リーダーのほか、流しの歌手なども経験する。

1953年、雑誌「平凡」コンクール曲第一席「たそがれとあの人」がレコード化され、作曲家としてデビュー。

作曲家としての本格的な作品は1955年の「別れの一本杉」。その後も、「ご機嫌さんよ達者かね」、「あの娘が泣いている波止場」などが連続ヒットした。

1956年キングレコードからコロムビアレコードに移り、「柿の木坂の家」、「早く帰ってコ」(歌・青木光一)が大ヒット。「王将」は戦後初のミリオンセラーを記録した。

1993年日本作曲家協会理事長に就任し、1997年吉田正の後を受けて第4代会長に就任、2005年遠藤実へバトンタッチするまで務めた。

1995年紫綬褒章受章、2002年、栃木県県民栄誉賞受賞、2003年、旭日中綬章受章[3]、2008年、文化功労者、2014年、栃木県名誉県民[4]、2016年、歌謡曲作曲家として初めて文化勲章[5]受章(作曲家としては山田耕筰に次ぎ2人目)。

妻は元歌手の能沢佳子、長男は作曲家編曲家蔦将包(つた まさかね)、長女は作詞家の真名杏樹、次女は元女優の福田渚子。

愛弟子には、北島三郎鳥羽一郎島津伸男三木たかし大下八郎・ムーディー松島・香田晋静太郎天草二郎走裕介・村木弾・森サカエ・森若里子がいる(松島・鳥羽・香田・静・天草・走・村木は、船村宅に住み込み、師匠と寝食を共にした内弟子である)。

作曲家として知られているが、「演歌巡礼」の活動の際、自ら歌唱することもあった。船村が自ら歌った作品を収めた「愛惜の譜」と言う通信販売限定のボックスCDも出ている。過去に数枚シングルも出している。船村徹とおるけすた・てぃぴか・日本のようにバンドリーダーとしての側面も持っていた。

2015年4月27日には栃木県日光市今市にある「道の駅日光 日光街道 ニコニコ本陣」に併設して、「日本こころのうたミュージアム・船村徹記念館」がオープンした。同館は、鉄筋コンクリート3階建て、延べ約2800平方メートル。1階の「夢劇場」では、船村の生い立ちや活躍を、最新の映像技術で紹介する。2階には「王将」「みだれ髪」「兄弟船」など船村の代表作が聴けるメロディーボックスや、歌手らと船村とのエピソードを映像化したシアターを設置。3階は、レコードジャケットや交流のあった著名人らの手形などを展示するスペース、入場者が自分の歌う姿をDVDに収録できる「歌道場」と名付けたカラオケルームなどが設けられている[6]

また、同館のオープニングセレモニーには親交の深かった北島三郎鳥羽一郎舟木一夫由紀さおり大月みやこ瀬川瑛子など多くの著名人が参加した[7]

2017年2月16日の午前11時頃に神奈川県藤沢市の自邸の寝室で倒れているところを長男の蔦将包の夫人が発見し、藤沢市内の病院へ救急搬送されたが午後0時35分に心不全のため死去[8][1][9]。84歳没。

同年3月17日、日本国政府は2月16日付で従三位に叙することを閣議で決定した[10][11]

同年10月1日、藤沢市名誉市民顕彰式が行われた[12]

エピソード

船村は故郷栃木・塩谷町への思いが終生強く、故郷に指定廃棄物最終処分場の建設話が持ち上がった際には「故郷の山や川を汚してはいかん」として住民等による産廃施設反対運動を支持した[13]

船村は日本山岳会会員であったほど山を愛し、「国民の祝日『山の日』を作ろう」と呼びかけた人物でもある[14][13]

船村の12歳年長で大日本帝国陸軍士官だった兄がよくハーモニカで『ドリゴのセレナーデ』を船村の前で演奏して聴かせてくれた。その兄からは「お前は軍人になってはいかん」と諭されたことを語っていた[15]。そのこともあり、兄や多くの英霊が眠る靖国神社で奉納チャリティ公演を幾度となく開催した[16]。奇しくも船村が死去した2月16日は第二次世界大戦で陸軍士官として戦地へ赴こうとしたその兄がミンダナオ島沖で戦死[15]した日でもあった[17]

東洋音楽学校に在学していた当時、一級上に黒柳徹子がいた。黒柳は声楽科でだったが、上級生の伴奏を務めさせられることがあり、そのことを「指導」と呼び、船村も黒柳から、たびたびそのような「指導」を受けたことがあるという。

親友の高野公男からは「俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ」とよく言われた。高野が早逝した後、船村は「あいつの分まで生きる」と親友・高野に対する感謝を終生にわたり忘れなかったという[18]

大瀧詠一との対談の中で、次のようなエピソードを話している。1959年東映アニメ映画『少年猿飛佐助』の音楽を担当し、グランプリを受賞した際に招待されヨーロッパ滞在中ロンドンで、あるオーディションに立ち会う。その中にデビュー前のビートルズがおり、オーディションに参加した面々の中で唯一のバンドだった。「どの組がよいか?」と尋ねられた船村は「あの汚い4人組が一番面白いのでは」と答えたという[19]。それを聞いた大瀧は驚愕し、周りのスタッフに「凄いでしょう!船村先生は、ビートルズが誕生したオーディションに立ち合っているんですよ」と述べた。

船村の代表曲のひとつ『矢切の渡し』は元々ちあきなおみに提供した楽曲だったが、細川たかしが歌唱したものがヒットし、第25回日本レコード大賞を受賞した。これについて船村は「美声ではあるが細川君の歌い方は一本調子な感じで、ちあき君は観賞用‥細部まできっちりと聴かせる歌だから。正直に言うと細川盤は、楽曲の難しい部分を省略しているので『何だ、これならオレにも歌える』と世間に思わせる歌い方でしたね。‥」と分析・評価している[20]

美空ひばりに関しては「高音(裏声)に良いものを持っている」と評価しており、実際に船村がひばりに提供した作品には、高音部分が多い(母の喜美枝には「苦手だからやめて」と拒否されていた)。また、ひばりとちあきを対比して「美空ひばりとちあきなおみの決定的な違いは、裏声の出るか出ないか」とも講評している[21]

作曲作品

歌謡曲
発売年月曲名作詞歌手備考
1953年2月たそがれとあの人サトウハチロー山路えり子雑誌「平凡」コンクール曲。船村の作曲家デビュー曲
1954年7月航海日記松村又一若原一郎
1955年8月泣き虫人生高野公男春日八郎
1955年9月ご機嫌さんよ達者かね高野公男三橋美智也
1955年10月ハンドル人生高野公男若原一郎
1955年11月別れの一本杉高野公男春日八郎売上50万枚。翌年に松竹から映画化。NHK昭和の歌・心に残るベスト200曲』第29位
1955年12月あの娘が泣いてる波止場高野公男三橋美智也売上180万枚。翌年に東宝から映画化
1956年6月ブルースを唄う女高野公男吉岡妙子
1956年8月早く帰ってコ高野公男青木光一日本コロムビア専属契約後の第1作目
1956年9月波止場だよ、お父つぁん西沢爽美空ひばり売上110万枚
1956年9月港は別れてゆくところ西沢爽美空ひばり「波止場だよ、お父つぁん」のB面
1956年10月どうせ拾った恋だもの野村俊夫初代コロムビア・ローズ
1956年12月男の友情高野公男青木光一高野が遺した詩に曲がつけられた。1963年に北島三郎のシングルとして発売。船村自身も歌っている
1957年3月東京だョおっ母さん野村俊夫島倉千代子売上150万枚。発売当初セリフは無かったが、後に島倉自身が付け加えた。NHK『昭和の歌・心に残るベスト200曲』第66位
1957年4月僕は流しの運転手石本美由起青木光一
1957年5月浜っ子マドロス星野哲郎美空ひばり石本美由起補作詞。横浜市・産経時事選定「横浜の歌」公募1等賞
1957年5月みなと踊り星野哲郎美空ひばり石本美由起補作詞。横浜市・産経時事選定「横浜の歌」公募2等賞。「浜っ子マドロス」のB面
1957年6月波止場小僧野村俊夫美空ひばり「夕やけ峠」のB面
1957年6月どんつくさん丘灯至夫浜口庫之助浜口の他、伊丹章子など複数の歌手による競作。船村が"思いを込めた割に埋もれてしまった作品"と著書に綴っている
1957年7月東京無情野村俊夫織井茂子
1957年7月祇園まつり音頭西沢爽島倉千代子
山形英夫
京都の祇園祭で今も流れる
1957年9月柿の木坂の家石本美由起青木光一
1958年2月逢いに来ましたお父さん野村俊夫三宅広一
1958年3月三味線マドロス高野公男美空ひばり
1958年6月夜がわらっている星野哲郎織井茂子
1958年10月女を忘れろ野村俊夫小林旭小林のデビュー曲とされているが、小林は本当のデビュー曲は古賀政男作品と語っている
1958年11月ダイナマイトが百五十屯関沢新一小林旭船村にしては珍しいロック調の作品。小林のニックネーム"マイトガイ"はこの曲からとられている
1958年12月真夜中の街角西沢爽小林旭
1958年白壁の町星野哲郎鳴海日出夫未発売曲。1963年北島三郎のシングルとして発売。初のタンゴ調の作品で、船村が"思いを込めた割に埋もれてしまった作品"と著書に綴っている
1959年3月東京タワー野村俊夫美空ひばり
1959年9月モヨロ哀歌中山正男織井茂子この年の紅白歌合戦出場曲。船村が"思いを込めた割に埋もれてしまった作品"と著書に綴っている
1959年10月街路樹野村俊夫北見沢惇北見沢のデビュー曲。北見沢は美空ひばりの歌唱で知られる「悲しい酒」を吹き込んだオリジナル歌手
1959年11月哀愁のからまつ林西沢爽島倉千代子売上60万枚
1960年7月哀愁波止場石本美由起美空ひばり第2回日本レコード大賞・歌唱賞。この年の紅白歌合戦出場曲。NHK『昭和の歌・心に残るベスト200曲』第197位
1961年2月瀬戸の恋唄西沢爽神戸一郎B面は五月みどりの「おひまなら来てね
1961年2月恋のからかさ西沢爽江河愛司
1961年2月お手をつないで西條八十初代コロムビア・ローズ
神戸一郎
五月みどり
香川匂子
唐品由美
「日本晴れだよ」のB面。日本では最後となるSP盤発売曲(レコード番号:A3239 日本コロムビア)
1961年5月鼻唄マドロス石本美由起美空ひばり
1961年7月姉妹酒場石本美由起こまどり姉妹この年の紅白歌合戦出場曲
1961年8月札幌にリラは薫れど西沢爽能沢佳子間奏の鐘の音はNHKのど自慢の不合格の鐘を意図して船村が入れたもの。「歌手を辞めて俺の所へ来い」という能沢に対するメッセージが込められている
1961年11月王将西條八十村田英雄戦後初のミリオンセラーを記録。第4回日本レコード大賞・特別賞。NHK『昭和の歌・心に残るベスト200曲』第46位。船村は、2009年に、日本将棋連盟から第16回大山康晴賞特別賞を受賞した。
1962年6月ブンガチャ節星野哲郎北島三郎北島のデビュー曲。発売1週間で放送禁止となった
1962年8月なみだ船星野哲郎北島三郎ミリオンセラーを記録。第4回日本レコード大賞・新人賞
1962年10月ひばりの佐渡情話西沢爽美空ひばり
1962年10月東京は船着場星野哲郎北島三郎北島の後輩で作曲家の弦哲也が最も好きな船村作品にこの曲をあげている
1962年お星さまと紙芝居星野哲郎島倉千代子アルバム『千代ちゃんのうた』収録曲。船村が"思いを込めた割に埋もれてしまった作品"と著書に綴っている
1963年8月演歌師星野哲郎北島三郎映画『やくざの歌主題歌
1963年8月あのころの歌星野哲郎北島三郎「演歌師」のB面
1964年7月夢のハワイで盆踊り関沢新一舟木一夫
本間千代子
高橋元太郎
2代目コロムビア・ローズ
東映映画『夢のハワイで盆踊り』主題歌
1964年7月わかもの行進曲関沢新一高橋元太郎
本間千代子
「夢のハワイで盆踊り」のB面
1964年9月おんなの宿星野哲郎大下八郎
1965年8月悦楽のブルース吉岡治島和彦松竹映画『悦楽』主題歌。吉岡の作詞家としての出世作
1966年4月ハイティーン・ゴーゴー吉岡治森本和子船村にしては珍しいエレキ調の作品
1966年4月雨の夜あなたは帰る吉岡治島和彦この年の紅白歌合戦出場曲
1966年7月夢で泣け三浦康照北原謙二
1966年10月その人は昔松山善三舟木一夫船村自身も歌っている
1967年5月夏子の季節丘灯至夫舟木一夫
1967年7月夕笛西條八十舟木一夫
1967年7月白馬のルンナ松山善三内藤洋子東京映画『その人は昔』挿入歌
1968年1月スナッキーで踊ろう三浦康照海道はじめ
スナッキーガールズ
=羽太幸得子
吉沢京子
小山ルミ
船村作品とは思えない奇抜なメロディーが印象的で、NHKではこの曲に関する番組が組まれた事もある
1968年12月新宿情話猪又良ムーディー松島1984年細川たかしのシングルとして発売
1971年10月北国の子守唄吉岡治美空ひばり
1972年7月宗谷岬吉田弘黒木真理ダ・カーポ千葉紘子芹洋子 他カバー
1973年5月遠い冬西沢爽美空ひばり
1973年9月サンチャゴの鐘横井弘舟木一夫2012年に船村徹のシングルとして発売
1974年10月郷愁石本美由起藤山一郎確認できる中では藤山に提供した唯一の作品
1975年2月こころの町保富康平美空ひばり石原慎太郎が好きな美空の歌にこの曲を上げている
1975年7月さだめ川石本美由起ちあきなおみこの年の紅白歌合戦出場曲。1986年に細川たかしのシングルとして発売
1976年3月ふるさと太鼓石本美由起美空ひばり
1976年3月ひばりづくし藤浦洸美空ひばり
1976年10月酒場川石本美由起ちあきなおみB面の「矢切の渡し」は1982年にA面で再発売
1978年9月さすらい船横井弘三橋美智也フリー宣言以降初となるキングレコード発売作品
1978年9月ど根性船唄横井弘三橋美智也「さすらい船」のB面
1979年1月俺達の歌今どこに横井弘美空ひばり
1979年7月おんなの出船山田孝雄松原のぶえ松原のデビュー曲。第21回日本レコード大賞・新人賞
1979年9月夜行列車/波止場ばなし中山大三郎春日八郎
1980年9月風雪ながれ旅星野哲郎北島三郎第1回古賀政男記念音楽大賞・大賞
1980年3月寒椿中山大三郎森昌子
1980年9月別れた故郷/港のみれん雨中山大三郎春日八郎
1981年4月ひろしま、そして雨ン中三宅立美
船村徹
瀬川瑛子
1982年3月津軽涙唄矢野亮三橋美智也
1982年3月北の別れ唄横井弘三橋美智也「津軽涙唄」のB面
1982年8月兄弟船星野哲郎鳥羽一郎鳥羽のデビュー曲。NHK『昭和の歌・心に残るベスト200曲』第127位
1983年2月矢切の渡し石本美由起細川たかし第25回日本レコード大賞・大賞。瀬川瑛子 他競作。NHK『昭和の歌・心に残るベスト200曲』第19位
1983年3月海の匂いのお母さん田村和男鳥羽一郎
1983年8月女の港星野哲郎大月みやこ大月はこの曲で1986年にデビュー22年目にして紅白初出場を果たした
1983年11月母のいない故郷新本創子鳥羽一郎1982年には船村が吹き込んでいる
1983年11月わすれ宿中山大三郎鳥羽一郎1984年に鳥羽一郎、2017年五木ひろしがシングルとして発売
1985年4月俺はやる荒川利夫
船村徹
ムーディー松島
鳥羽一郎
栃木県警愛唱歌
1985年5月海の祈り星野哲郎鳥羽一郎
1986年11月豊予海峡星野哲郎大月みやこ
1987年2月新宿挽歌なかにし礼藤圭子
1987年5月おんなの生命池田充男三条正人
1987年12月みだれ髪/塩屋崎星野哲郎美空ひばり
1988年10月紅とんぼ吉田旺ちあきなおみ
1990年8月旅人/新宿むかし通り星野哲郎春日八郎春日の最後のシングルとなった
1990年2月星野哲郎五木ひろし
1991年1月北の大地星野哲郎北島三郎第33回日本レコード大賞(演歌・歌謡曲部門)・大賞
1991年酒無情石本美由起森進一確認できる中では森に提供した唯一の作品
1994年3月星野哲郎水前寺清子水前寺のデビュー30周年記念曲
1995年6月海鳴りの詩星野哲郎島津亜矢島津のデビュー10周年記念曲
1995年7月片瀬月美空ひばり島倉千代子星野哲郎補作詞。美空が遺した小唄をもとに作られた
2000年3月玄海男歌星野哲郎静太郎静のデビュー曲
2001年5月遠野物語木下龍太郎長山洋子同郷の後輩でもある木下が、自身の作品で最も思い入れのある作品にこの曲をあげている
2001年6月赤いエプロン星野哲郎中村美律子
2001年10月虹色の砂時計山川啓介由紀さおり
安田祥子
NHKアニメ『カスミン』オープニングテーマ
2001年10月星が歌った物語
〜ポロ兄ちゃんとタンちん君〜
山川啓介由紀さおり
安田祥子
NHKアニメ『カスミン』エンディングテーマ
2002年6月傘ん中阿久悠五木ひろし
2005年5月天草かたぎ水木れいじ天草二郎天草のデビュー曲
2006年9月オジロ鷲木下龍太郎細川たかし木下との最後の共作
2009年4月流氷の駅池田充男走裕介走のデビュー曲
2016年2月ござる〜GOZARU〜舟木一夫村木弾村木のデビュー曲。村木という名は船村徹の"村"と舟木一夫の"木"からとられている
2017年1月肱川あらし喜多條忠伍代夏子
2017年4月都会のカラス舟木一夫村木弾
2021年9月新宿満月阿久悠五木ひろし阿久・船村両氏の死後に、遺族等から五木に歌唱を依頼された作品
市町村歌
曲名作詞歌手備考
宇都宮音頭野村俊夫島倉千代子

山中ひろし

せめて別れの想い出に
日光哀歌)
野村俊夫青木光一
恋のいろは坂野村俊夫浅草ゆめ子「せめて別れの想い出に(日光哀歌)」の裏面
横浜名品街音頭石本美由起霧島昇

酒井千恵子

草加音頭宮沢章二都はるみ
栃木県高根沢町町歌広瀬鋭男鳴海日出夫星野哲郎補作詞。静太郎も歌っている
高根沢音頭藤戸高清島倉千代子

長峰良

星野哲郎補作詞。琴けい子・静太郎も歌っている
渋川音頭西沢爽加藤雅夫
島倉千代子
渋川市選定
燃える鹿児島阿蘇台信一島倉千代子野村俊夫補作詞。南日本新聞社選定。裏面は若山彰赤坂小梅「薩摩よかとこ」
幸田音頭岩瀬ひろし島倉千代子
長峰良
美里れい子・加藤裕之も歌っている
日南市中村地平
長嶺宏
2011年に発表された「日南市歌」は同名異曲
富岡市民音頭鈴木比呂志
出水音頭南城俊男
葉山の歌(町民の歌)蔵方昭二青田拳二条冬詩夫補作詞
姫路博音頭西沢爽村田英雄
青葉純子
企画・姫路大博覧会協会
塩谷町青年団の歌中山正夫
その人の歌船村徹船村徹
佐伯一郎
塩谷町町制施行十周年記念
塩谷町音頭
(えかんべ囃子)
船村徹金田たつえ
佐伯一郎
塩谷町町制施行十周年記念
坂戸市民音頭岡本淳三大川栄策石本美由起補作詞。坂戸市制施行記念
坂戸小唄丸一平島倉千代子石本美由起補作詞。坂戸市制施行記念
岩槻市民音頭木村妙子大川栄策
わかばちどり
企画・製作 T・P・C/委託製作 日本コロムビア株式会社
久々野町町歌西沢爽青木光一委託製作 日本コロムビア株式会社
新久々野音頭西沢爽島倉千代子委託製作 日本コロムビア株式会社
氏家町民の歌
-卯の花の里-
船村徹若原一郎制作/栃木県氏家町 製作/キングレコード株式会社
氏家音頭
-ほだんべ音頭-
中山大三郎二葉百合子
鳥羽一郎
制作/栃木県氏家町 製作/キングレコード株式会社
びんご府中音頭岡田富美子高橋キヨ子
小川町民の歌秋元武義
那須野巌
高砂音頭もず唱平金田たつえ
松江和郎
高砂市制30周年記念。委託製作 日本コロムビア株式会社
希望の鐘・馬頭町の歌那須野巌若原一郎
美和音頭木下龍太郎鳥羽一郎
北川めぐみ
美和村合併30周年記念
鬼怒川門井八郎香田晋
青葉音頭植木久鳥羽一郎星野哲郎補作詞
社歌
曲名作詞歌手備考
九州銀行行歌風木雪太郎若山彰
九州銀行生活の歌風木雪太郎フォー・コインズ
戸田建設社歌西沢爽1963年制定。NIKKEI全国社歌コンクール入賞
岩城株式会社社歌西沢爽
横浜運輸株式会社社歌西沢爽伊藤久男
コロムビア合唱団
横尾製作所愛唱歌鈴木比呂志
三上制作所社歌西沢爽伊藤久男
東洋ベアリング社歌岩瀬ひろし村田英雄
東洋ベアリング音頭岩瀬ひろし畠山みどり
第一家庭電器社歌二条冬詩夫青田拳
品川ファーネス社歌 築炉の男石本美由起村田英雄
品川ファーネス応援歌渡辺典彦ムーディー松島
京山京平
石本美由起補作詞
相互信用金庫庫歌岩瀬ひろし三波春夫
俺はやる荒川利夫
船村徹
ムーディー松島
鳥羽一郎
栃木県警愛唱歌
日光市消防団歌木下龍太郎東条英勝
株式会社ワイアリーバ社歌 三つの誇り星野哲郎クラウン混声合唱団
宇都宮の防人木下龍太郎宇都宮駐屯地愛唱歌
しあわせ音頭松崎静子栃木老人ホーム歌
校歌・園歌
曲名作詞備考
岡山県倉敷市児島海員学校寮歌星野哲郎岡山県倉敷市児島海員学校寮歌。1961年寮歌制定。1981年4月組織改革に伴い海技大学校児島分校となる
船生小学校校歌星野哲郎栃木県塩谷町立船生小学校校歌。1965年校歌制定。船村の母校である
宇都宮城東小学校校歌薄井春夫船村徹補作詞。栃木県宇都宮市立城東小学校校歌。1975年校歌制定
日新中学校校歌羽石燕霖蓮実彊補作詞。栃木県那須塩原市立日新中学校校歌。1977年校歌制定
女子美付属幼稚園の歌かつて神奈川県横浜市にあった幼稚園の校歌
南小学校校歌小林一行船村徹補作詞。栃木県さくら市立南小学校校歌
中川小学校校歌船村徹栃木県茂木町立中川小学校校歌。1980年校歌制定
宇都宮ビジネス電子専門学校校歌木下龍太郎宇都宮ビジネス電子専門学校校歌
久住中学校の歌木下龍太郎千葉県成田市立久住中学校校歌
南原小学校校歌木下龍太郎栃木県日光市立南原小学校校歌
栃木県立矢板高等学校校歌生徒・職員船村徹補作詞。栃木県立矢板高等学校校歌

歌唱作品

発売年月曲名作詞作曲備考
青い灯影のブルース高野公男船村徹
雨という奴ァよ秋田泰治
二条冬詩夫
船村徹
1979年6月都の雨に吉田旺船村徹
1979年6月居酒屋「津軽」吉田旺船村徹
1979年6月わかれ道なかにし礼船村徹
1979年6月あなたお願い中山大三郎船村徹
1979年6月可愛いい女中山大三郎船村徹
1982年幻の鶴新本創子船村徹
1982年9月サハリン無情船村徹船村徹
1982年9月歳月河新本創子船村徹
1982年9月妹みたいな女だった新本創子船村徹
1982年9月夢の汽車ポッポ新本創子船村徹
1982年9月母のいない故郷新本創子船村徹
1983年11月帰らぬ夢星野哲郎船村徹
1983年11月想い出れんげ木下龍太郎船村徹
1986年1月希望(のぞみ)船村徹船村徹五木ひろしがシングル『細雪』のB面で歌っていたが、こちらは何故か発売数日で別の曲に差し替えられている
1986年1月さすらい夜曲高野公男船村徹
1991年9月草枕木下龍太郎船村徹
1995年2月せせらぎの径たかたかし船村徹松原のぶえとのデュエット
1995年6月あけみ星野哲郎吉田正1994年に他界した星野哲郎夫人の追悼作品。編曲は市川昭介小西良太郎プロデュース
1995年6月思い出にぬれながら星野哲郎吉田正1994年に他界した星野哲郎夫人の追悼作品。編曲は三木たかし。小西良太郎プロデュース
1995年8月花供養木下龍太郎船村徹
2001年5月追憶/サヨナラビートたけし船村徹
2011年11月花ひばり美空ひばり船村徹美空が遺した詩に曲がつけられた
2011年11月みだれ髪星野哲郎船村徹1987年美空ひばりのセルフカバー
2012年7月サンチャゴの鐘横井弘船村徹1976年舟木一夫のセルフカバー
2012年7月パライソの華片瀬みつよ船村徹

出演

映画
テレビ

脚注

外部リンク

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