1.FCケルン

ドイツのサッカークラブ

1. FCケルン(エアスター・エフツェー・ケルン、ドイツ語: 1. FC Köln, 英語: 1. FC Cologne)は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ケルンに本拠地を置くサッカークラブ。

1.FCケルン
原語表記1. Fußball-Club Köln 01/07 e. V.
愛称Die Geißböcke (雄ヤギ)
Effzeh
クラブカラー   
   
創設年1948年
所属リーグドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン1部(2023-24
昨季リーグ順位11位(2022-2023
ホームタウンノルトライン=ヴェストファーレン州の旗 ケルン
ホームスタジアム
ラインエネルギーシュタディオン
収容人数50,400
代表者ドイツの旗 ヴェルナ-・シュピナー
監督ドイツの旗 シュテフェン・バウムガルト
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

1963年に発足したドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、1977-78シーズンには、日本人海外移籍の先駆者 奥寺康彦が活躍し2度目のリーグ優勝に貢献した。

クラブの歴史

約1100のサポーターズクラブがあり、52000人のソシオを抱えるケルン最大級のスポーツクラブ。1948年に「ケルナーBC 07」と「SpVggズルツ 07」の合併により誕生。

ブンデスリーガ発足後初の王者。ハンス・ヴァイスヴァイラー監督時代の1977-78シーズンにはブンデスリーガとドイツカップの2冠を達成した。

Fans 1 FC Köln2

1960年代

1960年、1962年と1963年にはドイツ・サッカー選手権(ドイツ・ブンデスリーガの前身)で決勝戦に進出し(1962年には優勝)、1968年にはドイツカップで優勝、ドイツ・ブンデスリーガが発足した1963-64シーズンで初代王者となり、翌年のUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)では準決勝進出を果たした。クラブ組織をイングランドのクラブをモデルとしたものに改革し、ドイツ初となるプロ選手のサイドビジネスと現役引退後の仕事の手配を行い、ドイツで初めてGKコーチを雇い、当時としては画期的であったクラブハウスと練習場を建設するなどフランツ・クレーマー会長の下、ドイツで最もモダンで模範的なクラブに成長する。攻撃の中心選手はドイツを代表する選手の一人であるヴォルフガング・オヴェラートであった。

1970年代

バイエルン・ミュンヘンボルシア・メンヒェングラートバッハの2強時代の始まりにより、常に優勝争いには絡むもののなかなかタイトルを獲得することはできなかった。しかしヘネス・バイスバイラーが監督に就任すると1977年にはドイツカップでの優勝を果たし、1978年には、元日本代表奥寺康彦などの活躍もあり、ブンデスリーガとドイツカップの2冠を達成。UEFAチャンピオンズカップでは再び準決勝進出を果たす。また、後にFCバルセロナレアル・マドリードアトレティコ・マドリード でゲームメーカーとして活躍したベルント・シュスターや1990年のイタリアワールドカップで優勝、1982年のスペインワールドカップと1986年のメキシコワールドカップで準優勝したピエール・リトバルスキーに代表されるように1970年代の終わり頃からは多くの将来が有望される選手がプロデビューを果たすようになった。

1980年代

1981年にはUEFAカップで準決勝に、1986年には決勝に進出し、1983年にはドイツカップで優勝するものの徐々にバイエルン・ミュンヘンとの財政面での違いなどが大きくなり始め、必ずしも優勝争いに顔を出すチームではなくなり始める。クラブ内の衝突なども数多く起きるようになり、1985年にはピエール・リトバルスキーが選手を代表して当時の会長を公の場で痛烈に批判しクラブを退団、ハラルト・シューマッハーも当時の西ドイツのサッカー事情をとりあげた内部告発本 『開始の笛』(原題:AnpfiffISBN 978-3426262986)を出版。スキャンダル的な内容からドイツサッカー協会(DFB)から国内永久追放の処分を受けるなどピッチ外でもメディアを騒がせるクラブの代表格となる。1986年には2部に降格しそうになるなどピッチ上でも結果を残せないようになっていた。しかし1986年の10月にコーチであったクリストフ・ダウムが監督に就任するとチームの成績が改善し、ブンデスリーガでは3位、準優勝、準優勝、UEFAカップでは準決勝に進出するなど好成績を残す。

1990年代

1990年のイタリアワールドカップ中に1980年代後半に好成績を残していたクリストフ・ダウムがクラブ内の政治争いにより解任されると再びチームの結果は下降線を辿るようになる。バイエルン・ミュンヘンのみならずヴェルダー・ブレーメンボルシア・ドルトムントシャルケ04などにピッチ上での結果やクラブの財政面で追い越され、徐々に強豪の地位を失った。多くの選手や監督が毎年のように入れ替わるようになり、1997年以降はヨーロッパカップに出場することも出来なくなる。1998年にはクラブの歴史上初となる2部降格が決定した。

2000年以降

1999-2000年シーズンにブンデスリーガ2部で優勝を果たし、再びブンデスリーガに昇格するものの、8年間で3度の2部降格と3度の1部昇格を経験する。このようなドイツを代表する名門クラブとしては長期低迷するチーム状態とは裏腹に地元での人気は高く、昇格シーズンでもありシーズンの終わりには再び降格することになった2005-06シーズンでも、ブンデスリーガ1部で5位に入る4万9,000人弱の平均観客動員を記録。その後の2部での2度のシーズンでも共に平均4万人を超える観客を集め、2シーズン連続のブンデスリーガ2部での平均観客動員1位のクラブとなった。なお1. FCケルンは、2部に降格したその他の2000年代のシーズン(1999-00, 2002-03, 2004-05シーズン)においても、ブンデスリーガ2部1位の平均観客動員を記録している。

2007-08シーズンはミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチパトリック・ヘルメスのコンビで37得点を挙げ、ノヴァコヴィッチは得点王に輝いた。ブンデスリーガ2部でボルシア・メンヒェングラートバッハホッフェンハイムに次ぐ3位となり、3シーズンぶりの1部昇格を果たした。17得点を挙げたエースFWパトリック・ヘルメスバイエル・レバークーゼンに引き抜かれたが、FWマナセー・イシアクを後釜として獲得し、DFピエール・ウォメ、MFプティなど1部の常連を獲得した。2008-09シーズンは残留争いとは無縁のシーズンを過ごし、12位に入った。

2009年夏、ミハエル・シューマッハなどの熱烈なファンが募金活動を行い、かつてのエースFWルーカス・ポドルスキの復帰を実現させた。MFマニシェなどを加えた中盤も選手層に厚みを増したが、2010年10月に2009年に招聘されたズヴォニミル・ソルド監督が解任され、それまで同クラブのセカンドチームの監督を務めていたフランク・シェーファーがトップチームの監督に昇格した。

2011-12シーズンに1部17位となり、2部に降格した。

2014年4月21日、3試合を残して2部で優勝を決め、3シーズンぶりの1部復帰が決定した。

2016-17シーズンは最終節の勝利でヘルタ・ベルリンSCフライブルクをかわし、5位でフィニッシュ。ブンデスリーガが現行の制度になった以降ではクラブ史上最多の勝ち点49を獲得し、1991-92シーズン以来25年振りにUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得するなど、かつての古豪の復活を予感させるシーズンとなった。

しかし、2017-18シーズンは昨年のチーム得点王アントニー・モデストが中国へ移籍した影響もあり、開幕から得点力不足が露呈。16節まで未勝利が続くなど低迷した。監督交代を経て、後半戦は持ち直したものの及ばず、最終的に最下位で5シーズンぶりに2部への降格が決まった。

2019-20シーズンに1年で1部復帰。同シーズンは14位で終了。翌2020-21シーズンは16位に終わり、入れ替え戦に回るも、ホルシュタイン・キールとの入れ替え戦を制して、1部を死守した。

タイトル

Rheinenergiestadion-panorama

国内タイトル

1963-64, 1977-78
1967-68, 1976-77, 1977-78, 1982-83
  • ドイツ・サッカー選手権:1回
1962
  • 西ドイツ・サッカー選手権:5回
1954, 1960, 1961, 1962, 1963
  • 西ドイツカップ:3回
1953, 1963, 1964
  • ドイツ室内サッカー選手権:1回
1993

国際タイトル

1978, 1981

過去の成績

シーズンリーグ戦DFBポカール
ディビジョン順位
1963-64ブンデスリーガ1部30171127840451位準々決勝敗退
1964-6530141066645382位1回戦敗退
1965-663419697441445位1回戦敗退
1966-6734149114848377位ベスト16
1967-6834174136852384位優勝
1968-69341361547563213位1回戦敗退
1969-7034203118338434位1回戦敗退
1970-713411111246563311位準優勝
1971-7234151366444434位準決勝敗退
1972-7334161176651432位準優勝
1973-7434167116956395位準々決勝敗退
1974-7534177107751415位ベスト16
1975-7634141196245394位ベスト16
1976-7734176118361405位優勝
1977-783422488641481位優勝
1978-7934131295547386位ベスト16
1979-8034149117255375位準優勝
1980-81341210125455348位2回戦敗退
1981-823418977238452位1回戦敗退
1982-833417986942435位優勝
1983-8434166127057386位ベスト16
1984-8534184126966403位2回戦敗退
1985-86349111446592913位2回戦敗退
1986-87341391250533510位ベスト16
1987-8834181245728483位2回戦敗退
1988-893418975830452位2回戦敗退
1989-903417985444432位ベスト16
1990-91341311105043377位準優勝
1991-9238131875841444位3回戦敗退
1992-93341241841512812位2回戦敗退
1993-94341461449513411位3回戦敗退
1994-953411101354543210位準決勝敗退
1995-96349131233354012位1回戦敗退
1996-97341351662624410位2回戦敗退
1997-98341061849643617位1回戦敗退
1998-99ブンデスリーガ2部341291346534510位1回戦敗退
1999-003419876839651位ベスト16
2000-01ブンデスリーガ1部3412101259524610位1回戦敗退
2001-0234781926612917位準決勝敗退
2002-03ブンデスリーガ2部34181156345652位準々決勝敗退
2003-04ブンデスリーガ1部34652332572318位ベスト16
2004-05ブンデスリーガ2部3420776233671位2回戦敗退
2005-06ブンデスリーガ1部34791849713017位1回戦敗退
2006-07ブンデスリーガ2部341210124950469位ベスト16
2007-083417986244603位1回戦敗退
2008-09ブンデスリーガ1部341161735503912位2回戦敗退
2009-10349111433423813位準々決勝敗退
2010-11341351647624410位ベスト16
2011-1234862039753017位2回戦敗退
2012-13ブンデスリーガ2部34141284333545位ベスト16
2013-1434191145320681位ベスト16
2014-15ブンデスリーガ1部349131234404012位ベスト16
2015-16341013113842439位2回戦敗退
2016-1734121395142495位ベスト16
2017-1834572235702218位ベスト16
2018-19ブンデスリーガ2部3419698447631位2回戦敗退
2019-20ブンデスリーガ1部341061851693614位2回戦敗退
2020-2134891734603316位ベスト16
2021-22341410105249527位ベスト16
2022-233410121249544211位1回戦敗退
2023-2434

記録

欧州での記録

2022年11月3日現在
大会勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 177822719+8041.18
UEFAカップウィナーズカップ147253019+11050.00
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ104541634191113+78051.92
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ 83231210+2037.50
UEFAインタートトカップ 11632239+14054.55
総通算153773145282167+115050.33

欧州の成績

UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ

UEFAカップウィナーズカップ

UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ

UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ

UEFAインタートトカップ

現所属メンバー

2019-20シーズン ブンデスリーガ 基本フォーメーション
2023年2月1日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK ティモ・ホルン
2DF ベンノ・シュミッツ
3DF クリスティアン・ペデルセン
4DF ティモ・ヒューバース
5DF ニコラ・ソルド
6MF エリック・マルテル
7MF デヤン・リュビチッチ ( ) ( )
8MF デニス・フセインバシッチ ( )
9FW セバスティアン・アンデション
11MF フロリアン・カインツ
13FW マルク・ウート
14DF ヨナス・ヘクター ( )
15DF ルカ・キリアン
17MF キングスレイ・シンドラー ( )
19MF ディミトリス・リムニオス ( )
20GK マルヴィン・シュヴェーベ
21FW シュテフェン・ティゲス
No.Pos. 選手名
23FW サルギス・アダムヤン
24DF ユリアン・シャボー ( )
25FW ティム・レンペルレ
27FW ダヴィー・ゼルケ
28MF エリス・スキリ ( )
29MF ヤン・ティールマン
33FW フロリアン・ディーツ
37MF リントン・マイナ ( )
38DF エリアス・バカトゥカンダ
43FW マクシミリアン・シュミット
44GK マティアス・ケビング
45MF ヨシュア・シュウィルテン
46DF リヤド・スマジッチ ( )
47MF マティアス・オレセン ( )
48DF ゲオルク・ストラウク
49FW ユスティン・ディール (

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
24DF ユリアン・シャボー (UCサンプドリア)
No.Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--GK ヨナス・ウアビヒ (SSVヤーン・レーゲンスブルク)
--DF ノア・カッターバッハ (FCバーゼル)
--MF マーヴィン・オブツ (ホルシュタイン・キール)
No.Pos. 選手名
--MF イェンス・カストロプ (1.FCニュルンベルク)
--DF メイコ・スポンセル (ロートヴァイス・エッセン)
--MF オンドレイ・ドゥダ (エラス・ヴェローナFC)

2021-22シーズン移籍

マスコット

チームマスコットはチームロゴにも描かれているヤギだが、実物は着ぐるみではなく本物のヤギである。「ヘネス君(ヘンネス君)」と名付けられ、クラブのアイドルとしてホームゲームで応援する光景や、その生活の様子をウェブカメラで撮影されたりとお馴染みの存在となっていたが、ヘネス7世を管理していたヴィルヘルム・シェーファーが2006年6月11日に心臓発作で死亡。ヘネス7世自身はシェーファー氏の妻が世話をしていたが、高齢のため試合など公式行事への登場は2006-07シーズンはほとんど行われず、その間はクラブ史上初の着ぐるみが代役を務めた。そのまま着ぐるみを定着させるかと思われたが、2008年7月に公式ホームページ上で4頭の山羊で選挙が行われ、8月に8世がお披露目された。なお、ヘネス7世は2009年3月13日に病の進行のために安楽死の措置が取られた。

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

外部リンク